« 文学の目覚め | トップページ | 記憶のパズル »

O先輩の思い出

6月8日(火)

久しぶりに、高校時代の友人のコバヤシからメールが来た。この4月から大阪の堺に引っ越した。

「鬼瓦殿

コバヤシです。こんばんは。

少しご無沙汰です。

堺に引っ越して早二か月が過ぎましたが、新しい職場にはまだ慣れたとは言いませんが、やはり地方都市というのは物価も安く新鮮な食材も手に入り易く、自炊派の私にはなかなか快適か生活環境では有ります。

改めて東京というのは良くも悪くも特異な場所で、やはり住む場所ではないなあとつくづく実感しています。

前置きが長くなりましたが、今日、貴君のブログにO先輩のことが書かれており久しぶりにメールしようと思った次第です。

貴君のブログには高校在学中には全く面識がなかったと有りましたが、そういう意味では私も一緒なのですが、接点は有りました。

あれは確か一年生の時だと思うのですが、我々が音楽室でサックスのパート練習をしている時に、Salt先輩がドラムを叩いて、女性のピアノの方とジャズのセッションをしていました。高校生なのにジャズが弾けるんだとびっくりしながら聴き入ったことを今でも鮮明に覚えています。そう、その時のピアノがO先輩だったのです。確かウィスパー ノットというジャズの名曲を演奏していたのも覚えています。後は何を演奏していたのか全く覚えていませんが。

ちなみに何故、そのピアノの女性がO先輩と分かったかと言えば、当時、吹奏楽部のパーカッションにいた同期のオオタが民俗音楽研究会=民音(30年以上振りにこの言葉を使いました)と兼部していて、O先輩のバンドのドラムをやっており、うちの高校にはSalt先輩の他にも凄い人がいると言っていたからです。

学園祭の夜のステージで演奏しているのも観たように思います。ちなみにこの時のドラムは当時、オオタです!

ということで、貴君もほぼ私と一緒に行動していたと思うので、O先輩の演奏は聴いていたはずです。

その後、私は大学のジャズ研に入り、2年か3年生だったかの時に、ゲイリー トーマスというニューヨークの若手ミュージシャンのバンドが来日した時に、当時はまだ無名の日本人キーボード奏者を連れて来たのですが、それがO先輩だと知り驚いたものです。

当時、ジャズ研の同級生でバークリーから帰って来て間もないヤマジョーが、O先輩とバークリーで一緒で、高校の先輩なんだけど知ってる?と聞くと、「あ〜、OJ(O先輩は当時、バークリーの日本人仲間からそう呼ばれていたらしい)ね。OJは凄いけど無茶苦茶性格がキツイんだよね。」と言っていたのを覚えています。

ちなみに当時、高校のOB会でO先輩の演奏を聴くという企画があったのですが、我々は抽選に外れて聞けなかったということもの有りました。その時の対バンは、ハンク ジョーンズという超巨匠ピアニストだったので、私はむしろそちらが聴けなかったことが残念でした。

ついでにもう一つかなりこじつけ的なO先輩との関わりを書かせて貰うと、私が大学四年の時にサックス、ペース、ドラムというトリオのバンドを半年ぐらい組んでいたのですが(貴君が覚えているかどうか分かりませんか、ジャズ研の定期演奏会を地元のバベルセカンドでやった時に貴君にもそのバンドの演奏を聴いて貰ってます)、その バンドのドラマーだったヒロセ君という人が、後に日本を代表するジャズドラマーになり、O先輩のヨーロッパツアーに参加しています。ちなみに、このヒロセ君という人は、吹奏楽部の同期でフルートのフクザワの中学時代の吹奏楽の同級生でも有ります。

ということで、かなり長くなり失礼しましたが、かなりなこじつけも含め貴君もO先輩と間接的には多少の関わりがあったというわけです。

なかなか人の繋がりというものは面白いものですね。

ということで、またそのうち!」

ここに書かれている内容を、僕はほとんど覚えていない。

1年生の時の音楽室でのパート練のときに、Salt先輩とO先輩がセッションをしていたというのは、まったく覚えていない。

同期のオオタが、O先輩のバンドでドラムを叩いていたというのも知らなかった。いや、学園祭の夜にオオタのバンドが演奏していたことはよく覚えている。オオタがドラムを叩いていたことも。

そのときに僕が覚えていることといえば、僕はオオタから、学園祭の夜のライブで使いたいから、僕のアルトサックスを借りたいと言われて、しぶしぶ貸したのだが、そのときに僕のアルトサックスがかなり乱暴な扱いで演奏されて、壊されて戻ってきたことを覚えている。

僕は、演奏を聴きながら、自分のアルトサックスの安否ばかりが気になって、O先輩の演奏を聴いていなかったのだろう。

大学4年の時に、地元のバベルセカンドという店でジャズのライブを聴いたことは覚えている。ただしそこで聴いたライブは山下洋輔だったという記憶にすり替わっていた。実際はコバヤシのバンドだったんだな。

そしてコバヤシのバンド名は「スンガリーレストラン」だったと思う。しかし僕の記憶では、サックス、ドラム、ベースのトリオではなく、そのほかにも、電気バイオリンとか、もう少し編成が多かったように思う。

僕は高校生活のほとんどをコバヤシと一緒に過ごしたから、たぶん、コバヤシの記憶が正しいのだろう。

僕の細かな記憶というのは、まことに頼りないもので、たまに入れ替わることもある、というのが、実に興味深い。

|

« 文学の目覚め | トップページ | 記憶のパズル »

コバヤシ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 文学の目覚め | トップページ | 記憶のパズル »