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2021年7月

エンドクレジット

7月30日(金)

このブログを長く読んでいる読者は薄々お気づきだと思うが、最近は体調がアレだし、テレワークだしで、何も書くことがない。テレビもオリンピックばかりで、のべつまくなしオリンピックの批判をするわけにもいかない。

リアルな意味で「僕の人生には事件が起きない」のである。

午後は職場のオンライン打合せがあったのだが、議題が憂鬱な上に、思いのほか時間がかかり、すっかり疲弊する。

唯一の前向きなニュースは、今日と明日の2日間限定で、知り合いの映画監督の2作目(新作)が配信されることである。ギリギリまで映画の編集に時間がかかったようで、打合せの途中で「ようやく完成しました!」と連絡をいただき、打合せの後、少し時間があったのでさっそく観てみることにした。

90分ほどの映画で、前作に続く佳品だったのだが、最後のエンドクレジットのところで、「Special Thanks」として僕の名前が出てきてびっくりした。

そういえば一度、映画の中の字幕について監督から相談があり、字幕案を必死に考えてみたのだが、どうがんばっても僕の字幕案はおさまりが悪く、原案の方が勝っていたので、僕の方からお願いして、僕の字幕案を取り下げてもらった。

結果的にはそれが功を奏し、原案の字幕が映像とじつによくマッチしていて、格調高い映像表現となった。

つまり僕が協力した痕跡は映画の中には皆無なのだが、それでは申し訳ないと思ったのだろう。「Special Thanks」としてエンドクレジットに登場させてもらったのである。

映画のエンドクレジットに自分の名前が登場するなんて、これもまた、一生に一度の得がたい体験である。

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世間とのズレ・その2

そういえば、少し前に、僕が編集を担当した雑誌が刊行された。

この話、書いたっけ?

正確に言えば、僕一人ではなく、編集担当はもう一人いる。僕は、雑誌の前半部分、特集記事の編集担当だ。

おそらく雑誌の編集など、最初で最後の体験だと思ったので、自分としては、表紙の装丁に凝ったり、執筆者の人選を自分の希望通りに固めたりと、好きにやらせてもらった。しかも時宜を得た特集だと、かなり自信を持っているのだが、どうやら売れているという話が耳に入ってこない。

出版社に聞くと「ぼちぼちです」という返事をした後、口ごもる。それって、あんまり芳しくない、ということではないか?

執筆者のお一人からも、「知り合いに配ったら、誰もがとてもいい反応だったのに、残念ながらこの本はぜんぜん人に知られていないぞ」と、お叱りを受けた。

うーむ。やはり僕が面白いと思って作った本はまったく売れない、というジンクスは、本当だったのだ。

いかに僕が、世間からズレているかということであろう。

以前にも「世間とのズレ」という記事で、世間とのズレを標榜している本が、むしろ売れているという現象について書いた。本当の意味で世間とズレているのは、ほかならぬ僕自身である。

自分のマイナスオーラには、呆れるばかりである。

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言葉の大安売り

以前の武田砂鉄氏のtweetに、

首相会見。「(五輪は)心のバリアフリー」大切に使われてきた言葉を、安っぽく言い訳に使って、いくつも壊していく。」(2021年7月8日)

というものがあった。

この10年で、最も大安売りされた言葉は、「絆」ではないだろうか。「絆」はこの10年で急速に陳腐化し、ちょっと自分で使うのも憚られる。

ほかに「友情」とか「おもてなし」、「安全安心」なんてのも、ほとんど叩き売りに近い状態にある。「安全安心」なんて、もはや意味を持たない呪文みたいになってるもんね。

「緊急事態」というのももはや、「日常生活」と同義になりつつある。

「ネットワーク」「コミュニケーション」というのも、「絆」と同じような意味で、便利に使われる言葉になりつつある。

オリンピックの開会式ではやたらと「多様性と共生」が強調されていたが、これもかなり安っぽく使われてしまっている。だが実際はどうなのだろう。

とにかくあらゆる言葉が短期間で陳腐化するので、それに変わる新しい言葉を探さなければ、インパクトがない。

そこで、「共創」とか、「ステークホルダー」とか、よくわからない言葉が跋扈することになる。やがてそれらも陳腐化するのだろうな。

便利な言葉であればあるほど、気をつけなければならない。

清水義範や筒井康隆あたりが、これらを使ったパロディー小説を書いてくれないだろうか。

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いろいろなオリンピックを考える

「通訳五輪」というのを考えてみた。

たとえば自分がこれまで関わってきた知り合いの中で、誰が一番、「韓国語-日本語」の通訳が上手いか、といったことを、時折考えることがある。

「Aさんの通訳は、さすがに見事だね」

「いやいや、それよりもBさんの右に出るものはいないでしょう」

てなことをよく雑談で話したりするのだが、これを正式競技としたらどうだろう。で、最も優れた通訳者から、金メダル、銀メダル、銅メダルを決めていくのだ。

もちろん、「韓国語ー日本語」だけではなく、言語の組み合わせは無数にある。世界各地から、ありとあらゆる言語に対して我こそはと思う通訳者が一堂に会するのである。

「英語-フランス語」とか、「トンガ語-ポルトガル語」とか。もちろん、少数民族の言語だって競技の対象になる。その場合、金メダルは取りやすいだろう。

ただ問題は、誰がどうやって判定するかである。

 

 

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ギックリ開会式

7月23日(金)

この4連休は妻が出張なので、僕一人では不安だということで、母や義母、義妹や姪、さらには土曜保育など、使えるものを総動員して、もうすぐ3歳5か月になる娘の面倒をみることになった。

この日は実家の母の家に行き、一日過ごすことになった。

夕食までいただき、さあ帰ろうと実家を出たのが午後8時。ちょうどオリンピックの開会式が始まった時間である。

娘は気を遣ってつかれてしまったのか、車の中で寝てしまった。

いったん寝てしまうと、もう起きる気配はない。僕は自宅のマンションに着くと、寝ている娘をだっこして部屋まで運んだ。

しかしこれがなかなかに重くて、腰に負担がかかったらしい。腰が痛み始め、翌日起きても、その痛みがなくなるどころか、さらに今朝起きたら、痛みが増していた。

これって、ぎっくり腰なのか?立ち上がれないわけでもないので、ぎっくり腰とは呼べないのだろうか。よくわからない。しばらく様子を見てみよう。

さて昨晩は開会式だったのだが、その時間僕は、TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」を聴いていた。

ゲストは宮藤官九郎さんである。というか宮藤さん、開会式は観なくっていいの?だって大河ドラマ「いだてん」を書いた脚本家だぜ。今回の東京五輪に最も貢献した人物ではないだろうか。なんなら、オリンピック関係者として開会式に招待されてもおかしくない。もっと言えば、開会式の脚本を宮藤さんに書いてもらってもいいくらいだ。

ま、宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど。

武田砂鉄氏との対談では、「いだてん」の話もオリンピックの話もほとんど出ず、TBSラジオ「アクション」とは何だったのかとか、伏線回収への異常なこだわりという最近の風潮、ネタバレに対する最近の極度な回避傾向、「屁」の音へのこだわり、など、およそ開会式とは無関係の話題だった。クドカン、とても潔い。

そしてラジオを聴きながら、米国在住のジャーナリストから依頼された、78年前に日本人が書いた手帳の解読作業をして、手帳を書いた人物のプロファイリングを行った。はたして今度こそは、持ち主の特定はできるだろうか。

開会式を観ていない人が、その時間何をしていたのか、どんな話題をしていたのか、に興味がある。

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オリンピックと戦争

「オリンピック作戦」とは、アジア・太平洋戦争時にアメリカ軍やイギリス軍、ソ連軍をはじめとする連合国軍による日本本土上陸計画の作戦名の一つとして知られている。1945年11月に九州から本土に上陸し、九州を占領しようとする作戦で、もうひとつ、1946年春に関東地方占領をもくろむ「コロネット作戦」と合わせて、「ダウンフォール作戦」と呼ばれた。いわゆる本土決戦である。これらの作戦は、1945年8月に日本が降伏することにより、実行はされなかった。

では、いまの世はどうだ?人類は新型コロナウイルスという見えない敵、それもそうとうにしつこい敵と戦っている。そんな中で、この国でオリンピックが開かれようとしている。世界各国からアスリートが「上陸」し、感染拡大の危険性は火を見るより明らかなのにもかかわらず、政権はこの事態を意に介さず突っ走ろうとしている。これでは感染による犠牲者がますます増える。これを「本土決戦」と言わずしてなんと言おう。

オリンピックが開かれないなんて、いままでがんばってきたアスリートがかわいそうではないか、アスリートに失礼だぞ!という言葉は、「前線でがんばっている兵隊さんに失礼だぞ!」というふうに、僕には聞こえる。

ちょっと前までは、前線でがんばっている人は医療従事者だった。がんばっている医療従事者のために、ブルーインパルスを飛行させて応援しましょう、と言っていた、そのブルーインパルスは、こんどはオリンピックのアスリートを応援するために空を舞った。いつの間にか医療従事者へのエールは、アスリートへのエールに変わってしまった。でも実際には、医療従事者の負担は変わっていない。それどころか、オリンピックによりさらに負担が増えることは間違いない。

開催直前になればなるほど、政府の「見通しの甘さ」が次々と露呈し始めた。それでいて、政府のトップはなぜかオリンピックは成功するものだと信じて疑わない。まったく科学的な見通しはなく、ひたすら精神論をくり返すのみである。

アジア・太平洋戦争末期のこの国の状況を、まるで追体験しているかのようである。

それでも政府は、オリンピックの開催に突っ走る。まるで「本土決戦やむなし」と強硬に主張する当時の陸軍のようである。

「多少の犠牲を払ってでも、オリンピックを開催しないことには、この日を夢見て前線でがんばっているアスリートに申し訳がない」

「そのためには、国民一人ひとりが、我慢することが大事なのだ」

「がんばってこの難局を乗り切ろう。」

まるで戦時中のスローガンのようである。

いやいやいや、誰も難局なんて望んでいない。乗り越える必要のない難局は、最初からない方がいいに決まっている。

これではまるで、「戦争的思考」ではないか。この国における戦争的思考とは、「思考停止」「非科学的思考」「精神論」「国民に行動制限を強いる」といった内容である。僕たちはいま、戦争に突き進んでいった80年前の体験をくり返しているのである。

平和の祭典であるはずのオリンピックが、戦争的思考によって強行されようとしている矛盾。

オリンピックが始まったら、国民の雰囲気も変わるさ、というのはオリンピック開催派の主張である。日本人が金メダルを取ったら、それまでの不満はなくなるだろうというのである。

戦争も、勝利に沸けば、国民の雰囲気が変わってくる。たしか大林宣彦監督の映画「この空の花 ー長岡花火物語ー」には、「勝っている戦争は楽しいのだ」とかいった表現が出てくる。

もちろんそのツケは、後になってまわってくるのだが。

つまり僕がこの文章で言いたいことは、明らかに多くの犠牲が出るオリンピックすら、目の前で止められないというこの国の人たちは、戦争が起きたとしたらなおさら止めることができない、ということである。

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灼熱と感染爆発の都内を歩く

7月21日(水)

午前中、先日の日曜日のテレビ取材の際にお借りした貴重な資料をテレビ局の方に返すことになっていて、バスに乗って自宅の最寄りの駅まで向かう。

取材ディレクター本人ではなく、別のスタッフの方が自宅の最寄りの駅の改札口まで取りに来てくれるというのだが、僕は当然、その方の顔も知らないので、いささか不安になる。まさか、「自分がテレビ局の人間です」と騙って、その貴重な資料を横取りするようなことはないだろうな、と、例によって心配症が顔を出す。

無事に渡し終え、そのことを取材ディレクターにも報告した。

それにしても、暑い。

知り合いが出版した本の記念の展示会が都内の書店で行われているという。期間中に行ける日は今日くらいしかないので、暑さと感染が心配だったが、午後に久しぶりに都内に出ることにした。

僕がそこに行こうと思ったのは、その書店が、実に風変わりな書店だと知っていたからである。

いわゆるふつうの書店ではない。都内随一の繁華街のちょっと外れたところにあって、広さが、そうねえ、僕の職場の仕事部屋ほどの小さなスペース。そこで週替わりに1冊の本を売る、つまり書店主のお眼鏡にかなった1種類の本しか売らない、というのである。

そういう売り方からも察せられるとおり、書店主もかなり個性的な方なのである。僕は5月に、10名程度のオンライン読書会に参加したことがあり、その時初めて、画面上でその書店主にお目にかかった。

そんなご縁もあり、この機会に一度、その書店に行って、個性的な書店主に挨拶してみよう、と思い立ったのである。

私鉄と地下鉄を乗り継いで、最寄りの駅に降り立つ。この駅に隣接する建物には、以前にお世話になっていた地方銀行の東京支店が入っており、いい機会なので通帳の残高照会を行った。

さて、いよいよ出発である。だが、目的の書店はわかりにくい場所にある。Googleマップで検索すると、駅から歩いて10分程度と出るのだが、僕は何が苦手といって、Googleマップを見て、経路を確認したとしても、方向感覚がないので、いま自分がどこにいるのか、どっちに進めばよいのか、皆目わからなくなるのだ。

「自分はいま、どこにいるのでしょうか?」

「月はどっちに出てる?」

という気持が、よくわかる。

Googleマップが示す経路に沿って歩き始めたが、案の定よくわからない。

炎天下、ぐるぐると歩き回っているうち、結局最初の、地方銀行が入っている建物の前に戻ってしまった。

(どうなってんだ?)

いったん仕切り直そう。

歩道に、周辺の道路地図の看板があったので、それで現在地と目的地を確認する。こちらの方がよっぽどわかりやすい。

結局、30分くらいかかって目的の書店に到着した。住所は東京一の繁華街の地名を冠しているが、なるほどこれは、たしかにわかりにくい場所にある。

外から中を覗くと、お客さんは誰もいない。しかも、個性的な書店主も不在のようである。代わりに、店番をしているとおぼしき女性が一人いた。

「こんにちは…」

おそるおそる入っていくと、その女性が「いらっしゃいませ」と言った。

5分もいれば十分な、ほんとうに狭いスペースである。

僕は、ほかのお客さんがいたりとか、万が一知り合いと会ったりとかしたら嫌だなあと思っていたので、なるべく人がいなさそうな時間、ちょうど平日のもっとも暑い時間を選んで正解だったなあと安堵したのだが、書店主までいないとは、想定外だった。

しばらくして、店番の女性が、

「何かでこの展示会をお知りになったのですか?」

と聞いてきたので、

「実は以前、ある読書会でこちらの書店主さんとご一緒する機会がありまして…」

と僕はそう言って、自分の名刺と、僕が最近作った本をかばんから取り出し、「書店主さんにお渡しください」と、その女性に手渡した。

「わかりました」

「では失礼します」

と、僕は逃げるようにその書店をあとにした。

あとでひどく自己嫌悪に陥ったのは、名刺を渡したことである。約束もせずふらりと訪れただけなのに、そのときたまたま知り合いがいなかったので名刺を残して帰る、というのは、僕自身、あまり好きな行為ではない。なんとなく、「来ましたよ」的なアピール感が想起されて鬱陶しいような気がするのである。しかも、オンラインの画面上で一度お会いしただけなので、「知り合い」ともいえない。

でもまあ仕方がない。この炎天下、道に迷いながら来たのだから、少しでも爪痕を残して帰ろうと思ってしまったのだった。

書店を出たあと、実はもうひとつ立ち寄りたい場所があった。

それは、東京駅の近くの美術館で行われている企画展である。招待券をもらったので、ついでに見に行こうと考えたのである。

スマホのGoogleマップで調べてみると、歩いて20分くらいで行けそうな距離である。とすると、僕の足で30分くらいか。

ほかに交通手段もないので、歩いて向かうことにした。

それにしても暑い。なるべく日陰を選んで歩いていても、肌に張り付くような暑さである。それだけでなく、感染のリスクを避けるため、なるべく人のいないところを歩かなければならない。

30分ほど経って、目的地の美術館に到着した。美術館の中は、平日の夕方ということもあって、思いのほか来館者が少なく、眼福の時間だった。

実に久しぶりに、都内をゆっくりと歩いた。こういうご時世だから、おいそれとは外出できないが、歩くことの大事さをあらためて認識した。

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汗だく取材3時間半

7月18日(日)

2週間ほど前だったか、テレビ局から取材の依頼があった。

僕は以前に一度、テレビの取材を受けたことがきっかけで、テレビの取材はお断りすることにしているのだが、今回は断れない事情があった。

3年ほど前から、あることがきっかけで、僕は父と同じ年に生まれたある方ー仮にSさんと呼ぶーの人生と関わることになった。そのSさんが、8月に放送される特別番組の中で、インタビューを受けることになったという。で、そのSさんが、たっての希望で、ぜひ鬼瓦さんのことも取材してほしいという話になり、そうなるともう、断ることはできない。

お電話でそのディレクターに話を聞いてみると、8月15日の敗戦の日に放送する特別番組だということと、そのディレクターの誠実な対応にほだされて、お引き受けすることにした。

問題は、取材の日程である。

僕はこのところ体調が思わしくなく、ひとり合宿も予定されていたので、体力的にも日程的にも、とくに平日は、なかなか難しい状況にあった。

「むしろ休日にしていただくとありがたいです」とディレクター。

理由を聞いてみると、

「実は、鬼瓦さんの職場まで、リポーターが同行する予定でして、そのリポーターが、平日の夕方にニュース番組を担当している者なのです」

テレビ局の名前から、平日夕方のニュース番組の出演者の顔はすぐに思い浮かんだ。

まさか、あの人が???

たしかメインキャスターは、アナウンサーではなく、タレントとして活躍している人だったよな。

しかしどう考えても、その売れっ子タレントが、休日に半日かけて、うちの職場くんだりに来るはずはない。

そうこうしているうちに、当日を迎えた。

前日まで、体調が今ひとつで、どうなるか心配したが、今日は昨日にくらべると、体調はいくらかはマシである。

この日は、首都高速値上げ前の最後の日だった。車で職場に着くと、案の定、休日なので職場には同僚は1人も来ていない。

取材の時間は午後2時からだったが、午前中から、取材の時に映してもらう機械の設営などをしこしことおこなった。機械の調子もよく、準備も万端である。

午後2時、時間通りに取材陣が到着した。ディレクターと、リポーターと、カメラマンと、カメラアシスタントの4名である。

リポーターは、あの人ではなく、横にいる局アナの方だった。局アナの方も、平日、毎日ニュース番組に出て、休日にはうちの職場くんだりまで来るとは、たいへんだなあ、と僕は同情した。

僕はてっきり、少しばかり話をしたりデモンストレーションをしたりして終わるのかと思っていたが、リポーターの局アナとからんだり、ディレクターの求めに応じていろいろとお話ししたり、実際に作業をやって見せたりと、取材時間はじつに3時間半におよんだ。

話をしながらも、次から次へと汗が噴き出してくる。カメラはどうやらその様子をずっととらえているので、途中で汗を拭うタイミングもわからない。

ということで僕はずっと額に玉のような汗を浮かべながら、カメラの前で喋っていた。もし汗だくの僕が映っていたら、視聴者はそればかりが気になって、話の中身は入ってこないだろうな。

といっても、僕はカメラをまったく意識せず、レポーターに向かって喋ったり、ひとり語りをしたりしていたので、はたして僕自身の姿が写っているのかすら、わからなかった。まあ、3時間半も撮って、実際に流れるのは数十秒なのだろう。

夕方5時半過ぎに取材陣は撤収作業を始めた。

「今日は長時間にわたってありがとうございました」

「いえいえ」

「この番組は、8月15日の午後に放送されます」

「そうですか」

「ただ、まことに申し訳ないのですが」

「はぁ」

「この番組、関東ローカルなんです」

なんと!全国放送じゃなかったんだ。

というわけで残念ながら、こぶぎさんは見ることができない。それよりも、この番組の主人公の一人となるであろうSさんも、お住まいが関東以外なので、やはり見ることができないのだ。

僕は全国に恥をさらさなくてよかったと思う反面、関東以外で見てもらいたい人に見てもらえないのが残念で、じつに複雑な気持ちである。

さて取材陣が帰った後、僕は、その番組で使ってくれるかもしれないと思う資料をまた1人でしこしこと作成した。ま、僕がよかれと思って勝手に作っているだけなので、それが番組で使われるかどうかはわからない。

すべての作業が終わったのが午後10時頃である。明日からは、体調の問題もあり、しばらくはテレワークである。

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ウガンダ人選手の憂鬱

7月16日(金)

東京五輪の開会式まであと1週間。

この2~3週間の間をとってみても、五輪開催に関するさまざまな問題点が浮き彫りになり、それらのニュースが大量に消費されていくばかりである。本当は、その一つ一つを、後世の歴史の教訓として残していかなければならないのだが、数十年も経てば、今目の前で起こっている信じがたい出来事や、間違った政治判断などは、忘れ去られてしまうのかと思うと、それをなかなか指をくわえてみているわけにもいかない。

たとえば、次のようなニュースは、早晩、忘れられてしまうだろう。

「大阪府泉佐野市は16日、東京五輪の事前合宿で市内に滞在している9人のウガンダ代表選手団のうち、重量挙げの男性選手1人が所在不明になったと発表した。ホテルの部屋に置き手紙があり、「ウガンダでの生活が厳しいので日本で生活したい」との内容が書かれていた。市は府警に通報し、行方を捜している。

 発表によると、所在不明となったのはジュリアス・セチトレコ選手(20)。16日正午頃、毎日実施しているPCR検査の検体が提出されていないのに市職員が気付き、個室を確認したところ姿がなかった。同選手は来日前、世界ランキングで五輪出場圏内だったが、更新されたランキングで出場できないことがわかり、帰国する予定だった。

 捜査関係者によると、16日朝に宿泊先近くのJR熊取駅(大阪府熊取町)で電車に乗り、新幹線に乗り換えて名古屋駅で降りたとの情報がある。

 選手団は大会の新型コロナウイルス感染対策指針で、移動は原則、練習場所と宿泊先の往復に限られる。」(読売新聞7月16日)

6月19日に入国したウガンダ人選手団9名のうち、PCR検査の結果、新型コロナウィスルの陽性と判定された選手が2名出た、というニュースは、ウガンダ人選手団が外国人選手団のなかでも比較的早い段階で入国したこともあって、少なからぬ衝撃を与えたが、さらに新型コロナウィルスの問題とは別に、失踪した選手が出たというのである。

彼はまだ20歳で、日本に入国後に五輪に出場できないことがわかり、帰国しなければならなかったのだが、「ウガンダでの生活が厳しいので日本で生活したい」と置き手紙を残して失踪したのである。

これって、すげー哀しくない?しかもまだ20歳の青年である。

僕の大学時代の友人も、大学4年の時に、卒論に行き詰まって何か月か失踪したことがあったが、行く末が不安な20歳そこそこの若者は、ウガンダ人であれ、日本人であれ、思い詰めて逃げ出したくなることは当然あるのだ。

この場合の問題は、それが、五輪出場の候補者であるアスリートだということである。

ひとくちに「五輪アスリート」といっても、一人ひとりが抱えている事情はさまざまである。優秀なトレーナーや多くのスタッフに守られながらメダルに近づける人もいれば、文字通り生きていくために記録をのばさなければならない人も当然いるだろう。参加するすべての人がメダルに近づけるわけではなく、むしろメダルとは無縁のアスリートの方がはるかに多い。

僕が気になるのは、五輪の期間中にくり返し叫ばれる「アスリートの活躍が勇気や希望を与える」という言葉である。

「勇気や希望を与える」という言葉の不遜さはこの際措くとして、そんなきれい事ばかりが語られてよいのだろうか。百歩譲って、こんな言葉を吐けるとしたら、それはメダルに手が届く恵まれたアスリートのみではないだろうか。

「ウガンダでの生活が厳しいので日本で生活したい」と書き残し、失踪した20歳の青年は、「アスリートの活躍が勇気や希望を与える」という言葉を信じて、選手活動を続けていたのだろうか。僕はそのことを思うとき、とても複雑な気持ちになるのである。

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館プロ

クールス

史上最強のどーでもいいニュース

「どーでもいいニュース」シリーズ。第3弾

俳優の舘ひろし(71)が、石原プロ解散後に、自身の新事務所「館プロ」を立ち上げた。

…なんか、「どーでもいいニュース」シリーズに、舘ひろしが登場する確率が高いようなのだが、誤解のないようにいっておくと、僕は舘ひろしのファンである。僕は舘ひろしと直接交流のある人を通じて、舘ひろしがいかにいい人か、ということを、むかし、聞いたことがある。

僕が驚いたのは、館プロに所属するタレント数名の中の一人に、ある名前を見つけたからである。

それは、竹内夢(21)さんである!

竹内夢さんといったら、あーた、NHKの子ども番組「おとうさんといっしょ」のゆめちゃんである!

かわいい絵本のなかから飛び出してきたような出で立ちで、子どもたちにも好かれ、それでいて歌もミュージカル俳優なみ実力を持つ、言ってみれば理想の「歌のおねえさん」である。

え、その人が館プロに?ギャップがありすぎるだろ!

インターネットのニュースでは、

「館は「どこかで石原プロの匂いをさせたい。映画作りの情熱とおはぎを踏襲してコロナが落ち着いたら神主を呼んで、餅つきをして事務所開きをしたい」と茶目っ気たっぷりに構想を明かした。」

という舘ひろしのコメントを紹介している。てことは、やる気だな、「西部警察」。

竹内夢さんが刑事役としてカーアクションに挑戦して、最後は車が炎上するなかから脱出する、という姿を想像して、思わず笑ってしまった。

ね?どーでもいいニュースでしょう?

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他者の靴を履く

7月14日(水)

3日間のひとり合宿で読んだ本の1冊が、ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋、2021年)である。

以前に、今年1月のひとり合宿で、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年) 』を読んだのだが、そこで「エンパシー」という言葉を初めて知り、そのことをこのブログで書いた。この本は、その「エンパシー」についてさらに深く掘り下げた本である。

僕は前著を読んだとき、「エンパシー」という言葉に感動したのだが、今回の本の「はじめに」を読むと、こんなことが書いてあった。

「2019年に『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。わたしは自他ともに認める売れない書き手だったが、その本だけは例外的に多くの人々の手に取られることになった。

それだけでも驚くべきことだったが、この本にはさらに驚かされたことがあった。本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ。

それは『エンパシー』ということばだった。

(中略)

どうして252ページの本の中に4ページしか登場しない言葉がそのような特別なインパクトを持ち得たのかは謎であり、わたしなりに推理したのは、『エンパシー』について書いた本や記事は以前から日本にたくさん入っていたのだが、多くの場合、それが『共感』という日本語に訳されているため、日本の人々はなんとなくモヤモヤとした違和感をおぼえていたのではないかということだった。

つまり『共感』ではない他者理解があるよな、ということを前々から感じていた人が多く存在し、それを言い表せるキャッチーな言葉がなかったところに、『エンパシー』というカタカナ語が『誰かの靴を履く』というシンプルきわまりない解説とセットになって書かれていたので、ストンと腑に落ちた人が多かったのではないか」

以前に僕が前著を読んだ感想をブログに書いたことは、まさにそういうことであった。まさか同じように考えていた読者がたくさんいたとは、まことに不思議な気分である。

しかしこの本は「エンパシー」を手放しで評価した本ではない。エンパシーをめぐっては、米国や欧州ではさまざまな議論があり、一方では危険性や毒性をはらんでいる言葉でもあるとする主張もある。著者がその思考のプロセスをたどった結果が、この本になっている。

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10回目の緊急事態宣言

7月12日(月)

今日から東京では4回目の緊急事態宣言となった。期間は8月22日(日)までである。

しかしこちとら、10回目の緊急事態宣言なんだよ!

期間は今日から7月14日(水)まで。

ジタバタしてもしょうがないから、3日間のひとり合宿である。

前回、9回目の緊急事態宣言は4月だった。そのときは3階の部屋だったのだが、今回はまた、4階のいつもの部屋に戻った。

前に書いたように、3階の部屋のトイレにはウォシュレットがついていたのだが、4階の部屋のトイレには、やっぱりウォシュレットがついていない。

うーむ。アンケート用紙には、「次は3階の部屋にしてください」と書こうか。

例によって、仕事とはまったく関係のない本を持ち込んだ。時間の許す限り読みふけることにしよう。

そういえば、昨日、小4の姪が、

「今年に入って学校のプールは2回しか入っていない。それに楽しみにしていた月末のキャンプも、緊急事態宣言のせいで中止になった。それなのにどうして東京オリンピックは開催するの?」

と、泣きそうな顔をして、怒りをあらわにしていた。

「そしたらさあ、この夏の自由研究は、オリンピック反対の理由についてまとめたらどうよ。完璧な理論武装してあげるから」

と僕は言った。ぐうの音も出ない反対論を書く自信があるぞ。

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VR初体験

7月11日(日)

「知り合いの知り合い」のタレントさんが、バーチャル書店をオープンすることになり、そのオープンセレモニーを午前11時から1時間ていどおこなうので、よかったら参加してください、という連絡が来た。

このコロナ禍のご時世、書店に足を運ぶというのもなかなか難しい。通販で本を販売することもしているそうなのだが、それだけでは、書店を訪れる楽しみというものを体験できない。…おそらくそういう経緯で、バーチャル書店というのが構想されたのだと思う。

ものは試しに、バーチャル書店におじゃましてみようと思ったのだが、バーチャル書店に入店するには、まず「cluster(クラスター)」というアプリをダウンロードしなければならないという。

「cluster」って、おそらくコロナ禍の前につけられたアプリ名なんだろうな。いまだととてもこの名前をつけられない。

というわけで、このアプリを言われるがままにダウンロードをすると、名前をつけろという指示が出た。

とりあえず本名を入力した。だって、ハンドルネームをつけたら誰が入店したのかわかんないじゃん!

数種類あるアバターの中から一つを選び、ようやく会場へ入場する。

「入場する」をクリックしたら、いきなり画面が変わり、森の中に出た。

(どういうことだ?)

画面には次々と、アバターが入場してくる。ほかのアバターも、最初は僕と同じく、森の中に現れるのだが、ほどなくして走り出してどこかに行ってしまう。

どうやら、入場ボタンを押すと、最初に、この森の中に落とされて、そこから書店に向かって自力で移動しなければいけないらしい。

…のだが、どうやったら移動できるのだろう?操作方法をまったく確認しないまま、僕はこの森の中に迷い込んでしまったのである。

右下の画面に矢印があるので、そこをふれてみたけれど、アバターがその場でぴょんぴょん跳ねるだけで、いっこうに前に進む気配がない。うーむ、困った。

もう一つ驚いたのは、次々と現れるアバターの名前は、誰も本名を名乗っていないことである。

そうか、こういう場合はやはり、本名を名乗るべきではないのか…。本名をさらすということは、パンツを履いていない感覚に似ていて、じつに無防備である。

(ここはいったん退場しよう)

いったん退場して、本名ではなく、別のハンドルネームに書き直すことにした。

たまたま目の前に、さきほどクール宅急便で送られてきた「柿の葉寿司」の箱が置いてあった。

ということで、ハンドルネームは「かきのはずし」に決定。

あらためて入場すると、再び森の中である。

どうやったら移動できるのだろう?相変わらずわからない。その間にも、次々とほかのアバターたちが、書店に向かって駆けていく。

しばらくして、ようやくしくみがわかってきた。左下の○の記号を指で触れて上下左右に動かすと、アバターもそれに応じて走って移動するのだ。

ようやく森の中から脱出できそうだ。やみくもにアバターを動かしていくと、書店らしき建物の前に来た。

入り口を入ると、おしゃれな本棚や絵画などが並んでいた。

(場違いなところに来ちゃったなあ)

バーチャルの世界にもまた、自分にとって場違いな空間があるものなんだね。「場違いな感覚」というのは、どこにでもついてまわるものだ。

ほどなくして、このバーチャル書店を企画したタレントさんとそのチームのみなさんのトークショーが始まり、そのあと、書店内をめぐるツアーがおこなわれた。

これもまた、ついていくのが大変である。

しかしこのバーチャル書店、じつに芸が細かい。これ、いくらかかってるのだろうと、そればかりが気になる。

1時間弱でオープン記念イベントが終わり、最後に集合写真を撮ったのだが、あとでそのタレントさんのSNSにあげられた写真をみると、みんな同じようなアバターなのでよくわからない。かろうじて、僕だとわかるアイコンが小さく小さく写っていた。

で、この後にいろいろとコンテンツを調べてみたのだが、最近は、オープンキャンパスをバーチャルでやる大学もあるんだね。

試しに大学の構内に入ってみると、講堂の中でいきなり総長の挨拶が始まり、ビックリして慌てて退場した。

あと、バーチャル講演会みたいなものもあった。自分に似せたアバターが講師となり、それをアバターの聴衆が聴く。YouTubeの動画で済むではないか、とも思うのだが、YouTubeでは味わえない、実際に観客の存在が感じられて、なかなかよい。画面に顔をさらしたくない人でも、これならば問題なく話ができる。いずれバーチャル講演会とか、バーチャル対談をやってみたい。

…というわけで、VR初体験、というお話でございました。

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カセットテープ

7月10日(土)

3歳4か月の娘を連れて、実家に行く。

今日は日中の気温が33度というので、公園には行かず、家の中で過ごす。

娘が昼寝をしている間、僕は以前から実家でやりたいと思っていたことを、重い腰を上げて実行することにした。

それは、カセットテープの探索である。

実家には10代の頃に使っていたカセットテープが何本もある。そのまま全部残っているわけではなく、かなりの数は廃棄処分にしたのだが、それでも数十本はまだ残っている。しかし、僕のズボラな性格が災いして、その多くは、そのカセットテープに何が録音されているのかを文字で記録して居らず、中身を聞いてみなければわからない。

しっかり記録しているものの多くは、友だちにレコードを借りて録音したもので、それはそのときに記録したために、中身を聞かなくてもどんな音源が入っているのかがわかる。

しかし、ラジオのエアチェックをして録音したものなんかは、まったく何も書いていないので、いちいち中身を聴いてみないとわからないのである。

今回の探索の目的は、2つである。

1.僕のリクエストはがきが初めて採用された、小学校6年の時のNHKラジオ「おしゃべり歌謡曲」 の音源である。たしか、録音したものをくり返し聴いていた記憶があるから、その回を録音したテープはどこかに残っているはずである。

2.高校生の時に聴いたFM東京「渡辺貞夫マイディアライフ」の中で放送された、1984年11月18日に中野サンプラザで行われた、東京フィルとのジョイントコンサートのライブ音源である。このときの「TSUMAGOI」という曲がとてもよかったので、もう一度聴きたいのである。

ということで、この2つを探すことを目的に、テープを片っ端から聴いたのだが、実家にあったテープレコーダーを使って、早送りをしたり巻き戻しをしたりしながら確認する作業は、とてもまどろっこしい!!もはやすっかりデジタル音源に自分の身体が慣れてしまっているのだなと痛感する。

結論から言うと、1.の音源は見つからず。2.の音源は、奇跡的に発見された。1984年12月8日放送分である。

以前にも書いたことがあるが、「渡辺貞夫 マイディアライフ」の冒頭の小林克也の語りはすばらしい。

今回見つけたのは、こんなオープニングである。

「夜、ピアノの部屋に五線紙が落ちていた。

古ぼけたボストン留学の頃の懐かしい1枚。

片隅に「貞夫へ」と、友人が巨匠の言葉を書き記した。

「君は学ぶべきだ。しかし君のハードワークは演奏の中に聞こえてはならない。

音楽はあたかも風の如く」-コールマン・ホーキンス-

ジャズ仲間に伝わるこの名句を、友は卒業の記念に書いてくれた。

夜更けの部屋に、そのとき、荒々しいけれど、どこか人なつっこい風の一吹きを感じた。

さわやかな香り。資生堂ブラバス。

この番組は、東京銀座資生堂の提供でお送りいたします」

この語りのバックに、渡辺貞夫の「マイ・ディア・ライフ」が流れるんだから、これ以上何を望むことがあろう。しかも土曜深夜12時に放送されていたんだぜ。贅沢な週末だったじゃあないか。

まあそれはともかく。

目的だった「TSUMAGOI」の1984年中野サンプラザバージョンを聴くことができて満足だったのだが、他のカセットテープの中にも、僕にとってとても懐かしいものや、すっかり忘れていたが「よくとっておいたなあ」と感激したものがいくつかあった。

NHK-FM「坂本龍一のサウンドストリート」の音源がいくつか残っていたが、なかでも「かしぶち哲郎コンサート」の模様を放送した回が残っていたことは、とても貴重だった。

NHK-FM「軽音楽をあなたに」という番組で放送されたバート・バカラック特集も懐かしかった。僕が高1の時である。たぶんNHKにも音源が残っていないのではないだろうか。当時これを聴いて、バカラックの曲を高校の吹奏楽部で演奏したいと思い、演奏会の曲目を決める「選曲会議」の場で、バカラックのある曲を推薦した記憶があるのだが、スコアがないという理由でまっ先に却下された。

あの曲は、いったいなんだったっけ?大人になってからバカラックのベスト盤みたいのを買ったりして聴いてみたのだが、どうしてもその曲が見つからない。

それが、このテープを聴いて解決した。「ストリートトーク」というタイトルの曲だった。

いまから思うと、なぜこの、バカラックの中でもそれほど有名ではない曲を吹奏楽で演奏したいと思ったのか、よくわからない。どうかしてたとしか言えない。

あとはねえ。

アルトサックス奏者のMALTAのライブ音源を録音しているものがいくつかあった。

なかでも感動したのは、「ゴールデンライブステージ」というラジオ番組で放送された、MALTAの初のコンサートの音源が残っていたことである。僕は高1の時、このコンサートに行った。たぶんこれが、自分でチケットを買って行った最初のコンサートだったと思う(以前にコンサートの場所を「新宿の厚生年金会館」と書いてしまったが、これは僕の記憶違いで、正しくは五反田の簡易保険ホールである)。記録によれば、コンサートの日は1984年11月17日であった。

ん?まてよ。そうすると、1984年11月17日に五反田の簡易保険ホールでMALTAのコンサートがあって、その翌日の18日に渡辺貞夫が中野サンプラザで東京フィルをしたがえてコンサートをしていた、ということか。まさに、アルトサックスの全盛期である!

それはともかく。

自分の行ったコンサートがラジオで放送されたことをまったく覚えていないのだが、当時は、エアチェックをしてちゃんと録音していたんだな。ネットのない当時にどうやってこういう情報をマメに集めていたのか、覚えていない。

MALTAのライブ音源は、ほかにも「ウィークエンドライブスペシャル」(1985年)というラジオ番組(たぶんNHK)でスタジオライブをしている回も録音していた。

あと、TBSラジオネタを二つ。

一つは、引き続きMALTAのライブ音源なのだが、TBSラジオ「ハニーサウンドオンライブ」という番組で、番組進行はなんと、先般亡くなられた若山弦蔵さん!これはかなり貴重ではないか!「ハニーサウンドオンライブ」のことは、若山弦蔵さんのWikipediaにも載ってないぞ!

もう一つは、「こんチワ近石真介」。1本だけ録音されていたものが残っていた。オープニングからエンディングまで残っている。全部は聴けなかったので、「口笛吹きと犬」のテーマ曲とともに始まる歯切れのいいオープニングトークと、「はがきでこんにちは」のコーナーを聴いた。懐かしい。ただし、聴くことはできるのだが、テープの状態が脆弱なので、くり返し再生するのがちょっと怖い。

…というわけで今回は、興味のない方にはまったくどうでもいいような内容を延々と書いてしまったが、これも読者離れキャンペーンの一環である。

で、結局何が言いたいかというと。

これらのカセットテープに記録された音を、できればデジタル化したい、と思っているのだが、簡易にできる方法などはあるのだろうか。あまりにめんどうなのであれば、やらない。

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マチズモ

マチズモとは「男性優位主義」のことである。

武田砂鉄『マチズモを削り取れ』(集英社、2021年7月)は、この国の社会にこびりついた「マチズモ」をねちっこく検証している。『存在しない女たち』(河出書房新社)の日本版といってよい。

読んでいくと、いくつもの既視感に驚く。

「電車に乗るのが怖い」という章では、痴漢についての考察が述べられている。こんな記述がある。

「痴漢被害VS痴漢冤罪被害の状態を保っておくと、確かに両方とも存在している以上、双方の言い分に正当性が生じる。件数の違いを考えろよ、と言えば、件数が少ないからって見逃していいのかと言い返される。少ないからといって見逃してはいけない。だが、この「VS」のまま時間切れでお開き、エンドロールが流れてフィナーレを迎えてしまっていい議論なのか。それを繰り返す限り、そこにあるエピソードが強いものかどうかが世の中の空気を決めてしまう。」

「年間四万件以上発生していると思われる痴漢被害。ほのめかすのではなく、「痴漢はやめよう」とストレートに示すべきだ。それに尽きる。痴漢被害と冤罪被害、どっちもよくないよね、では、これからも変わらぬ日々がやってくる。今日も、手が伸びてくるかもしれない。これを変わらぬ日々としていいのだろうか。まさか、そんな日々にしていい、と思っているんだろうか」

痴漢被害と痴漢冤罪被害については、以前に少しだけふれたことがある。

犬笛のようなもの

そこでこんなことを書いた。ちょっと長くなるが引用する。

「周防監督の映画は基本的には好きなのだが、僕はこの映画を見ていない。

それは、「この映画って、功罪両面あるよね」という妻の言葉になるほどと思ったからである。

この映画は、痴漢のえん罪についての映画である。

何の罪もない一市民が、痴漢の容疑者として逮捕され、不当な取り調べを受けて裁判にかかる、というストーリー。

現在の刑事司法の不当なやり方に対する告発的な映画だ、というのはよくわかる。

そこを問題にしたいのではなく、この映画が、「痴漢のえん罪」をテーマにしたことが引っかかるのである。

たしかに痴漢のえん罪という事案は存在する。だが、実際に痴漢の被害にあった事件にくらべると、痴漢のえん罪というのは、おそらくごくわずかである。

にもかかわらず、おそらく、この映画をきっかけに、痴漢のえん罪というのが社会問題化し、テレビのワイドショーなんかでも大きく取り上げられた。

その結果、痴漢を訴えた側が加害者である、という本末転倒な論調が生まれたのである。

いやいやいや、実際には痴漢の被害の方が断然多いのだ。痴漢のえん罪が社会問題化したために、男性を不当に陥れるために痴漢を訴える女性があたかも多いような空気ができてしまった。

これは、痴漢を訴えることに対して萎縮させてしまうことにもつながる。

ま、映画監督としては、ふつうの人が突然不当に逮捕されて不当な取り調べを受ける、もっとも身近な事例として、痴漢のえん罪という題材を選んだのだろうけれど、「でも、これが女性監督だったら、この題材にはしないよね」と妻。たしかにその通りである。

そんなわけで僕は、複雑な思いをもって、いまだにこの映画を見ることができていないのである。」

…これっておんなじこと言ってね?

また、「寿司は誰のもの?」という章では、次のような一節がある。

「『噂の!東京マガジン』(TBS系)に「やって!TRY」という長寿企画がある。ショッピングモールなどの片隅に仮設キッチンを作り、若い女性を中心に料理を作らせ、豪快に失敗するところを見て、ナレーションで茶化す企画だ。(中略)

スタジオに並ぶのは、一人の女性司会者を除けば中高年男性ばかり。VTRが終わった後で、その料理のスペシャリストが登場する。この料理人が漏れなく男性なのだ」

これも、以前にこのブログで書いたことがある。

解放区

そこで僕は、こんなことを書いた。

で、極めつけは、「噂の東京マガジン」である。出演者はアシスタントの女性ひとりを除いて、全員がアラフォー以上の男性。この番組の中に、道行く若い女性に料理を作らせて、うまく作れない女性に対して、スタジオで男性出演者たちが笑い、最後はプロの男性料理人が、正しい料理の作り方を伝授する、というコーナーがあった。これを見て、多くの男性視聴者たちは、溜飲を下げたのだろうか。よくわからない。」

…これなんか、書いてあることがほとんど同じである。すごくね?

ということはですよ。世間の現象に対する僕の目の付け所というのは、武田砂鉄氏並みに鋭い、ということなのである。

もう少しがんばれば、ライターとして食っていけるだろうか。

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成功体験が社会を滅ぼす

人々の思考を突き動かしているのは何だろう?といつも考える。

その一つは「成功体験」なのではないか、と思った。

人間誰しも、成功体験を持っている。それから何年も経って、同じような状況に置かれたとき、人間はかつての成功体験を基準に行動するのではないだろうか。

ちょっと漠然としたたとえになるけれども、この国で、なぜ「ノーベル賞」が、これだけもてはやされるのか?ノーベル賞を取ったら、人々は無条件で喝采するし、学問研究の最終ゴールはノーベル賞だと考えてはばからない政治家やマスコミが多い。海外での反応とくらべると、海外では日本ほどノーベル賞に対しては熱狂的にならないのだと聞いたことがある。

なぜこの国ではそうなのか?それはこの国の、ある世代の人にとって、ノーベル賞が成功体験として刻まれているからである。敗戦後に打ちひしがれていた国民は、日本人がノーベル賞を受賞したことに勇気づけられた、という歴史がある。さらにいうと、それを取り上げた新聞が、それにより売り上げが増加したので、マスコミにとってもノーベル賞受賞のニュースは成功体験だったのだ、と、たしか久米宏がラジオで言っていた。

たぶん、アジア・太平洋戦争も、戦争指導者がかつての日露戦争の成功体験にすがっていたことに、敗戦の原因があるのではないか。よくわからんけど。

成功体験とは、実際にはその裏で数々の失敗があったにもかかわらず、それらをないものとすることで得られる体験なので、負の側面についての分析ができておらず、したがって手放しで次に活かすことはできないはずなのである。

今回の東京五輪はどうだ?やはりある世代より上の政治家にとっては、1964年の東京五輪が成功体験として刻まれているからこそ、開催にこだわるのである。しかし1864年の東京五輪当時も、社会的にはさまざまな負の問題が噴出していたのだと思う。

考えなければならないのは、そうした成功体験にすがろうとしている人たちが、この国の政治を動かしている、ということである。

国や政府ばかりではない。会社組織に属していても、そのことはよくわかるのではないだろうか。たとえば社長が「会社をこのようにしていきたい。そのためには、こういう方法をとれば間違いない」という方針を立てる際には、往々にして自らの成功体験にもとづいている場合が多い。しかし、それにつきあわされる部下は、たまったものではない。

これらの現象をごく簡単に言えば、

「柳の下に二匹目のドジョウはいない」

とまとめることができる。

そういう自分も、かつての成功体験に思考が縛られていることを、常に意識しなければならない。

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ワクチン接種・1回目

7月8日(木)

新型コロナウィルスの1回目のワクチンを接種してから7時間くらい経つが、いまのところさしたる副反応はない。もっとも、摂取してから2~3日たって副反応が見られるケースがあるというデータもあるので、これからなのかも知れない。

朝9時に近所のかかりつけのクリニックに行くと、すでにワクチン接種が始まっていた。ほとんどが高齢者の方で、しかも2回目の接種、という方が多いようだった。僕は9時20分の接種を予約していたが、僕の前には10名くらい人が順番を待っていたと思う。

僕は受付に本人確認のための保険証と、診察券とクーポン券と問診票を出し、待合室で待っていると、ほぼ予定の時間通りの9時20分過ぎに呼ばれた。

問診票を見て、接種して問題ないことを確認すると、

「ちょっとチクッとしますよ」

と言われ、左の二の腕に筋肉注射された。

これが全然痛くなかった。

以前、同じ先生にインフルエンザワクチンを注射してもらったことがあるが、そのときも痛みを感じなかった。ひょっとしたらこの先生、予防接種が上手な先生なのかも知れない。

この後、15分間、待機しなければならない。

同じ待合室で待機したのだが、ヒマにあかせて壁に貼られているいろいろな貼り紙を見ると、

「○○市からの要請により、ワクチン接種の予約を当面の間停止します」

みたいな貼り紙があった。テレビで「ワクチンが不足している」というニュースをやっていたが、本当だったんだな。

たしか4月の後半だったか、首相が会見で「高齢者のワクチン接種を7月末までに終わらせる」と言っちゃったもんだから、総務省が慌てて、各自治体に電話をかけまくって、

「なんとか7月末までに希望する高齢者に対するワクチンの接種を終わらせてほしい」

と、半ば恫喝に近い要請をしている、というニュースがあった。自治体はなんとか苦労して、ワクチン注射の打ち手の確保をしたり、集団接種会場を作ったりと、あの手この手で努力してきたのだが、政府はこの期に及んで、ワクチン不足を告白している。振りまわされる自治体は、たまったものではないだろう。

「綸言汗の如し」という。「出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと」を意味する。首相は別に君主ではないのだが、それでも首相の言葉は重い。だからこそ、首相の口から出た言葉とつじつまを合わせるために、官僚たちは奔走し、結果的に、さらに現場の職員にそのしわ寄せがいく。

「私や妻がこの事件に関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と大見得を切った首相がいた。やはりこのときも首相の言葉につじつまを合わせるために官僚たちが奔走し、結果的にそれが現場の職員への圧力となり、悲劇的な事件が起こったことを、忘れてはならない。

次に、もう一つの貼り紙に目をやると、

「都合により以下の日は休診にします」

とあり、「7月29日(木)~7月31日(土)」の3日間が、なぜか休診になっていた。

(ちょうどオリンピックの期間中だな…)

と思いながら見ていたら、ある憶測が浮かんだ。

(ひょっとして、この3日間は、ここの先生がオリンピックの医療ボランティアに参加するのではないだろうか…?)

まさかねえ。そんなことはないだろう。

でも最近は、何でもかんでも「コロナ」か「東京五輪」に結びつけて考えたくなってしまう。

いかんいかん、と自分に言い聞かせていたら、15分の待機時間が過ぎた。

2回目の接種は、8月初旬の予定である。

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謎が謎を呼ぶ

以前に、米国のある地方に住む紳士が、77年前の日本人の写真を持っていて、その写真を日本のご家族の方に返したい、という依頼があり、僕が少しだけお手伝いした、という話を書いた。写真に写った人たちは、誰なのかがわからない。それに関する手がかりも、写真の中からは読み取ることができなかった。

その写真に関する記事は、米国の新聞サイトや日本の全国紙にも掲載され、情報がないか呼びかけていたのだが、いまのところ、その写真の持ち主に関する有力な情報はないらしい。

それでも、何か手がかりがないだろうかと、いろいろと調べており、僕も乗りかかった船ということで協力しているのだが、なかなかわからない。

しかし、これが思わぬ反響を呼んだようである。

写真についての情報提供を求めていた米国在住の日本人ジャーナリストの方のもとに、今度は別の米国人から、やはり77年ほど前に日本人が書いたと思われる手帳があるという情報が届いたのである。こちらもまた、もとの持ち主に返したいという依頼である。

そこには、几帳面にびっしりと、兵学校時代に学んだと思われるさまざまな機械の取り扱い方などが横書きで書かれていたのだが、手帳の最後の数頁は、いきなり縦書きになり、そこには無味乾燥な機械の名前や数式などではなく、自分自身の心情を吐露したと思われる断片的な文章が書かれていた。

僕は米国在住の日本人ジャーナリストの方からその画像を送っていただいたのだが、文字のくずし方が独特で、なんとも読みにくい文章である。それに、こういっては失礼かも知れないが、かなりの悪文である。言い回しにクセがあり、漢字の使い方もいい加減である。もっとも、これは誰に読んでもらうためのものではなく、自分が思うままに書いた文章なので、当然といえば当然である。

僕はこの、心情を吐露した文章の中に、この文章を書いた人に関する手がかりがあるのではないかと、誰に頼まれてもいないのに、この文章を翻刻してみることにした。

苦労して翻刻してみたが、読み返しても、よくわからない。考えてみれば、誰にも見せないような手帳のメモに、

「こんばんは、森進一です」

みたいに、わざわざ自分の名前を出すはずはない。

かなり考え込むタイプの人のようで、同じ悩みをくり返し書いていることだけはわかった。書きぶりを見ると、どうやら兵学校を出たばかりの若者らしい。

…というか、最近はこんなことばかりしている。一つの問題が解決するどころか、その問題が別の未解決の問題を呼び寄せているのである。「謎が謎を呼ぶ」とはこのことである。もちろん僕は、きらいではない。

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疲弊社会の産物

以前に、200字程度の短い文章が「会心の出来だった」と自画自賛したことがあったが、その文章が人目にふれることになり、その文章を読んでくれた友人から、

「本を開いて、まず編集後記を読んで爆笑しました。2回、3回と読んでもやっぱり吹き出します。これは、私の中で現時点の編集後記ベストワンです(笑)」

と、最大限の賛辞を寄せてくれた。やはり「会心の出来」という自分の手応えは、間違いではなかったのだ。

ただその後に続くメッセージに、

「と同時に、本を読んで笑ったのがしばらくぶりであることに気づき、最近あまりいい日々を過ごしていないなと改めて思ったことです」

とあり、そういえば、自分もそうだよなあと最近の生活を思い返した。

職場の同僚と立ち話をすると、誰もが疲弊している。かくいう僕もそうである。

むかしっから、職場というのはこんなに疲弊する場所だったのだろうか?よくわからない。

人間は疲弊をすると、あんまり楽しいことが思いつかなくなる。このブログも、むかしはけっこう笑かしにかかった文章をよく書いたつもりだったが、最近はそういう文章を考える余裕がない。いまではせいぜい、200字程度の少ない字数の中でかろうじて面白い文章を考えることで精一杯である。

…とここまで書いてはたと気づいた。そうか、Twitterというのは、そういう今の社会を背景に、成長していったのかもしれない。いい文章を書く文筆家が、Twitterに次々と籠絡されていくのも、そのへんに理由があるのかも知れない。

僕はと言えば、この場で、できるだけかつてと変わりなく文章を書き続けることで、なんとか正気を保とうと思っている。

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なんとかファースト

すこぶる体調が悪い上に、来週は1回目のワクチン摂取も控えているので、今月は病院にお世話になる日が多くなると予想されるのだが、月の半ばに重要な会議が一つ入っており、そこだけははずせない。

それよりも何よりも、今月は東京オリンピックが開催される予定になっている。オリンピックが始まってしまうと、首都圏では交通規制をはじめ、日常生活にさまざまな制約がかかる。なかでも切実なのは、持病を持っていたり長期間にわたって治療をしている人たちが、しわ寄せをくらうことになることである。

開会式に合わせた4連休は当然休診日になるし、それ以外の平日も、病院への移動もままならない。さらにひどいところになると、オリンピック中は通常の治療行為ができないところもあると聞いた。

深刻な病気を抱えている人にとっては、まさに命に関わる問題である。

僕は実際に病気になってから、とくにそのことが気になって仕方がない。というか、深刻な持病を抱えている人ならば誰もがそう思うのではないだろうか。

都知事が過労で入院したという。それも、数日ではなく、1週間以上である。

それだけの期間入院していれば、病院の現状についてわかりそうなものである。もっとも特別待遇だからわからないのかもしれないが、それでも、五輪の開催によって病院がかなり無理を強いられていることくらい、実感できるのではないだろうか。

そうしたことを経験しても、五輪を開催するという考えに変わりないというのは、僕にはどうもわからない。

そうかと思えば、前首相がどこかの雑誌の対談の場で、「反日的な立場の人が五輪に反対している」と述べ、五輪開催を積極的に支持していた。というよりも、東京に五輪を招致した張本人の一人である。

だが彼はたしか、難病指定を受けている病気が理由で、退陣したはずである。その病気を経験した方の本を読んだことがあるが、人によってはきわめて深刻な事態を招くような病気で、そうした病気を抱えている人が、このコロナ禍で自信をもって五輪開催を主張できるという意味がまったく理解できない。この点において僕は、「仮病退陣説」を支持している。

コロナ禍の中でおこなわれる五輪のせいで、通常おこなわれるべき治療が滞ってしまうことに対して、治療を受けている人ならば誰もが不安に思うはずなのである。

もちろん、都知事や前首相が、そういった浮世の喧噪をよそに、特別待遇の病院で、いつ何時も、何不自由なく治療に専念できる特権を持っていることは十分に承知している。

病気で大変なのは、病気自体もさることながら、通院することそのものもまた、大きな負担である。自分の足で病院に行き、順番を待って検査を受け、検査結果がわかる数日後までやきもきし、数日後にまた病院に行って、長い間待たされたあげく検査結果を聞く。ことと次第によっては、治療を続けたり、入院したりする。その日程調整もまた大変である。そんなことを一つ一つ考えるだけでも、相当なストレスになるのである。

それに加えて、東京五輪の開催期間は通院や入院が制限される、なんてことになれば、さらに精神的なストレスはたまるのだ。

それだけでも、コロナ禍における東京五輪の開催は、反対するに十分な理由となるのだ。しかし政治家たちは、病気になっても、そこまでの想像力ははたらかない。「バブル」によって本当に守られているのは、アスリートでも五輪関係者でも、ましてや市民でもなく、ほかならぬ政治家なのではないだろうか。

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キラキラはゴールデンだった!

7月1日(木)

今週一番気になっていたこと。

それは、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ 木曜日」のパートナーが誰になるか、ということである。

光浦靖子さんがカナダに長期留学することになったため、レギュラーを退くことになり、その代わりをつとめるパートナーは誰になるのか、もう気になって気になって仕方がない。

病院から職場に移動中の車の中で、運よくリアタイで「ゴールデンラジオ」を聴くことができた!

途中から聴いたので最初はわからなかったが、聴いているうちに、その声が小島慶子さんだということがわかった。

いいところ突いてくるねえ。

かつては、平日の同じ時間帯で、TBSの「キラキラ」と文化放送の「ゴールデンラジオ」が聴取率をめぐってしのぎを削っていた。それがいまや一緒に聴けるっていうんだから、驚いたねえ。

こういうのを何て言うの?合従連衡?

トークは抜群の安定感である。考えてみれば、ほかの曜日のパートナーは、タレントや芸人や作家なので、提供読みとか天気予報、交通情報といったところが、少したどたどしかったりするのだが、小島アナは他の追随を許さない。もちろんたどたどしさが「味」だったりするので、それもまたよいのだが。

小島アナの登板は、どうやら毎週ではないらしい。来週はまた別のパートナーが来るようなので、しばらくは、木曜日が気になって仕方がない。

 

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長靴を履いた日

7月1日(木)

朝から土砂降りで、久しぶりに長靴を履いた。

長靴を履いた日は、他人がどんな靴を履いているか、つい気になってしまう。足もとを観察していると、大人の、とくに男性で、長靴を履いている人は、ほとんどいない。これは、以前にも書いたことである。

今日の午前中は、自宅から車で1時間半ほどかかる総合病院で、定期の検査である。昨日行った検査センターとはまた、別の病院。

まったく、このところ毎日のように病院に通っている。

病院の待合室は、とくにお年寄りでごった返していたが、足もとに注目すると、やはりほとんどの人が長靴を履いていない。

というか、あの土砂降りの中、どうやって歩いてきたのだろう?と不思議である。

午後1時過ぎに終わるはずの診察が、2時過ぎに終わった。3時から職場で打ち合わせがあり、僕がいないとその打ち合わせははじまらないのだが、どう考えても3時には間に合わない。仕方ないので職場に「30分ほど遅れます」と連絡し、どうにか3時45分頃に到着した。

職場の中では長靴をふつうの靴に履き替えて、そこから2時間近くの打ち合わせ。そのあと、会議の書類のチェックをしたり、メールに返事をしたり、郵送の段取りなどをしたりしているうちに、かなり遅くなってしまった。

帰り際に再び長靴に履き替えて、帰路についた。

いま僕が願うのは、長靴の復権である。男女問わず、雨の日に長靴を履くことがあたりまえになる社会こそが、健全な社会だ!

ということで、#NagaKuToo運動を提唱したい。

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