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総理と呼ばないで

三谷幸喜×田村正和というと、もうひとつ、「総理と呼ばないで」を思い出す。

田村正和演じる総理大臣は、「政治家としても人間としても無能で、家族や部下含め全国民から嫌われている。性格は我侭・気まぐれ・意地っ張りで、あらゆる面でスケールが小さい」(Wikipediaより)という史上最悪の総理である。

鈴木保奈美演じる総理夫人は、「わがままな史上最悪のファーストレディ。(中略)自由奔放に周囲を振り回しながらも、実際は総理夫人という立場ゆえの寂しさを味わっている。」(Wikipediaより)と、これまた、最悪の総理夫人である。

ん?なんか思いあたるフシがあるなあ。

もともと無能な総理だから、「総理大臣以下スタッフは何としてでも、汚点を出さないように奔走する」(Wikipediaより)。実際、官邸スタッフの奔走ぶり、というのか、翻弄されぶり、というのが、とてもおもしろく描かれていた。

ん?これも思いあたるフシがあるなあ。

放送されたのが1997年。いまからもう四半世紀も前のことである。

観ていた当時は、「こんな荒唐無稽な話があるものか」と思っていたが、四半世紀たって、現実はフィクションをとうとう越えてしまったね。

官邸スタッフたちによる「全世帯にガーゼ製の布マスクを2枚ずつ配布する」という発案や、「有名ミュージシャンの人気にあやかって、その音楽配信動画とコラボする」という発案に至る過程だけでも、それぞれ1話分のコメディーを作ることができそうだ。

ドラマでは、田村正和扮する総理が、徐々に人間性を取り戻し、総理大臣としての自覚と成長を見せていくのだが、やはりそこはドラマの世界。現実を見ていると、人間はそう簡単には成長しないらしい。

ちなみに余談だが、三谷幸喜の傑作戯曲の一つに「その場しのぎの男たち」(東京ヴォードヴィルショー、初演1992年)がある。明治時代の内閣のドタバタを描いた喜劇だが、最初に考えていたタイトルは「総理と呼ばないで」だった、と聞いたことがある。

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