腐心
2月25日(金)
今週も、よくぞ、よくぞ、金曜日までたどり着きました。
決して無事ではなかったが、「アシタノカレッジ 金曜日」を聴くと、ホッとする。
職場の仕事で、昨日から頭を悩ませている案件があり、いつもの職員たちとあれこれと考えながら、ひとまず解決策を出したのだが、どうもしっくりこない。
今日、職場に行くと、「昨日の件で…」と呼ばれ、事務室に行く。
「こんな資料がありました」
という。6年前の会議資料である。6年前もまったく同じ案件を抱えていた。
「ここに解決策が書いてありますよ」
見ると、すでに大事なところにマーカーが引かれており、今回もこの通りに行えば、難しいことを考えずに解決できることがわかった。
「これは?」
「先生ご自身が書いた会議資料ですよ。会議の議事要旨にも、先生がこれを説明した旨、書かれています」
なんと!すっかり忘れていたが、だんだん思い出してきた。入社2年目で当時平社員だった僕は、上司の指示で、その案件についての段取りを考え、それをA4用紙2枚ほどの書類にまとめ、会議資料としたのである。
「こういう文章は、事務屋には書けません。だからこれは明らかに先生の文章です」
たしかにこれは、どうみても僕の文体である。それにしても、我ながらよく考え抜いた文章である。
「よし、じゃあ、この資料を根拠に、今回もこの段取りで行きましょう」
「わかりました。では、この段取りに従ってスケジュールを組み直します」
というわけで、この案件の解決策に悩んでいた僕は、過去に自分が書いた文章によって救われたのである。
「やっぱり、公文書の保管ってのは、大事だねえ」
「そうですねえ」
僕は6年前の自分が、いまよりもちゃんと仕事をしていたことに、やや忸怩たるものを感じた。
毎日いろいろな案件が持ち上がり、その解決のために腐心する。そう、「腐心」という言葉がいちばんしっくりくる。
しかしすっきりと解決することはまれで、夕方はある件に関して、僕を含めたメーリングリストを通じて「悪意あるメール」が来た。
先日の一件の続きで、そのときは、「まるくおさまったかどうかは、まだわからない」と書いたが、どうやらまるくおさまらなかった様子である。間に入った人の提案がむしろ相手を逆上させたようで、よくもまあこんな嫌みなメールが書けるものだ、と、さすがの僕も堪忍袋の緒が切れるほどの悪意にあふれた攻撃メールだった。
この先も一緒にプロジェクトを続けていかなければならないのに、こんな悪意メールを書いたら、メールを受け取った人たちに「あのメールを書いた人」と思われ、しこりがずっと残りつづけると思うのだが、その想像力がはたらいていないのか、それともわざとなのか。
ここまで書いていて気づいたのだが、その人が怒ったその一件は、怒りを発露するきっかけに過ぎず、実はずっと前から、小さな不満がくすぶっていたのだろう。しかし、そんな感情をぶつけられても、それを僕が引き受けるほど、僕の心には余裕などない。「僕には考えなければならない問題が山ほどあるのだ」(映画「十二人の優しい日本人」より)。しかし解決に腐心しなければどうにもならないので、まことに困ったことである。
僕はいま、いくつものプロジェクトを抱えており、職場も思考様式も性格も違う、多くの人に助けられている。だがいつ何時、僕のふがいなさに腹を立てて降板してもおかしくない。だからそうならないように、僕自身が誠実でなければならないし、一人ひとりが気持ちよく参加できるように腐心しなければならない。しかし至らないことだらけである。器用ではないので、まことにくたびれる。
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