« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »

2021年5月

堪忍袋

5月31日(月)

色校正を戻しに、都内にある出版社に向かう。久しぶりに、電車に乗って都内に出る。

引っ越したばかりとかで、以前に訪れたときとは場所が異なっている。最寄りの駅を降りてから、新しい住所を頼りにその出版社の場所を探し当てた。

色校正を戻しながら、少しばかり打合せをして帰ろうとすると、

「引っ越してからお客さんが来るのって、鬼瓦さんが初めてですよ」

と社長に言われた。

「そうですか。それは光栄です」

本当は本日午前着の速達で返送すればよかったのだが、間に合わず、やむなく直接出版社で手渡ししたのだった。

用事がすんで、町を歩いていると、緊急事態宣言下からなのだろう、休業している店が多い。

そんな中、強気の店を見つけた。

地下に入っていく飲み屋さんのようで、降りていく階段の入り口のところに、その店の案内板がある。お店の名前に「Beerなんとか」とあるので、ビールを売りにしている店なのだろう。

「6月1日から通常営業します!23:00まで、酒類を提供します!」

と書いてある。

すでに先週末に、6月1日から20日間の緊急事態宣言の延長が決まったはずだし、それ以前からも、緊急事態宣言が延長されるらしいということは、ささやかれていた。

それを知ってか知らずか、いや、当然知っていてあえて、6月1日からの通常営業と、酒類の提供に踏み切ることにしたのだろう。

同じお店の別の案内板のところには、

「全面喫煙!!」

と大きく書かれていた。もはや分煙する気もないらしい。

もちろん、公式的にはツッコミどころ満載の、あってはならないお店なのだろうが、しかし一方でそう書きたくなる気持ちもわかる。

国や自治体の政策として、飲食店イジメがすさまじい。実際のところは、飲食店によるクラスターよりも、医療施設や介護施設、職場といった方がクラスターが多く発生していることが、最近の調査でようやく実証されてきたのであるが、いまだに飲食店は、クラスターが発生する場所として悪者扱いである。

加えて、酒類の提供をやめるようにという要請は、飲食店に追い打ちをかけたものと思われる。

ここから先は、僕の想像だが、ごく最近、東京五輪の選手村に、お酒を持ち込むことを組織委員会が認めた、というニュースがあった。

このニュースを聞いた都内の飲食店業者は、どう思っただろう?

ふざけんな!と思ったに違いない。というか僕が飲食店業者だったら、そう思う。

どうして東京五輪の選手村にはお酒の持ち込みが認められるのに、都内の飲食店ではお酒を提供することができないのか?

それでとうとう、堪忍袋の緒が切れて、そのお店は6月1日からの通常営業に踏み切ったのではないだろうか?

僕がたまたま見た、その店だけでなく、他のお店でも、もうやってられねえよ!と、通常営業に踏み切る店が増えるのではないかと、僕は踏んでいる。

どう考えても、東京五輪を開催することと、緊急事態宣言により市民に制約を課すことは、矛盾している。目下のところ、この矛盾に対して明快な説明をしている五輪開催擁護派は、誰もいない。

| | コメント (0)

完結編、ではなかった

なくなりそうでなくならないこうもり傘・完結編

5月29日(土)

昨日の金曜日の夕方、1通のメールが来た。先日、ある会議に出た際に、いつの間にかこうもり傘をなくしたことに気づいた、という、その会議の事務局から来たメールである。

ご丁寧に、先日の会議に出席したことに関する感謝の内容が書かれていたが、「追伸」として、次のようなことが書かれていた。

「追伸 ご連絡を差し上げるのが遅くなってしまいましたが、会議当日、鬼瓦先生がお帰りになった後、座られていた椅子に傘が残っていました。先生のではないかと、慌てて駐車場まで追ったのですが、お帰りになられた後でした。ご不便かと思いますが、傘は保管させていただきます」

なんと!なくしてしまったと思っていたこうもり傘は、実は僕が会議のときに座っていた場所に置き忘れていたというのである。

てっきり僕は、会議の直前に入った1階のトイレの個室に置き忘れてしまったと思い込んでいたのだが、そうではなく、その後、そのこうもり傘を3階の会議の部屋まで持って行っていたのであった。

…こうなるともう、自分の記憶力のなさに愕然とする。もうだめかもわからんね。

僕はさっそく返信を書いた。

「やはり傘は会議室にありましたか!ありがとうございます。明日、実家に立ち寄ることになっているのですが、土曜日ですので、取りにうかがってもどなたもいらっしゃらないでしょうか。もし明日(土曜日)が難しいようでしたら、平日に実家に寄ることがあったついでに取りにうかがいたいと思います。」

こうもり傘ごときで、どんだけ必死になっているんだ?という文面に、先方も面食らったに違いない。

しかしこの傘は僕にとって、やはり「なくなりそうでなくならない傘」なのだ!このジンクスを破るわけにはいかない。

さっそく返信が来た。

「明日は当番で在勤しています。ご用事があるならぜひお立ち寄りください。3階にお越しください。」

なんと!在勤しているというではないか!これはもう、傘を取りに行くしかない。

で、今日の午前中、傘を取りに行った。

「これですね」

「そうです。ありがとうございます!」

こうもり傘ごときで、どんだけ感激しているんだ?と思われたことだろう。

ということで、わが家には、「なくなりそうでなくならないこうもり傘」と「父の形見のこうもり傘」の2本が並んでいる。

…ここまでくると、こうもり傘をテーマにした本を1冊書きたい気がしてきたが、そんな本、誰が読むのだろう?、と思いとどまった。

| | コメント (0)

虎の尾を踏む

怒る人、というのが、どうも苦手である。

僕も気が短い方なのであるが、人前では怒らないと決めている。

怒る人にも、いろいろなタイプがあって、瞬間湯沸かし器のように、何かに反応するとたちまち怒る人もいれば、喋っているうちに(あるいはメールを書いているうちに)だんだん怒りの感情が沸いてきて、最後は人をすごく不愉快にさせる言辞を吐いて終わる人もいる。

どっちがいいかと言えば、どっちもイヤだ。

始末に負えないのは、後者の人が前者の人にメールを送った場合である。僕もメールの受け手の一人だったりすることがある。

メールを送った人は、例によってものすごく怒っている。

(あ~あ、ものすごく怒ってるよ。どう返信したらいいかな…)

僕はその人の怒りをなだめるために、あたりさわりのない返信を書く。

問題は、同じくそのメールを読んだ、瞬間湯沸かし器の方である。

どういうことだ!と僕に問い詰めるのだが、僕は関係がない。だがその人は、僕に愚痴を言いたいようだ。

愚痴を聞きながら、まあまあと言いつつ、なだめなければならない。

「宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど」(by TBSラジオ)ならぬ、「鬼瓦さんに言ってもしょうがないんですけど」状態なのである。

どうやら見ていると、よく怒る人というのは、感情を抑えることができず、副作用として、冷静な判断ができなくなってしまうらしい。いわゆる「頭に血が上る」というやつである。

つまり、所詮は感情の発露に過ぎず、怒ったところで問題の解決にはならないのである。

怒って問題が解決することなど、世の中に何一つないのだ、と僕は怒っている。

僕は、怒られることが多い。それは、僕自身の未熟さに起因するものなのだが、職場だけでなく、業界からもよく怒られる、というか叩かれる。

若い頃、業界の重鎮からひどく叩かれたことがあり(叩かれる、というのはもちろん比喩表現で、「非難」とか「罵倒」という意味である)、どうやら虎の尾を踏んでしまったと、そのときはひどく反省したのだった。

最近も、やはり業界の重鎮からこっぴどく叩かれることがよくあり、この場合もまた、どうやら虎の尾を踏んでしまったらしい。若い頃は、そういう「非難」を正直に受け取ってしまったが、いまはもうツラの皮が厚くなったのか、もうどうでもいいや、という気になっている。

そんなことより、僕にとって何よりありがたいのは、いろいろあっても、いまだにほそぼそとこの業界で生き残っていることなのである。

| | コメント (0)

オンライン会議の温度差

まったくもって憂鬱である。そもそも身体がしんどくて、何もやる気が起きない。かろうじて、最低限のことだけをその場しのぎに片づけようとしか考えられない。

何も書くことがないので、オンライン会議についての雑感を書く。

オンライン会議に対する温度差は、組織と組織の間でも異なるし、同じ組織の中でも部局によって異なったり、はては個人によって異なっているので、(とくに官公庁においては)なかなか定着する気配を見せない。僕自身も、完全に慣れたというわけではない。

いろいろな組織の会合に顔を出していると、実にいろいろなパターンがあるのだが、とくに地方自治体の会議は、どちらかといえばオンライン会議を嫌う傾向にある、ような気がする。

昨年の7月末頃、ある県のある課の方が、打合せのために東京に来る予定だったのが、東京の感染者が増大しているために出張に待ったがかかってしまった。本来ならば、初顔合わせなので対面での打合せが理想だったのだが、それができなくなってしまったのである。それから2か月後くらい経って、ようやくオンラインでの打合せが行われたのだが、聞いたところ、Zoomによる打合せは初めてだとかいうことで、多少段取りに手間取ったり、あたふたしたりしていたが、それでもなんとか、ぎこちない感じで無事に打合せは終えた。

それから5か月くらい経ったときのこと、その県の方が、大規模なイベントを計画した。例年行っている、地元の大ホールを使うイベントだったのだが、新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、いつものようなイベントを行うことができない。しかし、そのイベントを例年楽しみにしている人の多くは、お年寄りなので、オンラインのイベントにはなじまない。

そこで、観客数を絞って大ホールを使うことにし、県内の希望者はホールに来てもらい、県外の登壇者はオンラインで参加する、しかもその様子を動画配信サイトで生中継する、といういわゆる「ハイブリッド形式」のイベントを行うことにしたのである。

いきなり難易度が高いことをやるなあ、僕は少し心配したのだが、イベントは多少のトラブルがあったものの、大成功だった。

僕は、その5か月前に「我が課で初めてZoomを使うんです」といって打合せに参加した時のことを思い出し、感慨を抱かずにはいられなかったのである。

ほかにも、感染対策を徹底しながらあくまでも対面での会議にこだわるところや、書面による開催に代えるなど、実にさまざまな形態がある。昨年度、やむを得ず書面により開催したある会議からは、先日出席者全員に向けて、「今年度はオンライン会議の可能性も考えております。つきましては、出席者のネットワーク環境やパソコンの端末の状況を教えてください」というアンケートが来た。オンライン会議に違和感がない社会になるまでは、いま少し時間がかかりそうだ。

| | コメント (0)

5枚の写真

5月25日(火)

少し前に、米国のある方へZoomを通じて取材をした、と書いた。

正確に言えば、米国在住の日本人ジャーナリストが、77年前の写真に写った日本人の人探しをしてもらいたい、と、米国のある州の地方都市に住む米国人男性の依頼を受け、その写真をめぐるさまざまなお話しを、その米国人男性に直接取材するために、全国紙の記者の方と一緒にZoomを通じてうかがったのであった。もちろん、現地のジャーナリストの方の通訳を通じて、その男性のお話をうかがったのである。

で、なんで僕がそのような取材に立ち会ったかというと、その古い写真の中に、その人物に関する何らかの手がかりが残されていないだろうか、調べてほしい、ということになったのである。

「探偵ナイトスクープ」のような話でしょう?

もし、写真の中に、その人物を特定できるような手がかりが見つかれば、たとえその写真の人物が物故していたとしても、その家族に行き着くのではないか、と考えたのである。

なぜ、その米国人紳士が、日本人が写っている77年前の写真を持っていたのか、という話を始めると長くなるのでここでは省略する。その写真は、その紳士の遠い親戚にあたるある人が77年前に家族に宛てて送ったもので、写真に同封されていた当時の手紙も一緒に残っていた。それにより、その写真がいつごろ、どこで入手したものか、ということもあるていど特定できるようであった。

取材に応じていただいたその米国人紳士は、お話しの様子やそのたたずまいから、とても誠実で理知的な方であるとお見受けした。聞くと弁護士をなさっているという。

その方は、その写真を「発見」した時から何年もの間、その写真のことが気になっていて、持ち主のもとにお返ししたいと思っていたのだが、米国の片田舎の町では、日本人に会うチャンスがほとんどない。

数年前、別の取材で米国在住の日本人ジャーナリストがこの町に訪れたとき、その紳士は、以前から気になっていた写真のことをその時初めて打ち明けた。

それがまわりまわって、今回の取材となったのである。そのことを取材して記事にしようと考えた、ある全国紙の記者は、知り合いを通じて、僕に依頼をしてきたのだった。もっとも、僕はその記者と1度お会いしたことがあり、その人の書いた記事も何度か読んだことがあったので、僕はひとまず、その取材に立ち会うことにしたのである。

Zoomの画面越しに、初めてその写真を見せてもらうことになったのだが、正直言って、

(これはなかなかむずかしいな…)

という感触を得て、

(これはどう説明したらいいものか…)

と口ごもってしまったのであった。

その一方で、その写真を持っていた紳士は、僕が参加したことに対して「光明を見いだした」という表情を浮かべ、僕が関わることに対してかなりの期待を寄せていたようだった。

だがしかし…。

実際にその写真を分析したところ、予想していたとおり、何の手がかりもつかめなかった。

まあ、もともとダメ元での調査依頼だったので、仕方がないといえば仕方がない。

僕は、写真から手がかりがわかり、そこから一挙に事態が進展することを夢想していた。この取材に関わるすべての人もそこに期待を寄せていたのだが、残念ながら世の中はそれほどうまくはいかないらしい。

そして今日、その取材が記事になった。全国紙の朝刊に5枚の写真とともに大きく掲載された。そこには、米国の紳士がその写真と出会ったいきさつや、77年前にその写真を送ってきた人物との関わり、そして写真に対する想いが、誠実な筆致で書かれていた。

当然、僕の調査のことは出てこないのだが、僕の調査は決して無駄ではなかったと、その記者の方からのちに連絡をいただいたので、ちょっとした裏話として、書き残しておく。

米国の紳士は、「もし写真の関係者が見つかったら、日本に会いに行きたい」と言っている。そんな日が来ればいいなあ、と思う。

| | コメント (0)

DOWN TOWN

NHKの「うたコン」という番組を見ていたら、大滝詠一特集をやっていた。

3歳になる娘は、「君は天然色」のなかの、

「思い出はモノクローム 色を点けてくれ」

という一節が、なにかのCMで流れて以来、大好きで、何度も何度もくり返し歌っている。

番組内では、「君は天然色」のほかに、「幸せな結末」や、僕の大好きな「さらばシベリア鉄道」なども歌われていて、娘もどうやら気に入っているようだった。

ただ、残念なのは、(当然なのだが)いずれも「カバー」もしくは「セルフカバー」ばかりである。僕は「カバー曲」「セルフカバー曲」が、オリジナル曲が好きであればあるほど、なかなか苦手なのである。

話はそれるが、僕はある男性グループが、かつての名曲をカバーしまくっていることに我慢がならなかった。「Choo Choo TRAIN」とか「銀河鉄道999」とか。果ては「人間の証明」までカバーしたときには、軽い殺意を覚えた。頼むからオリジナル曲を蹂躙しないでくれ、と。

そんな中、「Juice=Juice」というアイドルグループが、山下達郎の「DOWN TOWN」という曲をカバーしていた。

大滝詠一特集なのになぜ山下達郎?と一瞬思ったのだが、この曲は大滝詠一がプロデュースしたのだそうだ(作詞は伊藤銀次、作曲は山下達郎)。

僕の世代からしたら、EPOがカバーしたバージョンが体に染みついている。ま、この場合、最初にEPOの曲として聴いて、あとから山下達郎本人の歌を聴いたから、僕にとってはEPOがオリジナルといってもよいのだが。

で、これをいまのアイドルグループがカバーするというので、若干の不安を覚えたのだが、実際に聴いてみると、これが実にいいのだ!

Juice=Juiceというグループを、僕はこの時初めて知ったのだが、歌もダンスも実に誠実。僕は最近のアイドルグループと言えば、なんとか坂みたいな名前のつくものばかりで、辟易していたのだが、このグループは、ちょっと応援したくなる、という気持ちになったのである。

というか、山下達郎の「DOWN TOWN」という曲は、女性アイドルグループがカバーするには、もってこいの曲なんじゃないだろうか?

たとえて言えば、韓国の伝説的なロックバンド「プファル(復活)」のボーカルだったイ・スンチョルのヒット曲「少女時代」を、K-POPアイドルグループの少女時代がカバーをして、これが見事にハマって大ヒットした、みたいな感じである。

いっそ、少女時代みたいに、DOWN TOWNというグループ名にして、この曲を代表曲にしちゃえばいいのに、とまで思ったのだが、すでに漫才コンビの名前として使われてしまっていることが、かえすがえすも残念である。

| | コメント (2)

なくなりそうでなくならないこうもり傘・完結編

なくなりそうでなくならないこうもり傘

5月21日(金)

午前中、ある会議があり、車で向かう。

朝、雨は降っていなかったが、このところ天気が不安定で、いつ雨が降ってもおかしくない天気だったので、こうもり傘を持って行った。もう7年以上も使っている、お気に入りのこうもり傘である。

ところがこの傘がいつのまにかなくなっていることに、あとになって気づいた。

たしかに朝、家を出るときに、こうもり傘を持って出たはずなのだが、傘がないのである。

僕はいささかパニックに陥った。以前に書いたように、このこうもり傘は、幾多のなくなりそうな危機を乗り越えて、これまで使ってきたのだ。

(いったん落ち着こう)

朝、出るときに傘を持って出て、車の助手席に置いた。それから車に乗り、会議が行われる目的の場所の近くの駐車場に車を停めた。

そのとき、雨が降っていたと思う。それで、車から出るときに、かばんをもって傘をさして、会議が行われる建物に向かったと思う。

会議の部屋に入る前、お腹の調子が悪かったので、建物の1階にあるトイレの個室に入った。ちなみに会議の部屋は、3階にある。

そのトイレの個室が、やや狭くて、長いこうもり傘をどうやって立てかけるか、ちょっと難儀した記憶がある。つまりこの時点では、傘は存在したのである。

無事に用を足して、3階にある会議の部屋に行き、そこから2時間以上、会議の部屋から一歩も出ることなく、会議に参加した。

会議が終わり、駐車場に戻り、車に乗る。たまたまその近くが実家だったので、実家に立ち寄ることにした。

実家に車を停めて、車から出ようとしたときに、傘がないことに気づいたのである。

実家でお昼を食べていても、傘が行方不明になったことが気になって仕方がない。

「傘なんてなくしたっていいじゃない。うちに、お父さんの持っていた傘が山ほどあるのよ。それを使ったらいいじゃないの」

玄関の傘立てを見ると、山ほどのこうもり傘が立ててある。

死んだ父もまた、忘れっぽかった性格なのか、やたらとこうもり傘を買う癖があったらしい。

「それでも、あの傘、気に入ってたんだよなあ」僕は諦めきれなかった。

そこで僕は、お昼ご飯を食べたあと、こうもり傘を探しに、先ほどまで会議をしていた建物に戻ることにした。

これまでの記憶を総合すると、会議の前に立ち寄ったトイレの個室に、傘を置きっぱなしにしてしまった可能性が極めて高い。会議室に傘を持っていった記憶がないからである。

僕は「トイレ一択」と踏んで、車を飛ばして会議をしていた建物に戻り、1階のトイレの個室に走ったのだが、そこにはこうもり傘はあとかたもなかった。

(やっぱりなかったか…)

実家に戻り、

「やっぱりこうもり傘をもらっていくよ」

と、僕は父のこうもり傘を代わりにもらっていったのだった。

(あるいはひょっとして、最初から僕は傘を持って出なかったのではないだろうか?そういえば朝、家を出たときは雨が降っていなかったしなあ。家に戻ったらその傘があったりして)

と一縷の望みをつないだが、残念ながら傘はなかった。やはり僕は、こうもり傘を持って出たらしい。

かくして僕は、7年以上使っていた愛用のこうもり傘と別れを告げ、期せずして、父の形見のこうもり傘をこれから使用することになった。

それにしても、自分の記憶力の衰えには、愕然とするばかりである。

| | コメント (0)

総理と呼ばないで

三谷幸喜×田村正和というと、もうひとつ、「総理と呼ばないで」を思い出す。

田村正和演じる総理大臣は、「政治家としても人間としても無能で、家族や部下含め全国民から嫌われている。性格は我侭・気まぐれ・意地っ張りで、あらゆる面でスケールが小さい」(Wikipediaより)という史上最悪の総理である。

鈴木保奈美演じる総理夫人は、「わがままな史上最悪のファーストレディ。(中略)自由奔放に周囲を振り回しながらも、実際は総理夫人という立場ゆえの寂しさを味わっている。」(Wikipediaより)と、これまた、最悪の総理夫人である。

ん?なんか思いあたるフシがあるなあ。

もともと無能な総理だから、「総理大臣以下スタッフは何としてでも、汚点を出さないように奔走する」(Wikipediaより)。実際、官邸スタッフの奔走ぶり、というのか、翻弄されぶり、というのが、とてもおもしろく描かれていた。

ん?これも思いあたるフシがあるなあ。

放送されたのが1997年。いまからもう四半世紀も前のことである。

観ていた当時は、「こんな荒唐無稽な話があるものか」と思っていたが、四半世紀たって、現実はフィクションをとうとう越えてしまったね。

官邸スタッフたちによる「全世帯にガーゼ製の布マスクを2枚ずつ配布する」という発案や、「有名ミュージシャンの人気にあやかって、その音楽配信動画とコラボする」という発案に至る過程だけでも、それぞれ1話分のコメディーを作ることができそうだ。

ドラマでは、田村正和扮する総理が、徐々に人間性を取り戻し、総理大臣としての自覚と成長を見せていくのだが、やはりそこはドラマの世界。現実を見ていると、人間はそう簡単には成長しないらしい。

ちなみに余談だが、三谷幸喜の傑作戯曲の一つに「その場しのぎの男たち」(東京ヴォードヴィルショー、初演1992年)がある。明治時代の内閣のドタバタを描いた喜劇だが、最初に考えていたタイトルは「総理と呼ばないで」だった、と聞いたことがある。

| | コメント (0)

追悼・古畑任三郎

自分のブログの中で「古畑任三郎」という語を検索したら、9件がヒットしたのだが、そのうちの6本の記事を再掲する。

動機の鑑定(2014年10月11日)

コロンボのスピーチ(2014年1月29日)

最強の名探偵の名前(2014年1月2日)

第3シーズンのカタルシス(2013年7月30日)

カンガルーは笑うのか(2013年7月15日)

和製コロンボ(2013年2月2日)

合掌。

| | コメント (0)

エッセイの達人

5月19日(水)

先週金曜日の「アシタノカレッジ 金曜日」の、武田砂鉄さんとジェーン・スーさんの対談で、ひときわ面白かったやりとりが、以下のくだりである。

スー「こういう仕事をしているからだと思うんですけど、他人の文章を読んで、あ、ここで笑わせようとしてる、とか、ここでドヤって感じの締め方をしているとか、わかるじゃないですか」

砂鉄「ほんとにそれはねえ…恥ずかしいくらいわかるんだよね」

スー「あの共感性羞恥ったらないですよね」

砂鉄「ないですよね」

スー「やってる、私もどっかで絶対やってると思いながら…」

砂鉄「いや、だからほんとにね、エッセイの達人みたいな人が、やたらと西日差し込んだりとかするのよ、最後に」

スー「ハッハッハ!」

砂鉄「差し込んできたなって思うんですけど、それをまた逆に言うと自分がどこかでやっている可能性がある、ってのもあるから」

このやりとりを聴いて、僕は有名週刊誌に連載されているある人のエッセイのことを思い出した。

僕はその週刊誌を定期的に読んでいるわけではないのだが、ごくたまに読む機会があると、必ずその人の連載が目に入ってくる。もう何年続いているんだろう?ずいぶんと長いんじゃないかな。

ジャンルとしては、「ユーモアエッセイ」で、一見深そうな洞察を、なかば自嘲気味に軽妙な文体でまぶした感じ、といったらよいか。

長く続いているということは、それだけ好評なのだろうし、エッセイの達人としての地位はもはや揺るぎないものなのだと思うが、僕はこの人の書くエッセイが、まったく受けつけられないのである。

この嫌悪感の正体はいったい何だろう、と思っていたのだが、これがジェーン・スーさんの言う「共感性羞恥」なのだろうか。

ああ、ここで笑わそうとしているな、とか、どや、俺のエッセイ、ユーモアに溢れているだろう、とか、読者のためにここまで降りてきてやったぜ、とか、そういった意識が行間から透けてみえて、「ああ、恥ずかしい」と思ってしまうのである。

そうか、これは「共感性羞恥」なのか。

さて、ここからは妄想である。

スーさんや砂鉄さんの念頭にある「エッセイの達人」とは、いったい誰なのか?

ひょっとして、僕の念頭にあるあの人と、同一人物ではないだろうか?

…いや、考えすぎかもしれない。でも、二人も絶対に読んでいるはずである。

| | コメント (0)

エンタメは私を救う、あるいは…

エンタメは我が身を助く

もしくは、

人生変えちゃうエンタメかもね

…と、タイトルに迷った。

5月18日(火)

月に一度の全体会議で、すっかり疲弊してしまった。

そういえば、先日ラジオクラウドで聴いたジェーン・スーと堀井美香アナウンサーの「OVER THE SUN」(ポッドキャスト配信番組)で紹介されたメールは、なかなか衝撃的だった。メールのテーマは「人生の転機」。

東北地方の田舎町で、10歳の時に人生に絶望し、28歳まで軽い引きこもりだった女性が、ある日どういうわけか思い立ち、渋谷で上演されている「熱海殺人事件モンテカルロイリュージョン」という芝居を見に行くことになる。理由はわからない。別につかこうへい作品のファンでも、主演の阿部寛のファンでもないのに。

ところがその1本の芝居が、彼女の人生を変えた。

彼女は芝居を観ている2時間、ずっと泣きっぱなしだった。芝居を観て、自らの人生をふりかえり、早く終えてしまいたいとばかり思っていた自分の人生を、「それでも生きていかなくてはいけないのだ」と強く思い直すようになる。

そこから彼女は、どうやったら一人で生きていけるかを真剣に考えるようになる。

東北の田舎町では、職歴のない28歳の女性を雇ってくれるところはない。そこで、そのころ広がり始めた、手っ取り早く仕事をもらえそうなパソコンの文字入力を覚えはじめ、東京へ出て派遣社員をしながら正社員の口を探し、ITベンチャー企業に潜り込む。しかしITベンチャー企業のなかには、経営が危うかったり無理な働き方をさせたりするところも多い。会社が潰れそうになったら、ほかのIT企業に移り、ということをくり返し、10年間で少しずつスキルアップしながらマシな会社へと転職し、8回転職した末に、いまの会社に落ち着き、数年前には自力でマンションを買うことができるまでになった。

…どうも文章だと伝わりにくい。やはり堀井アナのメール読みでないとね。

とにかくここで言いたいのは、1本の芝居がその人の人生を変えた、ということだ。

1本の芝居に救われた人生。それでもエンタメは、不要不急と言えるのだろうか?

「人はパンのみにて生くるものにあらず」

そういえばむかし、こんなことがあった。「前の前の職場」でのことである。

詳しい経緯はすっかり忘れてしまったのだが、その日は学生たち数人と、外で何かイベントを計画していたのだが、あいにくの大雨で、外で行事をすることができなくなった。

仕方がないので、学生たちと一緒に演劇のDVDを観ることにした。僕がそのときに持っていた三谷幸喜作・演出の「バイマイセルフ」というタイトルの演劇と、「グッドニュース・バッドタイミング」というタイトルの演劇のDVDだったと思う。

視聴覚室に大きなスクリーンがあるので、せっかくだからそこに投影して観ることにしよう、ということになった。

こういっては失礼だが、20年前の田舎町の学生だから、演劇の舞台というものを、それまでほとんど観たことがない。

観終わったあと、学生のうちの一人が、ひどく興奮しながら、

「私の人生、変わっちゃうかも」

と言った。どちらかと言えば地味な印象の学生だったが、演劇を観て衝撃を受けたらしい。

もう名前もすっかり忘れてしまったが、いまはどうしているのだろうと、堀井アナが読んだメールの内容を聴きながら、そんなことを思い出した。

| | コメント (0)

残念なオンライン会議

5月17日(月)

午前中は、都内にある本社とのオンライン打ち合わせである。

僕は初めてその打ち合わせに参加したのだが、それはまことに奇妙な会議の形態だった。

うちの職場の側は、その打ち合わせに出席する(あるいは陪席する)全員が、社長室に集められる。僕もその打ち合わせに陪席しなければならなかったから、当然、2時間以上かけて出勤しなければならない。出勤後に社長室に行ったら、10名ほどの参加メンバーがいて、アクリル板はあるものの、さながら密な状態である。

一方、本社の側は、本社の会議室に、本社の社長以下、副社長等全員が集まっている。

つまり、「オンライン会議」とは名ばかりで、むかしのテレビ会議よろしく、たんに本社とうちの職場を相対する画面でつないでいるだけなのである。

なんか、おかしくね?

いまのこのご時世のオンライン会議というのは、一人ひとりがどこにいても、会議ができるようなシステムになっているのだ。パソコンとWi-Fiの環境さえあれば、どこからでも参加できる。たとえその日、どっちみち出勤しなければならない日だとしても、わざわざ1カ所に集まる必要などないのではないだろうか?それぞれの仕事部屋から参加すればいいだけの話である。

オンライン会議のメリットを、8割方、無意味なものにしているような気がしてならなかった。

なぜこんな形にしたのだろう?と考えてみたのだが、いくら考えてもわからない。唯一ありえそうな可能性は「みんなと一緒にいないと不安だから」という理由しか思いつかない。

そういえば先日、荻上チキ「Session」でテレワークの特集をやっていたときに、ゲストの方がこんなことを言っていた。

「50歳よりも上の人間は、テレワークを信用していない。50歳の人の人は、Windows95がでたときに28歳だった。ということは、社会人になったときはパソコンベースの仕事を一切していないので、パソコンがない形での、対面での仕事こそが仕事のやり方であるという意識が拭えないのだ」と。正確ではないが、そんなことを言っていた。

そう言われてみれば、本社の社長や副社長は、いずれも60歳以上の男性ばかり。こちらも、出席者のほとんどが50歳以上であった。

僕も含め、いまの50歳以上の人間がいなくならないと、真のテレワークの実現は難しいのかと、いささか絶望的な気持ちになる。

| | コメント (0)

難易度の高いすべり台

5月16日(日)

緊急事態宣言下だと、娘と遊びに行く場所の選択肢がことごとく封じられ、結果、近くの公園くらいしか行くところがない。

ま、緊急事態宣言下でなくても、遠出をするのが面倒くさいのでもともと近くの公園に遊びに行くくらいしか選択肢はないのだけれど(どないやねん!)。

今日も半日、実家の近くの公園で3歳になる娘と過ごしたのだが、毎週のように通っていると、ただでさえ遊具が少ない中で、さすがの娘も飽きてしまっているのではないだろうか、といささか心配になる。

しかも、3歳になったばかりの娘が楽しめる公園の遊具というのは、かなり限定されている。もう少し上の年齢が使うことを想定しているものが多い。

実家の近くにある公園の一つは、高速道路の高架下を利用した公園である。今日は少し空模様が怪しかったので、その公園に行くことにした。

そんなに広くない公園なのだが、今日は小学生低学年の男子たちの数が異常に多く、しかも狭い公園の中で、ギャーギャー大騒ぎをしながら、野球をしたり、鬼ごっこをしたりしている。それがまあ、「野蛮」という表現がぴったりの遊び方をしているのである!

俺が小学生の頃も、あんな野蛮だったかなあ?

すっかり圧倒されてしまい、帰りたい気分になったが、娘は帰りたくないというので、我慢して公園で遊ぶことにした。

その公園には、すべり台が二つある。一台は、3歳の娘でも十分にすべることのできるもので、むしろ少し物足りないくらいである。

Photo_20210516234001 もう一台は、かなり難易度が高い。すべり台にたどり着くまでに、アスレチック的というのか、SASUKE的なアトラクションというのか、とにかくちょっとした「冒険」をしないと、すべり台の上にたどり着けないのである。ふつうの階段がついておらず、やたら歩幅の広い雲梯みたいなやつとか、やたら格子の1辺の長さが長いアスレチックネットだとか、垂直のボルダリングとか、とても無理なものばかりである。

おそらく対象年齢が5歳以上くらいだと思うのだが、3歳の娘は、手足が短いし、握力も弱いので、いかなる手段を使っても、すべり台の上までたどり着けない。仕方がないので、僕がすべり台の上まで体を持ち上げなければならないのだが、それではおもしろくもなんともない。

しかし、何度か練習するうちに、少しずつひとつひとつのアトラクションがクリアできるようになってきた。

先日は、中央にあるアスレチックネット(写真の①)を、なんとか克服できた。娘の身体からしたら、歩幅が異常に大きいつくりになっているのだが、ネットの側(がわ)のほうのロープをつかんでそろ~りそろ~りと「かに歩き」しながら、すべり台までたどり着くことができたのである。

そうそう、「かに歩き」で思い出したのだが、娘に初めて「かに歩きして!」と言ったとき、娘が両手をチョキの形にしながら歩き始めたときは笑ったな。それはともかく。

で、今日は、歩幅の広い雲梯(写真の②)に挑戦したら、どうやらコツをつかんだらしく、すべり台と同じ高さのところまで上ることができた。

これで晴れて、地上→雲梯→アスレチックネット→すべり台と、誰の手を借りることもなくすべり台までたどり着くことができるようになったのである。

野蛮な小学生たちに囲まれたことに怖じ気づいて帰らなくてよかった。

なんとか半日時間が潰せて、僕はすっかり疲れてしまったのだが、家に帰る途中にあるマンションの1階から、奇妙な叫び声が聞こえた。

「ハジマ!ハジマ!ハジマ!ハジマ~!!!」

おじさんが、ひどく甲高い声を上げて、大声で叫んでいるではないか!

「ハジマ」とは、韓国語で「やめて!」という意味である。どうやら男性が、韓国語で「やめて!」と叫んでいる。それも、かなり命を危険を訴えるような叫び方である。

これは事件なのか?

僕は娘と顔を見合わせた。娘も、その不思議な叫び声に驚いたらしい。

よくよくその叫び声に耳を傾けてみると、

「ハジマ!ハジマ!あと少し!そのまま!そのまま!行け~!!!」

よく聞いたら「ハジマ!」ではなく「8番!」と叫んでいた。

な~んだ。競馬か。

ま、命がけであることは間違いないのだろうが。

| | コメント (0)

一億総自己啓発社会

5月14日(金)

今週最後の会議が終わると、一気に脱力する。

で、夜はTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」→テレビ東京のドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」→同「ソロ活女子のススメ」というのが、ここ最近の習慣である。

とくに最近心を奪われているのが、「ソロ活女子のススメ」。最初は、「生きるとか死ぬとか父親とか」を目当てにテレビ東京のドラマを見ていたが、その流れで、そのあとのドラマ「ソロ活女子のススメ」を見続けていたら、むしろそっちの方にハマってしまった。もっとも、「生きるとか死ぬとか父親とか」の方は、TBSラジオリスナーとしての義務感が少し勝っていたりするのだが。

なんと言っても江口のりこである!

江口のりこって、たしかTBSのドラマ「半沢直樹」で国土交通大臣を演じていた人だよね!…て、「半沢直樹」を1回も観たことがないけど!

調べたら劇団東京乾電池に所属しているとか。やっぱ東京乾電池はスゲーな。

「孤独のグルメ」の女性版、と言ってしまえばそれまでなのだが、「生きるとか死ぬとか父親とか」の方が、どちらかと言えば「お行儀のいいドラマ」なのに対して、「ソロ活女子のススメ」は、もっとフリーな感じ。観てる間は心が癒やされて、あとに何にも残らない感じがいい。

これ、順番が逆だったら大変であった。「生きるとか死ぬとか父親とか」で重めのテーマを突きつけられて、「ソロ活女子のススメ」でクールダウンするからいいのだ。

くり返すが、劇団東京乾電池は、やっぱスゲーな。

そういえば、大林宣彦監督は、自身の映画の中で、柄本明、ベンガル、綾田俊樹、小形雄二、大久保了、角替和枝といった劇団東京乾電池の役者さんを頻繁にキャスティングしていた。

…いや、僕が今回書きたいのはこういうことではない。

最近、よく見る対談形式の動画配信サイトで、ある人がこんなことを言っていて、溜飲が下がった思いをしたので、それを書きとどめておきたいのである。

「『自己啓発』とは、自分たちを不幸にしている構造には一切手をつけず、その中で自分を変革して適応してみせようとしている危険な行動である。そういう危険な行動をみんながとっていると、社会は当然無秩序になる。表面的には秩序だっているようにみえるけれども内実は無秩序が出現しているのがいまのこの国の状況である」

と。

そうそう!僕が6年前に書いたことはそういうことだよ!と、僕はその人の言う的確な言葉に、思わず頷いてしまったのである。

| | コメント (0)

侏儒の言葉

200字程度の短い文章を書かねばならぬ。

それはある本の、ほとんど人の目にはふれないであろう箇所に載せる文章で、たいていは「○○さんには大変お世話になりました」的な謝辞をならべるような、お決まりな儀礼的な内容を書く場、なのだが、僕はあまりそういうテンプレ的な文章を書きたくない。というか、そういう儀礼的な文章や、楽屋話的な内容は、読者が読んだところで何の意味も持たないのではないか、と、最近になって思うようになったのである。

以前に書いた本のあとがきに、そんな内容の文章を書いて、あとでひどく反省した。いまとなっては、顔から火が出る思いである。

そんな反省もあったものだから、この200字の短い文章には、「形になってホッとしました」という自分自身のどうでもいい気持ちとか、「○○さんに感謝します」とかいった、読者にとってどうでもいい謝辞、といったものを書かないことにし、何か意外性のある文章、できればコラムのようなもの、を書きたいと思ったのである。

で、う~ん、と唸りながら、どうにか200字の文章を書いた。正確には、230字くらいになってしまったが。

そうしたらあーた、これが会心の出来である!(と、自分だけが思っている)。

「出来がいい」というのは、講釈師の神田伯山先生が自分の講談の出来に対してよく使う言葉だが、まさにその言葉どおりの、我ながら「出来がいい」文章に仕上がった!

ただそれが、その場にふさわしい文章になっているかどうかは、自分ではわからない。第三者が読んで、

「はぁ?何言ってるかわかんないんですけど」

となる可能性も高いのだ。

おそるおそる編集担当者にその文章を送って、

「もし趣旨に合わなかったら書き直します」

とメールに書いたら、しばらくして返信が来て、

「よいと思います!」

と、無事にそのまま掲載されることになった。

僕はTwitterを始める気はまったくないのだが、これって、ちょっとしたツイートじゃね?

全体で230字程度だし、内容が二つに分かれるから、ちょうど、140字以内のツイート2つ分なのである。

なるほど、たしかに表現を切り詰めて書く、という楽しさはあるな。

少し前、「ある企画」のTwitterで、覆面でツイートの文章をいくつか書いたことがあるのだが、140字以内で表現を切り詰めて、それでいて情報量を減らさずに書く、さらに、読む人をニヤリとさせる、という作業が、えらく楽しかった。俳句を作るのと同じような心境なのだろうか。

だからといって、Twitterを始める気はさらさらないのだが、芥川龍之介が『侏儒の言葉』を書いてみたくなる気持ちはよくわかる。というか、芥川が現代に生きていたら、間違いなくTwitterにハマっていただろうな。

| | コメント (0)

祝・ゴールデンラジオ15周年!

5月12日(水)

本日の文化放送「ゴールデンラジオ」では、久しぶりにシティーボーイズ3人が揃い踏み!

YMOが3人揃うのと、シティーボーイズが3人揃うのとでは、どちらが嬉しいかと聞かれると、甲乙つけがたいほどのレベル。

シティーボーイズをYMOにたとえると(かなり無理があるが)、きたろうはユキヒロ、大竹まことはホソノさん、斉木しげるは教授。あくまでも3人の距離感という意味で。ただ、きたろうがユキヒロの位置にいることだけは間違いない。…て、誰が得するたとえなのだ?

15周年を記念して、過去に書いたシティーボーイズ関係の記事を再掲する。

灰色の男、羊の木」(2012年1月)

東京痛風クラブ」(2012年8月)

結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ」(2013年4月)

師と呼んだら怒られるかもしれない」(2013年4月)

洋食屋さん」(2014年12月)

| | コメント (0)

「泣く」は、悲しいのではない

5月10日(月)

夕方、3歳になった娘を保育園に迎えに行く。

いつも、保育園にいる娘のことは、迎えに行ったときの様子しかわからない。

おともだちにバイバイして、同じ時間に帰る同じクラスのおともだちがいると、途中まで一緒に帰ろうとするのが習慣である。

「また遊ぼうね」

「バイバイ」

そう言って、別れるのである。

帰宅したら、すぐにお風呂に入る。僕がお迎えに行ったときは、そのまま僕と娘がお風呂に入る。

「今日は何をして遊んだの?」とか「今日は誰と遊んだの?」と聞くのも、いつものこと。

今日は、

「○○ちゃん(娘のこと)は、だれとなかよしなの?」

と聞いてみた。

娘はしばらく黙ったあと、

「××ちゃんとは、なかよしじゃな~い」

という。

「え?でも、この前、一緒に遊んでたでしょう?」

「でもなかよしじゃな~い」

「じゃあ、△△君は?」

「なかよしじゃな~い」

「じゃあ、□□ちゃんは?」

「なかよしじゃな~い」

どんどん声が小さくなっていく。

「じゃあ、だれといちばんなかよしなの?」

と聞いたら、さらに小さな声で、

「…じぶんといちばんなかよし」

と答えた。

「え?」

「だから~、○○ちゃん(自分のこと)は、じぶんといちばんなかよし…」

そういうと、娘は、これまでに見せたことのない悲しい表情をした。

あんな悲しい表情は、いままで見たことないな。

娘は、毎日のように、大泣きをする。自分の思うとおりにならないと泣くし、眠れないといっては泣くし、とにかく家では大声を出して、大粒の涙を流して、泣く。

しかし、あれはたんなる肉体の反射的な行為にすぎないのだ。

ひょっとしたら、ほんとうに悲しいときは、涙も泣き声も出ないのではないだろうか。

周りのおともだちの誰ともなかよくなれず、「じぶんといちばんなかよし」と思うというのは、はるか記憶の彼方だが、僕の保育園時代も、そうだったかもしれない。いや、そのあとも、そんな思いをしたことが、何度もあったと思う。ときどき、娘がおともだちのことをじーっと見つめるそのまなざしが、僕の子ども時代のそれと似ていると感じることがある。

娘は、「じぶんといちばんなかよし」と言ったあと、すっかり黙り込んでしまった。

「…もうおふろ、でる」

先に娘をお風呂から出してママに着替えを任せて、僕がそのあとで体を洗って、お風呂から出たら、娘はすでにパジャマに着替えていて、大はしゃぎしていた。

ママには、言わなかったのかな。

| | コメント (0)

らじるらじる

5月10日(月)

民放ラジオのアプリ「radiko」に相当する、NHK版の「radiko」が、「らじるらじる」というアプリだということを、今日初めて知った。いかにNHKのラジオ番組を聴いていなかったか、である。

で、今日、さっそく聴いてみた、記念すべき最初の番組が、「カルチャーラジオ 日曜カルチャー 5月9日(日)放送分の「レコードで楽しむ昭和歌謡史 第2回」(講師:タブレット純)である!

講師がタブレット純ですよ!これは聴かないと!

驚いたのは、この番組が、青山のNHK文化センターで収録したということである。つまりこれは、れっきとしたカルチャーセンターでの講義なのだ!

僕もカルチャーセンターでお話をする機会があるので、勉強のためにも、これは聴かなければならない!

タブレット純は、ご存じの通り、歌手兼芸人として著名な人で、和田弘とマヒナスターズに所属していたことでも知られる。

第2回のテーマは、うたごえ喫茶の歴史について語っている。時々流れてくる昭和歌謡のレコード、そしてその曲にかぶせてタブレット純が歌う様子が、実によい。

当然、聴講生も何人かいて、全体の時間を見ると、全部で1時間ほどの番組である。これもご存じの通り、タブレット純は、ふだんの話し方は、実に声が小さく、ボソボソッと喋るタイプで、1時間もお話しできるのかな、と心配したが、なんのなんの、1時間ずっと聴いていられた。さすがは芸人である。

なるほど、どう話すか、というよりも、自分の好きなことを話す、ということが、人を引きつけるのだということが、よくわかる。

番組の中で、「別のラジオ番組で、ライターの武田砂鉄さんに、『タブレット純さんなら関心があるかと』といって、『うたごえ喫茶『ともしび』の歴史』という本をもらった」ことを、武田砂鉄氏のものまねを交えながら話したエピソードや、「阿佐ヶ谷姉妹と一緒にうたごえ喫茶にいって、ずっと号泣していた」といった、「ゴールデンラジオ」リスナーなら思わずニヤリとする話もあった。

うーむ。これからは、このうえNHKのラジオ番組もチェックしなければならないのか…。

| | コメント (0)

いずれも難題

5月8日(土)

今日はお昼から、3歳になる娘を実家に連れて行き、実家近くの小さな公園で半日を過ごす。

相変わらずシャボン玉に夢中だが、それに飽きると今度は「ジャングルジムに登りたい」と言い出した。まだ3歳では歯が立たないのだが、それでも、一番下の段の金属パイプのところまで自力で登り、両足で立つことができたのは大きな進歩である。

夕方、ある打合せがあるということで、事前に連絡をいただいていたが、多分参加は無理だろうとあきらめていた。少しだけ時間がとれたので、試しにスマホでZoomの設定をしてみたら、スマホでも十分にZoomの打合せに参加できるということがわかった。こうなると、どこにいても打合せができることになるなあ。30分ほど参加し、いろいろな課題を共有した。

帰宅後に、最近知り合ったある方からお電話をいただいた。ちょっとした依頼で、期待通りのお役に立てるかはわからないが、できるだけ希望に添えるように手配しなければならない。

21時半からは、米国のある方へのZoom取材。これもまたふとしたことで関わることになった。といっても僕は英語によるコミュニケーションが苦手なので、「ハロー」と「サンキュー」しか言えず、通訳の方を介してお話を聴いただけだった。僕は、行きがかり上そこに陪席しただけなのだが、ちょっとした難題を請け負うことになり、これもまた、先方が期待する成果を出せる自信がない…。

いずれも難題なのだが、「頼まれたことはあとには引きませんよ。なにしろこれが私の人生の文体なんでね」という大林宣彦監督の「麗猫伝説」のセリフを自分に言い聞かせる。

| | コメント (0)

根回し文化

よくも悪くも、この国には「根回し文化」がある。「根回し」とは、事前調整のこと。

とくにここ最近痛感していることだが、組織の中で何かを提案したり、合意をとりつけたりする場合は、事前に根回しが必要である。

うちの職場の場合、ある一つのことを決めるまでに、じつに多くのプロセスがある。

根回し→第1会議→根回しのための根回し→根回し→第2会議→第3会議

重要な事柄になるとさらに、

(第3会議)→根回し→第4会議→第5会議

と、実に3~4か月かかる場合もある。

実現に至るまで、もうヘトヘトになるのだ。

ところで、この根回し文化というのは、他の国ではどうなのだろう、というのが気になる。

というのも、ここ最近、韓国主催のオンライン国際会合に招待されることがあるのだが、ここ数回の経験から、大きなイベントにもかかわらず、かなりの迷走ぶりを目の当たりにするにつけ、

(どうやら根回しをしないらしい)

ということがわかってきた。もちろん10年ほど前に、1年ほど韓国に留学していた際も、薄々気づいていたのだが、最近とみに、そのことを感じるのである。

いろいろ聞いてみると、どうやら根回しすることなくいろいろな計画を立てたりするために、それに関係する相手側が「聞いてないよ~」ということになり、その計画が延期になってしまうとか、とにかく、一筋縄ではいかないらしい。

根回しに慣れている人間からすると、

(なんで根回ししておかなかったんだろう)

と、つい思ってしまう。

ただ最近のニュースを見ると、この国も、根回しをしない文化が幅をきかせつつあるようだ。

たとえば、こんなニュース。

「政府は(4月)23日、4都府県への緊急事態宣言の発令に合わせ、鉄道会社に減便要請を行った。突然の運行ダイヤ変更を迫られた鉄道会社には困惑が広がっている。

鉄道ダイヤは、車両整備や運転士の人員配置など複雑な調整を行った上で決められている。特に、首都圏では複数の会社が路線を乗り入れる相互直通運転も多く、調整は煩雑だ。大手私鉄関係者は、「あまりに急な要請で、乗客に十分な周知ができない」と話す。

鉄道の車内はドアや窓の開閉などで十分換気されるため、これまでにクラスターの発生は確認されていない。都内の鉄道会社からは、「減便してもテレワークが進むわけではない。むしろ混雑が増して『密』を招き、逆効果にさえなりかねない」と憤りの声が上がる。

減便要請は内閣官房主導で、鉄道業界を所管する国土交通省との事前調整なしに進められた。

22日夜、政府による減便要請の方針が報道で伝わると、国交省幹部は、「連絡は何も来ていない。新型コロナウイルス感染症対策推進室(内閣官房)が頭越しに働きかけたようだ」と語った。」

これまでの常識だと、所管の官庁と事前調整をしないなんてことは、あり得ない。うちの職場だったら絶対に叱られる。いまの政府は「縦割り行政の打破」をめざしているのだろうか?

1日に1万人のワクチン接種ができる大規模なワクチン接種会場を都心のオフィス街に設置することを政府が計画したそうなのだが、1日に1万人ていどで「大規模」と言えるか?という批判はさて置きですよ、自衛隊の医療関係者がワクチン接種にあたると報道されていたのだが、どうやら自衛隊には事前調整をしておらず、自衛隊からは怒りの声が上がっているとか、いないとか。これもやはり「縦割り行政の打破」をめざしたことなのだろうか?

この国は、「根回し文化」から脱却しつつあるのだろうか?それがいいことなのか悪いことなのか、いまの僕にはわからない。

| | コメント (0)

セレブの会

5月6日(木)

お昼頃、自宅から車で1時間以上かかる総合病院で、定期の診察。

連休明けのせいか、病院は激混みで、僕の診察時間も、予定よりも大幅に遅れた。

僕の通っている病院は、コロナの指定病院とかではないと思うのだが、それでも医者の先生や看護師さんはてんてこ舞いである。

これでどうやって、東京五輪の際の医者や看護師をボランティアで募集できるというのだろう?僕にはよくわからない。

薬局で薬をもらい、急いで職場に向かい、午後3時からの打ち合わせにギリギリ間に合った。

あれこれと仕事がたまっていたこともあり、久しぶりの職場は、疲れる。

ところで僕は、とあるセレブの会に入会している。といっても、年会費は払ったことがなく、定期的に会報が送られてくるだけで、その会報も、ほとんど読んだことはない。

今日、会報の最新号が送られてきて、パラパラと見ていたら、コラムみたいなところに、こんな文章が載っていた。

「松山英樹選手、マスターズ優勝おめでとう!日本人初そしてアジア人初という快挙です。

(中略)

松山選手の優勝、池江選手の復活など、スポーツは人々に勇気と感動、そして夢を与えてくれます。

さあ、東京オリンピックです。国境を越えたスポーツの祭典が開催され、皆様と一緒に楽しみ、感動を分かち合えることを願っています」

とまあ、これだけ。

おかしくね?

新型コロナウイルスのことに、まったくふれていないんだぜ。まるでなかったことのように書かれている。

「(中略)」の部分には何が書かれていたかというと、この原稿の締め切りが4月12日なのだが、ゴルフのマスターズで松山選手出場の予定が4月11までだったので、結果を確認してから書こうと思い、ギリギリまで待ったところ、はたして松山選手が優勝し、皆様にこの喜びと感動をお伝えすることができた、という内容である。

ちなみに4月12日に発表された感染者数は、東京421人、大阪760人。全国で2777人。この日は月曜日なので、週の中では感染者数が比較的少なく出る傾向にある。それでもこの数字である。

数十年後の歴史家が、新型コロナウイルスの感染の拡大がまるでなかったかのように、東京五輪の開催を無邪気に望んでいる文章を、しかも当時のセレブたちが書いた中からいくつも見つけたとき、どんなことを思うのだろうかと、僕は思いをめぐらせた。

| | コメント (0)

大型連休最終日

5月5日(水)

昨日と今日は、外出せず、ずっと家で惰眠をむさぼってばかりいた。やることは山ほどあるのだが、どうにもやる気が起きない。

結局、この大型連休で唯一入っていた予定は、5月3日のオンライン読書会だけだった。

例年、この時期は出身高校のOBたちによる吹奏楽の演奏会があるのだが、新型コロナウイルスの影響で当然中止。毎年、それにかこつけて同窓会みたいなこともやっていたのだが、それも当然中止。誰かオンラインで企画するのかと思ったら、誰も言い出さなかった。

オンライン読書会が終わったあと、参加者から「お疲れさまでした」のメールが五月雨式に送られてきた。僕も参加させてもらったことに対するお礼のメールを書いた。その折に、オンライン読書会の中では言えなかったことも、少し書いた。

そうしたところ、読書会に途中まで参加された漫画家の方から、僕宛に(といっても、参加者全員に送ったものだが)メールをいただいた。読書会は1時間ほどで早退してしまったので、直接お話しする時間がなかったけれど、あとで録画したものを送っていただいて観たところ、僕の話を楽しく聴かせていただいたということと、僕のメールに対して、共感してくれたことを示す内容が書かれていた。自分の好きな漫画家の方から、その言葉をもらえただけで、この大型連休は価値のあるものになった。

もう一人、以前にエッセイを読んだことのある書店主の方からの「お疲れさまメール」に、

「3時間30分。

人と人のつながりは、

一緒にいた長さでは測れませんね。」

とあった。たった3時間半、しかも画面上でお目にかかるだけだったが、それでも人と人のつながりというものを、意識せずにはいられなかった。

長く一緒にいるとか、長くつきあうことの喜びももちろんだが、「一期一会」を積み重ねていく人生もまた、ありがたいものである。

| | コメント (0)

オンライン読書会

5月3日(月)

知り合いの編集者に、

「5月3日にオンラインで読書会をするので、ぜひ参加してください」

と言われた。しかも小説の読書会である。

僕はもともと読書会というのが苦手、というかどんなことを発言したらいいのかがわからないうえに、文学的素養もない。あまりに場違いなのでお断りしようと思っていたのだが、読書会には、その小説を書いた著者ご本人やその担当編集者、さらにはこのブログでもお名前を出したことのある漫画家の方や個性的な書店主も参加されるということを聞いて、その方たちとお話しがしたいという誘惑に駆られ、思い切って参加することにした。

僕はその小説の存在をつい最近知り、まとまった時間がとれた時に読んだのだが、内容の強烈さと構成の巧みさに、すっかり圧倒されてしまった。

読書会に参加するからには、もう一度読み直さなければならない。僕は読みながら、複雑に入り組んだ人物相関図をノートに書き、小説の中の出来事を時系列に整理し、印象的な場面や表現のページに付箋を貼ったりした。

当日、参加して初めて知ったことなのだが、撲以外の人たちは、顔見知りの関係だったようで、初対面は僕くらいなものだったのである。

(アウェイにもほどがある…)ますます緊張した。

こうなったら聴衆の一人として、ほかの方の発言を聞くのを楽しみとしよう、というくらいでのぞむことにしたが、10名そこそこの会合なので、まったく発言しないというわけにもいかない。ほかの方の発言の邪魔にならないよう、なるべく息を潜めていたのだが、それでも司会役の編集者の方が気を遣っていただき僕にも発言の機会を与えてくれたりしたので、なるべく場違いな発言をしないよう、慎重に言葉を選びながら小説の感想を述べた。

僕は都合2回ほど、まとまった発言をさせてもらう機会を与えられたが、うまく喋ることができたかどうかはわからない。ただ、そのあとにいただいたメールやメッセージ等を見ると、ひとまず読書会の仲間として認めていただいたようであった。

異なるジャンルの人が集まり、あっという間の3時間半。語らいあう中で、僕は自分でも予期しなかった「化学反応」を楽しんだ。

 

| | コメント (0)

シャボン玉液を作る

5月3日(月)

昨日100円ショップで買ったばかりの日本刀型のシャボン玉玩具。娘があまりに気に入りすぎて、中に入っていたシャボン液をあっという間に使い果たしてしまった。しかし娘のシャボン玉熱は冷めやらない。

せっかくだから、シャボン液を自分で作ってみようと思い立つ。そこで午前中は、シャボン液を作ることにした。といっても、なんと言うことはない。インターネットのどなたかのブログで見た「シャボン玉液の作り方」を見て、そのまま作っただけである。

心覚えに書いておくと、

【材料】

食器用洗剤 10ml(小さじ2)…界面活性剤35%以上の洗剤が望ましい。

砂糖 5g(小さじ1)

ぬるま湯 100ml…いちど沸騰させると水道水の中の不純物を減らすことができ、かつぬるま湯だと砂糖が溶けやすい。

ほかにもシャボン玉のクオリティを高める材料があるというのだが、とりあえず即席で準備できる材料はこれだけだったので、これだけを頼りに、シャボン玉液と作ってみた。

さっそく娘と一緒に遊んでみる。市販のシャボン玉液とくらべると、シャボン玉がやや小さく、滞空時間が短いような気がするが、まあこれでも十分に楽しめる。

午前中、半分くらい使ったところで一時中断。午後のオンライン読書会が終わった後、夕方にふたたび娘とシャボン玉遊びをしたら、午前中にくらべて、シャボン玉のクオリティが極端に落ちていた。

どうも時間が経つと、手作りのシャボン玉液では、シャボン玉製造能力が落ちるような気がする。最後の方は、ほとんどシャボン玉が作れなくなってしまうほどだった。

シャボン玉液も、鮮度が大事ということか。もう少し研究を続けてみよう。

| | コメント (0)

シャボン玉、飛んだ

5月2日(日)

昨日、3歳の娘を公園に連れて行ったら、娘より少し年上くらいの、見知らぬ男の子が、シャボン玉遊びをしていた。

その男の子が使っていたシャボン玉玩具というのが、プラスチック製なのだが、たとえて言えば日本刀のような形をしたもので、鞘のところにシャボン液が入っていて、刀身にあたる部分が、シャボン玉を作り出すための輪っかを連ねたプラスチック状の棒になっている。シャボン玉を作るときは、シャボン液に浸かっている刀身の部分を引く抜くと、輪っかのところにシャボン液が付着する。それを振り回すと、一度に大量のシャボン玉を飛ばすことができるのである。

…うーむ。なんとも説明が難しいのだが、とにかく僕は、シャボン玉と言えば、ストローでシャボン液をフーッと吹いて作るものだとばかり思い込んでいたので、そのシャボン玉玩具を見たときには、ちょっと感動してしまった。なによりこのご時世、シャボン玉といっしょに飛沫が飛ぶ心配もないのだ。

一緒にいた娘も、シャボン玉が大量に飛んでいく様子に興奮したらしく、その男の子が日本刀みたいなものをフリフリしてシャボン玉を大量に作るたびに、風に乗って飛んでいくシャボン玉を必死に追いかけていくのであった。

で、シャボン玉が消えてなくなると、娘はその男の子のところに近づいていって、

「早く次のシャボン玉を飛ばしてよ!」

という無言のオーラを出していく。

男の子は、その「圧」を感じたのか、再びシャボン液の入った鞘に刀身を浸して、大量のシャボン玉を飛ばす。

すると娘は興奮しながら、風に乗って飛んでいくシャボン玉を追いかける。

…この繰り返しである。

しまいには、娘はその男の子の脇にピタッとくっつき、ほとんどカツアゲというか恫喝に近い感じで「次のシャボン玉を飛ばしてくれよ!」と睨みをきかせるようになる。

根負けした男の子は、シャボン玉を作り続け、娘は飛んでいくシャボン玉を興奮しながら追いかけ、終わるとまた男の子のそばにピタッとくっついて「次のシャボン玉をくれえぇぇぇ!」とプレッシャーをかける。

もうほとんど、「ヤク中」ならぬ「シャボ中」である。

(これでは男の子があまりにかわいそうだ。帰りたいと思っても、娘が飽きるまで、シャボン玉を作らされてしまう)

当然その男の子には、親御さんもついているので、親御さんにも迷惑がかかる。

かれこれ30分くらい続いたので、僕はなんとか娘をなだめて、その男の子から引き離してすべり台の方へ誘導した。

そこでようやく僕は気づいた。早い話が、他人様のシャボン玉で楽しむのではなく、自分たちがシャボン玉遊びをすればよいのだ、と。

で、今日の午前中にシャボン玉玩具を買いに、近所にある100円ショップに出かけた。

ふだんほとんど買い物をしないので、すごーく久しぶりに100円ショップを訪れたのだが、まるで夢の国のような品揃えである。

(こんなところにいたら、1日中入り浸って、いろいろなものを買いあさってしまいそうだ…)

という誘惑に耐え、シャボン玉玩具を探すことにした。

すると、あったあったありました!日本刀のような形をしたシャボン玉玩具が!

さっそくそれを買って、午後、娘と公園に行くことにした。

娘は、予想通り、自分の思うがままにシャボン玉を作ることができることに興奮して、まったく飽きることなくシャボン玉を飛ばし続けている。

日本刀1本分のシャボン液が、猛烈な勢いで減っていく。

(こりゃあ、今日1日で日本刀1本分のシャボン液がなくなってしまうな)

110円で、これほどまでに娘が喜んだのだから、結果的に、買ってよかったと思った。

ところで、その公園は住宅街の狭間にある小さな公園なのだが、近くに公園がないこともあり、子どもたちがよく遊んでいる。どこの公園もそうなのだが、いま、公園は「密」なのである。

しかもいまは大型連休中で、親も一緒に来るというパターンが多く、さらに人口密度が高くなる。たいていは、僕の娘よりも年齢が上の、小学校低学年くらいの子どもたちである。

シャボン玉に夢中になっていると、いつの間にか公園にたくさんの子どもたちが集まっていて、ボールをドリブルしたりしている。

僕は球技が嫌いなので、ボールを地面にドリブルする音を聞いただけで、いまだに、反射的に「怖い」と思ってしまうのである。

そのうち、小学校低学年くらいの男の子の、

「早くドッジボールしようよ!」

という声が聞こえた。

ええええぇぇぇぇっ!!!

この狭い公園で、ドッジボールするの??

僕は球技の中で、ドッジボールほど嫌いなものはないのだ。ドッジボール好きの人には申し訳ないのだが、あんな野蛮な球技はない。僕の子どもの頃は、ドッジボール全盛期だったのだが、もうイヤでイヤで仕方がなかったのだ。

たちまちに、公園の地面にドッジボールのコートとおぼしき線が引かれ、数名の男の子、女の子に加え、なんとその親たちも参加するドッジボールが始まった。親たちも、嬉々として子どもたちのボールを当てようとしている。

さあ困ったのは僕である。ドッジボールをしている近くで、娘はシャボン玉づくりに夢中である。

「場所を変えよう」

と娘に提案しても、頑として言うことを聞かない。僕は、ドッジボールの、あの堅くて大きなボールが勢い余って、いつ娘のところに飛んでくるかと思うと、気が気ではなかった。

そもそも、あの狭い公園の中で、ドッジボールをすること自体が常軌を逸していると思うのだが、というか、ドッジボールなんて土俗的な遊び、21世紀にも行われていたことに驚きを禁じ得なかった。

僕は、いつ飛んでくるかもわからないドッジボールに怯えながら、シャボン液を使い切るまでシャボン玉を飛ばし続ける娘を見守るばかりだった。

| | コメント (2)

いまさら捜査一課長

50歳を過ぎて、「名探偵ポアロ」シリーズにハマっている。

なにしろ、作り込み方がハンパではない。初回放送は、英国では1989年、日本では1990年というから、僕が大学生の時である。いままでどうして知らなかったのだろうと、自らを恥じ入るばかりである。

もうひとつ、ここ数日でハマり出したのは、内藤剛志主演のテレビ朝日のドラマ「捜査一課長」である。

もうずいぶん前から定期的に放送されているシリーズだと思うが、ほんと、ここ数日でどハマりしてしまった。

いきさつを書くと、まず、小学校4年になる姪が、「科捜研の女」と「捜査一課長」の大ファンで、3歳になったうちの娘は、数日前、姪といっしょに「捜査一課長」を観ていたらしい。

家に帰ってきた娘は、

「そうさいちかちょう」

というタイトルを口にしたかと思うと、

「かならず、コシを、あげる!…ハイ!」

という台詞を、何度も口にした。

これは、内藤剛志が劇中でいう決め台詞のようなもので、正確には、捜査会議の場で、捜査員全員の前で、捜査一課長の内藤剛志が、

「必ず、ホシを、あげる!」

と、気合いを入れて叫ぶと、捜査員たちが、

「ハイ!」

と応える、という場面である。

ちなみに「ホシ」というのは「真犯人」という意味の警察用語で、「あげる」というのは、「逮捕する」という意味である。

で、娘はこの決め台詞が気に入ったようで、何度も

「かならず、コシを、あげる!ハイ」

と言っているので、僕も気になって、「捜査一課長」を観ることにした。

そしたらあーた!おもしろいのなんのって、1時間かけたコント番組ではないか!いや、ずっと観ている人にとっては、「おまえいまさら何言ってんの?」ということなのかもしれないが。

冒頭からしておもしろい。

冒頭は必ず、捜査一課長が電話を取るところから始まる。

「なに?矢印だらけのご遺体?!」

「なに?警察官のコスプレをしたご遺体?!」

「なに?わさび入りのシュークリームを持ったご遺体?!」

とにかく「ご遺体」の姿が妙なものばかりなのだ。というか「ご遺体」という尊敬語をつければ、何でも許されると思うなよ!とツッコみたくなる。

それに、

「なに?○○なご遺体?!…わかった」

といって電話を切るのだが、そんな珍奇な「ご遺体」であることを聞いて、なにが「わかった」だよ!

もうこの時点で、僕の心はわしづかみされた。もはやこれは大喜利である。

で、事件現場に行ったあと、

「よし、○○署に捜査本部を設置する」

ええ??そんな簡単に捜査本部って設置できるの?と思いながら、次はいきなり捜査本部の場面となる。

捜査員が集められた会議室で、一通り捜査方針の説明が終わったあと、ナンバー2にあたる「何とか管理官」役の金田明夫(またこれがいい芝居をしているんだ)が、

「一課長、お願いします」

とキューを出すと、一課長はおもむろに立ち上がり、件の決め台詞を言うのである。

で、僕はこれが、劇中では1回だけかと思っていたら、番組の終盤、捜査が新たな展開を見せた頃に、もう一度捜査本部の場面となり、

「必ず、ホシを、あげる!」

と叫ぶのである。

捜査が新たな展開を迎えるきっかけとして、刑事部長役の本田博太郎が、いつも突拍子もない姿で登場して、捜査のヒントを与える。まさに本田博太郎の真骨頂である「怪演」をするのだが、部下にあたる捜査一課長と何とか管理官は、まったく笑うことなく、捜査のヒントを与えてくれた刑事部長に頭を下げるのである。

なんなんだこれは???ポアロに謝れ!いや、アガサ・クリスティに謝れ!と言いたくなるのだが、その落差を楽しんでいる自分がいる。

そうか、わかった。

このドラマが小学校4年の姪の心をがっちりとつかんだのは、このテンプレ的な展開ににあるのだ。だから安心して観られるのだ。

そして希代のコメディエンヌ、斉藤由貴もまたいい味を出している。

| | コメント (2)

« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »