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俺は社長じゃない!

4月15日(木)

ひとり合宿2日目。

だいたい、3か月に1度くらいの周期で、都内でひとり合宿を行っていて、今回で通算9回目である。

いつもは4階の部屋なのだが、今回は3階の部屋である。3階の部屋は、初めてではないだろうか。

驚いたのは、部屋のトイレにウォシュレットがついていたことである。いままではついていなかった。

新しくウォシュレットをつけたのか、それとも3階の部屋だけにはウォシュレットがついているのかは、不明である。

アンケートに書いたっけなあ?

以前、出される食事の中に鯖の味噌にだか焼き鯖だかが出たことがあって、アンケート用紙に、

「身体が弱っている時に鯖はちょっと…」

と書いたら、それから食事に鯖が出ることはなくなった。

まあそんなことはともかく。

9回目なので、もう看護師さんの間では、僕の「血管の出なさ加減」については、情報が共有されているようである。

なので僕を担当する看護師さんは、戦々恐々としているようだ。

まず、1日目の晩にリハーサルをするのだ。

夜勤の看護師さんが夜8時半頃やってきて、僕の両腕の様子をたしかめ、いわばイメージトレーニングするという。

右手に点滴針をさすか、左手に点滴針をさすか。どちらかの腕に決まったとして、腕のどの部分に点滴の注射針を入れるかを、あらかじめ決めておきたいようである。そうしないと、次の日の朝、限られた時間でスムーズに針をさせるかどうかが不安でならないようなのだ。

僕は手をグーパーグーパーしながら、なるべく血管が出るようにして、看護師さんがそれを確かめる。

右腕と左腕を交互にそして入念に確かめたあげく、

「右腕にしましょう。明日の本番では時間がかかるかもしれませんので、朝5時半に起きてください」

「わかりました」

翌朝5時45分。看護師さんが来た。

「昨日はよく眠れましたか?」

「うーん、どうでしょう」

「ものすごい鼾をかいていらっしゃいましたね。それに寝返りも頻繁にうってました」

「そうでしたか」

「眠りが浅かったんじゃないですか?」

「そうかもしれません」

「湯たんぽを持ってきました」

「湯たんぽ?」

「これを右腕の下に置かせてください」

「どうしてです?」

「こうすれば血管が出やすいんです」

ほんとかよ!気休めじゃないのか?

でもそこまでしないと、俺の血管は出てこないと、看護師さんは本気で考えたらしい。苦肉の策である。

湯たんぽの上に右腕を乗せ、僕は右手をグーパーグーパーしながら、看護師さんが必死に血管を探している様子を見ていた。

「おかしいわねえ」

血管が見つからないらしい。

「左腕も念のため見せてください」

今度は左手をグーパーグーギーパーした。

「左腕にしましょう」

えええええぇぇぇっ!!!

昨晩のリハーサルは何だったんだ???それにわざわざ用意した湯たんぽは何だったんだ???

なんとか左腕に点滴針が入った。

治療室に行く道すがら、看護婦さんが言った。

「そのCDは、どんなジャンルの音楽です?」

治療室でかけてもらうCDを、僕は家から持ってきていた。

「ジャズです。渡辺貞夫です」

「ワタナベサダオ、知りませんねえ」

「知らないんですか?世界的に有名なミュージシャンですよ」

「そうでしたか。覚えておきます。…そういえば鬼瓦さんって、イベント会社の社長さんなんですよね」

「社長?」僕は不意の質問にビックリした。

「社長さんだって、看護師のみんなで話していたところですよ」

書類には職場の名称を書く欄があるので、職場が知られることは覚悟していたが、なんで俺が社長ということになっているんだ?

「社長じゃありませんよ。たんなる中間管理職です」

「そうでしたか…」

まったく、そんな根も葉もないことを誰が言い出したのだろう?

治療が終わって部屋に戻ると、今度は昼勤の看護師さんに交替していた。以前も何度か担当してもらったことのある、ベテランの看護師さんである。

「鬼瓦さんの職場って、建物が大きいでしょう」

「ええ」

「1度行ったことがありますよ。1日ではとても見きれなかったです」

「そうでしたか」

なんと、うちの職場に来たことのある看護師さんまでいた!

うーむ。これは困った。もう完全に面が割れてしまっている。

こうなるともう、アンケートに「体調の悪い時に鯖を出すな」とか、「ウォシュレットをつけろ」みたいな意見は書けない。

いちばん困ったことは、僕の鼾の音の大きさが尋常ではないことが、すでに看護師さんの間で共有されてしまっていることなのである。

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