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侏儒の言葉

200字程度の短い文章を書かねばならぬ。

それはある本の、ほとんど人の目にはふれないであろう箇所に載せる文章で、たいていは「○○さんには大変お世話になりました」的な謝辞をならべるような、お決まりな儀礼的な内容を書く場、なのだが、僕はあまりそういうテンプレ的な文章を書きたくない。というか、そういう儀礼的な文章や、楽屋話的な内容は、読者が読んだところで何の意味も持たないのではないか、と、最近になって思うようになったのである。

以前に書いた本のあとがきに、そんな内容の文章を書いて、あとでひどく反省した。いまとなっては、顔から火が出る思いである。

そんな反省もあったものだから、この200字の短い文章には、「形になってホッとしました」という自分自身のどうでもいい気持ちとか、「○○さんに感謝します」とかいった、読者にとってどうでもいい謝辞、といったものを書かないことにし、何か意外性のある文章、できればコラムのようなもの、を書きたいと思ったのである。

で、う~ん、と唸りながら、どうにか200字の文章を書いた。正確には、230字くらいになってしまったが。

そうしたらあーた、これが会心の出来である!(と、自分だけが思っている)。

「出来がいい」というのは、講釈師の神田伯山先生が自分の講談の出来に対してよく使う言葉だが、まさにその言葉どおりの、我ながら「出来がいい」文章に仕上がった!

ただそれが、その場にふさわしい文章になっているかどうかは、自分ではわからない。第三者が読んで、

「はぁ?何言ってるかわかんないんですけど」

となる可能性も高いのだ。

おそるおそる編集担当者にその文章を送って、

「もし趣旨に合わなかったら書き直します」

とメールに書いたら、しばらくして返信が来て、

「よいと思います!」

と、無事にそのまま掲載されることになった。

僕はTwitterを始める気はまったくないのだが、これって、ちょっとしたツイートじゃね?

全体で230字程度だし、内容が二つに分かれるから、ちょうど、140字以内のツイート2つ分なのである。

なるほど、たしかに表現を切り詰めて書く、という楽しさはあるな。

少し前、「ある企画」のTwitterで、覆面でツイートの文章をいくつか書いたことがあるのだが、140字以内で表現を切り詰めて、それでいて情報量を減らさずに書く、さらに、読む人をニヤリとさせる、という作業が、えらく楽しかった。俳句を作るのと同じような心境なのだろうか。

だからといって、Twitterを始める気はさらさらないのだが、芥川龍之介が『侏儒の言葉』を書いてみたくなる気持ちはよくわかる。というか、芥川が現代に生きていたら、間違いなくTwitterにハマっていただろうな。

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