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2021年11月

親子漫才

11月28日(日)

今日もまた、午後に4時間ぶっ通しのオンライン会合。すっかり疲労してしまった。

オンライン会合が終わって、3歳8ヵ月になる娘のもとに行くと、ちょっと難しめの迷路の本を持ち出してきた。最近、娘は迷路に凝っているのだ。

「迷路やる」

「迷路やるの?」

「うん」

そういうと、小さな人差し指で、「スタート」からゴールめがけて道をなぞっていく。

「わかんな~い」

そりゃそうだ。3歳にしては難しいんだもの。

そのうちに、その本の後ろの方に「解答」がついていることを発見した。「解答」には、その迷路を抜ける正しいルートが、赤い線で書かれている。

娘はその赤い線を指で追いながら、「スタート」から「ゴール」を目指した。

「ダメダメ、答えを見ながらやったらダメだよ!」

と僕がたしなめると、娘はどうしたと思う?

娘はその解答のページを開いたまま、本から目をそらして、ページの上を適当に指でなぞる仕草をしたのだ。

「ちがうちがう、そうじゃなくて!」

「え?」

「答えを見ながらやったらダメっていうのは、そういうことじゃないの!」

「どういうこと?」

「答えから目をそらすってことじゃなくて、答えを見ないで迷路をやるってこと!」

すると娘は再び、解答のページを開いたまま、本から目をそらして,ページの上を適当に指でなぞる仕草をする。

「だから、そうじゃないってば!」

…という一連のやりとりをして気づいた。これって、コントとか漫才として十分に成立してるんじゃなかろうか?

いよいよ娘のお笑いのステージが、もう一段階アップしたのだ!

M-1に出られるんじゃね?「阿佐ヶ谷姉妹」に対抗して、「何とか親子」とか。その「何とか」が思いつかないが。

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シティガールズ

「和枝が死んじゃってさあ」

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の「メインディッシュ」のコーナーで、安藤和津がゲストのときに、大竹まことが不意に漏らしたひと言である。

「和枝」とは、俳優の角替和枝のこと。劇団東京乾電池の柄本明の妻で、息子の柄本佑、柄本時生は、いずれも俳優である。柄本佑は、安藤和津の子の安藤サクラと結婚したので、角替和枝と安藤和津の二人は親戚となり、子どもの結婚相手の母親同士、ということになる。そういう関係があったから、大竹まことは唐突に、角替和枝の死の話を持ち出したのであろう。

こんなことを、僕が唐突に思い出したのは、NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」で、松金よね子がエリコさんの母親役で出演していたからである。

シティボーイズがまだ売れない頃、「シティボーイズ」に対抗して、「シティガールズ」と名乗って同じ舞台に立っていたのが、角替和枝、松金よね子、岡本麗の3人である。つまり大竹まことと角替和枝は、むかしからの芝居仲間だったのである。ただしそれは、たんなる「芝居仲間」という以上の,深い絆があったことが、大竹まことのこのときの話からうかがえた。

角替和枝は、大林宣彦監督の映画に4回出演している。「異人たちとの夏」(1988年)、「北京的西瓜」(1989年)、「理由」(2004年)、「この空の花 長岡花火物語」(2012年)である。

その中でも一番印象に残っているのは、「異人たちとの夏」における、すき焼き屋の仲居役である。主人公の風間杜夫が、幽霊としてあらわれた両親(片岡鶴太郎、秋吉久美子)にすき焼きをごちそうするシーン。この映画の、一番重要なシーンである。角替和枝は、何事もなかったかのように、注文をとり、すき焼きを運んでくる。その自然な演技が、あのシーンをどれほど感動的なものにしたか、はかり知れない。

もう一つ印象に残っているのは、「この空の花 長岡花火物語」で、戦争の証言者のひとりとして、主人公の記者にその体験を語る役として出演している。その語りもまた、知らず知らずのうちに、戦争の悲惨さを追体験させるような、じつに自然な演技だった。ちなみにこの機会に告白すると、僕の娘の名前はこの映画からとっている。

僕が俳優としての角替和枝を観たのは、この映画が最後である。その後も数々の映画に出演したようだが、僕にとっては、これが遺作なのである。

僕は、エリコさんの母親役として松金よね子が出演しているのを観て、もし角替和枝が生きていたとしたら、ミホさんの母親役は、角替和枝がよかったかもしれない、と想像した。シティボーイズに憧れている阿佐ヶ谷姉妹にとっては、これ以上にないキャスティングになったことだろう。

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「のほほんふたり暮らし」は、哲学だ!

NHKのドラマ『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』を欠かさず見ている。姉のエリコさんを演じる木村多江さんの憑依型演技と、妹のミホさんを演じる安藤玉恵さんのデフォルメ型演技が、いい感じにバランスがとれていて、「虚実皮膜」感を醸し出している。

3歳8ヵ月になる娘も、熱心に観ている。いつの間にか、「ミホさん」と「おねえさん」の区別がつくようになった。「エリコさん」のことを「おねえさん」というのは、ドラマの中で、「ミホさん」がそう呼んでいるからである。

いつの間にか娘の中では、木村多江さんと安藤玉恵さんのコンビが、本物の阿佐ヶ谷姉妹になってしまったようである。TBSテレビの「人生最高レストラン」でゲスト出演していた「本物の」阿佐ヶ谷姉妹を観た娘は、

「ちが~う」

と言っていた。

しかし不思議なもので、だんだんと認識していくものらしい。動画サイトで「本物の」阿佐ヶ谷姉妹の漫才ネタを見せると、端末の画面に向かって、「ミホさ~ん、おねえさ~ん」と呼びかけていた。名前を呼ぶ順番が「ミホさん」の方が先なのは、ドラマの中で、エリコさんが最初に「ミホさん」と呼び、それに対してミホさんが「おねえさん」と呼びかけるケースが多く、たぶんそれを聞き慣れていたからであろう。

しかも、ドラマの中のエリコさんも、「本物の」エリコさんも、よく泣くのだが、娘の中で「おねえさん」は、「よく泣く人」と認識するようになった。「この人(エリコさん)は、よく泣く人」「この人(ミホさん)は、泣かない人」と。

さらにすごいと思ったのは、エリコさんの涙が、決まって「うれし涙」であることに、娘が気づいたことである。

「おねえさんの涙は、うれし涙。だから、泣いてもいいんだよ」

娘の言葉には、ほんとうに悲しいときは泣かないんだよ、という深い意味が込められているようで、哲学的である。

第1話の再放送を一緒に観ていたときなどは、

「ミホさんは、ひとりっ子は楽だと言ってたけど、ひとりっ子は楽じゃないよね。パパもママも、楽じゃないでしょ?」

という「ひとりっ子」の娘の言葉に、思わず爆笑してしまった。

「そうだね。楽じゃないよね」

この洞察力を、大切にしたい。

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後味の悪いオンライン会合

11月26日(金)

本日も、分刻みのスケジュールだった。

午前10時~12時過ぎまでの間に、1時間の会議が2回。お昼休みに昼食を取りながらいくつかのメールを返して、13時~14時半まで、若者を相手に講習。14時45分から16時15分までは、今度は職場主催の自己啓発セミナー的なオンライン研修で、講習を受ける側になる。本来ならばこういうセミナーは苦手なのだが、立場上参加しなければならなかった。その後、電話をしたりメールを書いたりして、17時からは来客対応。これで、手帳に書かれた一日の予定は終わりなのだが、この後、また、いくつものメールを書き、ダメ出しをされた文章を直したり、来週の出張の準備をしたりしているうちに、夜9時近くになってしまった。そして2時間かけて家路についたのである。帰りの車中のラジオでは、すでに「アシタノカレッジ 金曜日」がはじまっていた。

毎日がこんな生活。以前のように、常に何かに追い立てられるような生活が復活しつつあるのが憂鬱である。

週末はオンライン会合が続く。そういえば、先日のあるオンライン会合は、僕にとって実に「後味の悪いオンライン会合」だった。

以前に、20名くらいのメンバーで、あるプロジェクトに関する本を出したことがあった。それでもうお役御免だと思ってホッとしていたら、そのプロジェクトのリーダーが、思い出したように、

「せっかくですから、反省会をしましょう」

と言ってきた。どうやら、その本に関わったメンバーを集めてオンライン同窓会をしたいらしいのだ。

最初は軽い気持ちで参加することにしたのだが、「どんなことをやるんですか?」と聞くと、

「それぞれの近況報告と、ご自身が書いた職業的文章に関する自己評価、そして、他の人の書いた文章への感想や質問を、それぞれ言ってもらいます」

えええぇぇぇっ!!!それって、俺がいっちばん苦手なヤツじゃん!!!

まったく心を開いていない20名のメンバーの前で、近況報告をすることほど、いたたまれない気持ちになるものはない。第一、報告することなんて何もないのだ。

ほら、よく、10数年ぶりに開かれた同窓会で、一人ひとりが近況報告したりするじゃん。僕はあれが大の苦手なのだ。どうやったって、自慢合戦になってしまうからである。近況報告をすればするほど、自分がむなしくなるのだ。

それと、自分が書いた職業的文章に関する自己評価をする、というのも、もう最悪である。

僕は、自分が書いた職業的文章は、ダメなことがわかっているので、読み返さないことにしている。過去は振り返らないのだ。

自己評価をする、ということは、あらためて自分の文章を読み直すという地獄の責め苦を味わうことになる。

さらに、「他の人の書いた文章への感想や質問」。僕はそんな大それたことはできないし、逆に言えば、誰かが僕の書いた職業的文章について、批評をしたり質問をしたりする、ということだろう?そんなことをされたら、

「わかりました。今すぐここで、舌を噛み切って死にます!」

という気持ちになる。

この三重苦を考えたプロジェクトのリーダーは、羞恥プレイが好きな、そうとうに悪意のある人だ、ということを今さらながら実感したのだが、よくよく考えてみると、悪意、というのは考えすぎで、むしろ悪気はなかったのではないか、という気もしてきた。

できあがった本は、リーダーの目には「大成功」と映ったらしく、周囲の評価も高かったと、会合の冒頭で、自慢げに話していた。

つまりリーダーは、「成功」の陶酔に浸りたかったのではなかったか?

僕から見れば、少なくとも僕の職業的文章はまったくダメだったので(これは謙遜ではない)、もう二度と見たくない気持ちなのだが、リーダーからすれば、この「高評価」の本を反芻したい、自画自賛したいという気持ちがつのったのではないかと想像される。

そこで、みんなでオンライン上で集まってお祝いの同窓会をしましょう。みんなで喜びを分かち合いましょう、ということになったのだと思われる。

しかしそれが、僕にとっては地獄だったのだから、人間というのは、同じ事象を一つとってみても、まことに捉え方がさまざまである。

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心はどこへ消えた?

11月25日(木)

新幹線で片道4時間かかる北の町へ、日帰り出張である。

片道4時間、往復8時間も新幹線に乗っているのだから、新幹線の中で仕事ができればこれほど効率のよいことはない、と、すっかりワーカーホリック的な感覚が身についてしまったのだが、いかんせん、乗り物酔いがひどいため、新幹線の中で書類を読んだりパソコンの画面と格闘したりすると、とたんに具合が悪くなる。あまり脳に負担にならない軽めの本を読むのがせいぜいである。

東畑開人さんの『心はどこへ消えた?』(文藝春秋、2021年)を読んでみた。

全体は軽妙なエッセイで、さらりと読める文章なのだが、序文に書いてあることが、けっこう衝撃的だった。

「心理学には本当にたくさんの論文や本があって、理論や知識はあふれている。それなのに、どのテーマも現代の読者たちに響くようには到底思えなかった。この時代に切実な心の話とはなんなのか。まるでわからなかったのだ。

ヒントが欲しくて,新聞を読んだり、テレビを見たり、SNSを巡回したりもした。だけど、そこにあったのは、政治とか経済とかのとてつもなく大きな話ばかりで、心を描くための小さなエッセイで扱えるようなことではなかった。

おかしい。心が見つからない。心はどこへ消えた?」

少し読み進めると、こんなことも書いている。

「わからないことがあったときは、まず事典を引いて、定義を確認する。昔そう習ったし、学生にもそう教えているから、私も図書館に行って、心理学の専門的な事典を調べてみることにした。

すると、驚くべきことがわかった。心理学の事典にはそもそも『心』という項目が存在していなかったのだ。図書館に置いてあった事典をすべて見てみる。やっぱりどこにも『心』がない。おかしい。心はどこへ消えた?」

心理学の事典に『心』って項目がないというのは、かなり衝撃的ではないか、と、僕はそう感じたのである。

著者が臨床心理学を志した年が、1999年。「かつて、つまり1999年以前には、心はキラキラと輝いていた」という。

「なにより臨床心理学は大人気だった。心の深層を語る本は一般書の棚でもよく売れていたし、事件が起こればメディアに臨床心理学者が呼ばれて、「心の闇が」云々と語っていた。大学の心理学科は高倍率で、「臨床心理士」という資格もできた。心の仕事が少しずつ社会に広がって行った時代だった。」

たしかにそうだ。僕が大学生だった1980年代末から90年代にかけて、心理学は超人気の学科だった。告白すると、僕は小学生の頃、多胡輝先生のゴマブックスの心理学の本を読みあさっていた。宮城音弥先生の『性格』(岩波新書)は、僕の人格形成に大きな影響を与えた。心理学はブームだったのだ。

その後の時代の流れを著者はこう書いている。

「(略)かつてキラキラしていた心は、今ではほとんど人々の関心を集めることがなくなっていたのだ。

実際、心理学の本は専門書の棚にしか置かれなくなったし、事件が起きたときに語られるのは『心の闇』ではなく、『社会の歪み』だ。心理学科の人気は落ちて、定員割れの大学院もたくさん出てきた。『本当の自分』を見つけたとしても、『それで食っていけるの?』と身も蓋もないことを言われてしまう」

なるほど、これもなんとなくわかる。前の職場に勤めていた2000年代、やはり心理学コースは大人気だった。あまりに進学希望者が多くて、選抜みたいなことをしていたんじゃなかったかな。いまはどうなのだろう?著者が言うように、いま心理学科の人気が落ちているのだとすれば、その原因はなんだろう?僕はなんとなく、2011年の東日本大震災が、その分かれ目になったのではないか、という気がするが、よくわからない。でもその頃から、時代は「心の季節」から「社会の季節」へ移っていったのではないだろうか。

僕は昔から心理学の本を読むのが好きだったので、大学で心理学科が人気である現象もなんとなく理解できたが、心理学科に進む人たちに対しては、どちらかといえば冷めた目で見ていた節がある。

多胡輝先生の『心理トリック』を読んでいた僕が、心理学を学ぼうと思い、心理学科に進んだとしたら、おそらく失望したのではないか、という思いが、漠然とあった。心理学はそんな生やさしいものではない、心理学を学んだからといって、自分の心が癒やされるとか、他人の心がわかるといった、単純なものではないことも、心得ていたつもりである。

しかし一方で、この著者が述べるように、現代の読者の人の心に響かない心理学の研究があるというのも、事実のように思える。

いや、これは心理学に限らない。およそほとんどすべての学問は、現代に生きる人間の心を揺さぶるものでなくてはならないはずなのに、その「心」はどこへ行ったのだろう?

役に立つとか、立たないとかではない。問題を解決するとか、解決しないとかではない。心を揺さぶるか、揺さぶらないか、である。

心はどこへ消えた?という問いを、心理学の中だけにとどめてしまってはいけない。

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「推し活」は私を救う

「落ちる」というのは、「恋に落ちる」という意味ではなく、「沼に落ちる」という意味なんだね。

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、木曜パートナーの小島慶子さんが、国連演説をしている韓国のアイドルグループ・BTSに興味を持ったと思ったら、

「気がついたら沼落ちしていたんですよ」

という。生まれてこの方、アイドルに無縁だったという小島慶子さんが、ふとしたきっかけで、アイドルの沼に落ちた。その瞬間、それまでの自分の思考の枠組みから解放され、新たな世界に気づいたというのである。

最近は、ジェーン・スーさんも、「推し活」をしているという。「推し」の対象は明らかにしていないが、「推し」を中心にした生活にガラリと変わったという。

この国において、「推し」のルーツは、「ヨン様」こと、ペ・ヨンジュン氏ではないかと思う。それを感じたのは、10年以上前に、韓国に1年ほど留学したときであった。

韓国のある田舎町の施設に行くと、受付の所にペ・ヨンジュン氏のサインが飾ってある。

たまたま、その受付に、日本人の方がいたので、聞いてみた。

「あれは、ペ・ヨンジュンさんのサインですよね」

「ええ」

「なぜこの場所にサインがあるんですか?」

「それは、ペ・ヨンジュンさんが韓国のよいところを紹介するための旅行エッセイを書くということで、この町に訪れたんです」

「そうなんですか」

「で、その本を読んだ日本のヨン様ファンの方が、次々とこの町に訪れたんです」

「なるほど、そうだったんですか」

僕はそれを聞いて、心底からヨン様ファンを尊敬した。

だって考えてもみたまえ。ヨン様ファンからしてみたら、その場所は「聖地」なのである。だがその「聖地」は、お世辞にも、交通の便がいいところとはいえない。最寄りの駅からもかなり離れた、陸の孤島のような場所なのである。

しかし日本のヨン様ファンは、「ヨン様と同じ空気を吸いたい」と思う一心で、韓国語を勉強し、韓国の地図を見て、電車の乗り方を覚え、さらにはタクシーを乗りこなして、陸の孤島のような町を訪れるのである。そこまで至るのに、どれだけのスキルアップをしたことか。その当時は「推し」なんて言葉はなかったが、今ならば立派な「推し活」である。

何度でも書くが、「推し活」は、決して世界を狭めはしない。むしろ世界を広げるのである。

そういえば、「前の職場」にいた頃、ある職員さんから、こんなことを頼まれたことがある。

「先生、今度、韓国に出張に行かれるんですよね」

「ええ、そうですけど」

「一つお願いがあるのですが」

「何でしょう?」

「韓国海苔をお土産に買ってきてください」

「それはかまいませんけど、いったいどうしてです?」

「実は僕の妻がヨン様の大ファンでして、韓国に行けなくても、ヨン様と同じ空気を感じたい、と思っているようでして」

「海苔でいいんですか?」

「ええ、海苔で十分だそうです。韓国から運んでいただいたというだけで、ヨン様と同じ空気を感じることができるんだそうです」

「そうですか。わかりました」

と、それほど高くない韓国海苔をお土産に買ってきて、ひどく喜ばれたのだった。

「推し活」は生きる希望を与えるものであり、自分の知識や世界を広げる最も理想的な方法なのではないだろうか。

…と、ここまでが前フリ。

小学校4年になる姪は、テレビ朝日のドラマ「科捜研の女」の大ファンである。姪からしてみると、「マリコ」こと、沢口靖子が「推し」の対象なのである。

レギュラー番組はもちろんのこと、つい最近ロードショー公開された、「科捜研の女 劇場版」をかぶりつきで観に行ったというのだから驚きである。

「『科捜研の女 劇場版』って、テレビで十分なのに、あんなもの、わざわざ映画にして、誰が観に行くんだろうね?うっひゃっひゃっ」

とバカにしていたら、いたねー、身近に。

姪は母親と二人で観に行ったらしいが、小学校4年生の姪と同じ熱量を持つ観客は、いなかったらしい。

さて今日。

職場の一斉メールに、「テレビ放映のお知らせ」と題するメールが来た。職場の同僚がテレビに出演したりすると、その情報を共有するメールが来るのである。

テレビ朝日ドラマ番組において、同僚の○○さんが監修された回につきまして、以下の通り、テレビ放映されますのでお知らせいたします」とあり、番組名を見たところ、それが「科捜研の女」だったのである。

その情報を、妻を通じて姪に伝えたところ、

「おじさんの同僚が『科捜研の女』を監修したと伝えると、興奮した姪が、おじさんの同僚のサインがほしいと言いだした。マリコ(沢口靖子)に会ってもいないと思うけど、と言ってもきかない。『関係していることがすばらしいんだ』って」

さあ、「推し活」をしているあなたなら、この心理はおわかりでしょう。

これこそが、「推し活」の真髄だ、ということを。

ヨン様が好きすぎて、同じ空気を吸いたいあまりに、韓国海苔のお土産をねだった人と、どこがどうちがうのだろうか?同じではないか。

さて、僕はその同僚にサインをもらうべきか?

「小4の姪が『科捜研の女』の大ファンなので、サインをください」

と頼むのは、どうかしている。韓国海苔を買うのとはわけが違うのだ。サインは諦めてもらうことにしよう。

しかし、これだけは言える。

姪は「科捜研の女」に「落ちた」ことによって、確実に、同学年の他のお友だちよりも、科学捜査に関する知識が詳しくなったのだ。

これが、姪の将来に影響を与えるかもしれない、という無限の可能性に、おじさんとしては、期待したいのである。

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「戦艦大和」日記

11月21日(日)

この週末は、土日に別々のオンラインの会合があり、すっかり疲れはててしまった。

休日には、わが子と遊びたい、とか、本を読みたい、とか、映画を見たい、という思いにとらわれるのだが、オンライン会合はその自由を奪う存在で、つまりは自宅に居ながらにして身柄を拘束される,軟禁状態に等しい。しかも両会合とも、自分がまったく気の進まない内容ときているのだから、目も当てられない。

という愚痴はこれくらいにして…。

先日、Dream Libraryを訪れた、といったが、そこで一緒に調査をしていた知り合いの編集者が、ふとした雑談で、

「早坂暁先生の『「戦艦大和」日記』という長編小説がめちゃくちゃおもしろいですよ。僕が編集を担当したんですけど」

という。「日記」という体裁を借りて、史実と虚構を織り交ぜた物語らしい。

脚本家の早坂暁さんをめぐるお話については、このブログでも以前に何度か書いたことがある。

僕は恥ずかしながら,早坂さんの『「戦艦大和」日記』の存在を知らなかったが、気になって古書店サイトからそれを取り寄せて、読んでみることにした。

いま1巻を読みはじめたところなのだが、これがとてもおもしろい。さすが脚本家、というべきか、読んでいると、自然と映像が浮かんでくるのである。たとえば、第1巻のこんなところ。

「昭和九年九月二十七日 曇

東京玉の井遊郭から二十三歳の娼婦が、東武鉄道の線路づたいに脱走を試みていた。草履もとばして裸足である。走る力もなく、這うようにして浅草の方向に向かっている。雲が月を隠してくれたのが幸いしてか、無事玉の井の街をぬけて、南喜一の家に駆け込んだ。

 南喜一は元は職工五十人ばかり使ってエボナイトや石鹸をつくる工場を経営していたが、労働運動をしていた弟の変死から、神鏡を一変させ工場を売り払い、無産運動に身を投じた人物である。総同盟の争議部長となって争議を指導する一方で、玉の井遊郭にビラをまいて娼婦の待遇改善を呼びかけていた。

『助けて下さい』

娼婦は南のばらまいたビラを拾って、決死の脱走を図ったのだ。

女の名は川村ミツ。山形県米沢盆地の村の出身である」

まるでドラマの冒頭シーンのようで、この後の展開を期待させる筆致である。

まだ第1巻の途中までしか読んでいない人間が言うのもおかしな話で、しかもこういう言い方が適切かどうかわからないのだが、これが大河ドラマになったら、傑作になったのではないかと、想像する。

そして同時に、以前から漠然と抱いていたある仮説が僕の頭に浮かび、僕はその仮説をその知り合いの編集者に言ってみた。

それは、早坂暁さんのドラマは、「日記」というのが重要なキーワードになっているのではないか、という仮説である。

代表作の『夢千代日記』はもちろんだが、もう一つの代表作である『花へんろ』も、「風の昭和日記」という副題がついていた。

少し前に、BSフジで再放送していた、渥美清の若い頃を描いたフジテレビのドラマのタイトルも『渥美清のああ、青春日記』だった。そういえば、毎日放送のドラマ『人間の証明』は、岸本加世子さんの日記風のナレーションが全編にわたって流れるし、先日、NHK-BSPで再放送されていた高倉健さん主演の『刑事』では、日記が事件を解く重要な手がかりになっていた。

僕がそう思う根拠はこれだけにとどまらない。小学生の時に観たTBSテレビ放送のドラマ『関ヶ原』で、鮮烈な印象を残したのは、じつに些細なところなのだが、第二回の放送のいちばん最後、石田三成が徳川家康に幽閉される場面で「この日、イギリスの都・ロンドンでは、シェークスピアの『真夏の夜の夢』が上演されている」という石坂浩二さんのナレーションであった。のちに司馬遼太郞の原作を読んだときに、たぶんこの記述はなかったと思うので、早坂さんのオリジナルなのだろうと思う。このナレーションがとても印象深く、このナレーションは後々まで私の記憶に残り続けたのである。いま思うと、このナレーションも、その日に起こった出来事を語るという意味で、日記的な叙述だなあとあらためて思うのだ。

と、ここまで言ったところ、その編集者は、「早坂先生ご本人は日記をつけておられなかったそうです」とのことで、これもまたじつに不思議だなあと感じた。

妙な話だが、僕はここ最近、他人の日記を読むことに関心があり、「日記」と名のついた作品にひどく興味を持っているのである。

そこで、じつに久しぶりなのだが、以前に一度だけお手紙をやりとりしたことがある早坂さんの奥様に、近況報告の代わりに自分が関わった本をお送りがてら、以上のような仮説を手紙に認めてお送りした。なんともはや、僕は厚かましい人間である。

すると数日後、じつにご丁寧なお返事をいただいた。

『「戦艦大和」日記』については、この作品を書くにあたって司馬遼太郞が関わっているということや、ドラマの関係者からも映像化への期待が大きかったのだが、残念ながら小説自体が未完となってしまったこと、などが書かれていた。

そして、僕の仮説については、「たしかに,早坂の作品には『○○日記』とつく作品が多くあります」とした上で、僕が未見だった『○○日記』の作品名をいくつもあげていただいた。

更に、早坂さん自身が日記をつけていなかった、ということについては、たしかに日記はつけていなかったけれど、スケジュール帳はしっかりと付けていたので、それを見れば記憶をたどることができた、という。

そして奥様自身も、日々の記録をつけておられたが、早坂さんが亡くなられた後は止まってしまったという。その代わりに、知り合いの編集者が開設してくれたTwitterで、早坂暁さんの言葉を毎日更新しているのだという。

「早坂の書いた文章はたくさんのこっていますので、夕方18時前後には必ず更新して、早坂の遺した言葉を投稿しています」と書かれていた。

奥様は、早坂さんの言葉を毎日Twitterに更新することで、早坂さんのことを毎日のように思い出しているのだろう。

僕も、なるべく多くの言葉を遺そう。

そして、『「戦艦大和」日記』は、未完に終わらせずに読破しよう。

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アニメキッズ=ウルトラファイト

11月19日(金)

先週1週間(日~金)は、妻が出張で不在のため、娘の世話に奮闘したのだが、今週も、昨日の木曜の午後から日曜日まで妻が出張なので、ふたたび奮闘の数日である。今日などは、朝8時に娘を保育園に送り、その後、車で1時間半ほどかかる病院まで書類を取りに行き、さらにその足で職場に出勤し、滞在時間3時間ほどでとって返し、午後6時の保育園のお迎えにギリギリ間に合った。娘を寝かしつけた後、TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」を聴き、今週も無事に過ごせた(ほんとうは無事じゃないけど)、という感慨に浸った。

もうすぐ3歳8か月になる娘が、アンパンマンが好きだということは、以前にも書いたことがある。

というか、小さい子どもは、みんなアンパンマンが好きである。

しかし、わが家では、アンパンマンのアニメを娘に見せていない。

わが家では、BS朝日で放送中の「町山智浩のアメリカの今を知るテレビ」(通称「あめしる」)をわざわざ録画して観たり、先日までNHK-BSPで放送していた「名探偵ポアロ」も録画して欠かさず観ていたので、娘にとっては、「まちやまさん」「ポアロさん」が、有名人なのである。

もっとも、「ポアロさん」の方は、「ポアロ」とは言えず、「コアラさん」と言っている。しかし本人は、「コアラ」ではなく「ポアロ」だというのは、自覚しているのである。

先日、娘が僕に聞いてきた。

「あのー、おひげ生やして、帽子かぶって、杖をついている人…。コアラさん?」

「コアラさんじゃなくて、ポアロさん」と僕が言うと、ニコリと笑い、舌打ちのような仕草で口を開き、両手の人差し指を出して、こちらに向かって指さすようなポーズをとった。

「そうそう、ポアロさん!君、やるねぇ」

というアメリカンなリアクションである。いったいどこでそんな仕草を覚えたんだ?

しかも、最初にわざと「コアラ」とボケて見せて、僕に「ポアロ」と直させて、そのリアクションをとったのだから、計算された「ボケ」なのである。

…この話、うまく伝わっているかなあ。

リアクション、ということで言えば、娘が何か勘違いをしたりしたときに、右手でおでこをピシャリと叩いて、

「まいったまいった」「してやられた」「これまた失敬!」

といったリアクションをとるのである。これって、昭和のリアクションじゃないのか???いったいどこでマスターしたんだろう?

まあそんなこんなで、最近はすでに「ミニコント」の域に入りつつある。

先日も、保育士さんに、

「○○ちゃん、ほんと、おしゃべりが面白いですよねぇ」

と言われたので、

「ええ、飽きません」

と答えた。親の僕から見ても、「喋り」や間のとりかたが絶妙なのである。やはり、末(すえ)はいとうあさこのような自虐を笑い飛ばすお笑い芸人か、あるいは阿佐ヶ谷姉妹のミホさんのような、マイペースで世界を俯瞰で見ることのできるお笑い芸人になれるのではないだろうか。そういえば、娘のほっぺたは阿佐ヶ谷姉妹のミホさんのそれに似ている。

…いや、今回はそういうことを書きたいのではない。アンパンマンの話である。

いま娘がハマっているのは、YouTubeの「アニメキッズ」という番組である。なんだかよくわからないのだが、アンパンマンの出演陣のお人形を使って、一人の女性が、いわばお人形遊びをしているという映像を、延々と映しているのだが、娘はこれに夢中なのである。

いわゆる「お人形遊び」なので、作り手が勝手に物語を作るわけである。そこには、アニメの本編におけるそれぞれのキャラクターの関係性、といったものは、あまり考慮されていない。つまりスピンオフもスピンオフ。本編のアニメとはまったく異なる世界観がそこにあるのだ。

不思議でならないのは、娘はアンパンマンの本編のアニメにはさほど関心がなく、むしろまったく異なる世界観の「お人形遊び」の動画に惹かれているということだ。

これをたとえていえばですよ。「ウルトラセブン」の本編のドラマではなく、「ウルトラファイト」のほうに夢中になる、ということなんですよ!

「ウルトラファイト」に出てくるウルトラセブンと怪獣との関係性は、「ウルトラセブン」の本編における関係性を、まったく無視している。いわばこれも「お人形遊び」なのだ。TBSアナウンサーの山田二郎の、プロレス実況を思わせるナレーションがさらにその要素を強くしている。

実は告白すると、僕が子どもの頃、「ウルトラファイト」という番組に夢中になっていた。場合によっては、本編の「ウルトラセブン」よりも好きだったかもしれない。

そうか、娘にしてみたら、「アンパンマン」の本編ではなく、「アニメキッズ」という動画に夢中になるのは、「ウルトラセブン」の本編ではなく、「ウルトラファイト」に夢中になるような感覚なんだろうな。親子というのは、実に好みが似るものである。

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笑いの系譜

疲れているので、どうでもいい話を。

ドリフターズのコントに、「階段落ち」という傑作がある。

志村けん扮する映画監督が、映画のワンシーンとして、池田屋の階段落ちの場面を撮影するのだが、そこに田舎芝居上がりの役者(加藤茶)が、代理のスタントマンと称してやってくる。そのスタントマンは、主役に斬られて階段から落ちるだけのエキストラなのだが、初めての映画出演のせいか、ひどく張り切っていて、何とか目立とうと思って、顔を白く塗りたくったり、大仰な芝居をしたりする。

たんなるエキストラが、大仰な芝居をして、主役以上に目立とうとするから、監督はそのたびにそれをたしなめることになる。しかしこれまでの芝居のクセはぬけず、どうしても歌舞伎のような大げさなものになってしまう。

…と言葉で説明しても、なかなかその面白さを伝えることができないのだが、この10分ほど続くドタバタコントは、加藤茶のボケが遺憾なく発揮されて、終始笑いっぱなしである。

僕はこのコントが大好きなのだが、加東大介原作の映画『南の島に雪が降る』(1961年、東宝)を見ていると、この設定を彷彿とさせる場面が出てくる。

加東大介の『南の島に雪が降る』(ちくま文庫)の内容については、以前に書いたことがあるので、そちらを参照のこと。

で、それが原作となって1961年に東宝で映画化された。

この映画に出演している役者がすごい。

主演はもちろん、原作を書いた加東大介だが、その脇を、伴淳三郎、三木のり平、有島一郎、柳家小金治、西村晃、渥美清、フランキー堺、小林桂樹、そして森繁久弥といった、当代きっての喜劇役者が勢揃いして固めているのである。渥美清なんか、まだあんまり売れていない頃だったから、下っ端の役である。

伴淳三郎は、いわゆるドサ回りの芝居をしていた田舎役者で、歌舞伎のまねごとをした大仰な演技をする、いわゆる大根役者である。

最初のうちは、どうしてもその大仰な演技のクセがぬけず、何でもないシーンでも、どうしても歌舞伎の見得を切るような、大げさに演じてしまう。

そのたびに、加東大介は、「おまえの演技にはリアリティーがないんだよ!」とたしなめるのだが、伴淳は「リアリティーって、なんです?」と、その意味がわからず、相変わらず大げさな芝居を続ける。映画を見ているものからすれば、それが可笑しくってたまらないのである。

この場面を見て、加藤茶は、ひょっとしたら伴淳さんの演技の影響を受けているのではないだろうか、という気がした。「階段落ち」というコントには、伴淳さんのとぼけた演技を彷彿とさせるものがあるのだ。

すでに言い古されているかもしれないが、笑いには系譜があるのだということを実感する。その系譜をたどることもまた楽し。

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足をまっすぐ伸ばして!

11月13日(土)

久しぶりに「軽く死にたくなる」事件が起こった。

この日は午前中からオンライン参加の研修があった。対面参加を基本とする、いわゆるハイブリッド形式の研修だったのだが、会場が遠いので、やむなくオンライン参加となったのである。

午前中は家でノートパソコンを開いて講師の先生の話を聞いていたのだが、午後は、妻もオンライン会合があるというので、二人でそれぞれの画面に向かっていると、3歳7か月の娘の機嫌が悪くなった。

仕方がないので、僕は端末をノートパソコンからスマホに切り替え、スマホで講義を聴きながら娘を公園に連れていくことにした。

娘は僕に似て、へっぴり腰というか、思い切りがあまりよくない。すべり台をすべるにしても、スーッとスピードが上がるのがイヤみたいで、いつも足を広げて、ちょっとブレーキをかけながらすべろうとするのである。

僕は常々そのことが気になっていたので、いままさに娘がすべり台をすべろうとするときに、

「足をまっすぐ伸ばして!」

と、娘に向かって叫んだのであった。

すると、僕の耳のイヤホンから、同じ言葉が聞こえた。

「足をまっすぐ伸ばして…。足をまっすぐ伸ばして」

ヘンだなあ、いま僕が言った言葉が、なぜイヤホンから聞こえてくるのだろう?一瞬状況がわからなかった。

「足をまっすぐ伸ばして…。そう、たしかにそうですね。大事なことですね。足をまっすぐ伸ばして…」

イヤホンの向こうの先生は、なぜくり返しこの言葉を言っているのだろう…?と次の瞬間、ようやく状況を把握した。

慌ててスマホの画面を見ると、ミュートが外れてオンになってる!!!

僕の「足をまっすぐ伸ばして」が、講師の先生のいる会場中に響き渡ったのだ!もちろんそればかりでなく、オンライン参加をしている人たちにも聞こえてしまったはずである。

講師の先生は、この「足をまっすぐ伸ばして」を、ご自身に向けられた言葉として誤解されているに違いない。

僕は慌てて、Zoomのチャット欄に「すみません。公園で娘を遊ばせながらスマホで拝聴しているときに、一瞬ミュートが外れて音声が入ってしまいました。『足をまっすぐ伸ばして!』は娘に向けた言葉ですので、お詫び申し上げます」

と謝罪のコメントを書いた。

なぜ、そのときだけミュートが外れて音声がオンになったのだろう?思い返すとその直前に、スマホのカメラ機能を起動させて、娘の写真を撮ったのだが、写真を撮った後、Zoomの画面を復帰させたときに、何らかの原因でミュートが外れて音声がオンになったのだろう。

しかし、今さら原因を追及しても仕方がない。

公園から戻るとほぼ同じ時間に、その研修は終了した。

そのあと、メッセンジャーでは参加した人たちによる熱い議論が展開されていたので、僕が犯した些細な失態など、誰も気にとめていないようだった。それはそれで安堵したのだが、それがかえって、チャットで言い訳したことも含めて、ますます「軽く死にたくなる」気持ちをつのらせることになっていったのである。

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全くもって不本意である

仕事柄、他人が書いた文章を読む機会が多い。それが自分の好きな作家の本などであれば問題ないのだが、趣味としてではなく、職業的に読まなければならない文章を次から次へと読まされるとなると、時にひどく苦痛になることがある。

以前にも書いたかもしれないが、明らかな悪文や、自分とはリズムの合わない文章を読んだりすると、具合が悪くなるのである。

これも以前に書いたかもしれないが、美術に造詣の深い友人が、下手な絵を見ると具合が悪くなる、と聞いたことがあるが、それと同様の心理だと思う。

たとえば、こんな小さなことに、腹を立ててしまう。

赤の他人の文章を引用しなければならないとき、当然書かれている表記を忠実に写さなければならないのだが、パソコンのワープロソフトでそれをやると、自分はここで漢字変換しないのになあ、というところで漢字変換をしていると、腹が立つのである。

僕がいちばん腹が立つのは、「すべて」を「全て」と書いてある文章である。

若い頃、「すべて」を「全て」と書くのは誤用である、ということを聞いたことがある。「全」は「全く(まったく)」とは使っても、「全て」とは表記するのは本来は間違いなのだ、と教えられたのである(ちょっと時間がなくて裏とりができない)。

それ以来、僕は「すべて」を「全て」と表記することを嫌い、ひらがなで表記することにした。そうなると、僕がふだん使っているワープロソフトも、その経験を覚えてくれて、「すべて」と打つと、「すべて」というふうに、漢字変換しない形で、優先的に出てくるのである。

ところが、他人の文章を引用しなければならない事態になり、そこに「全て」と表記されていると、その通り「全て」と書かなければならない。

それだけでもう不機嫌になるのだが、さらに困ったことに、いちど他人の文章に合わせて「全て」と表記してしまうと、次に自分が「すべて」と打ったときに、「全て」と優先的に変換されてしまうのである。これはまったくもって不本意である。なんというか、自分の中にある美意識が蹂躙されたような気になるのだ。俺は「全て」と書きたいんじゃない!「すべて」だ!と。

まあ、漢字をあえて多用する文章が嫌いなわけではないのだが、「全て」だけは、喉に刺さった魚の小骨のように、ピンポイントで僕に不快感を与えるのである。こういう症状は、ひと言でなんと言えばいいのか。

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モストマスキュラー

11月9日(火)

妻が出張して3日目。

妻が出張で1週間不在の時は、娘になるべく「ママ」のことを思い出させないことを心がけなければいけない。なぜなら「ママ」のことが急に恋しくなって泣いてしまうからだ。だからこちらが不用意に「ママ」とかいった言葉を発してはいけないのである。

それは、実家から応援に来てくれている僕の母(つまり娘からすると「ばあば」)も心得ている。

「いいかい、ママを思い出させるような言葉を口にしちゃいけないよ」

「わかってるよ」とばあば。

保育園から帰ってきたあと、ばあばと3人で夕食。食べながら、ばあばが言った。

「これ、まあまあ美味くできたね」

すると突然娘が、

「ママ、まだ帰ってこないの?ママに会いたい」

と泣きそうな表情をした。

僕はばあばに小声でたしなめた。

「なんてこと言うんだよ!」

「なにがよ」

「ほら、泣きそうになってるだろ!」

「何も言ってないわよ」

「まあまあ美味しいって、言ったろ?」

「だって美味しいんだもん」

「そうじゃなくって、『まあまあ』という言葉がいけないんだよ!」

「あ、そうか…」

まるで寅さんの映画に出てくるワンシーンのようである。

記憶をたよりに書くが、離婚したばかりの女性が「とらや」に訪ねてくる。もちろん、寅さんの意中の「マドンナ」である。

寅さんは、とらやのみんなに、

「いいかい、離婚したばかりの人なんだから、別れたとか、離れたとか、切れたとか、そういう言葉は絶対に使うんじゃないぞ」

と、とらやの家族に釘を刺す。もちろんこれは、「絶対に押すなよ」的なフリである。

やがてその「マドンナ」がとらやにやってきて、最初はあたりさわりのない会話をしているのだが、おばちゃんあたりが、

「晴れたねえ」

と言い、

「ほんと、いい天気になったねえ」

と寅さんが返すと、

「雲が切れたんだね」

と言う。そこで寅さんが、「切れたなんて言葉を使うんじゃないよ」と、おばちゃんを小声でたしなめる。その後、たがが外れたように、さらに「禁句」のオンパレードとなり、とらやは大混乱になる。

そんなシーンが、「男はつらいよ」のシリーズで定番になっていたが、それを思い出したのである。

まあそれでも、娘は娘で、なるべくママのことを口に出さないと心がけているようだ。

ものまね、すかし、スラップスティックなど、一通りの笑いのパターンをつかんだようである。

「マカロニサラダばかりを食べないで、お肉を食べなさい」

というと、お肉を指さして「これはサラダ」、サラダを指さして「これはお肉」と言ったりする。「屁理屈の笑い」とでも言おうか。

ここ数日、ボディビルダーの「モストマスキュラー」のポーズをして見せていて、爆笑した。

こっちが爆笑すると、自分が面白いことをやっているんだと感じるのか、自分の立場が悪くなったりすると、モストマスキュラーのポーズをしてごまかしたりする。

「どこで覚えたの?」

と聞くと、

「テビル(テレビ)で見た」

と言うのだが、見せた記憶がなく、何かの番組でほんの一瞬見た場面を覚えていて、それが面白いと思い、まねをしたのだろう。恐るべき観察眼である。

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気分は荻上チキ

11月6日(土)

最近はオンライン会議とか、オンライン会合のことしか書いていない。

この土日も、オンライン会合があった。

土曜日のオンライン会合は、参加人数も少ないし、自分にとってはアウェイな会だったので、最初は気軽に構えていたのだが、人数が少ないということは、何かコメントや質問を言わなければならず、結局そのために、午前10時から午後4時まで、パソコンの画面にはりついていなければならなかった。

11月7日(日)

この日のオンライン会合は、もうずいぶんと前から憂鬱であった。なぜなら、自分にとってちんぷんかんぷんな内容であることは明らかであるはずなのに、会合の最初から最後まで司会をするようにと、主催者の仕事仲間から言われてしまったからである。

登壇者のラインナップを見ると、

「この濃密なメンバー、しかも一人ひとりが個性的なテーマで話をするという会合を、ド素人の僕が、司会としてどのようにまわしていったらいいのか?」

と、憂鬱で仕方がなかったのである。

しかも、登壇者のうち何人かが、初対面なのである。何度か面識のある人でも、その人の仕事ぶりを完全に理解しているわけではない。そこでひとまず、登壇者のこれまでの職業的文章を読もうと思い、コピーをたくさんとったのだが、読んでもなかなか頭に入らない、というか、読む時間がない。

ええぃ!こうなったら何も予備知識を入れずに、バカなふりをして司会をしよう、と決めた。

いちばん不安なのは、それぞれの発表に対する個別の質問時間と、会合の最後に行われる総合討論である。

もし、質問が出なかったらどうしよう?そうした場合、ふつうは司会が時間つなぎのために質問をしたりするものなのだが、今回の場合、僕自身が内容をまったく理解できていないために、質問もできない。

総合討論では、今回の会合で大事だと思われる論点を司会が整理し、登壇者に投げかける、というのがよく行われていることなのだが、これもまた、僕自身の知識不足のために、論点を整理するなどという高度な技を実行することはできない。

憂鬱なまま、朝を迎えた。

朝9時開始。はじまって最初の数分は主催者の趣旨説明なのだが、それが終わるとすぐに、僕の「孤独な戦い」がはじまる。

(うわぁ~、はじまっちゃった)

もう後戻りできない。

一人ひとりの発表の後に、質問時間を設けているのだが、誰からも質問が出ないことのないように、あらかじめ、コメンテーターを仕込んでおく、ということを、主催者がやってくれていたのだが、直前になって、

「○○さんにお願いしようと思ったのですが、急遽欠席されるそうです」

「○○さんに、突然断られました。どうしましょう。困惑しております」

というメールが送られてくる。おいおい困惑しているのはこっちだよ、と言いたくなってしまった。

まあそれでもなんとか、午前の部は無事に終えた。

お昼休みは1時間だったが、僕は午後の発表者のコメンテーターが決まっていない、ということが気になって、会合に参加している韓国の友人に、急遽、コメントを依頼することにした。Zoomのチャットでお願いしたのだが、急いでいたので、ハングルの綴りもメチャクチャかもしれない、と思いながら、とにかく送信した。

するとほどなくして、

「ごめん。ちょっと難しいかも。もし発表者のお話を聞いて、何か喋ることを思いついたら話すことができるかもしれないけど、まず日本語で話すのが難しい。それに、昨日の会合の後、飲み過ぎて二日酔い」

そうだった。昨日、彼は韓国の会合に出ていたことを思い出した。会合の後に酒席で盛り上がったであろうことは十分に想像できた。

「事情はわかった。もし喋ってくれるなら、ちゃんとした通訳をつける」

と書くと、

「うーむ。やはり難しいかも。もし何か言うとしても、最後の総合討論の時までに考えを整理させて」

「わかった」

今度は、参加者のなかで、日本語が達者な、韓国語が母語の人にチャットでお願いをする。

「突然ごめんなさい。○○さんがひょっとしたらコメントを言ってくれるかもしれないので、そのときは通訳をお願いします」

するとほどなくして、

「わかりました」

という返信。これで準備は整った。

さて午後の部。午後の部も順調に進んだ。

そしていよいよ最後の総合討論の時間である。彼から僕宛てにチャットが入る。

「総合討論の時に喋らせて」

総合討論の時の彼のコメントは、わざわざそのためのペーパーを作り、まるでずっと以前から準備していたようなすばらしいものだった。午後になり、ようやく酒がぬけ、短い時間でコメントを準備したのだろう。お願いしていた通訳の人も、事前の心の準備があったおかげで、完璧な通訳をしてくれた。

おかげで討論は盛り上がり、いわば彼が火付け役になって、その後も刺激的な議論が続いて、大団円を迎えたのである。

朝9時から夕方6時まで、気の抜けないマルチタスクが続いた。まるで、長丁場の選挙特番を仕切る荻上チキになった心持ちである。

とにかく言いたいのは、

「この会合、俺だからまわせたんだぜ!」

という自負である。…というか、そんなことを思うのは、疲れすぎて自分が壊れてしまった証拠である。

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こっちがほんとの「オンラインオフ会議」

11月4日(木)

午前中に会議室に集められる。最近はもう、会議やら打合せが多くて、いったい何についての会議なのかも、わからなくなることがある。

午前の会議は、「オンライン新システム」に関するデモンストレーションをやる、というのがテーマらしい。

少し遅れて会議室に入ると、すでに会議が始まっていた。

オンライン会議が苦手な人でも、そしてその人がどこにいても(どんな離島にいても)、ボタンを1つ押せば、会議に参加できる画期的な仕組みであるという。

システムはまだ開発途上なのだが、開発を担当している人が、デモンストレーションをはじめていた。その人の目の前には、僕から見たら、ずいぶんと複雑に線がつながっているいくつかの機械が並んでいる。まず、その機械群を把握することが難しい。

「ほら、ボタンを二つ押すだけで、Zoomが立ち上がり、会議に参加できます」

「画面共有をしたいときはどうするのですか?」

「その場合は、別のパソコンをこちらの端末のHDMI端子につなげていただいて、パワポを立ち上げていただくだけで…」

と、なにやらその説明じたいが難しい。操作が簡単そうに見えて、実はかえって手間がかかるんじゃないだろうか?

会議室の前のスクリーンに、デモ画像が映った。それを、会議参加者が見つめている。

…て、これ、何の会議だろう?オンラインに関する画期的なシステムに関する会議なのだとしたら、その会議を対面で行うというのは、どこか矛盾していないだろうか?

たとえば、どこか別の場所から、そのオンライン新システムにつないで、リモートで参加する、といったような実験も必要なんじゃないだろうか?どうもよくわからない。

会議の最後で、僕はたまらず発言してしまった。

「オンラインのデモなのに全員が対面の会議に参加しているというのは、いかがなもんでしょう。次回は、オンラインでも参加できるような会議にしていただけると…」

担当者は、一瞬、それはちょっと難しいかも、という顔をしたが、

「考えましょう」

といって、会議は終了した。

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Dream Library

11月3日(水)

郊外の町に、「Dream Library」と呼ばれる場所があることを知ったのは、昨年冬のことである。

僕はそのとき、職場の業務のために訪れたのだが、実際に現地の建物の前に立ってみると、想像していたのとは異なり、小さなビルの一室が、そのスペースだったことに、まずは驚いた。

(これがDream Libraryなのか…?)

つまり正直なことをいえば、「言うに事欠いてDream Libraryだなんて…」というのが第一印象だったのである。

しかし、その小さな一室の扉を開けて、中に入ったとき、その第一印象が間違っていたことに気づいた。

(やはりここはDream Libraryだ!)

もう少し正確に言うと、僕の業務は、一瞬で終わるものだったのだが、その部屋を管理している管理人の方の説明を聞いているうちに、

(これはまぎれもなくDream Libraryだ!)

という思いを強くしたのである。

本来の目的である業務は5分程度で終わったのだが、その後に管理人の方が、この施設について説明してくれた内容が飛び抜けて面白く、つい1時間ほど長居をしてしまったほどである。

訪れたのが夕方の遅い時間だったこともあり、

「また今度、あらためてうかがいます」

と言って、後ろ髪を引かれるようにその場所を後にした。

しかしさて、そうは言ってみたものの、再訪する機会などはたしてあるのだろうか、と思っていたら、意外と早くその機会は訪れることになった。いま職場で行っている、あるプロジェクトを進めていく上で、「Dream Library」の助けを借りる必要があるのではないか、ということに思い至り、プロジェクトを一緒に進めているメンバーに、

「以前業務で訪れたDream Libraryという場所が、このプロジェクトを進めていく上でかなり参考になると思いますよ」

と提案したところ、それは面白そうなので、新型コロナウイルスの感染状況も落ち着いたことだし、行ってみましょう、ということになったのである。今回は総勢4人である。

小さなビルの2階の一室、扉の呼び鈴を鳴らすと、以前にお会いした管理人の方が出迎えてくれた。管理人は、僕の顔を見ても覚えていないようだったので、

「昨年、うちの職場の業務でここに訪れた者です。今回は、別のプロジェクトでこちらに参りました」

「そうでしたか。ささ、中へどうぞ」

まだほかの3人は来ておらず、僕が一番乗りだった。

僕は、今回の訪問の目的を伝え、いまこういうプロジェクトを進めているのですが、進めていくうちに、ヒントになるような本がここにあるのではないかと思い、今回、おたずねした次第です、こういったことや、ああいったことを知りたいのです、と矢継ぎ早に質問をすると、

「ああ、それはこれこれですね。…ありますよ」

「あるんですか?では、こういったことも知りたいんですが、それに関するものはありますか?」

「それもありますよ」

「あるんですか!?」

むかし、検事を主人公にしたドラマで、主人公がバーのマスターにどんなに無茶な注文をしても、そのマスターが、

「あるよ」

と言って注文された料理やお酒を出す、という場面が有名になったけど、そんな感じなのだ。

やがて、プロジェクト仲間の3人が遅れてやってきた。

管理人は、その3人にも丁寧な説明をすると、たちまち3人もその「管理人ワールド」の中に引き込まれた。

説明を聞いているうちに、3人それぞれ、自分の中からいくつもの質問がわき上がってきたようで、矢継ぎ早にいろいろと質問をすると、管理人はそれに全部答えてくれるばかりか、

「それに関係するものもありますよ」

と言う。あるんかい!と心の中でツッコんだ。

僕は最初、今回の訪問は、それほど時間がかからないだろう、と高をくくっていたのだが、さにあらず、結局、その一室にこもりっきりで、5時間以上過ごすことになった。管理人が、こちらの期待以上の本を次々と出してくれるのだ。

途中、プロジェクト仲間の一人が、隣にいる僕に小声で僕に聞いた。

「あの方、いったい何者なんでしょうね」

「さあ、僕もよく知りませんが、とにかくどんな質問にも答えてくれるんですよ」

「そうですよねぇ。すごいなぁ」

職業柄これまでいろいろな「変わり者」を見てきたであろうその人も、管理人のあまりの博覧強記ぶりに、驚いた様子だった。

1時から始まった調査が、あっというまに午後6時を過ぎ、それでも終わらなかったのだが、いよいよ失礼しなければならない。

「今回の訪問だけでは見切れませんでしたので、またあらためてうかがいます」

「いつでもどうぞ。お待ちしております」

この狭い一室が、まるで底なしの沼のような無限の空間のように思えた。

やはりここは、Dream Libraryなのである。

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ご飯とパンの違い

10月31日(日)

前回の続き。

ハロウィンパーティーに参加した後、午後2時過ぎからオンライン会合に参加し、終わったのが6時半。

それから急いで妻の実家に車で移動した。妻の両親と、義妹親子と、うちの家族とで、夕食にすき焼きを食べることになったのである。

すき焼きを食べた後、姪が浮かない顔をしている。

この土日に遊んでしまったせいか、宿題をぜんぜんしていないというのである。

「どんな宿題が出たの?」と聞くと、宿題に一つに、

「ご飯とパンの違いを説明しなさい」

というのがあったという。

そんなの簡単じゃないか、と一瞬思ったが、よくよく考えてみると難しい。

「米は米で、パンは麦」という答えが思いついたが、最近は米粉のパンもあるので、一概には言えない。

「朝食に食べるのがパンで、夕食に食べるのがご飯」というのも、わが家だけのことかもしれない。

考えたあげく、すごいのを思いついた。

「カレーをかけるのがご飯で、カレーを中に入れるのがパン」

というものだ。どうだ、これほど見事な解答はない!と姪の方を見ると、姪は漫画を読んで笑っていて、僕の話をまったく聞いていなかった。

…というか、こうなるとほとんど大喜利だな。学校の宿題は、こういう答えを求めているのだろうか?

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ハロウィンパーティー

10月31日(日)

この週末の土日は、忙しかった。

土曜日は、久しぶりに都内に出て、同業者寄り合いに参加した。参加するつもりがなかったのだが、別の仕事でお世話になるであろう方が、配信会場でお話をするということだったので、とにかく顔つなぎにと、僕も配信会場に押しかけて、なんとかご挨拶をすることができた。

日曜日の午前中は、投票と買い出し、午後2時からはオンライン会合があったのだが、その間の、午後1時から、保育園の保護者会が主催する「ハロウィンパーティー」があるというので、娘と一緒に近くの公民館まで行って参加した。

ハロウィンパーティーって、はじめて参加するんだけど、仮装とかするんだっけ?まぁ親はどうでもいいのだが、娘には、何らかの仮装的なものをさせなければならないのだろうか。しかしどの程度の仮装をしていいかがわからない。考えたあげく、少し派手めの赤いワンピースに、黒猫の顔がデザインされた防寒帽子みたいのをかぶせて、参加することにした。

ハロウィンパーティーといっても、会場となる公民館が狭いので、クラスごとに時間差をもうけて実施される。3歳児クラスは、13時から30分程度と言われていた。その後、同じ会場で今度は別のクラスがハロウィンパーティーを行うのである。

で、行ってみると、けっこうホンイキで仮装している子たちが多かった。カボチャの形や色を意識して作られた服を着ていたセイナちゃんとか、お姫様の格好をしたツムギちゃんとか、魔女の格好をしたエイシ君とか、スーパーマリオの格好をしたコウキ君とか。なかには、映画「アルマゲドン」に出てくる宇宙服みたいなものを着ている子もいて、30分のためだけに、みんなの力の入れようがすごくて、すっかりと気後れしてしまった。うちは、プレゼントでもらった赤いワンピースに、(姪のお下がりの)黒猫の顔をデザインした防寒帽子なのだから、原価はゼロ円である。しかもコンセプトもよくわからない。

パーティーといっても、ポラロイド写真を撮って、2種類のちょっとしたゲームをして、主催者の保護者会からお菓子をもらう、という簡単なものだったのだが、驚いたのは、魔女の格好をしたエイシ君である。

彼は、あらかじめ自分でお菓子を用意していて、クラスメートの何人かに、「はい、これ」とクールな感じでお菓子を配ったのである。そんなことをやっていることは、誰もいなかったぞ、というか、思いもつかなかったぞ。惚れてまうやろ!

前々から薄々と感じていたが、エイシ君は立ち居振る舞いが男前(死語)なのである。今回も、魔女の格好をするとか、お菓子を仲のいい子に配るといったハロウィンでのたしなみを、彼はちゃんと理解していたのだ。もちろん、親の分別が多分に影響しているのだろうけれど。

決められた時間が終わり、公民館を出ても、公民館の前でみんながダラダラとたむろしている。大学生にたとえると、1次会が終わり、2次会に行くの?行かないの?って感じで、未練たらしく居酒屋の前でたむろしている集団のようなものである。

主催者の人が、「そろそろ次のクラスの子たちが来るので、お帰りくださ~い」と呼びかけても、なかなかみんなが動こうとしない。

そんな中、エイシ君は、

「じゃ、僕、帰ります」

と言って、未練を残すことなく、颯爽と帰って行った。惚れてまうやろ!

エイシ君、将来、絶対モテると思うぞ。

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