蟹がこわい
10月12日(火)
ひとり合宿2日目
ふだんまったくといっていいほど新聞を読まないのだが、ひとり合宿では、朝刊と夕刊のサービスがある。といっても、新聞社を選ぶことはできない。朝刊は、ガチな保守層が愛読する新聞で、夕刊は、『日本経済新聞』(日経)である。どちらも政権寄りの新聞であることには変わりないのだが。
つまりふだん僕がまったく手に取ろうと思わない新聞ばかりなので、こういう新聞を読む機会というのは、ひとり合宿の時しかないわけである。逆に貴重だと思うので、読むことにしている。
日経の夕刊の1面の下には、「あすへの話題」というコラムがある。新聞社の編集委員が書くのではなく、日替わりで識者が書くもののようだ。昨日の夕刊のコラムには、ある大企業の社長が、俺はノーベル賞を取った学者さんと知り合いで、シャンパンを片手に話が弾んだことがある、といういけ好かねえ自慢話を書いていて、さすが日経と思ったのであった。
今日の夕刊は、一転して作家の山田詠美さんが「玉子と卵」というコラムを書いていた。これがなかなか作家らしくておもしろかった。曰く、
「卵」という字が嫌いで、「玉子」という字を書くと、校閲担当に「玉子」でいいんですか?と聞かれる。「玉子」は食用を意味するが、「卵」は鳥や魚や虫が産む生き物が出てくる前のあれを想像してしまい、「卵料理」なんて表記を見るとぞっとして食欲を失う。だが、「魚卵」という表記にはあまり抵抗がない。美味しいキャビアを連想すると舌鼓を打つことができるのだから、現金なものである。よく「○○の卵」というが、これもまた「玉子」の表記がいい。若いときに「小説家の玉子」と自称すると、編集者から「なんとか玉子さん」という名前みたいだと笑われた。
…という、じつに他愛のない話でおもしろかったんだが、僕がそれよりも興味を持ったのが、最後の段落である。
「三島由紀夫はカニが大大大嫌いで、「蟹」という漢字すら見ないようにしていたらしい。河野多恵子さんの芥川受賞作は「蟹」。大庭みな子さんの受賞作は「三匹の蟹」。三島さん、どっちも読めなかったでしょうね」
三島由紀夫が大の蟹嫌いだった、というエピソードのおもしろさももちろんだが、僕はこれを読んで思い出したことがあった。
僕の友人が大のカエル嫌いだ、ということを、あるとき聞いたことがある。もちろん、世の中には、あのヌメヌメしたカエルが大嫌いだ、という人は多いのかもしれない。しかしその友人は、本物のカエルがきらいなだけでなく、カエルのキャラクターとか、カエルのイラストも嫌いで、カエルの話題を出されること自体、嫌いだというのである。
「たとえば、ものすごいかわいいカエルのイラストでもダメなんですか?」
「ダメです」
「カエルの話題も?」
「ええ。カエルの話題を出す人がいたら、その人とは縁を切ります」
「それは、いつからなんです?」
「子どもの頃からです。理由はよくわかりません」
たとえばその友人に、カエルの絵をあしらったTシャツなり手ぬぐいなり、小物だったり、何でもいいや、たとえそれがかわいらしくっても、知らずにうっかりプレゼントしようものなら、友だちとしての縁を切られてしまうのである。
僕はそれを聞いたとき、自分にはまったく感じなくても、他人には絶対に生理的に受けつけないものがあるのだということを知ったのだった。
三島由紀夫にとっては、それが蟹だったのだろう。「饅頭こわい」のノリで三島由紀夫に蟹を贈ったら、本気で絶縁されるはずである。
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コメント
あきらめました ここのお店は
もう行く気も起きない
隣の県に 2時間かけて
行っただけ悲しい
カレーはカレー インドやジャワや
ましてやパキスタンも違わない
わたしの望む カラチの味には
はじめからなれない
富山に渡るよりも
ここがうまいと言うけれど
カレーはカレー 近くの店で
喰うのがお似合い
(研ナオコ「かもめはかもめ」の節で)
投稿: 🐢🍛 | 2021年10月13日 (水) 22時45分