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喪失感ロス

水道橋博士と町山智浩さんの対談動画(「博士の異常な対談」)の別のところで、こんなことを言っていた。

「すべてのサブカルは雑誌から生まれた。映画も、音楽も、アニメも、テレビも、ガンプラも、すべては雑誌がプラットフォームになっていた。僕はそれに憧れて、雑誌の編集者になったが、いまはどうだ、雑誌の文化は完全に衰退してしまったではないか」と。

雑誌の世界だけではない、と町山さんは言う。高校や大学の同級生たちと話をすると、かつて花形と言われたどの業界も、例外なく衰退しているではないか。

そこでは話題に出なかったが、僕が好きなラジオも、いまや完全に衰退に向かっているとみてよいだろう。

いま僕がラジオを熱心に聴いているのは、ノスタルジーとして聴いているだけかもしれない。実際には、枯れ葉が1枚1枚落ちるように、だんだんと聴きたいと思う番組が減っていっているような気がする。

ちょっと前までだったら、それが喪失感、いまでいう「○○ロス」となっていたが、いまは、喪失感をあまり抱かなくなってしまった。やはり、大病を患ってからかなあ。

ぜんぜん関係ない話だが、上岡龍太郎さんが、ずっと昔、こんなことを言っていた。

「芸人で、帯の番組をやるヤツはアホ。芸人なんてものは、わがままで、時間にルーズで、世間の決め事を守らない象徴のようなもんや。毎日同じ時間に、同じところに行って仕事をするのは、サラリーマンと変わらへん」

これは、暗に「笑っていいとも」のタモさんへの批判だったのだが、その後、上岡さん自身が、「笑っていいとも」の裏番組で「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」という帯番組の司会をやったことは、前言を翻す上岡さんらしくて面白かった(1998年に3か月だけTBSのお昼に放送された短命番組で、生放送ではなかったが)。

しかし、上岡さんの言葉は、いくぶんか本質を突いている。生放送の帯番組をやると、決められた時間に決められた場所に行き、ルールに従って仕事をしなければならない局面も出てくるので、どうしても会社勤めとさほど変わらなくなるような心持ちになるのではないだろうか。

それが、耐えられる芸人もいれば、耐えられない芸人もいる。大竹まことさんは、いまや達観しているのだろうけれども、一方で自由が制約されると感じる芸人がいても、決して不思議ではない。

僕も、基本的には気ままな生き方を好む方なのだが、いまはまるでお役所勤めのような毎日で、その生活に耐えられなくなるときがある。といって、そこから抜け出す勇気もない。

…なんでこんなとりとめのないことを書いたのだろう?まったくわからない。

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