いつから「タモさん」と呼ぶようになったのか
2月25日(金)
「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、エッセイストの酒井順子さん。本も読んだことがなく、初めてお聞きする名前だったが、お話はなかなか面白かった。
巷で使われている言葉や表現に、心がざわつくことが多い。いくつか例をあげていたが、その中の一つで、「会社や組織に『さん』をつけることが広がっている」ことの気持ち悪さを指摘していた。
折しも、つい先日、妻とそんな話になって、「相手の組織を「さん」付けすることにどうしても慣れない、というか嫌いだ」という話で一致したばかりだった。
またそれに関連して、知り合いでもない芸能人に「さん」をつける人が増えている、という指摘もあった。そういえばむかしは「タモリ」と呼び捨てにしていたのが、いつの頃からか一般人も「タモさん」と呼ぶようになった。
このブログでも、つい「大竹まことさん」などと、知り合いでもないのに「さん」付けしてしまうことが最近増えてきているのだが、自分で書いておきながら、なんか気持ち悪いのである。どうして最近は芸能人を「さん」付けするようになったのか、自分でもよくわからないのだが、知らず知らずのうちに、世間の傾向に流されているということなのだろう。
あと、「…と思っていて、…」という表現。これもよく聞くし、自分でもたまに使う。これも気をつけなければならない。
「これは個人的な意見なんですけど」という枕詞も、よく考えればおかしい。だいたい自分が喋るときは、ことわらずともたいていは「個人的な意見」である。自分の発言に予防線を張っているのかもしれない。
それで思い出したが、韓国語では、
「저는~(私は~)」
と言うべきところを、
「저와 같은 경우에 는~(私の場合には)」
と言う表現をよく使う。ほんと、よく使う。
これは「私なんかの場合は」とか「私的には」という、一種の婉曲表現である。表現を直接的ではなく、ちょっとあたりをソフトにすることで、コミュニケーションの潤滑油としているのだろう。これは世界共通のことなのだろうか。
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