埋もれたラジオ番組
最近、しきりに思い出されるのが、NHKラジオで1982~1983年ごろに放送された「芸能ダイヤル」という番組である。
1978年~1982年にNHKラジオの午後8時台に放送された「おしゃべり歌謡曲」の後継番組である。そもそも「おしゃべり歌謡曲」じたいがほとんど歴史に埋もれた番組なのだが、その後継番組である「芸能ダイヤル」は、さらに埋もれている。インターネットで検索してみても、ほとんどヒットしない。まるでなかったことになっているような番組である。
「おしゃべり歌謡曲」はたしか40分程度の番組だったと思うが、「芸能ダイヤル」は、時間が拡大され、ワイド番組的な感じだった。僕はこの番組を、かなり熱心に聴いていたと記憶している。(その時点での)むかしの落語の音源を放送するコーナーがあって、僕はそれがきっかけで、落語が好きになったので、この番組の存在は、よく覚えているのである。
パーソナリティーは日替わりだった。月曜日は「おしゃべり歌謡曲」に続き、近石真介と平野文のコンビ、火曜日はクラリネット奏者の北村英治と女性アシスタント(名前は失念)、水曜日は脚本家の佐々木守と女性アシスタント(名前は失念)だったと思う。曜日の記憶には不安があるが、パーソナリティーについては、はっきり覚えている。
このブログでもたびたびファンを公言している近石真介は、軽妙な喋りだったのに対し、ミュージシャンの北村英治は、じつにソフトな語り口だった。脚本家の佐々木守は、とてもシブい語り口で、三者三様の語り口だった。当初は、佐々木守とは何者なのだろう?と思って聴いていたが、後に「ウルトラマン」などの脚本を手がけた人だということがわかって、そこから、佐々木守氏に対する興味が俄然沸いたのだった。
脚本家がラジオパーソナリティーに抜擢される、というのは、いまで言えば、ライターの武田砂鉄氏がラジオパーソナリティーに抜擢される、といった感じなのだろうな。僕が武田砂鉄氏のラジオを熱心に聴くのは、少年期に佐々木守氏のラジオを熱心に聴いていた原体験によるものかも知れない。
ちなみに、ウィキペディアで近石真介、北村英治、佐々木守を調べても、出演ラジオの項目に「芸能ダイヤル」の番組名はない。つまり、佐々木守がラジオパーソナリティーをつとめたという歴史を知っているのは、世界で僕だけなのだ。というか、ここまで記録がないと、ほんとうに「芸能ダイヤル」という番組は実在したのか?と疑いたくなる。
「芸能ダイヤル」は、それほど長く続かなかったように記憶する。TBSラジオでたとえるならば、「おしゃべり歌謡曲」が「荒川強啓 デイキャッチ」だとして、「芸能ダイヤル」は「アクション」みたいなものである。佐々木守さんは、ラジオパーソナリティーとしてもけっこういけるのではないかと子ども心に思っていたが、その後、佐々木守さんの声をラジオで聴いた記憶はない。
シブい声といえば、先週の「アシタノカレッジ 金曜日」のゲストは姜尚中さんだった。パーソナリティーの武田砂鉄氏は、姜尚中さんのシブい声のために、番組の途中で寝てしまう人が続出するのではないかと懸念していたが、かくいう僕も、姜尚中さんと武田砂鉄氏の対談が始まると、ほどなくして意識を失い、ハッと目覚めたときには午後11時。ちょうど二人の対談が終わった時間だった。恐るべし、姜尚中氏の睡眠導入声である。
最近は、どういう人がラジオのパーソナリティーにむいているのだろうと、そればかりを気にして、人を見ている。
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