他者の靴を履く
7月14日(水)
3日間のひとり合宿で読んだ本の1冊が、ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋、2021年)である。
以前に、今年1月のひとり合宿で、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年) 』を読んだのだが、そこで「エンパシー」という言葉を初めて知り、そのことをこのブログで書いた。この本は、その「エンパシー」についてさらに深く掘り下げた本である。
僕は前著を読んだとき、「エンパシー」という言葉に感動したのだが、今回の本の「はじめに」を読むと、こんなことが書いてあった。
「2019年に『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。わたしは自他ともに認める売れない書き手だったが、その本だけは例外的に多くの人々の手に取られることになった。
それだけでも驚くべきことだったが、この本にはさらに驚かされたことがあった。本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ。
それは『エンパシー』ということばだった。
(中略)
どうして252ページの本の中に4ページしか登場しない言葉がそのような特別なインパクトを持ち得たのかは謎であり、わたしなりに推理したのは、『エンパシー』について書いた本や記事は以前から日本にたくさん入っていたのだが、多くの場合、それが『共感』という日本語に訳されているため、日本の人々はなんとなくモヤモヤとした違和感をおぼえていたのではないかということだった。
つまり『共感』ではない他者理解があるよな、ということを前々から感じていた人が多く存在し、それを言い表せるキャッチーな言葉がなかったところに、『エンパシー』というカタカナ語が『誰かの靴を履く』というシンプルきわまりない解説とセットになって書かれていたので、ストンと腑に落ちた人が多かったのではないか」
以前に僕が前著を読んだ感想をブログに書いたことは、まさにそういうことであった。まさか同じように考えていた読者がたくさんいたとは、まことに不思議な気分である。
しかしこの本は「エンパシー」を手放しで評価した本ではない。エンパシーをめぐっては、米国や欧州ではさまざまな議論があり、一方では危険性や毒性をはらんでいる言葉でもあるとする主張もある。著者がその思考のプロセスをたどった結果が、この本になっている。
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