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阿佐ヶ谷つながり

阿佐ヶ谷を舞台にした小説を探していたら、野呂邦暢の『愛についてのデッサン』(ちくま文庫、2021年)に出会った。

野呂邦暢は、1980年に42歳で亡くなった、長崎県出身の芥川賞作家である。諫早を拠点に作家活動を続けていた。

実は20代前半の頃、野呂邦暢という作家に興味を持ち、芥川賞受賞作『草のつるぎ』をはじめとする小説を読んでみようと手に取ったのだが、短編小説であるにもかかわらず、どういうわけか、途中で挫折してしまった。

2002年に『草のつるぎ』が文庫化されたのを機に、いまいちど、野呂邦暢の小説に挑戦しようとしたのだが、やはりなぜか挫折してしまった。

自衛隊に入隊した経験をもとに書かれた小説というイメージがあり、自分とは無縁の世界と感じていたからかもしれない。

阿佐ヶ谷姉妹をきっかけに、僕が若い頃に読もうとして挫折した野呂邦暢の存在が、ふたたび僕の前にあらわれてきたのは、まことに不思議な縁である。

『愛についてのデッサン』は、阿佐ヶ谷の古書店を舞台にした連作小説である。文庫のカバーに書かれている説明書きによれば、「古本屋稼業に静かな情熱を燃やす若き店主、佐古啓介が謎めいた恋や絡み合う人間模様を、古書を通して事情を解き明かす異色の青春小説として根強い人気を誇る傑作」とある。殺人事件とか、難しい謎解きとか、推理小説というわけではないのだが、ミステリー要素の強い小説である。

阿佐ヶ谷駅北口の「佐古書店」という古本屋が舞台である。もちろん実在の古本屋ではない。しかし小説の中では、佐古書店の住所を、「杉並区阿佐谷北 一の六の五」としている。いま、この住所で検索をしてみると、阿佐ヶ谷駅北口のスーパー「西友」の裏手あたりだろうか。

それにしても、野呂邦暢は、なぜ舞台を阿佐ヶ谷に選んだのか。野呂邦暢が上京するたびに、神保町、早稲田界隈、そして中央線沿線の古本屋をめぐることを楽しみにしており、古本屋を写真にまで収めていたことは『野呂邦暢 古本屋写真集』(ちくま文庫、2021年)からもわかる。しかしなぜ、神保町でも早稲田界隈でもなく、阿佐ヶ谷なのか。『愛についてのデッサン』巻末の、岡崎武志氏の解説によると、「一九七七年阿佐ヶ谷に十一軒あった店舗のうち、営業を続けているのは「千草堂書店」のみ。消沈の激しい数十年だった。その後にできた「銀星舎」「コンコ堂」とともに中央線沿線の古本屋文化をかろうじて守っている」とある。神保町や早稲田界隈の「古本屋街」よりも、古本屋が点在する阿佐ヶ谷のほうに郷愁を感じていたのかもしれない。

『愛についてのデッサン』は、副題に「佐古啓介の旅」とあるように、若き古書店主の佐古啓介を主役にした、6篇からなる連作小説だが、これがじつにおもしろかった。連続ドラマにしたらおもしろいのではないかと思うほど、読んでいると映像が浮かんでくるのである。

巻末の解説で岡崎武志氏は、「『愛についてのデッサン』は、「火曜サスペンス劇場」のような二時間ドラマの原作になりうる」と書いているが、僕の読後感で言うと、「火曜サスペンス劇場」ほどの事件的な展開はなく、むしろNHKでむかし放送していた「ドラマ人間模様」にふさわしい原作である。

僕が好きなエピソードは、「若い砂漠」。佐古啓介は、ふとしたきっかけから、大学時代の友人だった鳴海健一郎のことを思い出す。彼は大学時代に、大学新聞に書いた懸賞小説が入賞し、批評家に賞賛される。だが鳴海は、俺の小説の価値があんな批評家たちにわかってたまるか、あんな批評家に認められるくらいなら、小説を書くのをやめる、と虚勢を張り、大学を卒業した後は放送局や芸能事務所に勤めることになる。

古書店主となった佐古はあるとき、鳴海が神戸の同人雑誌に書いた小説が批評家の目にとまっていることを知り、鳴海に会いに神戸を訪れる。鳴海は、同人雑誌に書いた小説が、今度の「A賞」(芥川賞を想定していると思われる)の候補作になるに違いないこと、そして、「A賞」の審査員の「票読み」をして、自分の小説が「A賞」を受賞することは間違いないことを、嬉々として佐古に語るのである。鳴海の虚栄心の強さを目の当たりにした佐古は、「鳴海と会うのはこれでこれで終りになりそうな気がし」て、鳴海と別れることになる。

僕も大学時代に、鳴海と似たような友人がいた。そういえばあいつ、いまはどうしているのだろう?

それはともかく、この小説を書いている時点で、実際に芥川賞を受賞している野呂邦暢は、どういう気持ちでこのエピソードを書いたのだろう。自分への戒めなのか、それとも、実際にそういう友人がいたのだろうか。いろいろな想像が広がる。

ということで僕はようやく、野呂邦暢の小説を、挫折することなく読むことができたのである。これも、阿佐ヶ谷が結んだ不思議な縁である。

これからも阿佐ヶ谷駅北口の「西友」の前を通るたびに、野呂邦暢のこと、そして「佐古書店」のことを、くり返し思い出すことになるだろう。

『愛についてのデッサン』の文庫本には、「佐古啓介の旅」シリーズのほかに、いくつかの短編小説も併載されている。その中で、「世界の終わり」という短編小説は、ビキニ環礁での核実験で第五福竜丸が被爆の被害にあった事件から発想したディストピア小説である。

野呂邦暢は少年時代、長崎に原爆が落とされた日に、諫早から長崎を遠望している。長崎市の国民学校に通っていたときの同級生のほとんどはそのときに死亡したという。あるいはそのときの体験の記憶が、この小説に影響しているのかも知れない。

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