全くもって不本意である
仕事柄、他人が書いた文章を読む機会が多い。それが自分の好きな作家の本などであれば問題ないのだが、趣味としてではなく、職業的に読まなければならない文章を次から次へと読まされるとなると、時にひどく苦痛になることがある。
以前にも書いたかもしれないが、明らかな悪文や、自分とはリズムの合わない文章を読んだりすると、具合が悪くなるのである。
これも以前に書いたかもしれないが、美術に造詣の深い友人が、下手な絵を見ると具合が悪くなる、と聞いたことがあるが、それと同様の心理だと思う。
たとえば、こんな小さなことに、腹を立ててしまう。
赤の他人の文章を引用しなければならないとき、当然書かれている表記を忠実に写さなければならないのだが、パソコンのワープロソフトでそれをやると、自分はここで漢字変換しないのになあ、というところで漢字変換をしていると、腹が立つのである。
僕がいちばん腹が立つのは、「すべて」を「全て」と書いてある文章である。
若い頃、「すべて」を「全て」と書くのは誤用である、ということを聞いたことがある。「全」は「全く(まったく)」とは使っても、「全て」とは表記するのは本来は間違いなのだ、と教えられたのである(ちょっと時間がなくて裏とりができない)。
それ以来、僕は「すべて」を「全て」と表記することを嫌い、ひらがなで表記することにした。そうなると、僕がふだん使っているワープロソフトも、その経験を覚えてくれて、「すべて」と打つと、「すべて」というふうに、漢字変換しない形で、優先的に出てくるのである。
ところが、他人の文章を引用しなければならない事態になり、そこに「全て」と表記されていると、その通り「全て」と書かなければならない。
それだけでもう不機嫌になるのだが、さらに困ったことに、いちど他人の文章に合わせて「全て」と表記してしまうと、次に自分が「すべて」と打ったときに、「全て」と優先的に変換されてしまうのである。これはまったくもって不本意である。なんというか、自分の中にある美意識が蹂躙されたような気になるのだ。俺は「全て」と書きたいんじゃない!「すべて」だ!と。
まあ、漢字をあえて多用する文章が嫌いなわけではないのだが、「全て」だけは、喉に刺さった魚の小骨のように、ピンポイントで僕に不快感を与えるのである。こういう症状は、ひと言でなんと言えばいいのか。
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