自虐ではなく、讃歌
12月12日(日)
さて、今日から24日までの約2週間は、怒濤の日々である。
手始めの今日は、午前中に2時間半のオンライン会議を行った。僕が責任者となって行う、約1年後に控えたイベントに関する会議である。当然、僕が会議の司会進行役なので、2時間半の間、まったく気が抜けない。
(とうとう始まったか…。あともどりはできないな…)
すでに頭を使いすぎてグッタリ疲れてしまった。
午後、というか夕方は、自宅を出て、新幹線で2時間以上かかる北の町に出張である。午前中の会議の件とはまったく別の仕事なので、頭を切り替えなければならない。この「頭を切り替える」という作業が、なかなか大変である。クールダウンが必要なのだが、なかなかその時間がとれない。強いていえば、新幹線の中が、クールダウンの時間である。
新幹線の中でちらほら考えたこと。
NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」の影響もあって、家ではすっかり阿佐ヶ谷姉妹づいている。3歳8ヵ月になる娘は、もうすっかり阿佐ヶ谷姉妹の虜になり、「阿佐ヶ谷に行きたい」と言い出した。24日まではまったく時間がとれないので、年末に阿佐ヶ谷に連れて行く約束をした。もちろん北口。
数年前まで僕は、阿佐ヶ谷姉妹の二人の区別がつかなかった。
ドラマの「のほほんふたり暮らし」第5回では、姉のエリコさんが、コンビではなくピン(一人)で仕事をする機会が増えたエピソードを紹介している。僕はその場面を観て、
(そういえば何年か前、エリコさんがピンで仕事をしていたな…)
と思って、思い出したのが、当時深夜に放送されていた、「かりそめ天国」というバラエティー番組だった。
2017年頃だったと思う。その番組の中で、駆け出しの芸人がいろいろなことに挑戦するというコーナーがあったのだが、僕が強烈に覚えているのが、「阿佐ヶ谷姉妹のうちの一人が、まる一日、フランス料理のフルコースを食べ続ける」という企画だった。
なるほど、あのときはたしかにエリコさんがピンで仕事をしていたなぁ。ドラマで描いていたのはこういうことだったのだな、と思っていたら、それがとんでもない間違いであることがわかった。
調べてみると、まる一日フランス料理をフルコースを食べ続けるという企画に挑戦していたのは、姉のエリコさんの方ではなく、妹のミホさんの方だったのだ!
…と、ここまで、阿佐ヶ谷姉妹にさほど興味のない人が読んだら、「そんなことどっちでもいいじゃん!」と思うかもしれないが、さにあらず。ここが重要なのである。
僕はその番組を観ていたとき、そのロケをあまりにそつなくこなしていたから、後になってだんだんわかってきた二人のキャラクターの違いから、てっきり姉のエリコさんの方だと、僕の中の記憶が上書きされていたのである。エリコさんがピンで活動していた時期は、その番組よりももっと古く、2012~2013年頃だったそうだ。
つまり何が言いたいかというと、当時はそれほど、僕の中で二人の見分けがつかなかったのである。
二人の見分けがつくようになったのは、阿佐ヶ谷姉妹が2020年の春から文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」の月曜パートナーになった頃からである。
いや、正確に言えば、最初はラジオを聴いてもあまり区別がつかなかった。転換点となったのは、2020年6月、阿佐ヶ谷姉妹がよく通う「朝陽」という中華料理屋さんのエアコンが壊れて、修理をどうしようか、ということを2週にわたってオープニングトークで姉のエリコさんが話したときである。何ということのない話なのだが、エリコさんの話し方がまるで落語を聞いているようで、思わず聴き入ってしまった。このときから僕は、阿佐ヶ谷姉妹の二人の個性、というものを、はっきりと認識するようになったのである。
二人の個性を認識するようになってから、阿佐ヶ谷姉妹の真の面白さに気づいた、と、こういうわけである。
いまや阿佐ヶ谷姉妹の漫才やコントの「おばさんネタ」は、安定した面白さを誇っている。しかしそれは、決して自虐ではない。おばさんに対する肯定であり、讃歌なのだ。その点がいま、阿佐ヶ谷姉妹が支持されている最大の理由なのではないかと思うのだが、いかがだろう。
この国の社会では、長らく「おばさん」という言葉に、揶揄や侮蔑的な意味合いが込められていたのではないかと思う。しかしその意識を根本から変えてしまう可能性を、阿佐ヶ谷姉妹は持っている。同じくジェーン・スーと堀井美香アナのコンビも、ポッドキャスト番組「OVER THE SUN」の中で意識改革をうながしている。両者はまったく異なるアプローチの仕方だが、同じ高みへと向かっている気がしてならないのである。
そういえば、武田砂鉄氏は、「のほほんふたり暮らし」のドラマ評として、こんなことを書いていた。
「これから、世界に平和が訪れる可能性ってかなりわずかだと思うのが、わずかだけ残っているとしたら、「その人(たち)がそう思ってるならそういうことでいいじゃないか」と思える場面をいかに増やせるかだ」(「ワダアキ考 テレビの中のわだかまり」2021年11月24日)
阿佐ヶ谷姉妹の生き方に世界平和の可能性を見いだす武田砂鉄氏。それになぞらえて僕もちょっと大げさな言い方をするならば、阿佐ヶ谷姉妹の生き方は、究極のSDGsなのではないか、と思う。もっとも、SDGsの意味はよく知らないんだけれども。
| 固定リンク
« ラジオコントの復権 | トップページ | 雪中行軍 »
コメント
旅の空である。
実に久しぶりの書き出しだ。
しかし、暗いうちから出発してたどり着いた北の街の、公共交通のつながりが悪い場所なので、帰りのバスまで4時間もある。
コロナで休業のみせも多く、街歩きも雨で早々に切り上げて、美術館でマンガを読んで時間をつぶすことにした。
普段、マンガなど読まないが、読んでみるとものすごく速読できる。活字本なんてナメクジの這うようなスピードでしか読めないのに。
1時間で6冊読んだが、最初の3冊が三頭身キャラが南の島で悲惨な戦争をする話で、3巻では完結もしていないので、げんなり感も3倍増ししてしまった。
そこで下に並んでいるマンガを読むと、ママチャリがすごく漕げる高校生の話なので、これは鬼瓦さんのママチャリトレーニングの参考になるだろう。
そのマンガの言うことには、明日からは秋葉原まではママチャリで通うと足腰が鍛えられるし、アイドルのガチャも5回分回せるらしい。あと、職場の裏手に裏門坂を作って、いけ好かないロード乗りと競争していると、同級生の自転車屋の娘がサービスでママチャリの前ギアを、ロード用に取り替えてくれるらしい。
残念なことに、マンガは意外に文字が多く、それも小さく書いてあるので、主人公の脚力がすり切れる前に、こちらの老眼がかすんで読み進められなくなったので、マンガの続きは自分で読むように。
投稿: こぶぎ | 2021年12月13日 (月) 00時14分