5枚の写真
5月25日(火)
少し前に、米国のある方へZoomを通じて取材をした、と書いた。
正確に言えば、米国在住の日本人ジャーナリストが、77年前の写真に写った日本人の人探しをしてもらいたい、と、米国のある州の地方都市に住む米国人男性の依頼を受け、その写真をめぐるさまざまなお話しを、その米国人男性に直接取材するために、全国紙の記者の方と一緒にZoomを通じてうかがったのであった。もちろん、現地のジャーナリストの方の通訳を通じて、その男性のお話をうかがったのである。
で、なんで僕がそのような取材に立ち会ったかというと、その古い写真の中に、その人物に関する何らかの手がかりが残されていないだろうか、調べてほしい、ということになったのである。
「探偵ナイトスクープ」のような話でしょう?
もし、写真の中に、その人物を特定できるような手がかりが見つかれば、たとえその写真の人物が物故していたとしても、その家族に行き着くのではないか、と考えたのである。
なぜ、その米国人紳士が、日本人が写っている77年前の写真を持っていたのか、という話を始めると長くなるのでここでは省略する。その写真は、その紳士の遠い親戚にあたるある人が77年前に家族に宛てて送ったもので、写真に同封されていた当時の手紙も一緒に残っていた。それにより、その写真がいつごろ、どこで入手したものか、ということもあるていど特定できるようであった。
取材に応じていただいたその米国人紳士は、お話しの様子やそのたたずまいから、とても誠実で理知的な方であるとお見受けした。聞くと弁護士をなさっているという。
その方は、その写真を「発見」した時から何年もの間、その写真のことが気になっていて、持ち主のもとにお返ししたいと思っていたのだが、米国の片田舎の町では、日本人に会うチャンスがほとんどない。
数年前、別の取材で米国在住の日本人ジャーナリストがこの町に訪れたとき、その紳士は、以前から気になっていた写真のことをその時初めて打ち明けた。
それがまわりまわって、今回の取材となったのである。そのことを取材して記事にしようと考えた、ある全国紙の記者は、知り合いを通じて、僕に依頼をしてきたのだった。もっとも、僕はその記者と1度お会いしたことがあり、その人の書いた記事も何度か読んだことがあったので、僕はひとまず、その取材に立ち会うことにしたのである。
Zoomの画面越しに、初めてその写真を見せてもらうことになったのだが、正直言って、
(これはなかなかむずかしいな…)
という感触を得て、
(これはどう説明したらいいものか…)
と口ごもってしまったのであった。
その一方で、その写真を持っていた紳士は、僕が参加したことに対して「光明を見いだした」という表情を浮かべ、僕が関わることに対してかなりの期待を寄せていたようだった。
だがしかし…。
実際にその写真を分析したところ、予想していたとおり、何の手がかりもつかめなかった。
まあ、もともとダメ元での調査依頼だったので、仕方がないといえば仕方がない。
僕は、写真から手がかりがわかり、そこから一挙に事態が進展することを夢想していた。この取材に関わるすべての人もそこに期待を寄せていたのだが、残念ながら世の中はそれほどうまくはいかないらしい。
そして今日、その取材が記事になった。全国紙の朝刊に5枚の写真とともに大きく掲載された。そこには、米国の紳士がその写真と出会ったいきさつや、77年前にその写真を送ってきた人物との関わり、そして写真に対する想いが、誠実な筆致で書かれていた。
当然、僕の調査のことは出てこないのだが、僕の調査は決して無駄ではなかったと、その記者の方からのちに連絡をいただいたので、ちょっとした裏話として、書き残しておく。
米国の紳士は、「もし写真の関係者が見つかったら、日本に会いに行きたい」と言っている。そんな日が来ればいいなあ、と思う。
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