フラットになる境地
塩見三省、という役者の名前を初めて知ったのは、中原俊監督の映画「12人の優しい日本人」(1991年)である。この中で塩見さんは、「陪審員1号」の役を演じていた。
それからいろいろなドラマや映画で見かけるようになったが、そのあとしばらく見かけなくなり、2019年の大河ドラマ「いだてん」で、犬養毅役で出演していたのを観たのが、じつに久しぶりだった。
調べてみたら、7年前、66歳の時に脳出血を患い、左半身が麻痺して、闘病生活を続けてこられたという。
先日、塩見三省さんが、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のメインコーナー「大竹メインディッシュ」に、ゲストとして出演されていた。そこで、これまでの7年間の闘病生活などが語られた。
懸命なリハビリをしていたが、まだ左半身の麻痺は残っており、完全に回復したわけではないという。
とつぜんの病に襲われた最初の頃は、「この壁は乗り越えられないのではないか」と思い、泣いて嘆いて恨んで、という日々だった。
そうした精神状況が1年ほど続いた。「そういう時って、最近はすぐに前を向けとか言いますよね。病にかかったときとか、事故に遭ったときとか、災害に遭ったときとか…。でも僕はそうではなくて、とことん泣いて、とことん苦しんで、そこからようやく自分の中のフラットな感じを取り戻せて、誰かの助けを借りれば何かができるんじゃないかな。というところまで来ました」
ラジオの中で、次のようなやりとりが印象的だった。
塩見「自分の中で、許容範囲が自分でもわかっていて、その許容範囲を、何かになろうとして、ちょっと越えたところで病気になったんじゃないかな、と思ったりもするんですよね」
大竹「でも破竹の勢いの時だから、やっぱりちょっと…」
塩見「やらないわけにはいかないですよね」
大竹「仕事が来たからにはね、役者はそれを常に待っているわけですからね」
塩見「でも今ね、倒れて7年経って、すべてがやっとここでフラットになった、という感じがあるんです。自分はこれまでマイナスだったけど、ここから新しいスタートを切れるんだな、と。みんないま、病でも事故でもコロナでも、苦しんでいる方は大勢いらっしゃると思うんですけど、俺はあなたたちの味方だ、ゆっくりと、自分のペースで、『俺は俺なんだ』という感覚でいてほしいな、と」
自分に重ね合わせてみると、僕も4年前に大病を患ったものの、まだその境地には達していない。これからは、できるだけ自分なりのペースで、無理をせずゆっくりと仕事をしたいと思いながらも、なかなか現実にはそうはならない。これでも以前に比べれば、かなり仕事は断っているのだが、それでもまだ、もともと許容範囲が狭い僕が、それ以上の仕事をしているという感覚は変わらない。まだ野心の方が勝っているのかもしれない。
自分がフラットになる感覚になるのは、いつのことだろう。
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