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年賀状フェイドアウト作戦

毎年、頭を悩ませるのが年賀状である。

毎年、暮れになるとやめたいと思うのだが、結局やめることができない。しかし昨年末は、あまりに忙しくて、いよいよ年賀状を出す暇がなくなった。

いっそこのまま、ほんとうにやめてしまおうと思ったのだが、ごくまれに、娘の成長を楽しみにしている人がいたりして、突然やめてしまうのはやはり忍びない。そこで、方針転換をはかることにした。

それは、こちらから年賀状を出すのではなく、「いただいた年賀状にのみ返信する」という方針である。それと、原則として三が日までにいただいた年賀状に返信し、返信する年賀状の枚数に上限を設ける、という方針である。

例外なくひと言メッセージを書かない、という原則は、これまで通りである。

まことに手前勝手な方針だが、そうでもしないと、なかなか年賀状の枚数を減らすことができないのである。

しかし実際に年賀状をいただくと、メッセージに思いの込められているものもあり、なかなか捨てがたいものがある。

職場の元上司からいただいた昨年の年賀状に、「年賀状は今回限りで」と書いてあり、現役を引退したこともあり年賀状はもう出されないのだろうなと思っていたら、なぜか今年も送られてきて、しかもご丁寧なメッセージも頂戴した。やはり年賀状をスッパリとやめることが難しかったのだろうか。

もう15年以上も会っていない、小学校から高校までずっと一緒だった友人。年賀状に詳しい近況報告が書かれていた。中学2年生の息子が発達支援学級に通っていて、幼少期は言葉を出さなかったが、気がつけば鉄道とアイドルの推しの内容を、ほぼ毎日繰り返して雄弁に語るようになった、最後の義務教育生活で、その後の生活の自覚が出てくるのか、それとも受け止めきれなくなるのか、見守っていきたいとあった。1枚の小さな年賀状の中に、この15年の歩みが凝縮されているように感じた。そう、やはり「推し活は私を救う」のである。そう信じたい。

僕と同世代の知り合いからは、大学進学とともに郷里から首都圏に移り30年以上が経ち、いろいろと挑戦したことで貴重な体験ができたが、現実の社会での評価は厳しく、けがや病気にも見舞われ、厳しい1年だったと書かれていた。

いろいろな手段で手軽に連絡が取れるような時代になったが、やはりはがきに書かれてメッセージというのは、言葉の持つ重みが違うように感じる。

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