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歯車が回転し始める

9月17日(金)

職場に出勤するたびに自暴自棄になってしまうような感覚に襲われるが、それでも、たまには心が震えるような出来事がある。

1年ほど前から定期的に、数人の仲間と、80年前の小学生が書いた日記を読み進めている。それも、近畿以西に住んでいた小学生の日記である。

内容が小学生とは思えないほどとても立派でおもしろいので、読んでいて飽きない。だから1年半も続いているのだ。

ただ、いささか気になることがある。

その日記の書き手の名前や、大まかな経歴はわかるのだが、80年前に小学生だった方なので、いまでもご存命なのかどうかもわからない。

もしご存命だとしたら、ご本人の知らないところで、赤の他人の僕たちがむかしの日記を読んでいるというのは、なんとも後ろめたくて仕方がない。一刻も早くそのことをお知らせしなければと思っていたのだが、お知らせする手立てがわからないまま、1年が過ぎた。

ところが去る7月、ふとしたことでその方の住所がわかった。ただその住所もかなり古いものなので、はたしてご存命だとしても、いまもそこに住んでおられるかはわからない。しかし、手がかりはその住所しかない。僕は、その住所に宛てて、手紙を書くことにした。

めぐりめぐって、あなたが小学生の頃に書かれた日記を読んでいます、ということを手紙では率直に伝えた。その日記が、当時書かれたものとしてはとても素晴らしいものであること、その当時を知らない私たちにとっては、いろいろなことを知ることができる貴重なものであること、などを誠心誠意書いたつもりである。

宛先不明で戻ってくるだろうな…、とダメ元で投函したのだが、1週間経っても2週間経っても、僕が出した手紙は戻ってこなかった。

(戻ってこない、ということは、いまでもその住所に住んでおられる、ということだろうか?)

1か月たっても手紙は戻ってこない。

実は7月の時点で判明した住所とともに、電話番号もわかっていた。思い切って、その電話番号に電話をかけることにした。

「おかけになった電話番号は、現在使われておりません…」

イヤな予感がした。もう打つ手はないのか。こうなったら、あとは直接現地に行くしか手はない。しかし新型コロナウィルス感染拡大の影響で、おいそれと新幹線に乗って訪ねていくわけにもいかない。

諦めかけていたところ、今日、急展開があった。

今日は午前と午後に1つずつオンライン会議がある。僕が主体的に関わらなくてもよい会議なので、気を張る必要はなかったのだが、それでも、毎日会議だの打ち合わせだのと、そればかりで、憂鬱な気分は最高潮に達していた。ああ、消えたい…。

午前のオンライン会議中に1通のメールが届いた。日記を一緒に読んでいる仲間の一人が、たまたまその方面に用事があったので、せっかくだからと、その方の住所をたどって行ったところ、該当するマンションの一室にその方のお名前が書かれた表札があったというのである。メールにはその表札の写真が添えられていた。

「ご本人がいらっしゃる可能性がある!」

とその仲間は伝えてくれた。

サプライズ情報である!僕はその情報だけでも浮き足立ち、会議どころではなかったのだが、さらに驚くべき展開を見せる。

午後のオンライン会議にまた1通のメールが届く。職場内のある部署からで、ある年配の女性から僕宛てに電話があったことを伝えるメールである。電話を受けた同僚は、僕が会議中だと思ったので僕に取り次ぐのをためらったのであろう。その代わりに詳細な電話の内容を教えてくれた。

電話の主は、「その方」の姪御さんだという。その姪御さんの話は、次のようなものであった。

「その方」(つまり電話の主にとっての「伯母さん」)はいま92歳だが、ふるさとの施設に入居している。身寄りがないので、姪である自分とその姉、つまり姪姉妹が定期的に会いに行き(いまはオンライン画面でしか会えないが)、お元気に過ごしている。

伯母が施設に入居したので、もと住んでいたマンションの名義は残しているが、いまは空き家で、姪姉妹がときどき様子を見に行っている。

先日の9月9日に久しぶりにマンションに行ったところ、僕が出した手紙が届いていることを発見した。

僕はその手紙の中に、自分の名刺を入れておいたので、その名刺を見て電話をかけてきた、というわけである。なるほど、それで手紙が戻ってこなかったことや、電話が使われていない理由がわかった。

まずは、ご本人がご健在だったということに安堵した。それにしても、仲間の一人が住所をたどってその方の表札を見つけたその日に、それを裏付けるかのように、身内の方からお電話をいただくというのは、何という偶然だろう。

そうなるともう、いてもたってもいられない。午後の憂鬱なオンライン会議が終わった後、最初に電話を受けてくれた同僚が書きとめてくれた姪御さんの電話番号に、こんどはこちらから電話をかけてみることにした。

最初の2回は空振り、3回目でようやくつながり、直接お話しすることができた。

その姪御さんは、とても明朗な方で、電話の向こうでおしゃべりが止まらない。お電話の様子から、姪御さんは伯母さんのことが大好きで、とても慕っている様子がうかがえた。

伯母はご高齢なので、直接にお返事を出すことができず、代わりに姪御さんの姉の方が、つい昨日、僕に返信のお手紙を投函したそうである。

僕は電話口で感謝の気持ちを伝え、コロナが落ち着いたらお会いして直接お話をうかがいたいです、と申し上げた。

一筋の光明。これで胸のつかえが取れた。今日は会議どころではなかった。歯車が一気に回転した1日となった。

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