TBSラジオ70周年
12月24日(金)
昨年とは別の意味で、「とんだ仕事納め」だったが、実際は全然納まっておらず、重要な案件は年明けに持ち越しである。
今日は朝からTBSラジオで、70周年記念の特別番組である。
午前中は在宅で職場の会議に参加し、会議が終了したお昼に車で職場に向かう。ラジオをつけたら、特番の第2部で、ジェーン・スーさんと太田光の声が聞こえた。
あと一人、男性の声が聞こえたが、この声はひょっとしてハライチの岩井勇気ではないかな?、と思ってしばらく聴いていたら、はたして岩井勇気だった。すごくない?だって、ついちょっと前までは、岩井勇気のこと、まったく認識していなかったんだぜ。それがいまでは、声だけでわかるようになったんだから、「アシタノカレッジ 金曜日」の力は絶大である。
2時間半かけて職場に到着し、そこからまったく休みなしで次々と案件が降りかかってくる。あっという間に夜になってしまった。
帰りの車の中では、radikoのタイムフリーでTBSラジオの特番の第3部を聴いた。荻上チキさんと南部広美さんと武田砂鉄氏が司会で、TBSラジオのニュース・情報番組にゆかりのあるゲストが次々と登場した。
感慨深かったのは、「荒川強啓 デイキャッチ」の荒川強啓さんと、宮台真司氏と、青木理氏が3人で登場したときである。久しぶりに荒川強啓さんの声が聴けた。
「デイキャッチ」については、以前に「強啓ロス」というタイトルで書いたことがある。
この3人の話でおもしろかったのは、コメンテーターの二人から見た強啓さん像と、実際の強啓さんとが、まるで異なっていたことである。
宮台氏と青木氏は、「どんなにあぶない発言をしても、強啓さんがうまくまわしてくれるから、安心して好き勝手なことが言えた」と口を揃えていう。
しかし強啓さんは、「冗談じゃないですよ」という。「宮台さんはコメントの中で爆弾を投げて、ご自身のコーナーが終わると帰っちゃうからいいけど、こっちはそのあとも番組を続けなければいけないんですよ。宮台さんの過激な爆弾(発言)をどう処理していいか、いつも途方に暮れていましたよ」
それに対して二人は、「全然そんなふうにはみえませんでしたよ。いつも冷静に対応されていて…」と言っていたのだが、いやいやいや、リスナーの耳には、強啓さん、そういうときは明らかに困っていたぞ。
以前に僕はこんなことを書いた。
「宮台真司の暴走に対して、さすがの強啓さんも、呆れて何も言えなくなる場面がしばしばあった。というか、宮台真司が暴走しすぎて何言ってるかわからない時の、強啓さんの困った感じ、というのがたまらなく好きだったのだ。」
今日はその答え合わせができた。やはり強啓さんは宮台氏の暴走に困っていたのだ。
そのあとも、「BATTLE TALK RADIO アクセス」とか「ニュース探求ラジオDig」だとか、夜のニュース番組を担当した論客たちがゲストに来た。その中で、個人的にちょっと苦手なタイプの人が出てきて、口調が横柄だし、いやだなあと思って聴いていた。
気がついたら、武田砂鉄氏もまったくそのゲストに絡もうとしない。ははあ~ん、ひょっとして砂鉄氏もこのゲストが苦手だな、あんまり関わりたくないような雰囲気を醸し出しているな、ということが、無言の様子から想像できた。
やはりラジオってすごいね。映像がなく、さらに無言なのにもかかわらず、その人の感情が透けてみえるのだから。
同日夜の「アシタノカレッジ 金曜日」のアフタートークで、(そのゲストが出たあとに)澤田大樹記者がゲストに出たときには、ホッとした、といったようなことを述べていた。これもまた答え合わせである。
ただ、「アクセス」をずっと聴いていた人からすれば、懐かしい声なのだろう。
僕が「BATTLE TALK RADIO アクセス」とか「ニュース探求ラジオDig」に対してまったく思い入れがないのは、ちょうどこのころ、ラジオを聴かなくなってしまったからだろう。しかも2000年から2014年までは、TBSラジオが聴けない地域で暮らしていたため、この時期のTBSラジオの番組は、ポカーンなのである。
ただ、朝の森本毅郎さんや、夕方の荒川強啓さんは、番組の一部が全国ネット化されていたから、ずーっと聴いていた、という印象がある。「話題のアンテナ 日本全国8時です」の小沢遼子さんとか荒川洋治さんとか、「デイキャッチ」内の「うわさの調査隊」とか、好きでよく聴いていたなあ。
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