« 零下140度の対決 | トップページ | 歯車が回転し始める »

穏やかな諦観

最近、あまりにも理不尽な仕事が多く、こんなことを続けていていいのかと、日々悩む毎日。

どう身を処したらいいのかが、よくわからない。

ポッドキャストで配信中の「OVER THE SUN」のEpisode50の回で、ジェーンスー氏が、アラフィフの心境を、こんな風に語っていた。

「いいよいいよ、俺はよくやってる、これで十分だ」と、執着を手放すという意味での「穏やかな諦観」が必要だけれども、まかり間違うと、「だったらいいよ、どうせ俺なんか」という緩やかな自暴自棄に向かう危険もある。

では「穏やかな諦観」で納得できるかというと、若いときと同じように、「ネバーギブアップ」の精神で、年齢に関係なく新しいことにチャレンジしたい気持ちも残っている。

この「三角形」の中で、バランスを取るのが難しいという。

たしかにそうである。僕は体調のことを考えると、「ネバーギブアップ」の精神には戻れないし、緩やかな自暴自棄に向かうのも怖すぎる。

「穏やかな諦観」が理想なのだが、現実世界での無茶な仕事への対応に汲汲とする毎日との折り合いをどうつけるか、という戦略をいつも考えては、結局何もできないままに時間がすぎてしまう。

|

« 零下140度の対決 | トップページ | 歯車が回転し始める »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 零下140度の対決 | トップページ | 歯車が回転し始める »