謎の依頼だった
6月3日(木)
仕事部屋の机を少しずつ片づけていたら、書類の「層」になっている中から、ある会報を見つけた。
その会報は、書道を研究しているある組織の会報で、6年ほど前に、書道に関するエッセイを書いてほしいと、僕に依頼が来て、その会報にエッセイを書いたのであった。僕はそのことをすっかりと忘れていた。その会報ができた時に、先方から複数の部数が送られてきたのである。
それで思い出したのだが、僕は、その組織とはまったく関係がなく、知り合いがいたというわけでもない。どういう経緯で僕に書道についてのエッセイを依頼したのか、まったく覚えていない、というかわからない。そもそも僕は、書道の世界とは縁もゆかりもないのだ。
まことに不思議な依頼であるなあと思いながら、当時、依頼されるがままに原稿を書いたことを思い出した。
数百字程度の、ほんの短い文章だったが、いま読み返してみると、我ながら実によく書けている。エッセイの最後では、僕が学生時代に耽読した福永武彦のある小説を引用し、文学的な余韻を残している。エッセイのタイトルも、福永武彦へのオマージュに溢れている。
A4見開きで4頁のリーフレットのような体裁に、6名の執筆者が名を連ねている。どの方も肩書きのりっぱな方ばかりで、そのうちの一人は、僕が何度かお目にかかったことがある人だった。6名の中で唯一、その人となりを知っている方の書いたエッセイは、僕が何度かお目にかかった時の印象を裏切るものではなかった。僕だったら絶対書かないだろうな、というサムい書き出し(つかみ)で始まっていて、短いエッセイは、なんと人の心を端的に映し出すものだろうと、感慨深く思ったものである。
送られてきた会報は、2種類あった。日本語版と、中国語版である。わざわざすべて中国語に翻訳しているバージョンもあるのである。これだけ労力をかけているということは、会報の読者として中国語を母語とする人たちも想定されているということなのだろうか。いったいこの会報の読者は、どのくらいいるのだろう。
気になった僕は、インターネットで、この会報のことを調べてみた。まず、会報を出している組織のホームページを見てみることにした。
ところが、そこには会報のことがまったく書かれていない。レポジトリになっているかなと期待していたが、それどころではなかった。
廃刊になってしまったのかな、と思い、次に、その会報がどのような機関の図書館に所蔵されているかを調べるサイトがあるので、調べてみた。
すると驚くことに、その会報は、その組織が所属する図書館にしか置いていない、という結果が出た。
つまりこの会報は、いずれの公的機関の図書館にも、送付されていないのだ。公式ホームページにも記載がないということは、ほとんど知られていない会報といってもよい。
こんなふうに、僕には人知れず書いたエッセイがけっこうあって、自分でも忘れてしまうほどである。
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