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知の巨人、からの「清張ボタン」

「知の巨人」立花隆の訃報を聞いた。

僕は立花隆の熱心な読者ではなかった。『臨死体験』を興味深く読んだ、という程度なのだが、「知の巨人」と呼ばれるにふさわしい人だ、ということに異論はない。

僕の中での「知の巨人」は、小説家の松本清張である。立花隆とは違う意味で、彼もまた「知の巨人」だったのではないかと思う。

みうらじゅん編『清張地獄八景』(文春文庫)に所載の、岡本健資「あのころの松本清張」(初出は『文藝春秋』1994年8月号)は、松本清張が作家としてデビューする前の様子が活写されている。

岡本健資は、清張が小倉の朝日新聞西部本社広告部に勤めていた時代の同僚で、もう一人の同僚である吉田満と3人で、仕事のかたわら、短編小説や映画のシナリオのようなものを書いていたらしい。

そこに、こんな記載がある。

「その当時、朝日新聞では、朝夕刊以外に、「アサヒ・ウイークリー」という八頁ほどのタブロイド型娯楽週刊誌を発行していた。そこに清張さんの掌篇小説が一度載ったことがあった。

題名は忘れたが、なんでも、小倉の広寿山という禅寺の修行僧が、山門の石段を上がる若い女の着物の裾からこぼれる白いふくら脛に目を奪われて、不覚にも石段から転げ落ちる、といったふうの短編で、その女の艶っぽさや転落する若僧の気持が目に見えるようで、その描写の的確さに感心させられたことがあった。『西郷札』を書く半年ばかり前のことである」

松本清張の公式のデビュー作は『西郷札』であるが、その半年前に、掌篇小説が活字になって発表されていたことを、これを読んで初めて知った。マニアには常識なのだろうか。

興味深いのは、その小説の内容である。これって、兼好法師の『徒然草』が元ネタなのではないだろうか?

「世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。

匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外(ほか)の色ならねば、さもあらんかし」(『徒然草』第8段)」

『徒然草』のこの簡潔な文章を、松本清張ならではの解釈によって一編の小説になっていたのだとしたら、ぜひ読んでみたいものである。

そして、ここからが重要なのだが。

この第8段のタイトルが、「世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな」なのである。これこそが、みうらじゅん先生が言うところの、松本清張の小説全体を貫いている本質、すなわち「清張ボタン」なのではないだろうか。「清張ボタン」とは、地位や名声やそこそこの経済力を得た人の前に、あるとき突如として「清張」というボタンがあらわれ、うっかりそのボタンを押すと、たちまち地獄に落ちるという、あのボタンのことである。

だとすれば、公式のデビュー作『西郷札』の前に書かれたこの小説こそが、その後の松本清張の小説の作風をほとんど決定づけた、ともいえるのではないだろうか。

ますますこの小説を読んでみたくなる。

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