出口なし
来週は関西出張があり、気が重い。
これが自分一人の問題なら、当然キャンセルするところなのだが、だいぶ前から日程が決められていて、しかも先方の意向もあるので、断るわけにもいかない。同じ出張に行く年上の人に、「考え直しましょうよ」とも言い出しづらい。先方からも、「感染に十分に注意してお越しください」と言われたが、どこをどう注意したらいいのか?
このご時世に、県をまたいだ出張に行くことに比較的抵抗がない人が多いことに驚いている。自分だけは大丈夫なのだろう、という思いが積もり積もって、かなりの数の人が、移動しているのではないだろうか。
東京都知事が、「(都外から都内に勤務している人は)東京に来ないでください」と突然訴えていたが、唐突にそんなことを言われて、それを守る人や会社は、ほとんどないだろう。たとえば僕が、都知事の訴えを真に受けて会社に行かなかったとしたら、「おまえ、馬鹿じゃねえの」と言われるのがオチである。
SNSで、首都圏在住の人だと思うのだが、「大学はなぜ対面授業をしないのか。娘を見ているとかわいそうだ。大学生にとっては、在学中の1年1年が大切な思い出なのだから、それができないのはかわいそうだ。マスクをして授業を受けている分には感染の心配はないのに。」といったような書き込みがあって、僕は複雑な気持ちになった。大学に行ったら行ったで、授業を聴いているときはたとえ黙っているとしても、それ以外の時間は、友だちとの会話に花が咲く。お昼ご飯だってお喋りしながら食べたいだろう。もちろんそれは、学生生活にとってかけがえのない時間なのかもしれないが、感染のリスクを高めることになりはしないだろうか。
「アスリートががんばっているのだから、今年の夏こそスポーツの大型イベントを開催するべきだ。そうでないとせっかくがんばっているアスリートがかわいそうだ」という空気にも、モヤモヤする。
「かわいそう」なのは、いったい誰なのだろう?
昨日、都内でのひとり合宿が終わり、帰宅までの時間、少しばかり都内を散歩した。ちょうど会社がお昼休みの時間になったようで、たくさんの背広を着たサラリーマン風の男性が歩いていたのだが、僕が驚いたのは、何人か連れだってお昼を食べに行く人が、非常に多かったことである。目当てのお店に行く道すがら、その人たちは大きな声で会話をしている。お店に入っても、おそらくマスクを外して大きな声で会話をしながら食事をしているのだろう。いまだにその生活様式を変えようとしない人がいることに、僕は恐ろしくなってしまった。
休憩するために、少し広めの喫茶店に入ると、案の定、マスクを外して5人以上で会話をしているグループがいた。こういうことをいちいち書くと、なんとか警察と言われるのだろうか。
僕は、これを機に、社会の無駄な慣習が淘汰されていくことを望んでいる者だが、本当の意味で「新しい生活様式」が実現するのは、いつのことだろう。
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コメント
おはようございます。今日のネタ予報です。
本日の関東地方のマクラは
・本日は社会活動に必要な噺しかいたしません
・寄席はコロナの前からずっと無観客ですから
・一杯じゃないお運び、ご協力ありがとうございます。
となる確率が高いでしょう。
なお、所により、サゲは「コロナがこわい」「コロナは寄席に限る」と変わることがあるでしょう。
では、よい一日を。
投稿: 🐢 | 2021年4月25日 (日) 07時50分