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エッセイの達人

5月19日(水)

先週金曜日の「アシタノカレッジ 金曜日」の、武田砂鉄さんとジェーン・スーさんの対談で、ひときわ面白かったやりとりが、以下のくだりである。

スー「こういう仕事をしているからだと思うんですけど、他人の文章を読んで、あ、ここで笑わせようとしてる、とか、ここでドヤって感じの締め方をしているとか、わかるじゃないですか」

砂鉄「ほんとにそれはねえ…恥ずかしいくらいわかるんだよね」

スー「あの共感性羞恥ったらないですよね」

砂鉄「ないですよね」

スー「やってる、私もどっかで絶対やってると思いながら…」

砂鉄「いや、だからほんとにね、エッセイの達人みたいな人が、やたらと西日差し込んだりとかするのよ、最後に」

スー「ハッハッハ!」

砂鉄「差し込んできたなって思うんですけど、それをまた逆に言うと自分がどこかでやっている可能性がある、ってのもあるから」

このやりとりを聴いて、僕は有名週刊誌に連載されているある人のエッセイのことを思い出した。

僕はその週刊誌を定期的に読んでいるわけではないのだが、ごくたまに読む機会があると、必ずその人の連載が目に入ってくる。もう何年続いているんだろう?ずいぶんと長いんじゃないかな。

ジャンルとしては、「ユーモアエッセイ」で、一見深そうな洞察を、なかば自嘲気味に軽妙な文体でまぶした感じ、といったらよいか。

長く続いているということは、それだけ好評なのだろうし、エッセイの達人としての地位はもはや揺るぎないものなのだと思うが、僕はこの人の書くエッセイが、まったく受けつけられないのである。

この嫌悪感の正体はいったい何だろう、と思っていたのだが、これがジェーン・スーさんの言う「共感性羞恥」なのだろうか。

ああ、ここで笑わそうとしているな、とか、どや、俺のエッセイ、ユーモアに溢れているだろう、とか、読者のためにここまで降りてきてやったぜ、とか、そういった意識が行間から透けてみえて、「ああ、恥ずかしい」と思ってしまうのである。

そうか、これは「共感性羞恥」なのか。

さて、ここからは妄想である。

スーさんや砂鉄さんの念頭にある「エッセイの達人」とは、いったい誰なのか?

ひょっとして、僕の念頭にあるあの人と、同一人物ではないだろうか?

…いや、考えすぎかもしれない。でも、二人も絶対に読んでいるはずである。

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