正義と正気
寺尾紗穂さんのエッセイ集の最新作『天使日記』(2021年12月、スタンド・ブックス)を読んだ。
あらためて思うが、音楽活動と並行して、これだけ印象深い表現を駆使した文筆活動を続けていく、その筆力には、驚嘆を禁じ得ない。
以前にも書いたが、かつて一度だけ、ある本の中でお仕事をご一緒したことがある。そのときの寺尾さんの文章がとてもよくて、一緒に並んでいる自分の文章の稚拙さに恥じ入るばかりであった。そしてそれは、僕がいままでいかに狭小な業界で仕事をしてきたかを思い知らされることでもあった。
本を読むたびにいつも思うのだが、寺尾さんご本人は、自分から決して売り込もうとしない人のように見受けられるにもかかわらず、音楽活動や文筆活動を通じたさまざまな出会いや仕事が途切れなく続き、次々と新しい「縁」を作り出していく。それは表面的には決して派手に見えるものではないが、実はけっこうすごいことだったりする。
さてこの本は、段組が少し変わっていて、前半が1段組で、後半が2段組である。前半は各媒体に書かれたエッセイで、後半は『高知新聞』に連載しているエッセイを集めている。つまりは『高知新聞』連載のエッセイの部分が、2段組なのである。これは、前作『彗星の孤独』(2018年、スタンド・ブックス)でも同様である。
僕は、後半の『高知新聞』連載のエッセイを、一つ一つ噛みしめるように読んでいる。各エッセイは、コンサートなどで各地に赴いた先で出会った人や話、あるいはそこから想起する想いについて書かれていて、さながら旅日記である。
僕が印象に残ったエッセイの一つに「福岡 降り止まぬ雨」というのがある。ある大学の集中講義で出会った人。「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」と自問する、という彼女の言葉があまりに印象的で、寺尾さんはその人からくわしくお話を聞くことになる。
彼女は大学時代に教授からセクハラを受けていたが、当時、味方となる教員は誰もいなかった。その後しばらくして、別の教授から、その教授のハラスメントについて証言してくれないかと依頼が来る。聞くと、男女問わず、多くの学生がその教授のハラスメントに苦しめられていたという。彼女は一人ひとりの声をとりまとめる仕事を引き受けたのだが、結局教員たちは当てにならず、自分達で弁護士に依頼し、手弁当による戦いを始めた。しかし運動を繰り返すうちに、あたかも自分たちこそが正義で、相手が不正義であると断定するかのような自分の言葉に、疑問を持つようになる。「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」という彼女の発言は、そのことをふまえてのものだった。
寺尾さんの次の言葉は、たいへん印象的である。
「市井の人びとが声を上げる手段として、訴訟が重要なことはもちろんだし、なくては困る。けれど、それでもなお、訴訟により失うものがあるとすれば、それは、『自分が正しい』という、極めてはっきりとした『迷いのない主張』を声高に伝えなければならない、という義務を抱えることではないだろうか」
10年前の僕だったら、自分こそ正義、という信念でいろいろなものと戦ったり、いろいろなことに抗ったりしたかもしれない。しかしいまは、この「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」という言葉が、よくわかる。
実際、自分より10歳も20歳も若い仕事仲間を見ていると、かつての僕のように、自分たちは正義であり、不正義をはたらいた人間は断罪すべきだ、という意見に出会うことがある。もちろんそれは、本人の真面目さに起因するものであり、尊重すべき意見ではある。しかしそこに違和感を持ち始めた僕は、歳をとって、ものわかりがよくなったということなのだろうか?
以前僕はこのブログで、2017年6月11日に東京で開催された「SHORTS SHORTS FILM FESTIVAL& ASIA 2017アワードセレモニー」における大林宣彦監督のスピーチを紹介したことがある。
「たとえば今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子供はそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないかと」
「戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です」
「正義」が「不正義」を断罪することで、平和がおとずれるのだろうか?自分や他人の中にある「正義感」とどう折り合いをつけるべきかが、いまの僕が直面している課題である。だからこそこのエッセイがいま、僕にとってとりわけ印象深いのだろう。
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