謎が謎を呼ぶ
以前に、米国のある地方に住む紳士が、77年前の日本人の写真を持っていて、その写真を日本のご家族の方に返したい、という依頼があり、僕が少しだけお手伝いした、という話を書いた。写真に写った人たちは、誰なのかがわからない。それに関する手がかりも、写真の中からは読み取ることができなかった。
その写真に関する記事は、米国の新聞サイトや日本の全国紙にも掲載され、情報がないか呼びかけていたのだが、いまのところ、その写真の持ち主に関する有力な情報はないらしい。
それでも、何か手がかりがないだろうかと、いろいろと調べており、僕も乗りかかった船ということで協力しているのだが、なかなかわからない。
しかし、これが思わぬ反響を呼んだようである。
写真についての情報提供を求めていた米国在住の日本人ジャーナリストの方のもとに、今度は別の米国人から、やはり77年ほど前に日本人が書いたと思われる手帳があるという情報が届いたのである。こちらもまた、もとの持ち主に返したいという依頼である。
そこには、几帳面にびっしりと、兵学校時代に学んだと思われるさまざまな機械の取り扱い方などが横書きで書かれていたのだが、手帳の最後の数頁は、いきなり縦書きになり、そこには無味乾燥な機械の名前や数式などではなく、自分自身の心情を吐露したと思われる断片的な文章が書かれていた。
僕は米国在住の日本人ジャーナリストの方からその画像を送っていただいたのだが、文字のくずし方が独特で、なんとも読みにくい文章である。それに、こういっては失礼かも知れないが、かなりの悪文である。言い回しにクセがあり、漢字の使い方もいい加減である。もっとも、これは誰に読んでもらうためのものではなく、自分が思うままに書いた文章なので、当然といえば当然である。
僕はこの、心情を吐露した文章の中に、この文章を書いた人に関する手がかりがあるのではないかと、誰に頼まれてもいないのに、この文章を翻刻してみることにした。
苦労して翻刻してみたが、読み返しても、よくわからない。考えてみれば、誰にも見せないような手帳のメモに、
「こんばんは、森進一です」
みたいに、わざわざ自分の名前を出すはずはない。
かなり考え込むタイプの人のようで、同じ悩みをくり返し書いていることだけはわかった。書きぶりを見ると、どうやら兵学校を出たばかりの若者らしい。
…というか、最近はこんなことばかりしている。一つの問題が解決するどころか、その問題が別の未解決の問題を呼び寄せているのである。「謎が謎を呼ぶ」とはこのことである。もちろん僕は、きらいではない。
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