「泣く」は、悲しいのではない
5月10日(月)
夕方、3歳になった娘を保育園に迎えに行く。
いつも、保育園にいる娘のことは、迎えに行ったときの様子しかわからない。
おともだちにバイバイして、同じ時間に帰る同じクラスのおともだちがいると、途中まで一緒に帰ろうとするのが習慣である。
「また遊ぼうね」
「バイバイ」
そう言って、別れるのである。
帰宅したら、すぐにお風呂に入る。僕がお迎えに行ったときは、そのまま僕と娘がお風呂に入る。
「今日は何をして遊んだの?」とか「今日は誰と遊んだの?」と聞くのも、いつものこと。
今日は、
「○○ちゃん(娘のこと)は、だれとなかよしなの?」
と聞いてみた。
娘はしばらく黙ったあと、
「××ちゃんとは、なかよしじゃな~い」
という。
「え?でも、この前、一緒に遊んでたでしょう?」
「でもなかよしじゃな~い」
「じゃあ、△△君は?」
「なかよしじゃな~い」
「じゃあ、□□ちゃんは?」
「なかよしじゃな~い」
どんどん声が小さくなっていく。
「じゃあ、だれといちばんなかよしなの?」
と聞いたら、さらに小さな声で、
「…じぶんといちばんなかよし」
と答えた。
「え?」
「だから~、○○ちゃん(自分のこと)は、じぶんといちばんなかよし…」
そういうと、娘は、これまでに見せたことのない悲しい表情をした。
あんな悲しい表情は、いままで見たことないな。
娘は、毎日のように、大泣きをする。自分の思うとおりにならないと泣くし、眠れないといっては泣くし、とにかく家では大声を出して、大粒の涙を流して、泣く。
しかし、あれはたんなる肉体の反射的な行為にすぎないのだ。
ひょっとしたら、ほんとうに悲しいときは、涙も泣き声も出ないのではないだろうか。
周りのおともだちの誰ともなかよくなれず、「じぶんといちばんなかよし」と思うというのは、はるか記憶の彼方だが、僕の保育園時代も、そうだったかもしれない。いや、そのあとも、そんな思いをしたことが、何度もあったと思う。ときどき、娘がおともだちのことをじーっと見つめるそのまなざしが、僕の子ども時代のそれと似ていると感じることがある。
娘は、「じぶんといちばんなかよし」と言ったあと、すっかり黙り込んでしまった。
「…もうおふろ、でる」
先に娘をお風呂から出してママに着替えを任せて、僕がそのあとで体を洗って、お風呂から出たら、娘はすでにパジャマに着替えていて、大はしゃぎしていた。
ママには、言わなかったのかな。
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