蛇腹の道は蛇
8月6日(金)
広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式を、リアルタイムで見ていた。
黙祷のあと、首相のスピーチ。
「…ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」
意味が通じないなあ、と思って聞いていたら、とつぜん字幕が消えた。
しばらくして、字幕が復活する。
この一連の流れを見て、「はは~ん。首相は原稿を読み飛ばしたな」ということが、すぐにわかった。
NHKの紅白歌合戦でも、歌手が歌詞を間違えたりすると、すぐに字幕が消えたりする。字幕を瞬時に消すことについては、NHKはお手のものだし、何のためらいもないのだ。
ほどなくして、ニュースは、首相の「読み飛ばし」の件を伝えていた。
それはそうだろう。あのテレビを見ていた人たちは、その瞬間、誰もが不審に思ったに違いない。
それからしばらくして、首相側は「読み飛ばし」の事実を認めたが、その理由は驚くべきものであった。以下、共同通信の配信記事を引用する。
「政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした原因について、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした。「完全に事務方のミスだ」と釈明した。
原稿は複数枚の紙をつなぎ合わせ、蛇腹状にしていた。つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという。」(2021/08/06 21:14)
「糊が貼り付いていたので、一緒にめくっちゃったため、1ページ読み飛ばした。という、予想の斜め上を行く言い訳、しかもそれは「完全に事務方のミスだ」という責任転嫁、など、もはや開いた口が塞がらない。首相は徹頭徹尾、責任を部下に押しつけたいようである。
そもそも挨拶を自分で考えてなかったのかよ!とか、大事な式の挨拶文なのだから下読みくらいしろよ!とか、国連総会の場で行った自分の言葉を読み飛ばすのかよ!とか、読んでいておかしいなと思ったらその場で仕切り直せよ!とか、読み終わっても気づかないようならばもう末期症状だよ!といった、数々のツッコミが考えられるのだが、僕が気になったのは、少し別のところにある。
では、読み飛ばした部分にはどんなことが書かれていたのか?
「ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。」と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。
近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」(首相官邸ホームページによる)
と、赤字に書かれた部分である。これもすでに、報道等で公開されているし、なにより首相官邸ホームページに、本来の挨拶文の全文が掲載されている。
僕が気になったのは、挨拶文のレイアウトがどうなっていたのか?ということである。
周知の通り、この種の挨拶文は蛇腹式に折りたたまれていて、話者は、見開きの2ページを次々と目で追いながら、読み進めていく。2ページ分を読み終えると、次の見開き2ページ分をひらきながら読み続ける、というしくみである。
つまり、読み飛ばされた部分は、まるまる見開き2ページ分ということである。
さらに、「近年の国際的な安全保障環境は厳しく、」というところでページが変わることが明らかであることや、ここが段落の変わり目であることから、読み飛ばしたページの一番最後の行は、「近年の国際的な安全保障環境は厳しく、」であったと考えられる。ということはつまり、1行は19字程度だったことが推測できる。ちなみに読み飛ばし部分の見開きは、123文字である。
読み飛ばし部分を1行19字に設定すると、
「世界の実現に向けて力を尽くします。」と世
界に発信しました。我が国は、核兵器の非
人道性をどの国よりもよく理解する唯一の
戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の
実現に向けた努力を着実に積み重ねていく
ことが重要です。
近年の国際的な安全保障環境は厳しく、」
となり、見開き2ページあたり7行ていどが書かれていると推定できる。
さて、そこで次に気になるのは、挨拶文全文が、蛇腹の紙にどのようにおさまっていたのかである。
首相官邸のホームページから、平和記念式典の挨拶文を全文コピーして、Wordに貼り付け、1行19字と設定する。
それと、ありがたいことに、首相官邸のホームページには、首相が挨拶している一部始終が動画撮影されており、その手元には、蛇腹の挨拶文がわずかに映っている。
首相はどのタイミングで、蛇腹の挨拶文をめくっているのか、一部わかりにくいところもあるが、映像をよーく観察すると、あるていどはそのタイミングを確かめることができるので、それを参考にしつつ、「全体として挨拶文はどのように蛇腹におさまっていたのか」を復元してみた。少し長くなるが。
「本日、被爆76周年の広島市原爆死没者慰
霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当
たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの
(ここで蛇腹をめくる)
方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀
悼の誠を捧(ささ)げます。そして、今な
お被爆の後遺症に苦しまれている方々に、
心からお見舞いを申し上げます。
世界は今も新型コロナウイルス感染症と
いう試練に直面し、この試練に打ち勝つた
めの奮闘が続いております。
(ここで蛇腹をめくる)
我が国においても、全国的な感染拡大が続
いておりますが、何としても、この感染症
を克服し、一日も早く安心とにぎわいのあ
る日常を取り戻せるよう、全力を尽くして
まいります。
今から76年前、一発の原子爆弾の投下
によって、
(ここで蛇腹をめくる)
十数万とも言われる貴い命が奪われ、広島
は一瞬にして焦土と化しました。
しかし、その後の市民の皆様のたゆみな
い御努力により、廃墟から見事に復興を遂
げた広島の美しい街を前にした時、現在の
試練を乗り越える決意を新たにするととも
に、
(ここで蛇腹をめくる)
改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島及び長崎への原爆投下から75年を
迎えた昨年、私の総理就任から間もなく開
催された国連総会の場で、「ヒロシマ、ナガ
サキが繰り返されてはならない。この決意を
胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵
器のない
(ここで蛇腹をめくる、はずだったが読み飛ばした)
世界の実現に向けて力を尽くします。」と世
界に発信しました。我が国は、核兵器の非
人道性をどの国よりもよく理解する唯一の
戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の
実現に向けた努力を着実に積み重ねていく
ことが重要です。
近年の国際的な安全保障環境は厳しく、
(ここで蛇腹をめくる)
核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場
に隔たりがあります。このような状況の下
で核軍縮を進めていくためには、様々な立
場の国々の間を橋渡ししながら、現実的な
取組を粘り強く進めていく必要があります。
特に、国際的な核軍縮・不拡散体制の
(ここで蛇腹をめくる)
礎石である核兵器不拡散条約(NPT)体
制の維持・強化が必要です。日本政府とし
ては、次回NPT運用検討会議において意
義ある成果を収めるべく、各国が共に取り
組むことのできる共通の基盤となり得る具
体的措置を見出す努力を、核軍縮に関する
「賢人会議」の議論等の成果も活用しなが
ら、
(ここで蛇腹をめくる)
引き続き粘り強く続けてまいります。
被爆の実相に関する正確な認識を持つこ
とは、核軍縮に向けたあらゆる取組のスタ
ートです。我が国は、被爆者の方々を始め
として、核兵器のない世界の実現を願う多
くの方々とともに、核兵器使用の非人道性
に対する
(ここで蛇腹をめくる)
正確な認識を継承し、被爆の実相を伝える
取組を引き続き積極的に行ってまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医
療、福祉にわたる支援の必要性をしっかり
と受け止め、高齢化が進む被爆者の方々に
寄り添いながら、今後とも、総合的な援護
施策を推進してまいります。
(ここで蛇腹をめくる)
先月14日に判決が行われました、いわ
ゆる「黒い雨」訴訟につきましては、私自
身、熟慮に熟慮を重ね、被爆者援護法の理
念に立ち返って、上告を行わないこととい
たしました。84名の原告の皆様には、本
日までに、手帳交付の
(ここで蛇腹をめくる)
手続きは完了しており、また、原告の皆様
と同じような事情にあった方々についても
、救済できるよう早急に検討を進めてまいり
ます。
今や、国際平和文化都市として、見事に
発展を遂げられた、ここ広島市において、
核兵器のない世界と恒久平和の実現に向け
て
(ここで蛇腹をめくる)
力を尽くすことをお誓い申し上げます。原
子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、
御遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、
広島市民の皆様の御平安を祈念いたしまし
て、私の挨拶といたします。
令和3年8月6日 」
以上が、挨拶文全文と、首相の挨拶映像から復元した、「見開き2ページあたりの文字数」案である。見開き2頁ごとの文字数が90字から120字程度とばらつきがあり、これでよいかと言えば、あまり自信がない。
冒頭の見開きの文字数が短いのは、最初に開いた見開きの右側が白紙で、左側から挨拶文が始まっていることを示しているのではなかろうか。
いくつか気づいたことがある。
挨拶文の原稿には「核兵器不拡散条約(NPT)」が出てくるが、挨拶の際には首相が「(NPT)」の部分を読んでいないので、次にもう一度出てくる「NPT」が唐突に聞こえてしまい、核兵器不拡散条約=NPTであることがわからない人にとっては、文意がとりにくい。
それと、「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め」とある「保健」は「保険」?
また、映像からは、例の読み飛ばしの部分の蛇腹をめくるとき、糊がくっついていたせいで2枚いっぺんにめくれてしまったのか、あるいは、首相自身が2枚いっぺんにめくってしまったのかは、確認できなかった。
この記事のタイトルを「蛇腹の道も蛇」としたが、その含意については、わかる人がわかればよい。
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