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2022年1月

埋もれたラジオ番組

最近、しきりに思い出されるのが、NHKラジオで1982~1983年ごろに放送された「芸能ダイヤル」という番組である。

1978年~1982年にNHKラジオの午後8時台に放送された「おしゃべり歌謡曲」の後継番組である。そもそも「おしゃべり歌謡曲」じたいがほとんど歴史に埋もれた番組なのだが、その後継番組である「芸能ダイヤル」は、さらに埋もれている。インターネットで検索してみても、ほとんどヒットしない。まるでなかったことになっているような番組である。

「おしゃべり歌謡曲」はたしか40分程度の番組だったと思うが、「芸能ダイヤル」は、時間が拡大され、ワイド番組的な感じだった。僕はこの番組を、かなり熱心に聴いていたと記憶している。(その時点での)むかしの落語の音源を放送するコーナーがあって、僕はそれがきっかけで、落語が好きになったので、この番組の存在は、よく覚えているのである。

パーソナリティーは日替わりだった。月曜日は「おしゃべり歌謡曲」に続き、近石真介と平野文のコンビ、火曜日はクラリネット奏者の北村英治と女性アシスタント(名前は失念)、水曜日は脚本家の佐々木守と女性アシスタント(名前は失念)だったと思う。曜日の記憶には不安があるが、パーソナリティーについては、はっきり覚えている。

このブログでもたびたびファンを公言している近石真介は、軽妙な喋りだったのに対し、ミュージシャンの北村英治は、じつにソフトな語り口だった。脚本家の佐々木守は、とてもシブい語り口で、三者三様の語り口だった。当初は、佐々木守とは何者なのだろう?と思って聴いていたが、後に「ウルトラマン」などの脚本を手がけた人だということがわかって、そこから、佐々木守氏に対する興味が俄然沸いたのだった。

脚本家がラジオパーソナリティーに抜擢される、というのは、いまで言えば、ライターの武田砂鉄氏がラジオパーソナリティーに抜擢される、といった感じなのだろうな。僕が武田砂鉄氏のラジオを熱心に聴くのは、少年期に佐々木守氏のラジオを熱心に聴いていた原体験によるものかも知れない。

ちなみに、ウィキペディアで近石真介、北村英治、佐々木守を調べても、出演ラジオの項目に「芸能ダイヤル」の番組名はない。つまり、佐々木守がラジオパーソナリティーをつとめたという歴史を知っているのは、世界で僕だけなのだ。というか、ここまで記録がないと、ほんとうに「芸能ダイヤル」という番組は実在したのか?と疑いたくなる。

「芸能ダイヤル」は、それほど長く続かなかったように記憶する。TBSラジオでたとえるならば、「おしゃべり歌謡曲」が「荒川強啓 デイキャッチ」だとして、「芸能ダイヤル」は「アクション」みたいなものである。佐々木守さんは、ラジオパーソナリティーとしてもけっこういけるのではないかと子ども心に思っていたが、その後、佐々木守さんの声をラジオで聴いた記憶はない。

シブい声といえば、先週の「アシタノカレッジ 金曜日」のゲストは姜尚中さんだった。パーソナリティーの武田砂鉄氏は、姜尚中さんのシブい声のために、番組の途中で寝てしまう人が続出するのではないかと懸念していたが、かくいう僕も、姜尚中さんと武田砂鉄氏の対談が始まると、ほどなくして意識を失い、ハッと目覚めたときには午後11時。ちょうど二人の対談が終わった時間だった。恐るべし、姜尚中氏の睡眠導入声である。

最近は、どういう人がラジオのパーソナリティーにむいているのだろうと、そればかりを気にして、人を見ている。

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友だちの友だちは友だちなのか

1月28日(金)

「アシタノカレッジ 金曜日」の澤田大樹記者は、今日は自宅からのリモート出演だった。理由は、子どもの保育園が休園になり、子どもが感染した疑いが排除できないからだという。たとえ感染していなくても、休園になると、それにより同居の家族が出勤できなくなることには変わらない。「濃厚接触者の濃厚接触者は、濃厚接触者なのか?よくわからない」と澤田大樹記者は疑問を呈していたが、新型コロナウィルスの最前線で取材している澤田記者ですらわからないのだから、ましてや僕がわかるはずもない。いったい公式見解はどうなっているのだろう?調べてもよくわからない。

僕は、出張の全面禁止を提案し、それが当面の方針として受け入れられたのだが、なかには不満に思っている人もあり、罵倒に近いメールが来ることもある。いわく、いきなり有無を言わせず全面禁止するとは何事か、向こうから呼ばれているのに、こっちの乱暴な禁足令で出張できないのは先方に対して失礼である、それに対する説明と謝罪がたび重なり、その調整に疲れはて、心労で倒れそうになる、と。

しかし僕からいわせれば、こんな状況で遠くから人を呼ぼうという方がどうかしている。僕の肌感覚でいえば、僕が県をまたいで参加する予定だった来月のイベントはことごとく中止かオンライン開催になり、オンライン開催の場合も、無観客試合をするという判断が下されたのである。昨年の今頃も、同じイベントがオンライン開催となったのだが、そのときは会場に観客を入れていた。つまり今の時期の方が、事態がより深刻であるととらえられているのである。

職場に関する仕事で、僕は自分が住んでいる市内のとある施設に来週訪問する予定だったのだが、それもキャンセルした。こんな状況で先方に迷惑をかけられないからである。

「先方では、感染対策を十分に講じているのに、十把一絡げで出張を禁止するのはおかしい」とも主張するが、感染対策を十分に講じていても、感染してしまうのがいまの変異株の感染力である。家と職場を往復していただけなのに感染してしまった、という事例は、枚挙にいとまがない。

それよりも僕が驚くのは、出張中止を各方面に説明することで疲れはてたと述べたことである。そういう主観を言っていいのならば、保育園が休園になり、子どもの面倒をみつつ在宅で仕事をすることに疲れはてた、という人も多いはずである。しかしそれに対して、誰に文句を言っても、どうにかしてくれるわけではない。

「出張を全面禁止すると、隠れて(休暇を取って)出張する人も出てきますよ」というが、それは、「濃厚接触者を出勤停止にすると、それを隠して出勤する人が出てきますよ」と同じ理屈にすぎない。

こういう苦情は、言われた方も「心労で倒れそうになる」。僕の体調は万全ではなく、治療後の後遺症で頭痛が続き、薬の副作用で腹痛が治まらない。しかし、こんなことは誰にも理解されない。時々、こういう苦情に対して心がブレそうになるが、ブレない方がいいんだろうな。

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「フジムラって誰?」

1月27日(木)

今週はいろいろとありすぎたが、書けないことが多いので、3歳10か月になった娘の話を書く。

いまでは、「大泉さん、大泉さん」と、すっかり大泉さんに取り憑かれたみたいで、ついに「水曜どうでしょう」デビューを果たした!

最初に見せたのは伝説の名作「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」である。娘は「スペシャル」とは言えずに、「夏野菜ピシェシャル」と言っている。「ピシェシャル」のほうが言いにくいと思うのだが。ちなみに「入浴剤」は「ミーヨク剤」、「ヘルメット」は「ヘムレット」と言う。

もう「夏野菜ピシェシャル」を何度くり返し見たことか。それに続いて、これも神回である「シェフ大泉 クリスマスパーティー」も見始めた。

「大泉さん」「ミスター」「onちゃん」はしっかりと認識できるようになったのだが、

「ねえねえ、フジムラって誰?」

と、藤村Dは、まだ謎の人物のようである。ディレクターという説明がむずかしいので、ひとまず「大泉さんのお友だちだよ」ということにしている。

「水曜どうでしょう」だけでなく、

「大泉さんのちょんまげが見た~い」

と相変わらず言っており、大河ドラマを見せているのだが、最近テレビ放送された映画「新解釈・三国志」も、「大泉さんのちょんまげ」のジャンルに入る作品として見ることになった。

僕もこの映画を初めて見たのだが、う~ん。どうなんだろう。賛否が分かれるだろうな。僕はこの作品を「悪ノリ」ととらえた。ま、それが意図するところなんだろうけれど。

ほぼ出演者が重なると思われる大河ドラマも、三谷幸喜氏らしい悪ノリがところどころに見られるのだが、かなり抑えられており、それが煩わしく思うことがあまりない。いわば「洗練された悪ノリ」なのである。もちろん、「大河ドラマ」という枠にはめられていることが大きいのだろう。

三谷幸喜流の「新解釈・三国志」も、できれば大河ドラマとして見てみたいところである。

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太陽は沈まず

1月23日(日)

この土日2日間は、僕が進行役のオンライン会議があった。

金曜日の退院後、その日のうちに休む間もなく会議資料を作り、翌日に会議の仕切りをするというのは、さすがに疲れる。1日目・土曜日の会議を終えたあとは、泥のように寝た。何が嫌いといって、会議ほど嫌いなものはないのだが、どういうわけかここ最近は、会議の仕切りをさせられることが多く、まったくこまったことである。しかも、会議は乗り越えるためのもので、実はそれ以降の実務の方がたいへんなのだ。そのことを考えるだけでも、気が重くなる。

日曜日の朝、10時からの会議前に気もそぞろなのだが、8時からBSプレミアムで再放送されている「ウルトラセブン」だけは忘れない。

少し遅れてテレビをつけると、いつもは1本だけなのに、よりによって今日は、「ノンマルトの使者」と「第四惑星の悪夢」の名作二本立てである。先週、トンガの海底火山の噴火による津波警報が出されていたために、放送されなかった「ノンマルトの使者」の回も含めて2本放送することになったのだろう。

(うーむ、しかしこういう精神状態では、腰を据えてみることができないな…)

食事中の娘は、「ノンマルトの使者」は食事をしながら観ていたのだが、「第四惑星の悪夢」の回になると、食事がピタッと止まり、画面に釘付けになっていた。やはり演出の実相寺昭雄による映像マジックに魅了されたのだろうか。

僕は気もそぞろで観ていたので、間違っているかもしれないが、「第四惑星の悪夢」って、「猿の惑星」の設定を逆にしたところから発想したエピソードだろうか?「猿の惑星」の映画の公開は1968年だったので、発想のヒントを得た可能性は十分にある。…とまあ、こんなことはすでに指摘されていることかもしれないけれど。それにしても「第四惑星の悪夢」って、いいタイトルだよなあ。

話は変わるが、トンガといえば、僕は小学生の頃から、トンガ王国に憧れていた。というのも、小学生の頃に、トンガ王国を舞台にしたテレビドラマを見たことがあるからである。

連続ドラマではなく単発のドラマで、当時子役だった坂上忍が主人公だった。坂上忍演じる小学生が、父の単身赴任先(だったか?)のトンガ王国を、夏休みに一人で訪れる、みたいな内容だったと思う。つまりそこでトンガロケが行われ、僕はそのテレビドラマを通じて、トンガ王国への憧れを抱いたのだった。いま思うと、なぜトンガ王国が舞台なのか、よくわからないのだが、おそらく、日本で初のトンガロケだったのではないかと思う。

坂上忍は、いまでは毒舌司会者として有名だけれども、僕が子どもの頃は、それはそれは天才的な子役だった。松田洋治と子役の人気と実力を二分していたんじゃないかな(私見)。

坂上忍がどんだけすごかったかというと、僕の妹が坂上忍の公式ファンクラブに入っていた、というくらいの人気である。妹は現在の坂上忍を見て、どんな気持ちを抱いているのかはわからないが、少なくとも僕は、わりと炎上しがちな発言をすることが多い坂上忍に対しては、あたたかく見守る、というスタンスをとっている。それは、子役から青年時代にかけて、役者としての坂上忍を見てきたことへの責任でもある。

さて、そのドラマについては、小学生の坂上忍がトンガに行った、という記憶しかなく、内容はまったく覚えていない。たしか石立鉄男が共演していたと思うが、親子の役だったっけな?いや、あれは「天まであがれ」だったか?

気になったので、インターネットで調べてみると、簡単に判明した。1980年2月26日の19時30分~21時54分に日本テレビで放送された「太陽は沈まず」というスペシャルドラマだった。1980年というと、僕が11歳の頃である。

坂上忍の父役は、竹脇無我だった。そういえばそうだったかもしれない。石立鉄男も出演していたが、クレジットは「特別出演」となっている。

インターネットを徘徊すると、このドラマをよく覚えている人がけっこういることに驚く。しかも不思議なことに、当時11歳だったとか、小学校5年だったとか、そういった人たちがこのドラマについて熱く語っている。つまり僕とほぼ同じ年齢の小学生たちの心をわしづかみにしていたのだ。それもそのはず、主人公の少年は、小学校6年生という設定だったからである。

考えてみれば、この当時の日本テレビは、少年少女の冒険もの、というコンセプトのドラマを、けっこう放送していた。西村寿行の「犬」シリーズが連続ドラマとして、1978年に「犬笛」、1980年に「黄金の犬」、1981年に「炎の犬」を放送している。もちろん主人公は犬なのだが、その犬にかかわる少女や少年の冒険譚でもある。ちなみに「炎の犬」に出ていたのが、坂上忍と子役の人気と実力を二分していた松田洋治である。

それはともかく、「トンガ」と聞くと、坂上忍のあのドラマを思い出し、当時ハワイもグアムも知らない小学生だった僕は、そのドラマを見て、ただただトンガに行きたいという思いだけがつのっていたことを思い出したのだった。

ところでインターネットのニュースを見ていたら、坂上忍が司会をしている「バイキングMORE」という情報番組で、レギュラーのアナウンサーが「トンガ頭痛」という言い方をして、SNSで炎上している、とあった。「トンガの海底火山の噴火により生じた衝撃波により気圧が変化し、気圧変化が原因で頭痛を感じる」という意味で使ったのだというが、地名を冠した病名は、あたかもトンガを加害者に見立て、その地で被災された人への配慮を欠いた表現なので、批判は当然だろうと思う。

かつてトンガで初のロケが行われたドラマに主演した坂上忍は、横にいたアナウンサーの失言に対してどのような思いが去来したのだろうか。番組を見ていないので、わからない。

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雑にあつかわれるのは、なじんできたからなのか?

1月21日(金)

3日間にわたる「ひとり合宿」、ええい、めんどくせえ、「入院」が無事に終了した。

もうすっかり恒例になってしまったため、担当の先生や看護師さんも、僕に対する扱いが雑になっている。

本来ならば初日に受付をすませて入室したあと、担当の先生が病室に来て次の日の治療の説明をするのだが、今回は、受付をすませて待合室で待っていると、担当の先生が通りかかり、

「ちょうどよかった。明日の件だけど…」と、次の日の治療スケジュールを教えてくれた。「よかった。病室に行く手間が省けた」と。

2日目は、3時間にわたる長丁場の治療が終わり、僕が病室に戻る前に、担当の先生が、

「このあと用事があるので、流れ解散ということで」

と、やはり病室に来て治療の結果を説明してくれなかった。「流れ解散」という言い方に、思わず笑ってしまった。

まあこっちも、よけいな気を遣わずにすむからかまわないんだけど。

看護師さんも、いちおう消灯時間の9時に、「消灯の時間です」と、部屋の扉を開けてひと言呼びかけるのが恒例なのだが、今回はそれもない。

こうなるともう完全な放置プレイである。

そういえば、初日の看護師さんは、ずいぶんとおしゃべりな人だった。

どういうわけか、僕に3歳の娘がいることを知っていて(話した記憶はないのだが…)、

「いま、娘さんは何に興味があるんですか?アナ雪とか?」

と聞いてくる。

「アナ雪もそうですけど、…阿佐ヶ谷姉妹ですね」

と言ったら、大爆笑された。

「阿佐ヶ谷姉妹ですか!私も大好きです」

「あと、…大泉洋さん」

「ああ、紅白歌合戦で司会してましたね。阿佐ヶ谷姉妹と大泉さんが好きって、ずいぶんシブい娘さんですね」

たしかにシブい3歳児だ。阿佐ヶ谷姉妹と大泉さんが共演したら、娘は狂喜乱舞するだろうな。

「担当の先生、すごく頭がいいんですよ」と看護師さん。

「わかりますよ」と僕。

「なにしろ、○○高校の出身で、現役で××大学に入ったんですからね。たしか息子さんも、○○高校じゃなかったかしら」

と、ずいぶんと個人情報を教えてくれる。というか、口が軽すぎないか??

あんな調子で、僕の個人情報も同僚の看護師たちに喋っているのだろうか。

まあ、毎回お世話になっているし、命を預けている身なので、それくらいのことはたいしたことでもないのだが。

今日の午前に退院し、お昼近くに帰宅したのだが、午後には職場のオンライン会議に参加しなければならなかった。事情を話したにもかかわらず、「休んでもいいよ」という人が一人もいなかったのは驚きだ。仮にも退院直後だぜ。俺の身体の深刻さがわかっていないのだろう。

明日からの土日もオンライン会議があり、進行役をつとめなければならない。先ほどまで会議資料を作っていたので、今日は「アシタノカレッジ 金曜日」は聴かない。

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三たびの海峡

1月20日(木)

ひとり合宿、2日目。

今回はいつになく長丁場で、なかなかツラいものがあったが、なんとか無事に終えた。

3時間にわたる長丁場の終了後、メールをチェックすると、本来ならばもっと早く提出しなければならなかったレポートについての進捗状況をたずねるメールが来ていて、これはたいへん申し訳ないことをしたと、急いでレポートを仕上げて送った(昨日書いていた職業的文章とは異なる)。期待にそったものになったかどうかはわからない。

このほかにも、週末の会議の資料を作らなければならないのだが、まったく手をつけていない。明日までにはなんとか作成して、事前に会議のメンバーに送らなければならないのだが、明日はそんな余裕があるかどうか、わからない。

現実逃避して、持ってきた本を読むことにした。

帚木蓬生の『三たびの海峡』(新潮文庫)という小説である。最近関わった仕事をきっかけに、読むことにしたのである。帚木蓬生の小説を読むのは初めてである、というか、この本を手に取るまで、恥ずかしながら名前を知らなかった。

たしか、映画にもなったことがあり、タイトルだけは以前から聞いたことがあった。その映画は見ていない。

わりと長編の小説なので、入手してからも読むのを躊躇していたのだが、わかりやすい文体のせいもあって、一気に読んでしまった。いやあ、すごい小説だ。これを映画にしたくなる気持ちもわかる。

しかし、いまのこの時代に、この国でこれを映画化することは、かなり難しいだろうな。

以前に映画化されたときは、出演者はほとんど日本の俳優だったと思うのだが、原作の趣旨からすると、少し違和感がある。もっとも、実際に映画を見てみたら、また印象が異なるのだろうけれど。

これはぜひ、韓国で映画化をしてほしい。その方が、原作の趣旨をストレートに表現できるのではないかと思うのだが、

まずは、映画版では日本の俳優がどのように演じているのか、見てみたいものだ。

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アンケート効果か

1月19日(水)

約3ヵ月に一度の恒例、3日間の「ひとり合宿」である。

毎回、仕事とは関係のない本を持っていって、初日は仕事を忘れて読み耽るのが恒例なのだが、今回は、やむにやまれず、締切がとっくに過ぎた職業的文章を書き続けることにした。ちっとも楽しくはない。

さて、どうでもいいことなのだが、ひとり合宿の部屋は、ビルの3階と4階で、ほとんど毎回、僕は4階の部屋があてがわれる。しかし困ったことに、4階の部屋のトイレには、温水洗浄便座がない。

一度だけ、3階の部屋をあてがわれたことがあったのだが、そのときの部屋には温水洗浄便座があった。ひょっとしたら、温水便座がついているのは3階の部屋だけで、4階の部屋にはついていないということなのではないだろうか。

前回のひとり合宿は4階だったので、意を決して、アンケート用紙に、

「できれば温水洗浄便座にしてほしい」

と書いた。

すると今回は、3階の部屋をあてがわれたのである。これって、アンケートに書いた効果なのか?

しかし、アンケートは無記名なので、誰が書いたかわからないはずである。

それに、僕が意図したのは、「全部の部屋を温水洗浄便座のトイレにして欲しい」ということだったのだが、とりあえずクレーム対策のために、3階の部屋をあてがわれたのだろうか。

そういえば以前、食事に鯖が出た時があった。そのとき、アンケートに、

「体調が悪い時の鯖はちょっと…」

と書いたら、それ以降、鯖が食事に出されることはなくなった。

やはりこれも、アンケート効果だったか。

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申し訳ないんだけど…

1月16日(日)

土日になると、身体がシャットダウンして、何もやる気が起きなくなる。

ところで、3歳9か月の娘の最近の口癖は、「申し訳ないんだけど…」である。

もっぱら、

「申し訳ないんだけど…、オシッコしたくなっちゃった」

というふうな使い方をする。

べつに教えたわけではないのだが、「申し訳ないんだけど…」という言葉を使うようになったのはなぜだろう?

…と思って記憶をたどって、思い出した!

昨年末に放送された「そろそろにちようチャップリン 「ASH&D」特集」というお笑い番組で放送された、阿佐ヶ谷姉妹のコントの一節である。「ASH&D」というのは、シティボーイズが立ち上げ、いまは阿佐ヶ谷姉妹も所属する芸能事務所のことである。

そのときにやっていたコントは、「温泉にやってきたおばさんふたりが、ゾンビになる」というネタなのだが、そのコントの中で、阿佐ヶ谷姉妹のミホさんが、

「渡辺さん、楽しい旅行中に申し訳ないんだけど、私、ゾンビになったみたい」

という台詞がある。コント中に、「楽しい旅行中に申し訳ないんだけど」というセリフが2回登場するのだが、娘はどうやらその台詞がいたく気に入って、「申し訳ないんだけど」という言葉を覚えたらしい。しかもその言い方が、コントの中でのミホさんの言い方にそっくりなのだ。

どうやら娘は、ミホさんのセリフがひどくお気に入りのようだ。

試しに、録画してあるそのコントをもう一度見せたところ、「楽しい旅行中に申し訳ないんだけど、私、ゾンビになったみたい」というセリフを、画面の中のミホさんよりも娘のほうが1拍早く発していた。つまり、ここでこのセリフを言う、ということを覚えているわけである。

次に、

「iPadで阿佐ヶ谷姉妹がみた~い」

というので、YouTubeで「阿佐ヶ谷姉妹」と検索し、サムネイルを見せたところ、

「これがいい」

と言って、NHKラジオの東京03の番組で、ゲストの阿佐ヶ谷姉妹が東京03とコントを共演する回を指さした。以前にも一度聴かせたことのあるものだ。

「これでいいの?だってこれ、阿佐ヶ谷姉妹の顔は出ないよ。声しか出ないよ」

「これでいい。これが聴きたいの」

と言って、iPadの動かない画面を前に、娘はじーっとそのコントを聴いていたのだった。

ラジオコントをじーっと聴く3歳児、恐るべしである。

そうかと思うと、夜になると突然、娘が言い出した。

「あの…大泉さんがみた~い」

「大泉さん?」

ここ最近、娘は昨年の大晦日の紅白歌合戦の録画をくり返し観ているらしく、それでついに大泉さんを認識したらしい

「大泉さんが出ている、お歌のテビル(テレビ)を観たいの?それとも、ちょんまげのテビルを観たいの?」

「…ちょんまげ」

「大泉さんが出ているちょんまげのテビル」、というのは、いま放送中の大河ドラマのことである。ドラマの中で大泉さんは、源頼朝を演じているのだ。

今日はその第2回だったので、娘と観ることにしたのだが、北条政子役の小池栄子が出てくると、

「あ、マツコさんだ!」

と画面に向かって指をさした。

「マツコさんじゃないよ。まさこさん」

「あ、まさこさんね」

なぜか、大泉さんの他に小池栄子さんを認識しているというのは、紅白歌合戦の審査員で出演していたことを記憶していたからだろうか。

しかし不思議なのは、源頼朝役の大泉さんは「大泉さん」と本名で呼んでいるのに、北条政子役の小池栄子さんは「まさこさん」と役名で呼んでいることだ。なぜなのかは、わからない。

大河ドラマは、さすがに3歳の娘にはむずかしい内容だったと思うのだが、大泉さんと小池栄子さんが出ている場面になると、画面に釘付けになっていた。

いずれにしても、これで大泉さんを認識することができたので、「水曜どうでしょう」を見せる日も近い。

 

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片手袋からはじまるストーリー

1月14日(金)

今日のTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、片手袋研究家の石井公三さんだった。

道ばたに落ちている片方だけの手袋=片手袋から、いろいろな思索をめぐらせるという。

そういえば、僕はこの1週間ほどのあいだで、2回ほど、片手袋に遭遇した。

1度目は、1月8日(土)、繁華街のバス停から、バスに乗り込んだときのことである。

大方の客がバスに乗り込み、いよいよ出発かな、と思っていたら、乗車口である前方の扉から、おばさんが息せき切ってバスに乗り込んできた。

「あの、…手袋を落とされましたよ!」

そのおばさんは、バスに乗り込んだかと思うと、優先席に座りかけていたおばあさんに、その片手袋を差し出した。そのおばあさんがバスに乗る前に手袋を落とした瞬間を、たまたま通りかかったおばさんが目撃して、落ちている手袋をすぐに拾って、バスが出発する前に手渡そうとしたのだろういうことが、その一連の様子からうかがえた。

たしかに、優先席に座りかけていたおばあさんは手袋をはめていたが、左手のみで、右手にははめていない。

「あ、…ご親切にどうもありがとうご…、あ、いや…」

と口ごもったかと思うと、

「これ、私のじゃありません」

とまさかの答え。

手袋を渡そうとしたおばさんは、ビックリした様子で、

「違うんですか?」

と念を押すと、

「違います」

と、やはり否定する。

よく見てみると、おばさんの拾った手袋と、優先席に座ろうとしたおばあさんの手袋は、色が微妙に異なる。つまりまったく違う手袋なのだ。

手袋を拾ったおばさんは、首をかしげながら、バスを降りて、どこかへ歩いて行ってしまった。

いくつもの疑問が残る。

おばさんは、道ばたに長い時間落ちていた片手袋ではなく、「落としたてほやほや」の片手袋を拾ったのである。だから、バスの乗客のものと思い込んだのだ。

で、いままさにバスに乗り込もうとしたおばあさんは、手袋を片手しかはめていないことを確認し、そのおばあさんを追いかけてバスに乗り込んだ。

どう考えても、その「落としたてほやほや」の手袋は、そのおばあさんのものとしか考えられないのだが、実は違う手袋だったのだ。これはいったいどういうことなのか?

同じバスに乗っている人で、「それ、私のです!」と言う人もいなかった。

おばさんは仕方なくバスを降りてどこかへ行ってしまったのだが、拾った片手袋はどうしたのだろう?

そもそも、片手袋を拾ったら、どこに届ければいいのだろう?バスの運転手さんに預けるわけにも行かないし、もともと落ちていた場所に戻すのだろうか?人の片手袋を持って帰るわけにも行かないし、どうにも扱いに困る。

それに、最大の疑問は、そもそもバスに乗り込んだそのおばあさんが、なぜ左手にしか手袋をはめていなかったのだろうか?そのことが、この問題をややこしくさせていたのだ。

僕はざわついた気持ちのまま、家路についたのであった。

2度目は昨日、自宅の最寄りのバス停でバスを待っていたときのことである。

列の先頭に並んでいたのだが、ふと道ばたを見ると、片手袋が落ちている。

ちょうどバスの乗車口のあたりに落ちていたので、バスに乗ろうとしたときにICカードを取り出すタイミングかなんかで、片方の手袋を脱いで、そのまま落としてしまった、といった一連の過程が想像された。

しかも、いかにも「落としたてほやほや」の片手袋である。そればかりか、その片手袋自体、どうやらまだ使い始めたばかりの新品のようなのである。

片手袋を観察すると、かなり複雑な構造を呈している。指の先の部分が出るような仕組みになっていて、さらにそれを覆うようなカバーがついている。つまりふだんは、4本の指と親指とが二股に分かれている手袋として使えて、手袋をしたままスマホをいじる場合には、その4本の指のところのカバーをはずして、指を出す、という、すぐれものの手袋なのである(わかりにくいかな?)。しかも毛糸で作られていて、かなり可愛い。

その手袋の様子から、若い女性がはめていた手袋であろうことは容易に想像できた。おそらく1本前のバスに乗ろうとした若い女性客が、うっかり落としてしまったのだろう。

サア困った。

僕はそれを見つけてしまったのだが、これをどうしたらよいのか?

たかが手袋、と思うかもしれないが、その人にとっては大事な手袋かもしれない。なにしろ新品同様で、しかもかなり凝った作りの手袋なのである。そうとうなお気に入りの手袋であったことに違いない。

いや待てよ。自分で買ったとどうして決めてかかるんだ?大切な人からプレゼントでもらった手袋かもしれないじゃないか。だとしたら、落としたことがよけいに悔やまれるはずだ。今ごろ1本前のバスの中で、泣いているに違いない。

結局、拾って届けようにもどこに届けたらよいのか、という疑問にぶち当たり、何もできず、僕はバスに乗り込んだのだった。

バスに乗っている間、僕はずーっと、その片手袋の持ち主のことを想像し、なぜ自分は何もできなかったのかと悔やむばかりだった。

そして帰路、同じ路線バスに乗って自宅近くの停留所で降りたとき、片手袋が落ちていたところに行って見てみたが、当然ながら、すでに片手袋はなかった。

誰か親切な人が拾って、何か手立てを講じてくれたのだろうかと、僕はそう願うばかりだった。

…ことほどさように、道ばたに落ちている片手袋は、人の気持ちをざわつかせる。僕だけではなく、もちろん片手袋研究家だけではなく、誰もが、道ばたに落ちている片手袋にまつわるエピソードを持っているのではないだろうか。

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喪失感ロス

水道橋博士と町山智浩さんの対談動画(「博士の異常な対談」)の別のところで、こんなことを言っていた。

「すべてのサブカルは雑誌から生まれた。映画も、音楽も、アニメも、テレビも、ガンプラも、すべては雑誌がプラットフォームになっていた。僕はそれに憧れて、雑誌の編集者になったが、いまはどうだ、雑誌の文化は完全に衰退してしまったではないか」と。

雑誌の世界だけではない、と町山さんは言う。高校や大学の同級生たちと話をすると、かつて花形と言われたどの業界も、例外なく衰退しているではないか。

そこでは話題に出なかったが、僕が好きなラジオも、いまや完全に衰退に向かっているとみてよいだろう。

いま僕がラジオを熱心に聴いているのは、ノスタルジーとして聴いているだけかもしれない。実際には、枯れ葉が1枚1枚落ちるように、だんだんと聴きたいと思う番組が減っていっているような気がする。

ちょっと前までだったら、それが喪失感、いまでいう「○○ロス」となっていたが、いまは、喪失感をあまり抱かなくなってしまった。やはり、大病を患ってからかなあ。

ぜんぜん関係ない話だが、上岡龍太郎さんが、ずっと昔、こんなことを言っていた。

「芸人で、帯の番組をやるヤツはアホ。芸人なんてものは、わがままで、時間にルーズで、世間の決め事を守らない象徴のようなもんや。毎日同じ時間に、同じところに行って仕事をするのは、サラリーマンと変わらへん」

これは、暗に「笑っていいとも」のタモさんへの批判だったのだが、その後、上岡さん自身が、「笑っていいとも」の裏番組で「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」という帯番組の司会をやったことは、前言を翻す上岡さんらしくて面白かった(1998年に3か月だけTBSのお昼に放送された短命番組で、生放送ではなかったが)。

しかし、上岡さんの言葉は、いくぶんか本質を突いている。生放送の帯番組をやると、決められた時間に決められた場所に行き、ルールに従って仕事をしなければならない局面も出てくるので、どうしても会社勤めとさほど変わらなくなるような心持ちになるのではないだろうか。

それが、耐えられる芸人もいれば、耐えられない芸人もいる。大竹まことさんは、いまや達観しているのだろうけれども、一方で自由が制約されると感じる芸人がいても、決して不思議ではない。

僕も、基本的には気ままな生き方を好む方なのだが、いまはまるでお役所勤めのような毎日で、その生活に耐えられなくなるときがある。といって、そこから抜け出す勇気もない。

…なんでこんなとりとめのないことを書いたのだろう?まったくわからない。

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ばいきんまんは悪者なのか

「ねえねえ、ママに内緒で、ママのiPadで、アンパンマンの動画、観た~い。どうやって観るの?やって」

と、ママにiPadの操作をお願いする3歳9か月の娘。あんた、「内緒で」の意味、わかってんの?

というわけで、相変わらず娘は、アンパンマンのアニメの本編ではなく、アンパンマンの人形遊びをする謎の動画にハマっている。おもちゃの販促動画なのか?

アンパンマンのお人形遊びをする動画は、動画制作者が勝手にストーリーを作っているもので、アニメ本編とは世界観がまるで違う。「ウルトラファイト」のようなものである、ということは以前に書いた

動画を見続けていた娘は、

「ばいきんまんがかわいそう。ばいきんまんは悪くない。悪いのは周りの人」

とつぶやいた。

僕も、娘につきあって、何度かその動画を観たのだが、たしかにばいきんまんは、その動画の中では何も悪いことをしていないのに、周りのドキンちゃんとかアンパンマンとかから意地悪されたり、理不尽な仕打ちを受けたりする。冷静に考えると、これはいじめである。

実はアニメの本編をちゃんと見たことがないので、アニメの中でばいきんまんがどのように描かれているのかわからないのだが、少なくともその人形遊びの動画の中では、身に覚えのない仕打ちを受けたりしているのである。

なんとなく、ばいきんまんは悪者、という認識がすり込まれている僕からしたら、最初はありがちな勧善懲悪の動画なのかなと思ってみていたのだが、よくよく考えてみると、ばいきんまんには「悪」の要素がないのである。

予備知識なく観ている娘からしたら、そこに違和感を抱いたのだろう。

世の中に本当の悪人がいるのか、ということを、最近よく考える。

ちょうど、水道橋博士と町山智浩さんが対談している動画(「博士の異常な対談」)を観ていたら、大島新監督のドキュメンタリー映画「香川1区」を取り上げていた。ちなみに僕は、前作の「なぜ君は総理大臣になれないのか」と今作の「香川1区」の両方とも、まだ観ていない。

水道橋博士が「香川1区」を「スターウォーズ」になぞらえ、与党の平井デジタル大臣をダースベーダーにたとえたことに対し、町山さんが猛然と反論する。なぜ大島監督は、平井デジタル大臣のことを、もっと(相手の懐に入って)ちゃんと取材しなかったのか、今度の映画でやるべきことは、それだったのではないか、と。

町山さんの語りは次第に熱を帯びてゆく。「この世に本当の悪人など存在しない。あるのは、「間抜け」とか「バカ」とか「傲慢」とか「ズルさ」とか「うっかり」とか、そういう人なのだ。何代も続く地元の名家に生まれた平井デジタル担当大臣にも、苦しみや悲しみがあるはずだ。そうした人間のほころびの部分を撮ることこそが映画だ」、と。たとえば佐々木守脚本の「ウルトラマン」でも、怪獣の側の悲哀をちゃんと描いていたじゃないか、もちろん、近年公開されたアメリカ映画「ジョーカー」もしかりである、と。

ほんの何年か前まで僕は、自分が許せない人間のことを悪いやつだと思い込んでいた。そういう人は徹底的に糾弾すべきである、と。

もちろん、声を上げることは重要で、そうしないと世の中は変わっていかないのだが、悪い奴をとっちめることを目的にすることが、はたしてよりよい世の中になることを意味するのか、いまの僕にはわからない。

ただ、その人がやっていることが「間抜け」で「バカ」で「傲慢」で「ズル」くて「うっかり」なものであることは、可視化しなければならないと思う。それが、どうすれば世の中がよくなるかを考えるための「のりしろ」である。その意味で僕は、町山さんの言葉に溜飲が下がったのである。

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羊羹はなぜ到来物が美味しいのか?

小川洋子さんのエッセイ「到来―はるか遠くの美味しさ」(『遠慮深いうたた寝』河出書房新社、2021年)の出だしは、こんな文章で始まる。

「野坂昭如さんのエッセイを読んでいたら、”到来の羊羹”の一行に出会い、その羊羹が素晴らしく美味しそうに思えてならなかった。頂き物、贈り物、お土産。似たような言葉はいろいろあるが、到来、がかもし出す雰囲気は一種独特だ」

なるほど、たしかに「羊羹」と言えば、「到来物」である。「頂き物の羊羹」「贈り物の羊羹」「お土産の羊羹」とは言わない。羊羹は「到来物」でなければならないのだ。

立川談志の落語、たしか「雑俳」だったかと思うが、最初のご隠居とはっつぁんの会話のなかに、

「羊羹でも切るかな。

ええ羊羹けっこう!

そうかい?何でもいくんだな。到来物の羊羹だがね。

弔いもんですか?

「弔いもん」じゃねえ、「到来物」だよ。よそから頂いた…。

そうだろうねえ。買うわきゃねえからね。

口が悪いねどうも。」

というやりとりがあって、ここでもやはり羊羹は「到来物」である。してみると、到来物の羊羹という言い方は、落語がルーツなのか?

「やはり羊羹は、気位の高い伯母さんからの到来に限る」

とも書いていて、これもまた、落語の「サンマは目黒に限る」を思い起こさせる。

野坂昭如のエッセイに書かれていた「到来の羊羹」に反応して小川洋子さんがエッセイを書き、さらにそこから連想して僕がとりとめのない文章を書く、という、エッセイの連鎖が、なんとなく好きなのだが、あまり人には理解されない趣味だろうな。

ついでに書くと、「”推し”のいる幸福」というエッセイもよかった。

「ミュージカルに目覚めた途端、スケジュールの管理がたいへんになった。それまでは、スケジュール、というほどの大げさなものとは無縁だった。手帳にぽつぽつと記される原稿の締切、ただそれだけを意識していればよかった」

で始まるエッセイは、アラフィフになってミュージカルに「落ちた」ことにより、人生が一変した幸福感を、短い文章のなかで余すところなく伝える。チケットの予約や代金の支払いやチケットの入手方法、読んでいるだけで目が回る感じがするのだが、それをいとわずに実行し、そしてそれをいとわずにエッセイに書くエネルギーがすごい。「ぼんやりしている暇はない」のだ。

「未来の一点に、自分の足跡を刻むように、公演名を大きな字で書き込む。その一行が、人生を先回りし、光を放ちながら私を待ってくれているような、小さな幸福を感じる」

味わい深い名文である。

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朝ドラ撤退宣言、撤回!

以前、「朝ドラ撤退宣言」をしたが、撤回することにする。

「戦後編」になって、出演陣がガラッと変わり、深津絵里、オダギリジョー、村田雄浩、濱田マリなどが登場することでほんわかした雰囲気になり、安心して観ていられるようになった。やはり「戦後」になって、時代が明るくなったことも関係するのだろう。

何より、1960年代のジャズ音楽が、物語の大きな軸になっていることである。

このドラマの「戦時下編」ではしばしば、渡辺貞夫さんが演奏するサックスの音色がBGMで使われていたが、「戦後編」では、実際に渡辺貞夫さんが、ドラマに登場する。といっても、本人が登場するのではなく、ナベサダさんのレコードがレコード店のシーンで登場したり、当時のジャズメンがセリフの中でナベサダさんに言及しているという形で、である。

主人公の「るい」(深津絵里)が、あるレコード店に入るシーンでは、その店の一推しのジャズレコードとして、渡辺貞夫さんのアルバムが店頭に飾られている。そのレコードの脇には、書店でいうところのPOPが貼ってあり、店長の推薦コメントが書かれている。1960年代当時、新譜に対して書店のPOPのような手書きの宣伝文が存在したのかどうか、実際のところはよくわからない。

また同じレコード店には、「新譜紹介 野口洋三」という貼り紙があるが、これは当時のジャズ評論家の「野口久光」と「岩波洋三」を合わせた名前ではないだろうか。なんとも細かい芸である。

また、ジャズのライブハウスに出入りしているトミー(早乙女太一)というトランペット奏者の、

「俺よりも先に渡辺貞夫が渡米するなんて…。秋吉敏子に続いて渡米するジャズミュージシャンはこの俺だ、と決めていたのに…」

というセリフがあるが、渡辺貞夫が秋吉敏子に続いて渡米したというのは事実である。こうした「小ネタ」は、この時代のジャズにノスタルジーを感じる人にはたまらない内容なのではないだろうか。もちろん、より詳しい人には、ツッコミどころもあるのかもしれないが…。

というわけで、「朝ドラ撤退宣言」を撤回することにしたのである。

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交渉術

1月9日(日)

3歳9か月の娘は、基本、ディズニーアニメ映画が好きである。

昨年末、サンタさんからのプレゼントが、ディズニー映画「モアナと伝説の海」のDVDだったこともあり、いまはこの映画をくり返し観ている。

今日も娘はこのDVDを手にとった。

「ねえねえパパ。これが観た~い」

「何度も観すぎだよ。どうしようかなあ」

と、見せることを渋っていると、娘はおもむろに一人芝居をはじめた。

「チリリリーン、ちょっとお父さん、テレビ低くして!…はい、もしもし木村です。はい、はい、はい、はいはいはい、はいはいはいはい、ガチャ!ごうか~く!」

以前にもやった、阿佐ヶ谷姉妹のM-1グランプリ準々決勝のときの「おばさん検定」という漫才のネタの一場面である。なぜか娘は、このミホさんのセリフのみ、くり返しまねをしているのだ。ただし、以前よりもかなり手を抜いており、クオリティーはかなり下がっている。

なぜおもむろにこのネタをやり始めたのか?

これをやると、パパの機嫌がよくなると思ったのだろう。パパの機嫌がよくなれば、DVDを見せてもらえると思い、このネタをやったと思われる。まったく、恐るべし、3歳児の交渉術である。

最近は、阿佐ヶ谷姉妹から派生して、「孤独のグルメ」を観るようになったが、6時間くらい見続けていたら、松重豊さん演じる井之頭五郎がどのタイミングで決め台詞を言うかがわかったらしく、

「腹が…、減った…。よし、店を探そう」

という台詞を、井之頭さんよりも数秒早いタイミングで言っている。もうすっかり松重豊さんは「井之頭さん」なのだ。

今のところ、娘が名前と顔を一致させた「テレビに出ている大人」は、思いつくだけでも、「町山さん」(町山智浩)、「コアラさん」(名探偵ポアロ)、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんとミホさん、「井之頭さん」(松重豊)、である。

そして今日、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を観ていると、源頼朝役の大泉洋さんが出てくるなり、

「この人、見たことある!」

と叫んだ。紅白歌合戦の司会をしていたことを覚えていたのだろう。

「この人、大泉さん、って言うんだよ。覚えられる?」

というと、

「…むずかしい」

と言ったので、今後の当面の課題は、「大泉さん」を認識させることである。それができれば、「水曜どうでしょう」を見せる日も遠くない。

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思索の人

1月6日(木)のNHKラジオ第一放送「東京03の好きにさせるかッ」のゲストは、シティボーイズの斉木しげるさんだった。

同じ事務所の後輩であるラブレターズ塚本氏のコント台本は、おそらく斉木さんに対する日常的な観察から生まれたもので、斉木さんの変幻自在ぶりをあますところなく発揮させていた。72歳になりだいぶ衰えたと本人は言うが、あの緩急をつけた「ヘンな芝居」は、僕が20代の頃に、グローブ座や日比谷の野音で見たときと変わらない。

コントも堪能したが、その後の東京03とのフリートークの方もなかなかよかった。

とりわけ印象深かったのは、若い頃は(シティボーイズのメンバーの)短所ばかりが気になったが、40歳を過ぎたあたりからお互いの短所を気にせず、お互いの長所を伸ばす方に力を入れるようになった、という話。

それに対して東京03の飯塚氏は、「僕は48歳になっても、短所の方が気になる。長所の方は頭打ちになってしまって、これ以上伸びないと思っているから、どうしても短所を克服しようとする方向に行ってしまう」という。

すると斉木さんは、「短所は捨ててしまえばいい」。飯塚「でも、長所は頭打ちなんですよ」。斉木「方向性を変えてやればいいんですよ。いま思っている長所がすべてとは限らない。自分が知らない長所を、他人が知っているかも知れない。だから、自分があたりまえと思っている自分の嗜好や経験をどんどん話せばいいんです」。そうすれば、自分でも気がつかなかった長所が発見できる、というわけである。

そこから斉木さんはおもむろに子どもの頃の体験を話し始める。子どもの頃、田舎道を歩きながら、道ばたの雑草を竹の刀みたいなものを振りまわしてちぎったりしていたのだが、あるときふと、「雑草だって生きているんだ。こんなことをしてはいけない」と気づき、それ以来、一切雑草を慈悲なくちぎることをスッパリとやめたという。

それが自分の長所とどうつながるのか、なんとも謎なエピソードで、司会の飯塚氏もリアクションに戸惑っていたが、そういえば斉木さんは、シティボーイズのコントの中でしばしば、「いちごの気持ちになって考える」とか、そういうヘンな目線で語り始めることがあったのだが、それはそのときの体験があったからか、と、僕はヘンに納得してしまった。

斉木さんは自分のことを「妄想癖が誰よりも強い」というが、むしろ「思索の人」というべきだろう。

20代の頃に見たシティボーイズのコントライブは、その演出や形式をあたりまえのものとして見ていたが、いまふり返ると、それまでにない新境地をひらいたコントライブで、その後のコント師たちに大きな影響を与えていたことに気づく。いまどんなにあたりまえになっていることも、もとをたどれば誰かが始めたことである。僕はその瞬間に立ち会っていたのだ。

大竹まこと氏が語る、風間杜夫氏とのエピソードが好きである。売れない頃、同じ部屋で大竹、風間、斉木の3人で暮らしていたが、あるとき、風間がつかこうへいに見いだされ、演劇の世界で一躍有名になる。そして映画『蒲田行進曲』で主役の座を射止める。そのあたりのことを、『俺たちはどう生きるか』(集英社新書、2019年)で書いている。

「風間の『蒲田行進曲』を三人(注:大竹、きたろう、斉木)で観たことがある。

たぶん、すごく面白かったのだろう。私たちは打ちのめされて、一言も口をきかずに映画館を後にした」(13頁)

かくして大竹、きたろう、斉木は、風間杜夫「じゃない」3人となり、演劇の世界で挫折を味わうことになる。

コントの世界に身を移した3人は、それまで誰もやらなかった単独ライブを成功させ、後にあたりまえとなるコントライブの「型」をつくりあげる開拓者となるのである。

こうして別々の道を歩んだ「風間」と「じゃない3人」だったが、ずいぶん時間が経ってから、風間杜夫とかつての関係を取り戻す。

「いま、風間とは、昔の時間を取り戻すようによく会っているし、麻雀も楽しい。先日は焼肉を食べた。風間の奴、七〇にもなってキムチにマヨネーズをかけていた。私は思わず吹き出してしまった」(12頁)

長い時間をかけて、若い頃の伏線が回収される。人生とは、なんとつじつまの合う物語だろう。

「短所を捨てて、長所を伸ばす。長所が頭打ちになったら、方向性を変えればいい」という斉木さんの言葉は、この経験に裏打ちされたものではないだろうか。数十年かけてたどり着いた境地なのだ。

やはり斉木しげるは、とぼけているようにみえて、「思索の人」である。

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超ウルトライントロドン

1月6日(木)

午後から大雪の予報だったが、午前中に職場でどうしても外せない用務があるので、朝6時過ぎに家を出て、車で2時間かけて出勤する。2時前に仕事が終わった時には、すでに外は大雪だった。急いで車で職場を出る。今日の夕方は保育園にいる娘の迎えに行き、夕食を作って食べさせなければいけないのだ。案の定、大雪のため高速道路は大渋滞し、3時間以上かかって帰宅し、なんとか保育園の迎えに間に合った。

夕食を作っている間、娘の注意をテレビに向けさせる必要がある。録画しているリストのうち、「何が見たい?」と聞いたところ、

「うんとねぇ、あのねぇ‥違う人が歌っているのが見たい」

という。

はて、「違う人が歌っている」番組とは何だろう?

ピンときた!昨年末に放送した「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」のドラマのことだ!ドラマの中では、本物の阿佐ヶ谷姉妹ではなく、本物とは「違う人」が劇中で歌を歌っている。そのことを言ってるのではないか?たしか最終回の最後の場面は、阿佐ヶ谷の住人がみんなで「トルコ行進曲」を歌って終わる。「違う人が歌ってる」というのは、具体的にはその場面のことではないだろうか?

僕は早速テレビ画面に録画リストを表示し、ドラマ「のほほんふたり暮らし」の最終回のところに、カーソルを合わせた。そうすると、右下に小さく、その録画した映像がサムネイルのように映し出される仕組みになっている。

娘はそれを見るなり、「怖いからやだ」と叫んだ。

「どうして?」

「だって、夢に怖い人たちが出てくるから」

言われてみればそうだ。ドラマの最終回では、ゾンビになった阿佐ヶ谷の住人たちが阿佐ヶ谷姉妹を襲う、という悪夢のシーンがあるのだ。娘はそのゾンビが怖くてたまらないのである。

それにしても、画面右下に小さく映し出される最終回の冒頭部分の映像を見ただけで、「ゾンビが登場する回だ!」とわかってしまう娘は、あたかも「超ウルトライントロクイズ」に答えられるような才能を持っている。

「これじゃない!カミコウセン」

「カミコウセン」というのは、我が家における「おかあさんといっしょ」の呼び名である。

そこでまたピンときた!昨年の大晦日に放送された「おかあさんといっしょ 冬のリクエストスペシャル」のことだ!この番組では、歴代のうたのおにいさん、うたのおねえさんが歌っていた時の映像が映し出されていた。「違う人が歌ってる」というのは、現役のうたのおにいさん、うたのおねえさんではない人が歌ってるという意味なのではないか?

そこでこの番組を見せると、

「これこれ!」

とビンゴだった。

‥と、毎回こんな感じで「超ウルトライントロドン!」的なコミュニケーションを娘と取っているのだ。

おかげで娘がこの番組に釘づけの間、夕食を作ることができた。

夕食後は聴きたいラジオがあった。NHK第一放送の「東京03の好きにさせるかッ!」である。今夜のゲストコント師は、シティボーイズの斉木しげるさんなのだ。

再び娘の注意をテレビに向けなければならない。こんどは、最近娘がハマっているディズニー映画の「モアナと伝説の海」を見せることにした。

こちらのラジオも始まった。東京03のトークが始まると、その声を聞いた娘が僕のところにやってきた。

「阿佐ヶ谷姉妹の声も出るの?」

僕はビックリした。実は以前に、阿佐ヶ谷姉妹がゲストの回の音源を娘に一度だけ聴かせたことがあったのだが、娘はパブロフの犬が如く、東京03の声をほんの少し聞いただけで、阿佐ヶ谷姉妹がゲストに来た時のことを瞬時に思い出し、今回も阿佐ヶ谷姉妹が出演すると思い込んだのである。

これもまた立派な「超ウルトライントロドン!」の世界ではないか!

おそるべし、3歳児である。

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年賀状フェイドアウト作戦

毎年、頭を悩ませるのが年賀状である。

毎年、暮れになるとやめたいと思うのだが、結局やめることができない。しかし昨年末は、あまりに忙しくて、いよいよ年賀状を出す暇がなくなった。

いっそこのまま、ほんとうにやめてしまおうと思ったのだが、ごくまれに、娘の成長を楽しみにしている人がいたりして、突然やめてしまうのはやはり忍びない。そこで、方針転換をはかることにした。

それは、こちらから年賀状を出すのではなく、「いただいた年賀状にのみ返信する」という方針である。それと、原則として三が日までにいただいた年賀状に返信し、返信する年賀状の枚数に上限を設ける、という方針である。

例外なくひと言メッセージを書かない、という原則は、これまで通りである。

まことに手前勝手な方針だが、そうでもしないと、なかなか年賀状の枚数を減らすことができないのである。

しかし実際に年賀状をいただくと、メッセージに思いの込められているものもあり、なかなか捨てがたいものがある。

職場の元上司からいただいた昨年の年賀状に、「年賀状は今回限りで」と書いてあり、現役を引退したこともあり年賀状はもう出されないのだろうなと思っていたら、なぜか今年も送られてきて、しかもご丁寧なメッセージも頂戴した。やはり年賀状をスッパリとやめることが難しかったのだろうか。

もう15年以上も会っていない、小学校から高校までずっと一緒だった友人。年賀状に詳しい近況報告が書かれていた。中学2年生の息子が発達支援学級に通っていて、幼少期は言葉を出さなかったが、気がつけば鉄道とアイドルの推しの内容を、ほぼ毎日繰り返して雄弁に語るようになった、最後の義務教育生活で、その後の生活の自覚が出てくるのか、それとも受け止めきれなくなるのか、見守っていきたいとあった。1枚の小さな年賀状の中に、この15年の歩みが凝縮されているように感じた。そう、やはり「推し活は私を救う」のである。そう信じたい。

僕と同世代の知り合いからは、大学進学とともに郷里から首都圏に移り30年以上が経ち、いろいろと挑戦したことで貴重な体験ができたが、現実の社会での評価は厳しく、けがや病気にも見舞われ、厳しい1年だったと書かれていた。

いろいろな手段で手軽に連絡が取れるような時代になったが、やはりはがきに書かれてメッセージというのは、言葉の持つ重みが違うように感じる。

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正義と正気

寺尾紗穂さんのエッセイ集の最新作『天使日記』(2021年12月、スタンド・ブックス)を読んだ。

あらためて思うが、音楽活動と並行して、これだけ印象深い表現を駆使した文筆活動を続けていく、その筆力には、驚嘆を禁じ得ない。

以前にも書いたが、かつて一度だけ、ある本の中でお仕事をご一緒したことがある。そのときの寺尾さんの文章がとてもよくて、一緒に並んでいる自分の文章の稚拙さに恥じ入るばかりであった。そしてそれは、僕がいままでいかに狭小な業界で仕事をしてきたかを思い知らされることでもあった。

本を読むたびにいつも思うのだが、寺尾さんご本人は、自分から決して売り込もうとしない人のように見受けられるにもかかわらず、音楽活動や文筆活動を通じたさまざまな出会いや仕事が途切れなく続き、次々と新しい「縁」を作り出していく。それは表面的には決して派手に見えるものではないが、実はけっこうすごいことだったりする。

さてこの本は、段組が少し変わっていて、前半が1段組で、後半が2段組である。前半は各媒体に書かれたエッセイで、後半は『高知新聞』に連載しているエッセイを集めている。つまりは『高知新聞』連載のエッセイの部分が、2段組なのである。これは、前作『彗星の孤独』(2018年、スタンド・ブックス)でも同様である。

僕は、後半の『高知新聞』連載のエッセイを、一つ一つ噛みしめるように読んでいる。各エッセイは、コンサートなどで各地に赴いた先で出会った人や話、あるいはそこから想起する想いについて書かれていて、さながら旅日記である。

僕が印象に残ったエッセイの一つに「福岡 降り止まぬ雨」というのがある。ある大学の集中講義で出会った人。「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」と自問する、という彼女の言葉があまりに印象的で、寺尾さんはその人からくわしくお話を聞くことになる。

彼女は大学時代に教授からセクハラを受けていたが、当時、味方となる教員は誰もいなかった。その後しばらくして、別の教授から、その教授のハラスメントについて証言してくれないかと依頼が来る。聞くと、男女問わず、多くの学生がその教授のハラスメントに苦しめられていたという。彼女は一人ひとりの声をとりまとめる仕事を引き受けたのだが、結局教員たちは当てにならず、自分達で弁護士に依頼し、手弁当による戦いを始めた。しかし運動を繰り返すうちに、あたかも自分たちこそが正義で、相手が不正義であると断定するかのような自分の言葉に、疑問を持つようになる。「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」という彼女の発言は、そのことをふまえてのものだった。

寺尾さんの次の言葉は、たいへん印象的である。

「市井の人びとが声を上げる手段として、訴訟が重要なことはもちろんだし、なくては困る。けれど、それでもなお、訴訟により失うものがあるとすれば、それは、『自分が正しい』という、極めてはっきりとした『迷いのない主張』を声高に伝えなければならない、という義務を抱えることではないだろうか」

10年前の僕だったら、自分こそ正義、という信念でいろいろなものと戦ったり、いろいろなことに抗ったりしたかもしれない。しかしいまは、この「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」という言葉が、よくわかる。

実際、自分より10歳も20歳も若い仕事仲間を見ていると、かつての僕のように、自分たちは正義であり、不正義をはたらいた人間は断罪すべきだ、という意見に出会うことがある。もちろんそれは、本人の真面目さに起因するものであり、尊重すべき意見ではある。しかしそこに違和感を持ち始めた僕は、歳をとって、ものわかりがよくなったということなのだろうか?

以前僕はこのブログで、2017年6月11日に東京で開催された「SHORTS SHORTS FILM FESTIVAL& ASIA 2017アワードセレモニー」における大林宣彦監督のスピーチを紹介したことがある。

「たとえば今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子供はそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないかと」

「戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です」

「正義」が「不正義」を断罪することで、平和がおとずれるのだろうか?自分や他人の中にある「正義感」とどう折り合いをつけるべきかが、いまの僕が直面している課題である。だからこそこのエッセイがいま、僕にとってとりわけ印象深いのだろう。

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年末年始

年末年始は、例の「節句働き」のクセが顔を出し、大晦日の午前は、自宅で1月3日(月)締切の入力の仕事を行った。

これがまあひどい話で、12月22日に依頼を受けたのだが、12月26日から12月31日までは、システムのメンテナンスでサイトにアクセスできません、というではないか。しかも締切は1月3日。ということは、12月22日~25日か、1月1日~3日の期間に入力の作業をしなければならない。

12月22日~25日は、本務の仕事がめちゃくちゃ忙しくてとてもそれどころではない。とすれば、お正月の三が日に作業をしろってか?それもちょっとなあ。

…と思っていたところ、予定より1日早く、メンテナンスが終わったようで、12月31日には入力作業が可能になっていた。そこで、年を越す前にやってしまうことにしたのである。

で、午後は、年末に締切の原稿にとりかかる。ほんとうは12月27日が締切だったのだが、とても間に合わず、かといって先延ばしにできないタイプの原稿なので、他の原稿よりも優先して、年明け早々に出さなければならない。そこで、やる気スイッチが入っていないにもかかわらず、重い腰を上げて大晦日から書き始めることにしたのである。A4で4枚、文字数にして4000字程度かと思うのだけれど、職業的文章なのでいい加減なことも書けず、一つ一つ「裏取り」しながら書かなければならない。これが意外と難航した。

夕方になると、もう紅白歌合戦一色である。とくに今年は、ふだんならば絶対見ない「直前スペシャル」なるものを、阿佐ヶ谷姉妹が出演するという理由だけで見ることにした。

阿佐ヶ谷姉妹は、紅白歌合戦の会場で出場歌手のインタビューをするレポーターという役で、間違いがあっちゃいけないと、画面からもその緊張感が伝わってきた。そのガッチガチの阿佐ヶ谷姉妹のレポートを、NHKのスタジオで司会の南海キャンディーズ・山里亮太が引き取るのだが、その「受け」のコメントがどれもおもしろく、すばらしかった。

どんどん話が逸れていくが、山里亮太という芸人がすばらしいのは、(ちょっと上から目線の物言いになるけれども)映画や読書により自らの教養の幅を広げている点である。山里亮太がアシスタントをつとめるTBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび 火曜日」の町山智浩さんの映画のコーナーを聴いていると、町山さんに紹介された映画は、どんなマイナーなものでも欠かさずに見ているし、読書についてもちょいちょい話題に出る。つまりは勉強熱心なのだ。その努力があってこその、笑いの瞬発力なのだと思う。

阿佐ヶ谷姉妹や山里亮太も、紅白の本番に出るのかなと思いきや、ついに出演しなかった。そういえばここ1,2年の紅白歌合戦は、曲と曲の間の、お笑い芸人らによる「にぎやかし」のコーナーが、まったくなくなっていることに気づく。しかも副音声もいつのまにかなくなっている。コロナ禍により密を避ける意味があったのか?その分、それぞれの歌手の舞台演出に力を入れているということなのか?いずれにしても、シンプルに音楽に集中できるという意味では、よいことなのかもしれない。

その代わり、三山ひろしの「けん玉でギネスに挑戦」というコーナーがすっかり定番となり、僕はそれに釘付けなのだが、

「おもしろいねえ、ね?おもしろいでしょ?」

と後ろをふり返って娘の顔を見たら、娘は面白がるどころか、生気を失った目をしていて、どこがおもしろいのかわからない、という顔をしていた。3歳児の笑いのツボは、いまだによくわからない。

…と、こんなことを書きたいのではなかった。

結局、紅白歌合戦の途中からテレビ東京の「ジルベスターコンサート」に切り替え、クラシック音楽で年越しのカウントダウンをする、といういつものパターンとなったのだが、これではいかんと思い直し、再び原稿に取りかかる。かなりの深夜になって、なんとか大枠を完成させた。結果、A4で4枚の予定が、A4で6枚となってしまった。このほかにも、年内締切の原稿がいくつかあったのだが、そのうちの一つの目処が立ったというだけで、まずはよしとしよう。

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