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コロナと戦争と原発事故

新型コロナウィルスのいまの状況と、戦争と、原発事故は、なんとなく似ているな、という漠然とした印象を以前から持っていたのだが、それがどういうことなのか、うまく自分の中で整理がついていなかった。

片山夏子さんの『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版、2020年)を読んでいたら、こんなことが書いてあった。

「仮に目の前で鼻血を出して倒れた人がいれば怖いけれど、そういったこともない。線量計がピッピッて鳴ると、放射線量は上がっているな、そこを早く通り過ぎなければと思うけれど、だんだん慣れてきてしまう。慣れてはいけないのだけど」。戦争に行っても自分には弾が当たらない、と思ってしまうのと同じ、と話していた」(36頁)

これを読んで、これが正解なんじゃないか、と思った。

戦争に行っても自分には弾が当たらない、と思うのと同様に、市中で新型コロナウィルスの感染が拡大していても、自分だけは感染しない、と思っている人が多いのではないか。感染者数が増えているな、と思うけれど、だんだん慣れてきてしまうのは、放射線量が上がっていることを数値で確認しても、それに慣れてしまうのと同じことなのではないだろうか。

かくいう僕も、その一人である。

 

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