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「戦艦大和」日記

11月21日(日)

この週末は、土日に別々のオンラインの会合があり、すっかり疲れはててしまった。

休日には、わが子と遊びたい、とか、本を読みたい、とか、映画を見たい、という思いにとらわれるのだが、オンライン会合はその自由を奪う存在で、つまりは自宅に居ながらにして身柄を拘束される,軟禁状態に等しい。しかも両会合とも、自分がまったく気の進まない内容ときているのだから、目も当てられない。

という愚痴はこれくらいにして…。

先日、Dream Libraryを訪れた、といったが、そこで一緒に調査をしていた知り合いの編集者が、ふとした雑談で、

「早坂暁先生の『「戦艦大和」日記』という長編小説がめちゃくちゃおもしろいですよ。僕が編集を担当したんですけど」

という。「日記」という体裁を借りて、史実と虚構を織り交ぜた物語らしい。

脚本家の早坂暁さんをめぐるお話については、このブログでも以前に何度か書いたことがある。

僕は恥ずかしながら,早坂さんの『「戦艦大和」日記』の存在を知らなかったが、気になって古書店サイトからそれを取り寄せて、読んでみることにした。

いま1巻を読みはじめたところなのだが、これがとてもおもしろい。さすが脚本家、というべきか、読んでいると、自然と映像が浮かんでくるのである。たとえば、第1巻のこんなところ。

「昭和九年九月二十七日 曇

東京玉の井遊郭から二十三歳の娼婦が、東武鉄道の線路づたいに脱走を試みていた。草履もとばして裸足である。走る力もなく、這うようにして浅草の方向に向かっている。雲が月を隠してくれたのが幸いしてか、無事玉の井の街をぬけて、南喜一の家に駆け込んだ。

 南喜一は元は職工五十人ばかり使ってエボナイトや石鹸をつくる工場を経営していたが、労働運動をしていた弟の変死から、神鏡を一変させ工場を売り払い、無産運動に身を投じた人物である。総同盟の争議部長となって争議を指導する一方で、玉の井遊郭にビラをまいて娼婦の待遇改善を呼びかけていた。

『助けて下さい』

娼婦は南のばらまいたビラを拾って、決死の脱走を図ったのだ。

女の名は川村ミツ。山形県米沢盆地の村の出身である」

まるでドラマの冒頭シーンのようで、この後の展開を期待させる筆致である。

まだ第1巻の途中までしか読んでいない人間が言うのもおかしな話で、しかもこういう言い方が適切かどうかわからないのだが、これが大河ドラマになったら、傑作になったのではないかと、想像する。

そして同時に、以前から漠然と抱いていたある仮説が僕の頭に浮かび、僕はその仮説をその知り合いの編集者に言ってみた。

それは、早坂暁さんのドラマは、「日記」というのが重要なキーワードになっているのではないか、という仮説である。

代表作の『夢千代日記』はもちろんだが、もう一つの代表作である『花へんろ』も、「風の昭和日記」という副題がついていた。

少し前に、BSフジで再放送していた、渥美清の若い頃を描いたフジテレビのドラマのタイトルも『渥美清のああ、青春日記』だった。そういえば、毎日放送のドラマ『人間の証明』は、岸本加世子さんの日記風のナレーションが全編にわたって流れるし、先日、NHK-BSPで再放送されていた高倉健さん主演の『刑事』では、日記が事件を解く重要な手がかりになっていた。

僕がそう思う根拠はこれだけにとどまらない。小学生の時に観たTBSテレビ放送のドラマ『関ヶ原』で、鮮烈な印象を残したのは、じつに些細なところなのだが、第二回の放送のいちばん最後、石田三成が徳川家康に幽閉される場面で「この日、イギリスの都・ロンドンでは、シェークスピアの『真夏の夜の夢』が上演されている」という石坂浩二さんのナレーションであった。のちに司馬遼太郞の原作を読んだときに、たぶんこの記述はなかったと思うので、早坂さんのオリジナルなのだろうと思う。このナレーションがとても印象深く、このナレーションは後々まで私の記憶に残り続けたのである。いま思うと、このナレーションも、その日に起こった出来事を語るという意味で、日記的な叙述だなあとあらためて思うのだ。

と、ここまで言ったところ、その編集者は、「早坂先生ご本人は日記をつけておられなかったそうです」とのことで、これもまたじつに不思議だなあと感じた。

妙な話だが、僕はここ最近、他人の日記を読むことに関心があり、「日記」と名のついた作品にひどく興味を持っているのである。

そこで、じつに久しぶりなのだが、以前に一度だけお手紙をやりとりしたことがある早坂さんの奥様に、近況報告の代わりに自分が関わった本をお送りがてら、以上のような仮説を手紙に認めてお送りした。なんともはや、僕は厚かましい人間である。

すると数日後、じつにご丁寧なお返事をいただいた。

『「戦艦大和」日記』については、この作品を書くにあたって司馬遼太郞が関わっているということや、ドラマの関係者からも映像化への期待が大きかったのだが、残念ながら小説自体が未完となってしまったこと、などが書かれていた。

そして、僕の仮説については、「たしかに,早坂の作品には『○○日記』とつく作品が多くあります」とした上で、僕が未見だった『○○日記』の作品名をいくつもあげていただいた。

更に、早坂さん自身が日記をつけていなかった、ということについては、たしかに日記はつけていなかったけれど、スケジュール帳はしっかりと付けていたので、それを見れば記憶をたどることができた、という。

そして奥様自身も、日々の記録をつけておられたが、早坂さんが亡くなられた後は止まってしまったという。その代わりに、知り合いの編集者が開設してくれたTwitterで、早坂暁さんの言葉を毎日更新しているのだという。

「早坂の書いた文章はたくさんのこっていますので、夕方18時前後には必ず更新して、早坂の遺した言葉を投稿しています」と書かれていた。

奥様は、早坂さんの言葉を毎日Twitterに更新することで、早坂さんのことを毎日のように思い出しているのだろう。

僕も、なるべく多くの言葉を遺そう。

そして、『「戦艦大和」日記』は、未完に終わらせずに読破しよう。

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