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2022年2月

ひまわり

2月28日(月)

車で1時間以上かかる病院へ、定期の診察である。

診察、といっても、1か月以上前に行った別の病院での治療の結果を、ただ報告するだけである。しかも報告といっても、すでに治療の結果は画像データと文書で主治医に報告されているため、わざわざ僕が行って報告する必要はないのである。

1時間以上かけて病院に行き、何時間も待たされてあげく、ほんの2分程度で問診が終わる、というのは、いつも割に合わない。それだけで体力を消耗する。まったく、桂文珍師匠の小噺ではないが、病院に通うためには、そのための体力が必要である。

しかし、まったく無意味かというと、そうでもない。主治医の先生は、治療の結果の画像を見て、「前回、ちょっと心配だったところが、だいぶよくなっていますね」と、大事に至らなかったことを教えてくれた。まあそれだけでも安心である。

ようやく診察が終わり、車で自宅に引き返す。折しも、「大竹まこと ゴールデンラジオ」が始まる時間だったので、運転をしながら久しぶりにリアタイで聴くことにした。

月曜日のオープニングトークのドあたまは、いつも阿佐ヶ谷姉妹の美しいアカペラコーラスから始まるのだが、今日はそれがなく、いきなり「姉のエリコです、妹のミホです、阿佐ヶ谷姉妹です」という挨拶から始まっている。

おかしいな、と思っていると、おもむろに大竹まことが、

「今日はこの曲から聴いていただきましょう」

と、いきなり曲が流れた。オープニングトークでは、あまりないパターンである。

流れた曲は、映画「ひまわり」のテーマ曲だった。

大竹まことは、この曲をかけた意味を何も語らず、冒頭からいきなりこの悲しいテーマ曲が流れたので、曲が流れている間中、僕は「そのココロは?」と自問自答していた。

曲が最後まで終わったあと、大竹まことは静かに、この映画のストーリーについて語った。1970年公開のこの映画は、イタリアを代表する俳優、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンによる、第二次世界大戦に翻弄された男女の物語である。

映画で最も印象的な場面は、ソフィア・ローレンが、戦争で行方不明となった夫(マルチェロ・マストロヤンニ)を探しに、ソ連に赴いたとき、そこに地平線まで続くひまわり畑が広がっている光景である。僕もむかしこの映画を見たときに、ストーリーの細部は忘れてしまったが、この場面だけは強い印象に残った。

「あのひまわり畑の撮影地は、ウクライナだったのです」

という大竹まことの言葉に、この曲をかけた真の意味を、ようやく理解した。

「この『ひまわり』は、以前、長野県の医師である鎌田實さん(「大竹まこと ゴールデンラジオ」でしばしばゲストとして登場する)の呼びかけで、坂田明さんも演奏されています」

僕は、10年前ほど前の記憶がよみがえった。坂田明の演奏する「ひまわり」を、である。

友人のKさんに教えてもらい、僕が最初に聴いたのは、東日本大震災のあとだった。もともと、チェルノブイリの原発事故等で病気になった子どもたちを救うためのチャリティーとして企画されたアルバムだった。

いまはまた、違う文脈で「ひまわり」が大きな意味を持つことになるとは、誰が想像しただろう。

坂田明といえば、大林宣彦監督の映画「この空の花 長岡花火物語」(2012年)で、戦争で片腕を亡くしたアルトサックス奏者の役を演じていた。長岡の花火の映像と相まって、映画の終盤に流れる坂田明の魂の叫びともとれるアルトサックスの音色は、あの「ひまわり」のアルバムに込められた思いにも通じている。

大林監督と坂田明とのつながりは、ともに広島県出身であるということである。「この空の花」のメイキング映像に、大林監督のディレクションのもとで、坂田明がアルトサックスを演奏するシーンが残っているが、僕にとって貴重な映像である。

久しぶりに聴き直してみよう。

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髪型は関係ない

3歳11か月の娘は、時代劇を「ちょんまげ」と表現する。

「大泉さんのちょんまげ」というのは、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のことである。

それと実はもう一つあって、映画「新解釈・三国志」もそうである。

だから、「大泉さんのちょんまげが見たい!」と娘が言ったとき、どちらのことを指しているのかを見極めなければならない。

「どっちのほう?」

と聞くと、

「マサコさんが出ているヤツ」

と答えれば、それは大河ドラマだし、

「同年同月同日に死せん!」

と答えれば、映画「新解釈・三国志」の方である。

テレビでムロツヨシが出ていると、

「観たことある!」

という。

「大泉さんのちょんまげ(この場合は、「新解釈・三国志」)に出てた人でしょ?」

と言うと、

「あ、そうだ!」

と思い出すと同時に、

「エリコさんとミホさんのお友だち!」

と言う。はて、阿佐ヶ谷姉妹と共演してたのをどこかで観たのかな?と思って、

「阿佐ヶ谷姉妹と一緒に出てたの?」

と聞くと、

「ちがう。ママに聞いた」

と、ママに教育されたらしい。うちの家族はよってたかって、3歳11か月の娘にお笑いの英才教育をしている。

先日の大河ドラマの最後の場面で、一瞬だけ、源義経役で菅田将暉が映ったのだが、娘はそれを見逃さなかった。

「あ!髪の毛ボサボサの人!」

いやいやいや、ボサボサじゃないじゃん。だいいち烏帽子をかぶっているし、と思ったのだが、どうやら、妻が毎週楽しみに見ているフジテレビのドラマ「ミステリと言う勿れ」に主演している菅田将暉と同一人物だとわかったらしい。

僕はそのドラマを観ていないのだが、娘はママにつきあわされて観ているのだろう。僕はドラマの番宣のCMでしか見ていないが、たしかにこのドラマの中での菅田将暉は、ボサボサの髪型がトレードマークのようである。

つまりここから言えることは、娘は特徴的な髪型とかで、人物同定をしているのではなく、明らかに髪の毛以外の「顔」の部分で、本人を同定している、ということである。これってすごい発見だと思うのだが、あたりまえのことなのか?

よく、3歳くらいの子が、私鉄会社の特急の形と名前をすべて覚えているみたいな特技を披露していることがあるが、うちの娘は、その方向性がタレントの顔に向かっているということなのだろうか。

ちなみに、朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」に出演中の松重豊を観て「井之頭さんだ!」というのは日常茶飯事である。余談だが、松重豊の顔を見ると、どんな役を演じているかにかかわらず、なんとなく多幸感を抱くのはどうしてだろう?と、以前から不思議だったが、あれは、「孤独のグルメ」で多幸感に浸っている松重豊の顔がさんざん目に焼き付いているから、「パブロフの犬」のごとく、松重豊をテレビで見ると多幸感に浸れるんだろうな。いやこれは、娘の話ではなく、僕の話。

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いつから「タモさん」と呼ぶようになったのか

2月25日(金)

「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、エッセイストの酒井順子さん。本も読んだことがなく、初めてお聞きする名前だったが、お話はなかなか面白かった。

巷で使われている言葉や表現に、心がざわつくことが多い。いくつか例をあげていたが、その中の一つで、「会社や組織に『さん』をつけることが広がっている」ことの気持ち悪さを指摘していた。

折しも、つい先日、妻とそんな話になって、「相手の組織を「さん」付けすることにどうしても慣れない、というか嫌いだ」という話で一致したばかりだった。

またそれに関連して、知り合いでもない芸能人に「さん」をつける人が増えている、という指摘もあった。そういえばむかしは「タモリ」と呼び捨てにしていたのが、いつの頃からか一般人も「タモさん」と呼ぶようになった。

このブログでも、つい「大竹まことさん」などと、知り合いでもないのに「さん」付けしてしまうことが最近増えてきているのだが、自分で書いておきながら、なんか気持ち悪いのである。どうして最近は芸能人を「さん」付けするようになったのか、自分でもよくわからないのだが、知らず知らずのうちに、世間の傾向に流されているということなのだろう。

あと、「…と思っていて、…」という表現。これもよく聞くし、自分でもたまに使う。これも気をつけなければならない。

「これは個人的な意見なんですけど」という枕詞も、よく考えればおかしい。だいたい自分が喋るときは、ことわらずともたいていは「個人的な意見」である。自分の発言に予防線を張っているのかもしれない。

それで思い出したが、韓国語では、

「저는~(私は~)」

と言うべきところを、

「저와 같은 경우에 는~(私の場合には)」

と言う表現をよく使う。ほんと、よく使う。

これは「私なんかの場合は」とか「私的には」という、一種の婉曲表現である。表現を直接的ではなく、ちょっとあたりをソフトにすることで、コミュニケーションの潤滑油としているのだろう。これは世界共通のことなのだろうか。

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腐心

2月25日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ、金曜日までたどり着きました。

決して無事ではなかったが、「アシタノカレッジ 金曜日」を聴くと、ホッとする。

職場の仕事で、昨日から頭を悩ませている案件があり、いつもの職員たちとあれこれと考えながら、ひとまず解決策を出したのだが、どうもしっくりこない。

今日、職場に行くと、「昨日の件で…」と呼ばれ、事務室に行く。

「こんな資料がありました」

という。6年前の会議資料である。6年前もまったく同じ案件を抱えていた。

「ここに解決策が書いてありますよ」

見ると、すでに大事なところにマーカーが引かれており、今回もこの通りに行えば、難しいことを考えずに解決できることがわかった。

「これは?」

「先生ご自身が書いた会議資料ですよ。会議の議事要旨にも、先生がこれを説明した旨、書かれています」

なんと!すっかり忘れていたが、だんだん思い出してきた。入社2年目で当時平社員だった僕は、上司の指示で、その案件についての段取りを考え、それをA4用紙2枚ほどの書類にまとめ、会議資料としたのである。

「こういう文章は、事務屋には書けません。だからこれは明らかに先生の文章です」

たしかにこれは、どうみても僕の文体である。それにしても、我ながらよく考え抜いた文章である。

「よし、じゃあ、この資料を根拠に、今回もこの段取りで行きましょう」

「わかりました。では、この段取りに従ってスケジュールを組み直します」

というわけで、この案件の解決策に悩んでいた僕は、過去に自分が書いた文章によって救われたのである。

「やっぱり、公文書の保管ってのは、大事だねえ」

「そうですねえ」

僕は6年前の自分が、いまよりもちゃんと仕事をしていたことに、やや忸怩たるものを感じた。

毎日いろいろな案件が持ち上がり、その解決のために腐心する。そう、「腐心」という言葉がいちばんしっくりくる。

しかしすっきりと解決することはまれで、夕方はある件に関して、僕を含めたメーリングリストを通じて「悪意あるメール」が来た。

先日の一件の続きで、そのときは、「まるくおさまったかどうかは、まだわからない」と書いたが、どうやらまるくおさまらなかった様子である。間に入った人の提案がむしろ相手を逆上させたようで、よくもまあこんな嫌みなメールが書けるものだ、と、さすがの僕も堪忍袋の緒が切れるほどの悪意にあふれた攻撃メールだった。

この先も一緒にプロジェクトを続けていかなければならないのに、こんな悪意メールを書いたら、メールを受け取った人たちに「あのメールを書いた人」と思われ、しこりがずっと残りつづけると思うのだが、その想像力がはたらいていないのか、それともわざとなのか。

ここまで書いていて気づいたのだが、その人が怒ったその一件は、怒りを発露するきっかけに過ぎず、実はずっと前から、小さな不満がくすぶっていたのだろう。しかし、そんな感情をぶつけられても、それを僕が引き受けるほど、僕の心には余裕などない。「僕には考えなければならない問題が山ほどあるのだ」(映画「十二人の優しい日本人」より)。しかし解決に腐心しなければどうにもならないので、まことに困ったことである。

僕はいま、いくつものプロジェクトを抱えており、職場も思考様式も性格も違う、多くの人に助けられている。だがいつ何時、僕のふがいなさに腹を立てて降板してもおかしくない。だからそうならないように、僕自身が誠実でなければならないし、一人ひとりが気持ちよく参加できるように腐心しなければならない。しかし至らないことだらけである。器用ではないので、まことにくたびれる。

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絶対に笑ってはいけない国際会議

2月23日(水)

いよいよ、僕が主催のオンライン国際会議。

最初はこぢんまりした会合を想定していたのだが、話が大きくなり、会議の冒頭に、両機関の社長の挨拶を入れることになった。そうなると、下手なことはできない。

本務やほかの仕事が忙しく、直前まで準備に関われなかったが、カウンターパートの友人のおかげで、オンライン環境の設定やら、原稿の集約と翻訳、進行の段取りなどを取り仕切ってくれた。おかげでなんとか形になった。

僕の役割は、両社長の挨拶のあとの趣旨説明と、最後の総合討論の司会である。

難しかったのは、最後の総合討論である。オンライン形式で、しかも通訳をはさむとなると、どうしても対話がまどろっこしくなり、核心に至らない結果になるのだ。僕はそんなことを何度も経験してきたので、自分が司会のときはそうならないようにしようと心がけたが、やはり難しかった。

そんな緊張を強いられ、いよいよ総合討論も大詰めを迎えようとしたそのとき、玄関の開く音がした。

僕はこのとき、自宅のリビングでオンライン会合に参加していたのだが、予定よりも早く、3歳11か月になろうとする娘と妻が帰ってきたのである。

狭いマンションなので、ちょうど僕が座っているテーブルの真っ正面の方向に玄関が見える。

玄関を開いたとたん、まだ国際会議が続いていることに気づいた娘は、右手の人差し指を口に当てて、「しーっ!」のポーズをしながら、抜き足差し足で廊下を歩いてこちらに近づいてきた。

この時点で、もう可笑しい!まるでコントの一場面のようである。

しかし僕はこのとき、登壇者のやりとりを仕切るために、発言しなければならない。僕は慌てて目を伏せて、娘と絶対に目を合わせないようにするのだが、可笑しさがつのるばかり。笑いをこらえながら、何事もなかったように進行を続ける。もちろん、僕は司会なので、常にビデオをオンにしておかなければならない。

すると今度は、娘が僕の横に来て、パソコンの画面をのぞき込み、「トントントン」と、僕の肩を叩いた。

ダメだ!これで横を向いたら、絶対笑ってしまう!

何とか歯を食いしばり、娘のアクションを無視して、会議に集中しようとするが、集中しようとすればするほど可笑しくなる。だが、絶対に横を向いてはいけない。娘はいないものとして会議を続けなければならない。

すると今度は、ピンク色の風船が、僕の視界の端っこにチラリチラリと見えた。外出していたときに娘がもらったもののようだ。

見ないように見ないようにと思いながらも、ピンク色の風船は、ゆらゆらと揺れながら、僕の視界の端っこに入ってくる。

しかもその風船には、どうやらマジックで描いたような顔の絵があるみたいだ。

どんな顔だなんだ!!!と気になったが、確認したが最後、僕はおそらく突然脈絡もなく吹き出してしまうことだろう。僕はガマンガマンと自分に言い聞かせ、とにかく笑いをこらえた。

微動だにしない僕に気づいた娘は、もう一度僕の横に来て、「トントントン」と肩を叩いた。

やめろー!!!これ以上やると僕が撃沈して会議が台無しになってしまう!しかしそんなことは娘に伝えられるはずもなく、僕がひたすら耐えるしかなかった。

…おいおい、そんなことをしていたおかげで、討論の中身がまったく入ってこないじゃないか!!!

そこはそれ、僕もいちおうプロなので、なんとか総合討論を終え、引き続き閉会の挨拶となった。

この閉会の挨拶もくせものである。総合討論に入る少し前に、Zoomのチャット欄で、「閉会の挨拶をお願いします」と急に依頼され、何も考えていなかった僕は、「勧進帳」形式で挨拶をする羽目になった。

相手もあることなので、閉会の挨拶は間違いのないようにしなければならない。僕は娘の攻撃に怯えつつ、ひと言ひと言言葉を選びながら、誠にスリリングな「閉会の挨拶」を終えたのだった。

「本日はまことにありがとうございました!」

ようやく終わった、とホッとしていたら、相手方のスタッフの声が聞こえた。

「まだ退室しないで下さい!これから記念撮影をします。オンラインで参加の方はビデオをオンにして下さい!」

するとその声に反応したのか、娘がつかつかつかっ、と私の横に来た。

「一緒に写りたいの?」

「うん」

僕は娘を抱きかかえ、画面に登場させた。記念撮影が終わると、みんなは三々五々、画面から退室した。

そのとき、思い出したのである。

同じようなことが以前にもあった、と。

娘はそのときのことを覚えていて、また記念写真に写るために、そのタイミングを待っていたのだ。

僕の肩を何度もトントン叩いていたのは、早く記念写真にまぜて、というメッセージだったのだ。

それに気づいたとき、ようやく、今日1日の緊張の糸がほぐれたのであった。

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副反応にご用心

2月22日(火)

前回の記事を書いたあと、眠りについたら、どんどん寒気がして、寝られなくなってしまった。

朝起きて熱を測ったら38.5度。ひええ~、これがうわさに聞く副反応か~。

とにかくだるくて何もやる気が起きない。注射を打った左肩の痛みは相変わらずである。

常用している薬に加え、以前にもらっていたカロナールを飲んだ。

下痢がとまらないのは、副反応のせいなのか、副作用のせいなのか、もはやわからない。

翌日の月曜日。

体温を測ったら37.5度。たった1度しか下がっていない。

そして火曜日。

ようやく熱が下がったが、まだ頭はフラフラする。

それよりも、首の後ろあたりが、寝違えたみたいに痛い。あまりに痛くて、首を曲げたり伸ばしたりすることができない。これも副反応なのか?それともたんに寝違えただけなのか?

熱が下がったので、出勤することにしたのだが、首の痛みはどうする?

以前、ぎっくり腰っぽくなったときに実家の母からもらった湿布薬がまだ残っていた。お医者さんから処方されたものなので、とても効くのだといわれた。

ウソだろ~と半信半疑で貼って一晩寝たら、腰の痛みがウソみたいに消えた。

それ以来僕は、その湿布薬の信奉者である。

今回も首の後ろにその湿布薬を貼って、職場に向かった。で、夜に帰る頃には、ほとんど痛みが消えていた。

その湿布薬の効果、恐るべし、である。

出勤の途中、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いていたら、大竹さんは日曜日に3回目のワクチン接種を行ったそうで、それもP→P→Mという、僕と同じパターンだった。

それでも、「全然副反応がない」という。「年寄りは免疫が低いから副反応がないんだ」と言っていたが、ほんとうだろうか?

今日、仕事仲間とZoomで打ち合わせしていたとき、3回目のワクチン接種の副反応が酷い、という話をしたら、「うちの兄もそうでした。副反応が酷かったそうです」という。多分、その人の兄は、僕と同じくらいの年齢なのだろう。

ということは、僕くらいの年齢の人は、とくに副反応が酷いということなのだろうか?

ま、結局は個人差なのだろうけれど、ワクチンを打つたびにあんなに酷い副反応だったらヤだな。もはや何と闘っているのかわからない。海賊にお金を巻き上げられないために、高額のお金を払って用心棒を雇うようなものだ。

明日は僕が主催の日韓合同イベント。まだ少し頭がクラクラするが、なんとか乗り越えよう。

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ワクチン接種・3回目

2月19日(土)

ワクチン接種・1回目

ワクチン接種・2回目

今日は3回目のワクチン接種の日である。

前の2回は、近所のかかりつけのクリニックで、P社のワクチンを接種して、ほとんど副反応がなかったのだが、今回、ワクチン接種券が届いてすぐに予約をしようとすると、すでにかかりつけのクリニックの方は定員に達してしまったようで、予約ができなかった。もう1カ所、市内にある大規模接種会場に少し空きがあったので、そちらに申し込むことにした。

ただし、大規模接種会場の方は、P社ではなく、M社のワクチンと聞き、少し躊躇した。P社よりM社のワクチンの方が、副反応が強いと、巷間噂されていたからである。

実際、M社のワクチンを接種した人の話を聞くと、「もうあんな副反応は二度と経験したくない」という人や、「パートナーは3回めのワクチンがP社だったのでけろりとしていましたが、自分はM社だったので、熱が上がり、吐き気が止まらず、仕事になりませんでした」という人がいて、いよいよこれは恐ろしいなと思ってしまったのである。

しかし背に腹は代えられないと思い、予約をすることにした。妻は、3日前の水曜日にすでに同じ大規模接種会場でM社のワクチンを接種したが、今のところ、さしたる副反応はみられない。

しかしそこは個人差があるので、だからといって自分は大丈夫だとも確信できない。もし土曜日に接種したあと、日曜日に副反応のためにのたうちまわっているとしたら、週明けに絶対に出さなければならないいくつかの書類はどうすればいいのだろう?これは、接種前に何が何でも仕上げておく必要があるな、と思い、昨日の金曜日は夜中の3時までかけて、やっと一つの書類を仕上げた。あと、週明けにいくつか提出すべき書類が残っているのだが、あとはこまごまとしたものなので、もうそれはのたうちまわりながらでも仕上げなければ仕方がない。というか、どうしていつも俺は、めんどうな書類作成を先送りばかりするのだろう?

で、いよいよ3回目のワクチン接種当日の今日。

遅れちゃいけないと思って早めに出たら、予約の時間の1時間前に会場に着いちゃった。どこかで1時間時間を潰そうと思ったが、近くにそんな場所はないし、だいいちそういうところは感染のリスクもある。

ダメ元でそのまま会場に入り、「1時間早く着いちゃったんですけど」と言うと、「かまいませんよ」というので、そのまま中に入っていった。

もうワクチン接種も3回目となると、大規模接種会場のスタッフさんの動きも手慣れたものである。おそらく多数のアルバイトを雇っているのだと思うが、動線がはっきりとわかるように床面にはこれでもかというほどの矢印が貼ってある。同じ建物の中にP社とM社の両方のワクチン接種会場があるので、間違えないようにしつこいほど「どちらのワクチンですか?」と聞いてくる。

「M社です」

と答えると、「では階段かエレベーターで地下二階に降りて下さい」とうながされた。

地下二階に降りると、そこはいつもは体育館として使われている大きなスペースである。これでもかと床面に貼ってある矢印の方向に進むと、予診票の有無を確認する人、ワクチン接種券の名前と身分証明書の名前を照合してチェックする人など、いくつかの関門がある。なるほど、まるでこれは選挙会場のようだ。

本人との同定が確認されると、会場の突き当たりまで行き、医師による問診、そしてメインイベントのワクチン接種と続く。

前の2回は夏だったので半袖だったが、今回は冬なのでかなり着込んでいる。ワクチン接種をするテントみたいなところに入ると、ジャンバー、セーター、そしてYシャツを脱ぎ、Tシャツ1枚になって左肩を出した。

「チクッとしますよ」

と言われたが、いつ打ったのかわからないほど注射は痛くなかった。

ワクチン注射のテントを出ると、椅子が並んでおり、そこで15分間、座って待つことになる。大きめのモニターがあり、そこに、それぞれの人の番号が示され、それぞれの番号の下に「あと何分」という表示が出る。自分の番号が、赤字から青字に変わったら、接種から15分経過したことを意味するので、会場を出てよい、ということになる。これもまた、何というか、免許更新センターみたいなやり方だ。

なるほど、大人数を流れ作業でさばくためのノウハウは、選挙とか免許更新とかで培われているんだな。

接種後、帰宅すると爆睡してしまった。11時間以上経過しているが、いまのところ熱や吐き気などはない。ただ、注射をした方の左腕がなかなかの痛さである。

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テレビで会えない芸人

2月17日(木)

病院での診察が終わり、車で職場に向かうと、ちょうど文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の時間で、聴きながら運転していた。

今日の「大竹メインディッシュ」のゲストは、芸人の松元ヒロである。いま、「テレビで会えない芸人」というドキュメンタリー映画が話題になっている。

松元ヒロは、以前「ザ・ニュースペーパー」というコントグループに属していて、テレビでよく見ていた。たしか、フジテレビで日曜のお昼にやっていた「上岡龍太郎にはだまされないぞ!」(1990~1996年)という番組の中で、ザ・ニュースペーパーがコントをやるコーナーがあり、そこで松元ヒロとレギュラーの大竹まことは顔を合わせていたんじゃないかな。

…と思ったら、「お笑いスター誕生」時代からの芸人仲間だったことを、ラジオを聴いてはじめて知った。

ラジオのトークの中では、松元ヒロと立川談志、永六輔との交流について語られていた。

松元ヒロがむかしある劇場で一人でスタンダップコメディをやっていたら、客席で見ていた立川談志が終演後に感激のあまり壇上に上がり、松元ヒロを激賞した、というエピソードで、松元ヒロは談志がそのときに語った言葉を、おそらく一言一句忠実に再現して語ってみせた。その語りじたいがじつに見事だった。

永六輔の最晩年、病気のためにもはや直接会うことがかなわなくなった松元ヒロに対してひと言、「9条をよろしく」という言葉を残した。

それで思い出したのだが。

前の職場にいたときだから、いまから15年くらい前のことだったと思う。

ちょうど「9条の会」が盛り上がりを見せていた時期で、うちの職場でも、その支部みたいなものが作られ、僕も参加していた。

そのときの支部長が、T先生といって、学部長もつとめられた方である。T先生は厳格な法学者で、いつも背広姿で、紙を七三に分けた、まことに品格のある先生だった。物腰は柔らかいが、ときに毅然とした態度をおとりになる方で、言うべきことは言う、という、学部長としても尊敬すべき先生だった。

うちの職場で「9条の会」を盛り上げるために、何かイベントをした方がよいのではないか、という話し合いをしたことがあった。そのとき僕も、その話し合いの末席に連なっていた。

いろいろと案が出されたが、リーダーのT先生は、

「松元ヒロを呼んだらいいんじゃないか」

と提案した。「松元ヒロがいい、松元ヒロがいいよ」

僕は意外だった。厳格なT先生が、松元ヒロのことを知っている。知っているばかりか、その芸風を認めて、ぜひうちの職場に呼んだらどうか、と提案したのである。

いま思うと、松元ヒロが、はたしてどれだけ大学生に知名度があるのか、そしてどれだけ若い人の心をつかむかどうかは、わからないのだが、それでも、あの確信に満ちたT先生の発言は、いまでも時折思い出すのである。

結局、その夢は叶わなかったが、いまになってみると、T先生は、じつに先見の明のある方だったのだと、しみじみと感じるのである。

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病院の待合室にて

2月17日(木)

車で1時間半かけて、定期診察のため病院に向かう。

大きな病院なので、あいかわらず外来の患者が多く、待合室はかなり密である。

待合室で待っていると、

「オダユウジさん、1番診察室にお入り下さい」

とか、

「オグラユウコさん、3番診察室にお入り下さい」

と、医者の先生が患者を呼び出す声が待合室中に響き渡るのだが、そういうときって、どうしても診察室に入っていく人の方を見ちゃうね。

都心の有名な病院ではなく、都外の、しかも市街地からもかなり離れた病院なので、まさか芸能人が通院しているはずもなく、同姓同名の人なのだろうけれど、それでも、どんな人だろう?と、つい診察室に向かう人の姿を確認しようとするのは、ミーハーである僕の、悲しい性(さが)である。

オダユウジさんは確認できなかったが、オグラユウコさんは、診察室に向かう姿が確認できた。もちろん芸能人ではなく、ふつうの人だったけれど、たぶん、自分が芸能人と同じ名前で、名前を呼ばれるたびに周りの注意を引くので、恥ずかしいという感覚がしみついているのだろう。顔を伏せて、ひどく足早に診察室に向かっていった。

待合室で呼ばれる名前といえば、たしかずっとむかし、ダウンタウンのコントに、病院の待合室で呼ばれる名前にまつわるコントがあった。

待合室でたくさんの人が待っている。医者が「○○さん、診察室へどうぞ」と呼び出すのだが、その「○○」の名前が、ふつうあまり聞かないような、珍奇な苗字なのである。

あまりに珍奇な名前ばかり医者が呼び出すので、みんなが驚いて、そのたびに診察室に向かう人の方を見る、というただそれだけのコントだった気がするが、僕が妙に覚えているのは、その中の苗字の一つに、「漆目八村(うるしめやむら)」という珍奇な苗字があったことだった。

本当にそんな苗字があるのか?と調べてみたのだが、どうも実際にはなさそうだ。それにしても、「うるしめやむら」という苗字を思いつく、その語感のセンスが、たまらなく面白くて、いまでも覚えているのである(病院の待合室という設定でなかったかもしれない)。

病院の待合室で思い出したが、桂文珍師匠の「老婆の休日」という落語だったか、病院の待合室での会話というのがあった。

「○○さん来てへんけどどないしたん?」

「風邪引いて休んでるわ」

これがたまらなく面白かった。

今年の正月に演芸番組を見ていたら、桂文珍師匠がテレビで新作落語をやっているのを久しぶりに見た。スマホの操作がわからない老人を主題にした内容で、腹を抱えて笑った。

桂文珍師匠は、僕が若い頃はバラエティ番組によく出ていて、本業の落語よりもそちらでの露出が目立っていた気がする。週末のニュース番組で政治のことを語ったり、上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶の「パペポTV」の向こうを張って、西川きよしと「目玉とメガネ」というトーク番組を始めたが、当時は観ていて、さほど面白いとは感じなかった。文珍はどうもインテリに憧れているという印象を拭えなかったのである。

しかしここへ来て、桂文珍師匠の落語の面白さにようやく気づいた。やはりこの人は落語の人なのだ。たいへん不遜な言い方だが、さまざまな雑味が濾過されて、純粋に落語の面白い部分だけが残った、ということであろうか。いや、桂文珍師匠のことをたいして知らないくせに、こんなことを言うのは、やはり不遜である。

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ホームズVSコロンボ

2月15日(火)

火曜日は会議日だが、とくに第3火曜日は終日会議である。今日は会議が終わると、面倒な書類づくりに追われて、職場を出たのは夜9時頃だった。

帰宅してから、NHK-BSPで再放送されているドラマ「シャーロックホームズの冒険」を観た。先日録画しておいた「ウィステリア荘」というエピソードである。

ドラマの途中、非常に切れ者のベインズ警部という刑事が登場し、ホームズと、ちょっとした謎解き合戦をする。細かな痕跡から事件を推理し、その後の事件の展開を先の先まで読むその姿勢に、最初は訝しんでいたホームズも、最後には喝采を送るほどである。

吹き替えの声を聞いて、一瞬、小池朝雄か?と思ったが、よくよく聞いてみると、ちょっと違う。名古屋章だ!

しかし声といい節回しといい、まったくもってコロンボである。台詞がコロンボ的なのは、このドラマの翻訳が額田やえ子なので当然だが、それに加えて、愚鈍そうに見えるベインズ警部が実は切れ者だという設定も、コロンボを彷彿とさせる。

翻訳が額田やえ子といい、ベインズ警部の人となりといい、日本語版では絶対にコロンボを意識しているぞ!おそらく、名古屋章をキャスティングしたのは、それを狙っていたのだろう。小池朝雄本人だと、もろコロンボになってしまうからもちろんNGで、その雰囲気を感じさせるためにわざと名古屋章に声を当てさせたのだろう。台詞回しの様子から、名古屋章も、それをわかって、楽しんで演じているように思える。

名古屋章と小池朝雄の関係を調べてみると、名古屋章は1930年生まれ。小池朝雄は1931年の早生まれで、二人は同学年なんだね。しかもともに文学座に入り、1963年の文学座分裂騒動のときには、二人揃って脱退して、劇団雲の創立に参加している。ちなみに文学座には、小池朝雄のほうが名古屋章よりも早く入団しているようだ。

そして、これもはじめて知ったのだが、ピーター・フォークが大泥棒を演じた「ブリンクス」というドラマでは、小池朝雄がフジテレビ版の吹き替えを、名古屋章がテレビ朝日版の吹き替えを担当している。こうなるともう、双子みたいなものである。

小池朝雄のコロンボはまさに当たり役で、当時の劇団出身の俳優たちの羨望の的だったに違いない。いつだったか、テレビで江守徹が「コロンボの声なら俺の方が上手い」とか何とか言って、小池朝雄の声マネをしていた。ちなみに「新刑事コロンボ」のコロンボ役だった石田太郎は、小池朝雄の劇団雲・劇団昴の後輩にあたり、宴会などの余興で小池朝雄のものまねを本人の前でしていたという。さらに言うと、江守徹と石田太郎は同じ年(1944年)に生まれている。

おそらく名古屋章も、俳優仲間として間近に接していた小池朝雄の声マネを、日頃からしていたのではないだろうか。ベインズ警部の声からは、その遊び心がうかがえるのである。

むかしは声優という独立した職業がなかったので俳優が声優をつとめたのだ、ということはよく言われていることだが、とくに劇団出身の俳優は、それだけでは食えなかっただろうから、声優の仕事も重要な収入源だったのかもしれない。しかしそれが、「声」に対する独特の価値観を生み、ラジオに進出していくのである。近石真介しかり、若山弦蔵しかり、愛川欽也しかり、である。

もうそんな時代は、とっくに終わってしまったのだろうか。

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なぞなぞ

町のクリニックの待合室に、よくテレビが置いてあるでしょう。そこで流れている番組を見ていた3歳10か月の娘が、

「あ、パパが好きな人が出てる!」

と叫んだという。

パパが好きな人って誰だろう?娘に好きな芸能人について語ったことはないので、わからない。阿佐ヶ谷姉妹とか、大泉さんとか、町山さんとか、名探偵ポアロとか、シャーロックホームズとか、ウルトラセブンとか、そういう名前だったら覚えているはずである。

誰?と聞くと、

「えーっと‥喋っているのに喋らない人」

喋っているのに喋らない人?腹話術?もしかして「いっこく堂」か?しかしいままで一度も、いっこく堂の話題を出したことはないし、そもそも娘はいっこく堂の芸を見たことがないはずだ。たしかにいっこく堂は好きだが、ふだんいっこく堂のことばかり考えているわけではない。これだけではわからない。

「ほかに、その人はどんな人?」

「目と目の間が近い人」

と言って、右手の親指と人差し指で、眉間のところをつまんだ。

目と目の間が近い人?ますますわからない。

「わからないよ。ほかに、その人はどんな人だった?」

「えっとねぇ…。たくさん食べる人」

大食いの人か?一瞬、ギャル曽根の顔が浮かんだが、ギャル曽根のことが好きなのは、パパではなくママのほうだぞ。

「喋っているのに喋らない人」「目と目の間が近い人」「たくさん食べる人」

あ、わかった!こうして並べてみると答えは簡単ですね。よい子の読者のみなさんはわかったかな?

ではごきげんよう。

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アパホテルの社長

3歳10か月の娘が、たまに癇癪を起こして、

「もうパパとママはひどい!パパとママはひとりで住んで!」

と叫ぶ。娘に、じゃああなたはどうするの?と聞くと、

「エリコさんと住む!」

と決まって言う。「エリコさん」とは、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんのことである。

最近は、声を一瞬聞くだけで、あ!阿佐ヶ谷姉妹だ!と気づく。もっとも、町山智浩さんの声を聞くだけでも「マチヤマさんだ!」と気づくようになったのだが。

その町山さんが、アメリカから日本に一時帰国したときに、水際対策で10日間、政府が借り上げている「アパホテル」で強制隔離された、という話題を、食事中にしていたら、それを聞いていた娘がいきなり、

「アパホテルの社長とキス!」

と言いだした。会話の中の「アパホテル」という言葉に反応したのである。

一瞬、なんてことを言い出すんだこの子は!と思ったのだが、思い出した。

昨年末のテレビ東京の番組「そろそろにちようチャップリン」の「ASH&D特集」で、コント師の「ザ・ギース」がやっていたコントに出てくる台詞だった!

「アパホテルの社長とキス!」という台詞だけでは、どんなコントなのかわからないだろうが、とにかくザ・ギースはコントの中でこの台詞を連呼していたのである。

阿佐ヶ谷姉妹が目的で見ていた番組だったが、いつの間にかザ・ギースのネタも覚えているではないか!

3歳にして、お笑い偏差値が高いんじゃないか?しかもパパに似て「ASH&Dコーポレション」びいきなんじゃないだろうか。

ま、それでも、いまはいろいろなことを吸収している時期のようで、お風呂に入ると、パパとかならず、「ウルトラセブン」の歌を大声で歌う。

「せぶん!せぶん!せぶん!、せぶん!せぶん!せぶん!、も~ろぼしだんも~ ま~も~ た~び~て~」

たぶん、保育園で歌っても、古すぎて誰もわからないと思うぞ。

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大雪の日

2月10日(木)

さ、週末だから、「アシタノカレッジ金曜日」を聴こうと思ったら、まだ木曜日だったんだね。

今日は朝から大雪である。在宅勤務を命じられた。

在宅勤務は長距離出勤しなくてすむので身体は楽なのだが、今日は朝から夕方までなんと4つの会議が続いた。会議ほど苦手なものはない。この時間を、もっと有効に使うことができるのではないかと、いつも思ってしまう。この国の生産性が落ちているのは、会議のせいではないかとすら思えてくる。

あと、メールである。のべつ幕なし「判断をあおぐメール」やら「確認のメール」が送られてくる。

「会議で承認されたので、この通知を全員に出して下さい」

と、担当者に指示を入れたところ、

「わかりました。では、いまいちど、最終文案を送りしますので、ご確認いただいた上で、全員に通知を出します」

という。

いやいやいや、会議で承認されたんだから、そのまま通知すればいいだろ、と思うのだが、その前に最終確認をしなければならないのが僕の役目なのだから文句は言えない。

そんなこんなで、何事をするにも、ひと手間とか、ふた手間とか多くかけているのである。こういう手間が省けたら、どんなに楽だろう。

メールはあちこちからやってくるので、そのたびに打ち返すのだが、これ自体がかなりのストレスである。いちばん困るのは、娘が保育園から帰ってくる18時以降に来るメールである。たいていは翌日に返信を書くようにしているが、場合によっては急を要する内容のものもあり、早く返信しないと行けないのではないかと気になって仕方がない。だから、ストレスをためないためには、18時以降の仕事のメールは見ないようにすると心がけなければならない。

亡き父が会社勤めをしていた頃、毎日、定時に会社を退勤し、7時くらいには帰宅していた。外で飲みに行く、なんてことは、数年に一度あるかないかであった。子どもだった当時の僕は、なんと退屈な人生だろうと思ったものだが、定時に退勤して、翌日会社に行くまでは、仕事のことを考えなくてよいというのは、いまから思うとじつに贅沢な過ごし方だと思う。もちろん、父には父なりに、仕事の上でのストレスはあったのだと思うが、それにしても、四六時中仕事のことを考えなければいけないよりははるかにマシである。父が亡くなって、僕も50歳を過ぎて、いまは父のように生きたいと思うようになった。

こうして駄文を書き続けているのも、いわば仕事からの逃避なのである。

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リメイク版はなぜショボくなるのか

「半世紀前の伝説のドラマシリーズが復活!」というふれこみで、2度目のリメイク版が製作された。僕はそのドラマを観て、あまりのショボさに愕然とした。

むかしは、もっと予算をかけて、重厚なドラマだったのだが、このたびのリメイク版は、明らかに予算がないことが丸わかりである。ずっしりとした重みがない。1話あたりの時間も短く、放送回数も減らされ、出演陣もかなり少なくなっている。なにより、こう言っちゃナンだが、出演している俳優も小粒ばかり。しかも製作発表した当時のキャスティング表とくらべると、ひとりの俳優が降板したらしく、その分、さらにストーリーが薄っぺらくなっている。

オリジナル版の放送が1970年代で、最初にリメイクされたのが1990年代だったと思うが、そのときのリメイク版は、オリジナル版に引けを取らない重厚さだった。1990年代頃までは、この国には勢いがあったのだ。それがいまはどうだ。まったく勢いというものが感じられない。ワクワクしないのだ。

オリジナル版は、まだフィルム撮影だったのだが、いまはもう完全にデジタル撮影である。しかし、フィルム撮影のほうが作りが丁寧で、間違いも少ない。デジタル撮影は、どうにもちゃちな感じが否めない。

これは決してノスタルジーではない。たぶん、投入されるスタッフの数が全然違うのだ。かつては予算と人が多く投入されたのだが、いまはデジタル撮影をいいことに、スタッフは最小限の人数である。スタッフが少ないから間違いも多くなる。ひょっとしたら一部を外注している可能性もある。すべては、人手と予算がないためなのだ。そして予算が投入されないのは、それだけ観る人が少ないと踏んでいるからなのだ。だから出演者へのギャラはできるかぎり抑えられている。

だったらそのコンテンツ、「オワコン」なんじゃね?と思うのだが、それでも、むかしの夢よもう一度、と思う人がいたのか、あるいは、いい企画が思いつかないから焼き直しをしようと思ったのか…。

この国の文化・学術・芸術の、あらゆる分野で、こうした流れが加速している。

映画評論家の町山智浩さんが言っていたが、高度経済成長期は、日本の「大衆」の知的水準はものすごく高かったという。たとえば中小の工場で働く労働者は、新聞に目を通し、難解な本や雑誌を読むのを好んでいた。知識や教養への渇望がすごかったのだ。

そのいい例が、映画「男はつらいよ」で前田吟が演じた博(寅さんの妹のさくらの夫)である。下町の小さな印刷工場で働く博は、岩波書店発行の雑誌『世界』を愛読していた。そのことが映画の中に出てくる。あれは博が特別にインテリだったからではなく、その当時は、それがリアリティーをもって受け止められていたのだ。

そうした「大衆」の知的水準の高さが、史上まれに見る高度経済成長の原動力になったのだと、町山さんは指摘する。そして翻っていまの時代状況を考えると、映画も、テレビも、本も、雑誌も、未来がないのだと嘆くのである。

少し前に紹介した、中谷宇吉郎の「I駅の一夜」という随筆で語られた「国力」という言葉を思い出す。高度経済成長を支えていたであろう、この国のあらゆる人たちの「知識や教養への渇望」の底が抜けてしまったいま、中谷宇吉郎のように「だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない」とは、やはり自信を持って言えないのである。それとも、そんなことは考えすぎで、たんなるノスタルジーに過ぎないのだろうか。いよいよわからない。

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円盤が来た

2月6日(日)

朝、NHKのBS-Pで、「ウルトラセブン」を観る。3歳10ヵ月の娘も、すっかり「ウルトラセブン」の歌を歌えるようになった。

今日のエピソードは「円盤が来た」。この回も印象に残っているなあと思ったら、演出は実相寺昭雄だったんだね。

天体望遠鏡で星を観測するのが好きな青年を演じているのは、冷泉公裕である。冷泉公裕は、小さな町工場ではたらく、不器用で鬱屈した青年を演じさせたら、右に出るものはいない。このキャスティングは素晴らしい。

渡辺文雄も出演していた。渡辺文雄は、どちらかといえばエリートの役が多いが、ここでは、小さな町工場を営む破天荒で粗暴な男。このキャスティングも素晴らしい。

というか、この回、役者がすごくよくないか?

そば屋の店主役でミッキー安川も出演している。いやはや、僕にとっては贅沢なキャスティングである。

で、僕が見逃さなかったのは、アマチュア天文家役の冷泉公裕が、円盤を発見した!という電話をウルトラ警備隊にかけたときに、その電話を軽くあしらう「広報班隊員」役で、若き日の上田耕一が、一瞬だけ出ていたことである。ノンクレジットだったけど、これは発見だ!と思って、念のためWikipediaの上田耕一の項目を見てみたら、すでに書いてあった。

あと気づいたことは、この回のおもなロケ地は多摩川なのだが、多摩川を渡る鉄道の鉄橋が映っている。おそらく小田急線だろう。その鉄橋を背後に、冷泉公裕がセリフを言う、というシーンが何カットもあるのだが、そのたびに、背後の鉄橋に電車が通っているのである。おそらく電車が鉄橋を渡るタイミングで、セリフを言わせているのだろう。何でもないシーンだが、じつは時間のかかる、手の込んだ撮り方である。

役者の背後に線路が映っているときは、必ず汽車や電車が走っている場面をねらって撮影するというのは、大林宣彦監督の映画でもそうだし、山田洋次監督の映画でもたぶんそうだった。当時の映画監督の中では常識に属することだったのだろう。いまの映画界ではそういうこだわりがあるのかどうかは、よくわからない。

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I駅の一夜

先日友人から送ってもらった短いエッセイがとてもよくて、そこに引用されている中谷宇吉郎の随筆にも惹かれた。まことに恥ずかしいことに、寺田寅彦の随筆は高校生の頃に愛読していたが、その弟子にあたる中谷宇吉郎の名は、この年齢になるまで知らなかった。私には知らないことが多すぎる。

「I駅の一夜」と題する短い随筆が好きである。

北海道から東京に戻る途中の、1945年3月10日未明、東京大空襲があり、その余波を受けて盛岡も空襲にあう。そのために汽車事情が悪くなり、筆者は、盛岡から少し東京寄りのI駅で途中下車をして、とりあえず宿を探すことにした。

…私はこの駅を一ノ関駅ではないかと想像した。以前に一度、一ノ関駅前に宿を取ったことがあるので、「I駅」を一ノ関駅と勝手に解釈すれば、俄然この文章も親しみやすくなる。

さて、筆者・中谷宇一郎は、宿屋を探すが、夜遅いせいもあって、なかなか泊めてくれるところがない。ようやく泊めてくれることになった宿屋も満室で、布団だけを貸してくれるという。宿帳に名前を書くために筆者が名刺を渡すと、そこの女主人が、「先生の本を愛読しています」と感激した様子で、あいにく満室ですが、どうぞ私の部屋を明け渡しますのでそこに泊まって下さいと言った。

その部屋に通されて、筆者は驚いた。「四畳半の二つの壁がすっかり本棚になっていて、それに一杯本がつまっている。岩波文庫が一棚ぎっしり並んでいて、その下に「国史大系」だの、『古事記伝』だの、「続群書類従」だのという本がすっかり揃そろっているのである。そして今一方の本棚には、アンドレ・モロアの『英国史』とエブリマンらしい英書が並んでいる。畳の上にもうず高く本が積まれていて、やっと蒲団を敷くくらいの畳があいているだけである。私はたった今の今まで、東北線の寒駅の暗い街をさまよい歩いていたことをすっかり忘れてしまっていた」

聞くとその女主人は目白の大学を出て、郷里の戻って女学校に奉職し、この地で夫に出会ったのだが、夫の両親は旅館を営んでいて、それを引き継いでいまに至るというのである。この人の夫も、国文学を専攻してこの土地の中学校に奉職しているというから、この部屋にある膨大な本は、この旅館を切り盛りしている夫婦の本なのである。

なんと言うことのない、一期一会の話なのだが、私がこの随筆に惹かれたのは、中谷宇吉郎の次の一文を読んだからである。

「私は何だか日本の国力というものが、こういう人の知らない土地で、人に知られない姿で、幽(かす)かに培養されているのではないかという気がして来て、静かに夫人の話に聞き入っていた」

なかなか好きな本が手に入ることのないであろう土地で、それでもなんとかして手に入れて、教養や思考を身につけることを忘れないでいようとする女主人の姿勢にふれた筆者は、感動したのである。そしてそこに、真の国力の可能性というものを感じたのだろう。

この随筆の最後には、敗戦後に書かれた短い「付記」があり、次のように書かれている。

「この話は戦争が第三年に入って、我が国が最後の苦しい段階に乗りかかった頃の話である。その時でも勿論この話は或る意味を持っていたと思われるが、今終戦後国民の多数が浅間しい争いと救われない虚脱状態とに陥っている際に、なるべく多くの人に知ってもらうことも、また別の意味で意義があるような気がする。日本の力は軍閥や官僚が培ったものではない。だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない」

「だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない」と、いま、言うことができるだろうか。私ははなはだ自信がない。

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被害妄想オンライン登壇

2月5日(土)

我ながら酷い内容だった。

あるイベントにオンライン登壇したのだが、散々な結果に終わった。

30分程度の自分の出番が終わると途端に落ち込み、その後の話の内容が入ってこない。

もうだめかもわからんね。

じつは明日もまったく同じ内容のことを喋る。1日で済ませてくれよ、と思っているのだが、大人の事情なのか、そうはならないようである。しかも明日は、動画サイトにより全世界に配信されるのだ。じつに困った。

1日目終了後、主催者から、

「明日は(時間を守ってもらうための)ベルを使用します」

という内容のメールが来た。たぶん、僕が10分くらい時間オーバーしたので、(あいつ、昨年に引きつづいてまた時間オーバーしているな、いい加減学習しろよ!大人なんだから!)と陰口をたたかれているに違いない。急遽ベルを用意することになったのは、絶対の僕にせいだな。

ま、1日目は予行演習だと思って、今日ダメ出しされた事柄を改善して、2日目にのぞめばいいのかも知れない。が、改善できるかどうか、わからない。

 

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なんとかします!

2月4日(金)

今週もTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでを聴き、ようやく1週間を終えたのだが、決して無事な1週間ではなかった。

一昨日だったか、若い人から仕事上のメールが来て、

「○○の案件について、××さんからこんなメールが来て、このように対応したことを情報共有させていただきます」

と事務的に書かれていたのだが、その××さんのメールを見ると、よくまあこんな悪意のある書き方ができるなあというほどの、若い人をあげつらうような酷い内容のメールである。

最近、この種のメールが僕のところに直接、間接に届くことが多く、僕はそれを「モンスターメール」と呼んでいる。

こんなメール受け取ったら、受け取った方は絶対にメンタルやられちゃうな、というほどの悪意のある表現に満ち満ちており、これを受け取った若い人は、なんとか心が折れないようにまずは必死に返信を書き、おそらくそれで力尽きて、僕のところに駆け込んできたのだろう。こんな酷いメールが送られてきたのですが、どう気持ちの整理をつければよいのでしょう、と、その一見平静を装ったメールの行間には、そうした思いが込められていたことを、容易に想像することができた。

僕もその案件の決定に関与していたから、責任の一端は僕にもある。ただこちらにいささかの過誤があるにしても、それをあんな言い方をして、しかも弱い立場にいる若い人をあげつらうのは、あまりにも酷い話である。

僕はその若い人が、これがきっかけで心が折れて仕事がイヤにならないように、empathyのメールを書き、励ました。すると「めげずにがんばります」と返事が来た。なんとか心を落ち着けてくれたらしい。

それにしても、悪気しかないそのメールを書いた人は、ふだんはそんなことを書くような人ではないので、かなり不可解である。その人自身もコンディションが悪かったのか、わからないが、そもそも立場の弱い人に口汚い愚痴を吐くというのは、社会人としてどうなのだろう。

今朝は今朝で、まったく別の人から、「△△の案件について、ちょっとある人から(その決定を)批判されて、どうしたらよいか困っています」というメールが来た。この案件もまた、僕が決定に関わってきたから、僕に判断を聞いてきたのである。

その決定を批判してきた人の言っていることには一理あり、うかつに決定した僕にも責任がある。その人はとてもまじめで繊細な性格で、大切な仕事仲間でもある若者なので、その人が我々への禍根を残さないように慎重に対応しなければならない。この場合、「決定を取り消す」という一択しかないのだが、一方で、その決定を取り消すことにより損害を被る人にもしかるべき説明をして納得してもらわなければならない。

僕は相談してきた人にそのことを説明し、双方をなんとか丸くおさめる方法を示唆した。僕に相談してきた人は、「なんとかやってみます」と返信してきたが、いま現在、まるくおさまったかどうかは、まだわからない。しかしこじれる前に早めに対処した方がよいことはたしかだ。

どこの職場でもあることだが、常に対立や行き違いやトラブルやちょっとした過誤、といったことが起こる。その場合、傷が大きくなる前に、早めに対処するのが肝要である、というのを、ここ1年ほどで学んだ。そしてここ1年、僕はそうした事態を収拾する役回りばかりさせられている、というのは、少し大げさかもしれないが、実感としてはそうなのである。もちろんそれで「お足をいただいておりますので」(by小沢昭一)、当然と言えば当然の仕事なのだが。

脚本家の三谷幸喜が書くコメディには、

「なんとかします!」

という台詞がよく出てくる。もはや八方塞がりで打つ手なしというときに、それでもなんとか打開策を見つけようとして思わず発する台詞である。

僕も日々のこうしたトラブルが降りかかったときに、心の中で、

「なんとかします!」

と叫ぶようにしている。そうすれば、気が重い事態収拾策も、コメディを演じるような気分になれるのだ。

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出入り業者か

2月2日(水)

先日、ある出版社にやっと原稿を送ったと思ったら、同じ出版社から、「レターパックライト」が届いた。

早いもんだなあ。もう入稿したのか?と思って中を開けてみると、そうではなく、また新たな本の企画書が送られてきて、そこに30人のうちの一人として、原稿を書いてくれという依頼であった。

またかよ!

企画書を見たところ、どう見ても売れそうにない本である。こんな本、誰が読むのか???

しかも編集委員は、僕のことをよくわかっていないらしく、およそ僕が書くべき内容ではないテーマを依頼してきた。たぶん、編集委員が、僕のことを与しやすい人間だと思っているのだろう。そもそも、編集委員として名を連ねている人たちと僕は、それほど知り合いというわけではない間柄なのである。

僕よりも適任の人はほかにいくらでもいるのに、なぜ僕なのだろう?ははぁ~ん、さては、僕よりも適任の人たちと揉めているのだな。それで仕方なく、僕のところに話がまわってきたのだろう。

すでに全体の目次案が同封されていた。通常、最初に送られてくる目次案というのは、目次のタイトルだけ書いてあって、執筆者名は書いていない。それもそのはず、まだ執筆者から内諾をもらっていないからだ。

ところが、今回同封されていた目次案には、すべて、執筆者の名前が入っていた。その中には当然、まだ諾否を明らかにしていない僕の名前も入っている。ということは、内諾する前に勝手に名前を入れちゃっているのである。これはスジが悪い。

さて、その執筆者人を見ると、

「ははぁ~ん。俺は、このランクだと思われているんだな」

ということがまるわかりで、ひどく落ち込む。

つまり、言葉は悪いが、安く使える執筆者ばかりが並んでいるのである。

もともとがそういったランクの人々が書く本なので、やはり売れるはずなどないのである(俺も口が悪いね)。

しかも、印税はなく、書いた本が1冊もらえるというだけである。またボランティアかよ!

その執筆者グループに、アイデンティティーを感じている人からすれば、書くことでその仲間の一員を保てるということ自体にメリットはあると思うのだが、僕のようなよそ者にとっては、まったくメリットのない仕事である。

さらに不可解なのが、同封された書類のどこを探しても、原稿の分量についての具体的な数字が書かれていないことである。

たぶん、うっかりミスで原稿の分量についての記載を落としたのだと思うが、一番大事なその点を記載漏れしたことだけをとってみても、この書類がいい加減に作られたものであることがわかって、やはりかなりスジが悪い企画である。

今回ばかりは断ろうか、とも思ったが、ここで断ったら、「あいつ、お高くとまっていやがる」と陰口をたたかれるのもイヤなので、やっぱり引き受けた方がよいだろうか。

そうでなくても、今年(2022年)は大きなプロジェクトが控えていたり、力を入れて書かなくてはならない原稿があったりと、目白押しなのだ。やっぱり断ろうか。

そういえば、ライターの武田砂鉄氏が、自分がラジオ番組のパーソナリティーをつとめるTBSラジオに対して、「自分は(TBSラジオの)出入り業者」という言い方をしていたが、まさに至言である。僕もまた、出版社にとっては出入り業者の一つなのだ。そう考えれば、腹も立たない。

まずは原稿の分量を聞いてから諾否を考えることにしようか。

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