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2022年3月

俺は平子派

3月29日(火)

僕は、お笑いのネタ番組をあんまり見ないので、パンサーがどんな芸風なのかとか、アルコ&ピースがどんなネタをやるのかとか、実のところまったくわからない。

唯一、アルコ&ピースの平子という人が、何かのネタ番組で、IT社長になりきった役で一人コントをしていたのが、やたら可笑しかったという記憶がある。あと、有吉弘行のラジオでアシスタント的な立場で出演していたのを何回か聴いたことのある程度である。

帰りの車の中で「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聞いていたら、大竹メインディッシュのゲストがアルコ&ピースの平子祐希だったのだが、なんでも来週月曜日の朝8時から、文化放送で朝の番組を担当するらしい。

なんとも心地よい語り口だった。大竹まことと意気投合し、「おまえ、ラジオに向いてるよ。朝の番組、長続きする予感がする」と、大絶賛だった。僕もなんとなくそう思った。

奇しくも隣の局では、1週間ほど早く、パンサーの向井慧という芸人が、朝の番組のパーソナリティーをつとめている。こちらは、朝にふさわしい爽やかな声をもっている。

しかし、平子祐希の落ち着いた語りを聴いて、「俺は平子派だな」と思った。何時間でも聴いていられる声である。

平子派を標榜する理由はいくつかあって、僕はそもそも、もともと大阪に本社をもつ大手お笑い事務所があまり得意ではない。パンサー向井のラジオを聴いていると、向井慧の周りに同じ事務所の芸人がけっこう配置されている。これは僕の邪推だが、向井慧が喋りやすいように、気心の知れた同じ事務所の芸人を周りに配置しているのかもしれない。

他方、平子祐希は東京の老舗のお笑い事務所所属で、僕はどちらかといえばこちらの方がなじむ。しかも平子は、福島県いわき市出身だというから、なおさら応援したくなる。

ま、これは僕の偏見が多分に含まれているので、結局は好きか嫌いか、ということなのだけれど、ラジオ愛にあふれた向井の番組と、最初はそんなにラジオをするつもりではなかったという平子の番組と、どちらを聴こうか、といえば、やっぱり平子かなあ、と、まあどうでもいいことを悩んでいるのである。

伊集院さん、FMかつしかあたりでレギュラーやってくんないかなあ。吉田照美さんみたいに。あるいはいっそNHKの朝の番組など。

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浜の朝日の嘘つきどもと

大地震のあった3月16日、僕は、最大震度6強を観測した、震源地に近い町のホテルにいた。

地震が起こる数時間前。

ホテルのフロントでチェクインの手続きをしていると、フロントの後ろの壁に、何人かの芸能人のサイン色紙が並んでいることに気づいた。

僕はそういうのは見逃さないほうなので、誰のサインだろうと、色紙を一枚一枚、目で追った。

甲本雅裕、大和田伸也、六平直政、…それに、あと何枚かの色紙。

僕が、甲本雅裕と大和田伸也のサインを強烈に覚えているのは、この二人が、朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」で親子役をしていたから。

まさか、朝の連ドラのイベントがあったわけじゃないよね。だいいち、あのドラマの舞台は岡山、大阪、京都なので、まったく関係ない。

六平直政さんのサインを覚えているのは、高校の大先輩だからである。

あと、何枚かあったのだが、誰のサインがあったのか、いまとなっては覚えていない。

もうひとつ気づいたのは、どのサインも、同じ日付が書いてあるということだった。

ということは、それぞれの俳優がバラバラに来たわけではなく、同じ日に来たのだな。

僕は、そのことが無性に気になった。その日に、俳優がいっぺんに来て、何があったのだろう?

チェックインの手続きが終わったあと、どうしても気になったので、聞いてみた。

「あのう、…つかぬことをおうかがいしますが、後ろのサイン…」

そういうと、ホテルのフロント係の人が、後ろを振り返った。

「みんな同じ日付ですよね。その日に何かイベントでもあったのですか?」

「ああ、これですね」

といって、僕から向かって左側にある柱を指さした。

「あれです」

柱を見ると、ポスターが貼ってあった。映画のポスターである。

「この町で、映画のロケが行われたんですよ。そのときに泊まっていただいて、サインをもらったんです」

タイトルを見ると、『浜の朝日の嘘つきどもと』とある。

ポスターには、「ASAHIZA」と看板のある古びた建物の前で、高畑充希と、柳家喬太郎師匠と、大久保佳代子の3人が写っている。

「朝日座は、この町にある実際の映画館です」

「そうなんですか」

この町の古びた映画館を舞台にした映画らしい。大林宣彦監督がいうところの「古里映画」である。

そういえば思い出した。文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」に、大久保佳代子が出演したときに、この映画のことを宣伝していた記憶がある。そうか、この町の映画だったのか。

僕の質問に触発されたのか、フロント係の人は、この映画についてひとしきり紹介してくれた。

「なるほど、それはぜひ見なければなりませんね」

「ぜひ見てください」

僕は、この町が11年前の震災とそれにともなう原発事故の被害に遭う前から、仕事で深く関わっている。もう20年以上にもなる。震災後もこうして、引き続き仕事をさせてもらっている。

袖すり合うも多生の縁、これは僕が見なければいけない映画なのだ。

…と直感し、見ることにした。

どの俳優もすばらしいが、とりわけ出色なのは、大久保佳代子である。主人公の高畑充希を、映画の世界に引きずり込んだ高校教師の役。大久保佳代子がいなければ、この映画はもたなかったかもしれない。

高校のとき、ああいう雰囲気の先生、いたな。そう、現代文の先生が、あんな雰囲気の先生だった、と思わせる演技だった。

物語の序盤の方で、大久保佳代子扮する高校教師が、高畑充希扮する生徒に、映画のフィルムの話をするのだが、それが、こんな内容である。

「映画の投影装置は、映像を素早く取り替えてスクリーンに映し出すために、フィルムと映写レンズとの間にシャッターがあって、1秒間に24回、スクリーンを闇にしている。時間にして「4/9秒」。つまり一秒の半分近くが闇。私たちは、映画館で半分暗闇を見ているのよ」

これはまさに、大林宣彦監督が『4/9の言葉』という本で述べていることそのものではないか。もちろん、映画人にとっては常識に属することなのだろうけれど、それを言語化したという意味では、両者を関係づけないわけにはいかない。

そう考えてみると、この映画は、古きよき映画館を愛した大林宣彦監督への、アンサー映画ではないか、という気がしてきた。

震災後の大林監督の映画には、この町の名前が2度ほど登場する。ひとつは、『この空の花 長岡花火物語』(2012)である。この映画の中では、原発事故のためにこの町から長岡に引っ越してきた高校生が登場する。

もうひとつは、『野のなななのか』(2014年)。たしかセリフの中でこの町の名前が登場していた。

大林監督は、いつかこの町を舞台に、映画を撮りたかったのではないだろうか。しかも、「映画館愛」にあふれた映画を、である。

それに応えたのが、この映画ではなかったのか、と、僕は勝手に想像している。

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迷子さがし顔

3月27日(日)

娘は昨日、4歳になったが、妻はあいにく出張中である。

昨日に引き続き、実家近くの「もり公園 にじ色広場」に連れて行った。これで3回目だが、すっかりお気に入りの様子である。

実際行ってみると、敷地は広いし、遊具もかなり充実しているので、娘がこの公園を気に入る気持ちがよくわかる。というよりも、そもそもこの公園は、子どもの気持ちをかなりわしづかみしているようで、この土日はかなりの人数の家族連れが訪れている。

ひとしきり遊んで、こっちも疲れてきたので、サア帰ろうかと娘に促したところ、もう少し遊んでいたそうな顔をしていたが、出口に向かって渋々歩き出した。

すると、声をかけられた。誰かのお子さんの母親のようである。

「あのう、この近くで、女の子を見かけませんでしたか?」

女の子、といわれても、この公園にはかなりの数の子どもがいる。

「ちょっと目を離している隙にはぐれてしまいまして…。フード付き紺色のパーカーを着ているのですが…」

フード付きの紺色のパーカー、という情報も、かなりアバウトである。

「さぁ…」

「もし見かけたら、公園を出たところの管理室までご連絡いただけますか?」

「わかりました」

そう言うと、その女性は僕たちと正反対の方向、つまり公園の中のほうに入っていった。おそらくさがしまわるのだろう。その様子は、切羽詰まった様子に見えた。

しかし、いまこの公園にいる人数をざっと見積もってみても、200~300人ほどはいるはずである。そんななかで、紺色のフード付きパーカーを着た女の子という情報だけを頼りに探すのは、至難の業である。

「パパ、どうしたの?」

と娘が聞いた。

「女の子が迷子になっちゃったみたいで、おかあさんが必死にさがしているみたいだよ」

「それでパパに聞いてきたの?」

「そう」

「どんな子?」

「紺色のフード付きのパーカーを着ている女の子だって」

と説明して、4歳の娘にどれだけ伝わっているかはわからない。

「その子、さがす」

と言いだした。

「こんなに人がいるのに、さがせないよ」

「でも、心配だから、さがす」

といって聞かない。娘は周りを見渡して、

「あの人がそうじゃないかな?」

と手当たり次第に指をさすのだが、いずれも服装が違う。

「そう簡単には見つからないよ。だってこんなにたくさん人がいるんだよ」

と思って歩いていたら、なんという偶然か、前方に紺色のフード付きパーカーを着た女の子が歩いていた!

(あの子がそうか?)

その女の子の右隣には、大柄な女性がいて、女の子と手をつないでいる。

後ろ姿しかわからないが、女の子の手を引いている大柄な女性は、紺色のウィンドブレーカーを着ている。女の子の方は、とくにイヤがっている様子ではないのだが、手のつなぎ方が不自然で、直感だが、その女の子の母親のようには見えないのである。

(ひょっとして…ゆ、ゆうかい…?)

僕はそれとなく、娘の手を引きながらその二人のあとを尾行した。

すると、その二人は、トイレのあるとおぼしき建物の中に入っていった。

(トイレに入ったのか?)

ここでまたイヤな予感がした。最悪の事態を想像してしまった。

声をかけるべきかどうか?

いや、そもそもその女の子が、迷子になった子であるかどうかも確信がない。なにしろ紺のフード付きのパーカーを着ているという情報だけである。下手に声をかけると、僕の方が何か巻き込まれる可能性もある。

(見なかったことにしよう)僕は怖くなって、引き返すことにした。

「どうしたの?」

「ううん、何でもない」

「ねえ、その女の子をさがそうよ。もういちど公園に戻ろうよ」

娘はどうやら、その女の子をさがすことを口実に、公園でまだ遊んでいたいようである。

「でもわからないよ。もう見つかったかもしれないし」

「でもさがした~い」

僕も、あの不思議な二人のことを忘れたいと思い、踵を返して公園の中に戻った。

キョロキョロと周囲を見渡しながら、該当する女の子はいないかさがしてみるのだが、それらしい女の子は見当たらない。

それに、そのお母さんとおぼしき人も、どこにいるのかわからなくなってしまった。

「ブランコに乗りた~い」

公園の奥の方にあるブランコは、ちょっとした工夫が凝らしてあって、行列ができるほどの人気スポットである。

そこに並んでいると、どこからともなく、先ほどのお母さんとおぼしき人がやってきた。

見ると、その女性は、先ほど謎の女性に手を引かれていた女の子と手をつないでいた。

「さきほどはすみませんでした。おかげさまで、見つかりました」

「そうでしたか、それはよかった」

やはりあの女の子が、迷子になった女の子だったのだ。

では、僕が見た謎の女性は誰だったのか?

ウィンドブレーカーを来ていたことからすると、公園のスタッフであった可能性が高い。迷子になった女の子の手を引いて、管理室のある建物まで連れて行って、お母さんに連絡を取ったものと思われる。二人は、トイレに入ったのではなく、管理室に入っていったのだ。

これで一件落着、最悪の事態にならなくてよかった、と胸をなで下ろしていたら、娘が言った。

「ねえねえ」

「何?」

「あのおかあさん、どうしたパパばっかりに、迷子をさがしてくれって言ったの?」

「……」

言われてみればそうだ。その母親とおぼしき人は、手当たり次第に人に聞いていたわけではなかった。なぜか僕にだけ聞いてきたのである。

「ねえ、どうして?」

「さあ、どうしてだろうね。迷子を捜す仕事の人だと思ったんじゃないかなあ」

「どうして、あの人はそう思ったの?ねえ、どうして?」

「わからないよ」

娘のいつもの「どうして?」攻撃が始まった。

しかし不思議である。

ブランコに並んでいると、その母親とおぼしき人が僕の姿を見つけて、わざわざ「見つかりました」と報告してきたのだ。僕は、その母親とおぼしき人の顔をとっくに忘れてしまったのに、その人は、たまたま通りすがりに尋ねたにすぎない僕の顔を覚えているというのも不思議だった。

ブランコを終え、その親子のことが気になり、あたりを目を凝らしてさがしてみたが、すでにもう、その親子を見つけることはできなかった。

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こむら返りの代償

3月25日(金)

今日も無事にTBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」のアフタートークにまでたどり着きました。たんに面倒な案件を先送りしているだけなのだけれど。

今日の日中は、久しぶりに都内に出た。自分の仕事と関わるイベントがもうすぐ会期末になるので、滑り込みで観に行ったのである。

都内も都内、ド都内である。めったに行く場所ではないので、地下鉄の駅を降りて、方角もわからず歩きながら、何とか目的の場所にたどり着いた。もう、都内を歩くのが完全に億劫になっていることが自分でもよくわかる。ふだん、車で通勤しているのでなおさらである。

せっかく都内に出たので、もう1カ所、自分の仕事に関係する場所に立ち寄ろうと思い、まったく違う場所まで電車で移動し、そこからまた歩いた。こちらの方は、僕が若い頃によく歩いた町である。

そのあと、その近くの古本屋街を少し歩いた。都内の古本屋街を日がな一日歩き回っていた若い頃が懐かしい。あの頃はまったく苦にならなかったが、いまではインターネットで検索すれば、どの古本屋に在庫があるかすぐにわかるし、それを注文して取り寄せることができる。そのせいもあって、いまは一軒一軒、古本屋の中に入って本を探すという作業など、すっかり億劫になってしまい、まったくやらなくなってしまった。と言うか、そもそも行かなくなった。

なので、いまはせいぜい店の外にあるワゴンに並んでいる本を眺める程度である。

ある小さな古本屋の前にあったワゴンに、ちょっとおもしろそうな文庫本があったので、中を開けてみると、その本を翻訳した訳者のサインと、その著者が献呈した先の人の名前が書いてあった。訳者は、僕でも知っている有名な作家であり評論家であり翻訳家。献呈された人の名前は、苗字は読みとれるのだが、名前のほうは達筆すぎて読みとれない。

そして献呈した人の名前「○○○○○様」と「Sep25‘90」(1990年9月25日)という日付とともに、

「緑の野こそ我が共通のフィールド」

というメッセージが書き添えてある。「緑」には「みどり」とルビがふってある。

このメッセージは、どういう意味だろう?

この人個人に当てたメッセージなのか、それとも訳者の座右の銘なのか?

「我が共通の」とあるので、訳者とその(献呈先の)人との共通の、という意味にもとれる。

だが僕の経験では、本の著者にサインを求めると、座右の銘を書き添える人もいる。

そもそもこのメッセージは、本の内容とはあまり関係なさそうだし、訳者のこれまでの仕事のイメージからは想像のつきにくい言葉でもある。

さらに興味深いことに、この本を献呈された人は、どうやらこの本をまったく開いたことがないようなのだ。年月がたって文庫本の表紙自体はくすんでいるが、中身は新品同然で、読んだ形跡が見られないのである。

ますます不思議である。このふたりはどういう関係なのだろう?

値札を見ると「200円」とあるので、おもしろそうな本ではあるし、まあ200円だったら話のネタに買ってみるかと、店内に入って、奥のレジのところに座っているおばあさんのところに行った。

そこには絵に描いたようなおばあちゃんが座っていて、下を向いて、何やら古い占いの本を夢中で読んでいる。僕がレジの前に来たことに気づいていないほど夢中である。おいおい、セキュリティーは大丈夫なのか?

「あ、いらっしゃい」

ようやく僕の存在に気づいたので、その本を差し出すと、値札をみるなり、

「100円です」

と言った。

「え?いいんですか?」

「ええ、外にあるワゴンの本はすべて半額ですから」

おいおい、そんなことで生活していけるのか?とちょっと心配だったが、僕は100円だけ払ってその店を出た。

僕は100円で、その本の訳者がある人に向けて書いたメッセージの謎と、それを献呈された人がまったくその本を開かなかった謎を、買ったのである。これでしばらく妄想が楽しめる。献呈された人のフルネームが読めれば、もう少し何かわかるかも知れないのだが。

で、夕方に自宅に戻ったのだが、夜になると、やたらと足がつる。いわゆるこむら返りというヤツである。

久しぶりに歩いたから、足の筋肉がびっくりしたのだと思うが、そもそもたいして歩いていないのに、どんだけ運動不足なんだよ?!

自分の病気やコロナ禍のせいにして、運動をしてこなかった自分を後悔した。徐々にでも歩いたりして体力をつけないと、大規模イベントまでのこの1年は乗り切れないぞ。

しかし、どうやってもこのこむら返りが治らない。

仕方ないので、湿布を貼ることにした。以前に、腰を痛めたときに、医者が処方してくれるような湿布を貼ったところ、一晩で治ったことを思い出したのである。

しかし、医者が処方してくれるような湿布というのは、わが家にあと数枚しかない。こむら返りていどのことで使うわけにはいかない。もっとひどい腰痛になったりしたときのことを考えて、とっておかなければならないのである。

で、市販されている湿布があったので、それを貼ることにした。

するとあら不思議、たちまちこむら返りは治ったのである。

むかしは古本屋街をいくら歩いてもこんなことはなかったのに、今は古本屋で100円の本を1冊買っただけでこむら返りになるのだから、もうだめかもわからんね。

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リアルって何だろう

NHKの朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」で、オダギリジョー演じる大月錠一郎は、若い頃にジャズトランペット奏者として実力を認められ、大阪から上京して東京でメジャーデビューをはかるが、なぜか急にトランペットが吹けなくなってしまう。それからずっと、トランペットの演奏を封印する。

それから何十年かたって、たまたまおもちゃのピアノを演奏したことをきっかけに、再び音楽に目覚め、トランペットは無理だけど、キーボードを熱心に練習すれば、再び音楽の道に戻れるかも知れないと、プロをめざすことになる。

…というドラマを見た僕のまわりのジャズミュージシャンたちがSNSで、管楽器ができたからって、鍵盤が弾けると思うなよ、とか、キーボードの奥深さを知らない、とか、その設定のリアリティーのなさに苦言を呈していた。

なるほど、そういうものかねえと思っていたら、このドラマの劇伴を担当している金子隆博さんが、じつは似たような経験をしているということを知って驚いた。もともとアルトサックス奏者だった金子さんは、あるとき急にアルトサックスが吹けなくなり、キーボードに転向したのだという。なんでも「職業性ジストニア」という病気だそうだ。

とすれば、原因不明でトランペットが吹けなくなった大月錠一郎が、キーボードに転向したというのは、ほかのミュージシャンにとってはリアリティーがなくても、金子さんにとってはリアリティーのある話なのである。

リアリティーって、何だろう?

ちょっと前に、『ナイトクローラー』(2014年)というアメリカ映画を観て、これがめちゃくちゃ面白かった。フリーランスの映像カメラマンが、夜通しで町を車で走り回り、特ダネになるニュース映像を撮影して、それをテレビ局に売り込んで生計を立てる、という内容だった。

アメリカには実際にそういう職業があって、少し前、BS朝日の「町山智浩のアメリカの今を知るテレビ」で、町山さんがその映画のモデルとなった人物にインタビューをしていた。その人物は、映画を作るにあたって、監督などからいろいろと取材を受けたらしい。

「映画を見てどう思いましたか?」

という質問に、

「だいぶ誇張されていて、現実とは違うと感じた」

と答えていた。

映画だから、多少の誇張は当然あるだろう。しかしここで僕が問題にしたいのは、監督がその人を取材したときの印象と、取材された当人が映画を見た印象とは、まるで異なっていたのではないだろうか、という疑問である。

当人があたりまえだと思ってふだん行動していることが、第三者にとってはとんでもなくクレージーな行動に映る可能性はないだろうか。

当事者が「誇張しすぎだよ」という一方で、「いやいやいや、実際あなた、これくらいクレージーな行動をとっているんですよ」と第三者の目には映っていることだって、十分に考えられるのだ。

当事者がリアリティーがないと思えば、それはリアリティーがないことなのだろうか?

ここからが本題。

以前、伊集院光氏が、三谷幸喜脚本・監督の映画『ラヂオの時間』を見て、ラジオ番組制作にリアリティーがなくて全然入り込めなかった、実際のところラジオの現場はあんな感じではない、というニュアンスのことを言っていて、そんなものかなあと思っていた。

で、本日、TBSラジオ「伊集院光とらじおと」の最終回。

「僕が(おもしろいと)思っている『ラジオ像』は、僕が思っている(にすぎない)ことなんだということに、もっと自覚的であるべきだった」

と反省していた。

結論としては、いろいろなタイプのラジオ番組があって良い、ということなのだが、このときに僕は、前述の伊集院氏の『ラヂオの時間』評を思い出したのである。

『ラヂオの時間』の中のラジオ番組にはリアリティーがない、というのは、当事者目線として尊重されるべきものである一方で、それはあくまでも「僕のラジオ像から見たリアリティー」だったのではないだろうか。

その業界を描く際にリアリティーがある、ない、というのは、たとえ同じ業界にいる人だとしても、個人に委ねてよい問題なのか、考えさせられる。つまるところ、同じ業界にいるから、という大きな主語で括ってしまうのは、危険なのではないだろうか。

もっとも、それを差し引いても、伊集院氏が言うとおり、『ラヂオの時間』にはラジオ番組としてのリアリティーがないのかもしれないけれど。

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TOKYO SPEAKEASY

動画サイトを漁っていたら、「TOKYO SPEAKEASY」というラジオ番組があることを知った。TOKYO-FMの番組のようである。

番組ナビゲーター役の國村隼が、深夜のバーでの会話を盗み聞きする、という設定である。もちろんこれはあくまでも設定で、要はとりとめのない話をする対談番組である。

その中に、小林聡美と小泉今日子の対談があると知り、聴いてみることにした。2021年5月頃に放送されたらしい。

このふたりは、何といっても日本テレビのドラマ「すいか」(2003年放送、木皿泉脚本)での共演が鮮烈な印象を残している。ラジオ番組での対談は、ドラマ「すいか」における、ふたりの自然体の雑談を彷彿とさせるものであった。ドラマの中の友人関係が、実生活でもそのまま体現されている。

ふたりは同い年ということだが、友人関係、といっても、常につるんでいるような関係ではない。おそらく、一緒に心地よく仕事ができるという関係なのだろう。その証拠に、ふたりは、それぞれの友人についての話をしている。それぞれが「個」として、それぞれのテリトリーを持っている。お互いを尊重し、それでいて必要以上に干渉しない。僕にとっては、理想の友人関係である。

対談も、聴いていてじつに心地よい。このままずっと聴いていたいくらいである。三ヵ月に一度、いや、半年に一度でいいから、このふたりで、ラジオ番組をやってほしい。

調べてみると、この「TOKYO SPEAKEASY」という番組は、月~木の深夜に放送されており、毎日対談ゲストが変わるのだが、キャスティングによっては、ハズレの回もけっこう多そうである、というのは、僕の主観である。

ほかにどんな人が対談しているか、もう少し探ってみたところ、阿佐ヶ谷姉妹とガンバレルーヤの回を見つけた。2021年9月頃に放送されたもののようである。

このふた組は、文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」の毎週月曜日に共演している。

かねがね、このふた組は、ふたりのキャラクターやその関係性において、相似の関係にあると思っていたが、この番組を聴いてその思いを強くした。ガンバレルーヤのよしこは阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんに、まひるはミホさんに重なるのである。

聴いていて笑ったのは、ガンバレルーヤに対するミホさんの言動である。

月曜日のラジオ番組で一緒になったとき、ミホさんがガンバレルーヤのところに駆け寄ってきて、

「昨日の日曜日の『イッテQ!』、まだ観てない」

と声をかけた、というエピソードである。

エリコさんのほうは、ガンバレルーヤに気を使って、「昨日の『イッテQ!』、観たわよ。よかったねぇ」と言ってくれるのに、その後にミホさんが来て、同じことを言うのかと思ったら、「まだ観てない」と言うことをわざわざ伝えに来てくれた、というのだ。

観ていないことをわざわざ伝えに行くというのが、いかにもミホさんらしいのだが、それを聴いたエリコさんが、

「なんで観ていないことをわざわざ言いに行くのよ!抜けない刀を持ってきて、それをそのまま見せて戻る人みたいじゃない!」

とツッコんでいて、その喩えの巧みさに大笑いした。

抜けない刀を持ってきて、それをそのまま見せて戻る人、というのが、思い出し笑いしてしまうほど、たまらなく可笑しい。あまりに可笑しいので書きとめておこうと思ったのである。

僕もいつか、この喩えを使う場面に遭遇したいと切に願うのだが、そのためには、ミホさんのような強烈なボケにめぐり会う機会がないとできない。

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聞き流し

3月19日(土)

この3連休は、3日ともオンライン会合がある、というのは、ちょっと尋常ではない。みんなヒマなのか?

お彼岸なので、墓参りをしなければならないのだが、いまは、お彼岸に墓参りに行く人は、少なくなっているのだろうか。

3日のうち、どこかのオンライン会合を「聞き流し」にしないと、お墓参りには行くことができない。

「聞き流し」というのは、机の前に座って、ノートパソコンをひらいて、片時も離れずにオンライン会合に参加する、というのではなくて、スマホからZoomのミーティングアカウントに入って、会合の音声を流しっぱなしのまま、スマホをシャツの胸ポケットに入れてほかのことをする、という方法である。これまでにも何回かやったことはある。

迷ったあげく、3連休初日のオンライン会合を聞き流すことに決めた。

結論としては、初日のオンライン会合を「聞き流し」に選んだことは正解だった、ということだけ言っておこう。いや、あと2回あるオンライン会合を「聞き流し」にしても、案外大丈夫かもしれない。

シャツの胸ポケットから流れてくる音声を聞くとはなしに聞きながら、お墓参りをしたり、娘を連れて公園に行ったりしていた。

その姿を見た家族が、「まるで競馬中継を聞きながらほかのことをしているおじさんのようだ」と言っていたが、そういえば死んだ父は、休みの日に携帯ラジオから流れてくる競馬中継を聞きながら歩いていたりしていたと記憶している。

お墓参りをした日だっただけに、そんな些細なことも思い出す。やっていることは、父と変わらないのだ。

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背広を着たまま眠った夜

3月16日(水)

在来線特急で2時間半かけて、「特急のすれ違う駅」に着いたのは、午後7時半ごろだった。

駅前のホテルに泊まり、明日は朝からこの町で小さな会議である。

テレビを観たり原稿を書いたりして、さあ寝ようと思ったら、部屋が大きく揺れた。それとともに緊急地震速報を伝える警戒音が、スマホからけたたましく鳴り響いた。

テレビを観たら通常の放送のまま、地震速報が流れた。

しかし尋常な揺れではない。11年前を思い出した。

いったん揺れはおさまったが、ほどなくしてまた大きな揺れが始まった。こんどはもっとシャレにならない揺れである。再びスマホの緊急地震速報がけたたましく鳴った。

「おいおいおい!ちょっとちょっと!」

と叫んでも、揺れがおさまるはずもなかった。ホテルが倒壊せんばかりの揺れに思えた。このままホテルの瓦礫に埋もれて死ぬのだろうか。

ここで息絶えるとしても、パンツ一丁はマズいだろう。すぐに避難できるようにしないと!

といっても、着るものといえば背広一着しかない。僕は急いでワイシャツと背広を着て、革靴を履いて、荷物をまとめた。これでいつでも避難できる。

テレビの放送は、通常の番組から、地震を伝えるニュースのスタジオに切り替わった。

僕はそれを見て驚いた。

震源地はすぐ近くの沖ではないか!僕がいるところは、最大震度6強である。

しかも津波注意報が出ている。

もう一つ心配なのは原発である。

ますます11年前を思い出さずにはいられなかった。

津波が来たらどうしよう。今いるのはホテルの4階だから大丈夫だろうか。

「○駅と×駅の間で新幹線が脱線しているという情報もあります」

そうだ。交通機関も心配だ。11年前はしばらく東京に行けなかったことを思い出した。

いろいろな心配が頭をグルグルとめぐるが、考えても仕方がない。

余震が怖くて仕方がなかったが、とりあえず背広を着たまま、革靴を履いたまま、荷物を抱えてベッドに横になった。そのうち、いつのまにか眠ってしまった。

翌朝、5時過ぎに目が覚めた。世界はまだ無事だったようだ。

Fさんから電話があった。

「大丈夫でしたか」

「ええ」

「8時半にホテルにお迎えにあがります。会議を早めに切り上げて、本日中にお帰りになれる方法を検討します」

「わかりました」

8時半にホテルを出て車で会議場所までの道すがら、外を見ると、昨日の大きな地震が嘘のように穏やかな町並みである。

朝9時から始まった会議は、早めに切り上げるどころか、当初の予定通りの時間に終わった。

「このあとお昼のお弁当を用意していますけれど」

「いえ、帰りの時間が気になるので、なるべく早く出たいです」

「わかりました。復旧している路線の駅まで車でお送りします」

「ありがとうございます。助かります」

この時点で復旧している路線の駅というのは、ここから車で2時間ほどかかるI駅だった。

I駅まで車で送ってくれたFさんに感謝し、I駅のみどりの窓口で在来線特急の切符を買う。これで確実に東京に帰れる。

2時間半後、特急は東京駅に到着した。

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ちょっとご無沙汰でした、とコバヤシは言った

久しぶりに、高校時代の親友のコバヤシから携帯メールが来た。ここ最近のブログを読んだ感想が書き綴られていた。

まずは、「夢の親子漫才」について、一部改変して引用する。

「高校の後輩の結婚式で漫才をしようなどとは提案していません。2人でスピーチをしたいと申し入れたのです。勿論、私自身も新郎新婦に何か一言お祝いを言いたかったからですが、貴君も当然、何か喋りたい筈だという前提ではあります。それを貴君が漫才にしてしまったので閉口したのですが、結局は貴君が書いてくれたネタはなかなかに良く、地震のせいで東京に行くことが出来ず、あのネタを披露出来なかったことは私も今でも悔やまれます」

たしかにコバヤシの言うとおりである。コバヤシは2人でスピーチをしたいという提案をしただけで、それをむりやり漫才にしようとしたのは僕のほうである。

次に「なじめなかったエッセイ」について、こちらも一部改変して引用する。

「それはそれとして、フリーペーパーに書かれている作家のエッセイの連載終了に対する感想は私も共感するところがあります。私自身も道すがら、その作家の文章は楽しんではいたのですが、やはりどこか違和感を感じており、その感傷的と言うか、あざといとも感じられる文はあまり好きではありませんでした。

ついでに思い出したのですが、学生時代に、自分のゼミの同級生が書いた卒論が中々良いと思い、貴君に読んでもらったところ、貴君から予想外の酷評があり、う〜んと思ったのですが、今、思い返すとその同級生はその作家のファンで、彼が書いた文章も少なからずその作家の影響が感じられるものだったと思います。

そういう意味で、貴君の長年にわたる首尾一貫した態度はナルホドと思わせてくれました」

メールの原文では、僕がぼやかした作家の個人名を見事に当てていた。

後半のくだり、コバヤシのゼミの同級生が書いた卒論を僕が読んで酷評した、というのは、まったく記憶にないのだが、いかにも僕のやりそうなことである。コバヤシがよいと思った卒論を、なぜ僕がそのとき酷評したのか、という積年の謎が、これで解けたようである。これを書いた後、ちょっとネガティブな文章だな、と反省したのだが、コバヤシから共感するコメントをもらって、書いてみるものだなと救われる思いがした。

ほかにも、最近のブログを読んだ感想が綴られていた。いずれも、このブログをこんな形で続けて来てよかったと思える感想だった。

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時刻表2万キロ

前回書いた、宮脇俊三さんの思い出というのは。

僕が小学校6年生のとき、ラジオ番組で初めて自分のはがきが読まれた、ということは、以前に書いた

このブログでも何度も登場している、NHKラジオの「おしゃべり歌謡曲」である。

ふだんは、パーソナリティーの近石真介さんと平野文さんがトークをしながら歌謡曲のリクエスト曲をかける、という番組なのだが、ごくまれに、ゲストを呼んで話を聞く、という週があった。僕のはがきが読まれたときは、まさにゲストを呼んで話を聞く週で、そのときのゲストが、宮脇俊三さんだった。

その頃、『時刻表2万キロ』が大ベストセラーだった。調べてみると、この本が刊行されたのが1978年だったから、僕が小学校4年生くらいのときか。番組の前半はゲストの話を聞いて、後半にはがきを紹介するという構成だったと思う。

ふつうだと、ゲストのコーナーが終わると、ゲストは帰って、そのあとにリスナーからのおたより紹介、という流れになるのだが、この番組ではなぜか、ゲストコーナーが終わっても、ゲストがそのまま居残って、近石真介さんの読むはがきに一緒になってコメントをしていた。

近石さんが僕のはがきを読み終えたあと、「こういうこと、わかるなぁ」と、いつもながらリスナーに寄り添うコメントをしたあと、

「宮脇さんは、どうですか?」

と、近石さんが宮脇さんに話を振って、宮脇さんも、コメントを言ってくれた。つまり、僕の他愛もない内容のはがきに対して、宮脇さんがコメントを言ってくれたのである。じつに朴訥とした語り口だったことは、いまでも忘れない。

それがきっかけになり、『時刻表2万キロ』を読んだ僕だったが、鉄道ファンにはならず、それを語る宮脇さんのファンになったというのが、いかにも僕らしい。

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なじめなかったエッセイ

3月14日(月)

新幹線と在来線を乗り継いで2時間半ほどかかる町に出張である。前日のうちに、新幹線の止まる駅に宿泊し、翌朝、つまり今朝、在来線で目的の町に到着した。

たった1日の作業だったが、重い荷物を持って移動し、慣れない機器を使った作業を1人でやらなければならず、たいした仕事はしていないのだが、ひどく神経がすり減った。夕方に用務先を出て、夜に帰宅した。

それとはまったく関係ない話だが、月1回発行のフリーペーパーに長らく連載していたエッセイが、今月をもって最終回を迎えると書いてあった。

カリスマ的な人気を誇る作家で、たぶん、かなり多くの人が影響を受けたのではないかと思う。僕のまわりにも、その人の文体の影響を受けたとおぼしき文章を書いている人を、たまに目にする。

僕は、その作家のよき読者ではない。たまたま、目にふれたエッセイを読む程度である。

連載最終回のエッセイを読んで、「結局、最後までなじめなかったな…」というのが、僕の感想だった。

こんなことを書くと、そのエッセイのファンだった人からふざけんなとお叱りを受けるだろうな。実際、SNSなどを見ると、そのエッセイが最終回を迎えてショックだ、毎回楽しみにしていたのに、という人が、かなりの数いたことがわかる。それは当然で、それくらい、影響力や発信力の強い作家なのだ。でも僕は、結局最後までその人の文体になじめなかった。それが僕の心の狭さに起因するものであろうことは、重々承知している。

なぜなじめなかったのだろう。なかなか言語化することは難しいが、「エッセイのためのエッセイをむりやり書いている印象」「もったいぶった文体」「感傷的な表現」などの言葉が浮かぶ。おまえ、他人様のことが言えるのか!とお叱りを受けそうだが、くどい文章ばかり書いている僕でさえ、「僕だったら、この内容を半分の量で書ける」と思ってしまうこともある。

名作といわれる過去の作品を読んだら、印象が変わるかもしれない、と思うこともあるのだが、若いときならいざ知らず、年齢を重ねてしまっているいまとなっては、それを読んで感激できるかどうか、かなり怪しい。

旅をめぐる味わい深いエッセイといえば、僕にとっては宮脇俊三さんである。宮脇俊三さんについては書きたい思い出があるのだが、それはまたあらためて書く。

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近くて遠い

3月13日(日)

僕がほんの数ページだけ書いた、黄色い表紙の新書が、順調に版を重ねている。

そのたびに担当編集者から「喜びの一斉メール」が来るのだが、僕にとっては、それで印税が入るわけでもないので、めでたくもあり、めでたくもなし、といったところか。

…と思っていたら、昨日、ある新聞に、コラムニストの辛酸なめ子さんが、その本の書評を書いていることを知り、辛酸なめ子ファンの僕は、ちょっとテンションが上がった!

ということは、辛酸なめ子さんが、僕の文章を読んでくれたということか???

…でも書評では、僕の文章について一切ふれられていない。というかもともと、僕が書いたほんの数ページの文章は、新書のテーマとは何ら関係のない、言ってみれば場違いな埋め草的な文章なのである。ははぁ~ン。さては、僕の文章は、関係ないと思って読み飛ばしているな。

まことに惜しい。辛酸なめ子さんが、僕の書いた文章を面白がってくれたら、今後一緒にお仕事ができるかと期待していたのに…。

そして今度は、今日のTBSラジオ「安住紳一郎 日曜天国」のゲストコーナーで、この新書に中心的に関わったとおぼしき方が出演されるというではないか!当然、この新書が売れていることをふまえた人選だろう。

案の定、番組の中でこの新書のことが紹介されたが、やはり僕の文章についての言及は一切なかった。安住アナも当然、この新書を読んだうえでゲストとのトークにのぞんでいるはずだと思うが、多分、安住アナも僕の文章は読み飛ばしたのだろう。新書のテーマとはまったく関係ないしね!

すわ、次は俺がゲストに呼ばれるか?と一瞬、期待しないでもなかったが、世の中、そんなには甘くない。やはりTBSラジオは、近くて遠い存在である。

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夢の親子漫才

3月11日(金)

11年前の3月12日は、都内で行われる高校の後輩の結婚式に出る予定だった。

その前日、新幹線で上京しようとして、駅ビルで時間を潰していたときに、大地震に遭った。当然、僕は結婚披露宴に参加できなくなったが、披露宴自体は、翌日に予定通り行ったという。

ということは、あの2人は、今年で結婚11周年ということか。

その披露宴では、高校時代の親友のコバヤシと2人で、漫才を披露する予定だった。結婚する2人は、僕らが漫才を披露することを決して望んではいなかったのだが、コバヤシがむりやり、余興として漫才をやろうと提案して、2人は渋々承知したのである。まるで、三谷幸喜脚本・演出の舞台「BAD NEWS GOOD TIMING (バッドニュース グッドタイミング)」を地で行くような話である。わかる人だけがわかればよろしい。

で、僕は漫才の台本を書き、電話で何度も練習をした。それだけでは不安だから、3月12日当日も、披露宴会場の近くの公園で、練習しようという計画まであった。

しかし、それは幻と終わってしまった。この顛末については、このブログのどこかに書いたと思う。

僕からしたら、大勢の人の前で漫才をする、という夢が潰えてしまって、いまでもそれが残念である。

もうコバヤシと漫才をする機会なんて、ないんだろうな。あと、一緒にやるとしたら、こぶぎさんだろうか。でもこぶぎさんとは、このブログのコメント欄で漫才みたいなことをやっているからなあ。

で、ふと思いついたんだが、もうすぐ4歳になる娘と、「親子漫才」というのはどうだろう。

「ねえねえ、パパ、見て見て」

(手に写真を持っている)

「なに、それ」

「保育園の写真」

「何が写ってるの?」

「おともだち」

「どんなおともだち?どれどれ」

「えっとねえ、これがぁ~、エイシ君」

「エイシ君」

「これがぁ~、ハル君」

「ハル君ね」

「これがぁ~、セイナちゃん」

「セイナちゃん」

「これがぁ~…、あれ、誰だっけ」

(といって、メガネをおでこにずらして写真を凝視する)

「ちょっとちょっと!なんでメガネをおでこのほうにずらすの?」

「だってパパがいつもやってるでしょ」

「あのねえ、それはパパが老眼だからだよ!君は老眼じゃないでしょ。頼むから保育園でやらないでよ、恥ずかしいから」

「おお、ミホミステイク!」

「それは阿佐ヶ谷姉妹のミホさんのセリフでしょ!」

「結局、おばさんなのよね」

「あなた、おばさんじゃなくて保育園児ですよ!いい加減にしなさい!」

「どうも、失礼しました」

…的な、漫才。いま思いつきで考えただけなので、もう少し膨らませて4分くらいのネタにしたい。

しかし披露する機会がない。

そういえば、ラッパーのダースレイダーさんが、余命5年を告げられてから今度の4月で5年が経ち、「満期5年」のイベントをやると言っていた。

僕も大病を患ってから、今度の7月で5年になる。僕もダースさんにならって、「満期5年」のイベントでもするかな。

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目の付け所

3月11日(金)

今週も、無事ではないが、TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」にたどり着いた。

今週もいろいろあった。

水曜日は、近隣の大学にちょっとした打合せに行った。1年後に予定しているうちの職場のイベントについての相談である。

同じ市内とはいっても、公共交通機関ですんなりと移動できるわけではない。以前に行ったときはたしかバスを乗り継いだのだが、どうにか乗り換えなしで行けないだろうか、と調べてみたら、自宅近くのバス停から、コミュニティバスに乗り、ある停留所で降りると、そこから160メートルで目的の場所に着くという。時間にして2分。

なんだ、簡単じゃないか、と思って、そのコミュニティバスに乗った。目的のバス停には、訪問予定時間の30分前に到着するので、余裕である。

ところが、目的のバス停で降りたのだが、行けども行けどもたどり着かない。どうやら、バス停から160mというのは、その大学の敷地の境界までの距離らしい。しかも正門から入るには、だいぶ遠回りをしなければならない。

Googleマップの助けを借りながら散々歩いたあげく、ようやく正門を見つけたが、正門を入ると、こんどは長い並木道が延びている。大学の建物が見えるところまで、バス停1つ分を歩かなければならない。

しかも、目的の施設は、そこからさらに距離がある。というか、大学には一切案内板がないので、どこにあるのかがわからない。

Googleマップをたよりに歩いていても、生来の方向音痴も手伝って、方向感覚がわからなくなる。3年前に来たはずなのに、場所をまったく忘れているのである。

結局、バス停から30分かかって、ようやく目的の施設に着いたのだった。この時点でもう疲労困憊である。

施設に入ると、3年前にお会いした3人の方が出迎えてくれた。

「ご無沙汰しております」

「ちょっと遅れてしまってすみません。○○バス停からすぐだと思って歩いたのですが、途中道に迷ってしまって…」

「○○バス停から歩いてきたんですか?それはたいへんでしたね」

「しかも、途中、まったく案内板がなかったんですが、あれはどういうことなのでしょう」

「ああ、それはうちの大学の方針で、景観を損ねるからということで、案内板は一切出していないんです」

「…そうなんですか」

「3年前にいらしたときは、たしかお子さんを抱っこしていらっしゃいましたよね」

「ええ」

どうやら3年前のことを覚えてくださっていたようだった。

「大きくなったでしょう」

「ええ、もうすぐ4歳です」

僕は、あのときの恥ずかしい気持ちを思い出した。

打合せは1時間くらいで終わるだろうと思っていたが、休みなしで2時間半もかかってしまった。

まだどうなるかはわからないが、こちらのイベントを好意的に受け止めていただいたので、いろいろな条件をクリアして、なんとか実現にこぎ着けたいものだ。

建物を出て、バスに乗って駅に向かい、今度は確定申告の提出会場である税務署に向かった。またこの税務署も、駅からけっこう歩くのである。

ふだん歩かない身なので、久々に長距離を歩いて、ヘトヘトになってしまい、夜は早々に眠ってしまった。

…というのが水曜の話。

翌木曜日は、午後にオンラインの打合せがあり、それほど堅苦しいものではなかったけれども、司会をしたので、それなりに神経を使い、やはり疲労困憊になる。

…で、金曜日を迎えた。職場に出勤して、会議だの打合せだの書類作成だので、あっという間に夜になった。結局、帰り道に「アシタノカレッジ金曜日」のオープニングトークを運転しながら聴く、という時間になってしまった。

武田砂鉄氏のオープニングトークは、毎回12分。これは、2年ほど前に終了したTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」で、久米宏が番組の冒頭12分間フリートークをする、いわゆる「空白の12分」にあやかっているのではないかと、僕はひそかにふんでいる。

いつも武田砂鉄氏のオープニングトークは秀逸で、柔らかい話題から始まり、だんだんと世の中のオカシなことに対する憤りを静かに語る、という展開にもって行くのは、まるで砂鉄氏の文章を読むがごとくである。

今日は「健康診断に行った」という話から始まった。健康診断に行くと、名前を呼ばれるのだが、芸能人と同姓同名の名前が呼ばれると、(もちろん芸能人本人ではないのだが)周囲がざわつく、と言っていた。

「今回は『コイケエイコ』さんと『ニシノカナ』さんが呼ばれていて、そのときに、ちょっと周りがざわついたんですよ」

と言ったのを聴いて、僕は爆笑した。先月、僕も同じような話題をこのブログに書いていたからである。しかも、呼ばれた本人の心理まで洞察していて、目の付け所が同じだなあと、つくづくと思ったのである。

話題がシンクロするって、あるんだねえ。

あと、「採血のときに、血管がなかなか出ないので看護師さんを困らせている」というのも、しばしばこのブログで話題にしていて、やはりこれも目の付け所が同じである。

ちなみに、血管が出にくいのは腕が冷えているからで、腕を温めれば血管が出やすくなる、というリスナーからのメールを、番組の中盤あたりで読んでいた。なるほど、いいことを聞いた。

…というわけで、長い割に何が言いたいかわからない文章になってしまった。

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老眼芸

3月8日(火)

もうすぐ4歳になる娘は、「大泉さんのちょんまげ」(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」)に夢中である。

すごいのは、テレビCMで一瞬、中村獅童が出た時に、「あ!大泉さんのちょんまげに出てた人!」と見逃さない。たしかに中村獅童は、梶原景時役で出演している。

三谷幸喜作の喜劇「社長放浪記」のDVDを観ていると、佐藤B作が出てきたところで、「あ!大泉さんのちょんまげに出てた人!」と叫んだ。佐藤B作も、三浦義澄役で出演している。

いずれも、そんなに出番が多いわけではないのだが、それでも、はっきりと覚えているのは、才能なのか?普通なのか?

保育園の友だちのエイシ君は、図鑑が大好きで、いろいろな虫を瞬時に見分けられるそうなのだが、うちの娘はどうやら、いぶし銀の俳優を瞬時に見分けるのが得意なようである。こんなことなら、図鑑を買い与えておけばよかった、と後悔する。

保育園では、たまに「保育園だより」が配られる。むかしでいう「ガリ版刷り」みたいな質のよくないコピーで作られたもので、保育園での園児の活動の様子を、手書きの文章と解像度の低い白黒の写真で構成している。写真には、保育園の園児たちが遊んでいる様子が写っている。しかし、写真が小さくて、写っているのが誰なのかがよくわからない。

娘はその「保育園だより」をもってきて、写真に写っているお友達が誰なのかを説明してくれた。

「これは、ハル君、これは、ツムちゃん、これは、セイナちゃん」

と、指を指しながら説明してくれるのだが、ひとり、どうしてもわからないお友達がいた。

「だれかなあ」

そう言うと娘は、自分がかけている眼鏡をおでこのほうにずらして、裸眼でその写真をのぞき込んだ。

おいおい!それは、俺がいつもやっている、「老眼のポーズ」ではないか!!!

字が見えにくいときに眼鏡をおでこにずらす「老眼のポーズ」を、いつの間にか娘がマネをしている!

「あんたはやらなくてもいいんだよ!老眼じゃないんだから!」

と突っ込んだが、あれは知ってやっているのか、知らないでやっているのか…。もし知ってやっているのだとしたら、笑わせにかかっているとしか思えない。もうすぐ4歳になる娘の老眼芸は、それはそれで爆笑ものだが、親の老眼がバレるので、頼むから保育園ではやらないでほしい!

3歳にして、すでに芸が老成している。いぶし銀の芸とはこのことである。

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解像度

先日の「アシタノカレッジ金曜日」のゲスト、能町みね子さんが、まさか自分が猫を飼うとは思っていなかったが、飼ってみると、猫にかける声のトーンが、ふだんよりも2オクターブくらい上がっているのが自分でもビックリする、という話が、なかなか面白かった。

以下、記憶をたよりに書くが、武田砂鉄氏は、「ふだん、かなり細かく言葉尻をとらえるお仕事をする能町さんと、猫と接しているときの能町さんというのは、両立するのですか?」と質問すると、能町さんは、「たしかに、猫と接しているときは解像度が下がっているかもしれませんね」みたいな答え方をしていて、その「解像度」という表現がなかなか面白かった。これって、一般的に使われている比喩なのだろうか。

ふだん、世の中のオカシなことや言葉の矛盾などの細かい部分について、引っかかりをもって深く掘り下げていくのが能町さんの仕事の真骨頂だと思うのだが、つまりはそれが、解像度が高い仕事ということになる。一方で猫に接するときは、そうしたことはどうでもよくなり、とたんにその部分が甘くなるのではないか、すなわち、解像度が低くなってしまうのではないか、ということなのである。

先日、黒澤明監督の映画「乱」の撮影をめぐるドキュメンタリー番組を見ていて、黒澤明監督の思い描くイメージと、キャストやスタッフの思い描くイメージのギャップに、黒澤監督が苦しんでいたのではないか、と想像される場面があった。監督が、「そうじゃないんだよ!」と声を荒げ、それに対してスタッフやキャストは、どこがどう違うのかわからないと戸惑う場面が、しばしばみられたのである。

これもまた、解像度の問題なのだろうかと、ふと思い出したのである。黒澤監督の中では、その映画のイメージがかなり解像度の高い状態で見えているのに対し、それ以外の人には、黒澤監督ほどの解像度ではイメージできない。そのギャップに、黒澤監督は苛立っていたのではないだろうか。

もちろん、どの対象に対しては解像度が高く、どの対象に対してはそれほどでもないということは、人によって異なるのだろう。その違い、つまりは個性が、文学や音楽や芸術やスポーツとして花開くのではないだろうか、と考えてみたのだが、そもそも「解像度」という概念で人間の個性をとらえてよいものか、根本的な疑問は僕の中に残ったままである。

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便利なひな壇芸人

3月5日(土)

朝、寝間着のまんま寝っ転がっていたら、電話がかかってきた。

「もしもし、鬼瓦先生ですか?」

「はい、鬼瓦です」

「私、○○出版社の××と申しますけれど…いま、オンライン会議を行っているんですが…」

「あっ!!すみません!!」

すっかり忘れていた。今日は午前10時から某出版社の「企画もの」に関する執筆者会議だった!手帳には書いておいたのだが、書いたこと自体を忘れていた。

「す、すぐ参加します!」

時計を見ると10時半。慌てて着替えて、ノートパソコンを立ち上げて、ZoomのミーティングIDとパスコードを入力して、会議に合流できたのは10時45分過ぎだった。

会議次第を見ると、執筆者の顔合わせという意味もあり、僕もひと言喋らないといけないようなのだが、どうやらそれには間に合ったらしい。

僕は何事もなかったかのように、挨拶をした。

他の人は、力のこもった挨拶だったのだが、僕は、どうもあまり乗り気ではなかった。「また企画ものかよ!」とウンザリしていたのである。

僕は、自分とは縁遠い企画だと思って、どうしようかと思っていたが、依頼をした人に恩義があるので、観念して引き受けることにしました、と、まことにやる気のない挨拶をしてしまった。いまから思うと、たいへん失礼な挨拶だったと思い、反省した。しかし実際、やる気がないのだから仕方がない。

その後、もう1回、コメントを言う機会があったので、先ほどの挨拶を反省し、さも準備してきたかのように執筆の具体的な構想を語った。何も考えていないのに、さも考えてきたように喋るヘンな術ばかりが身についている。

通常、こうした企画ものは、いきなり企画書が送られてきて、はがきかメールで諾否を表明し、締め切りまでに原稿を出す、という流れが多い。つまり、担当の編集者とは一度も顔を合わせずに原稿を執筆する、という慣習が常態化している。

だが、むかしからある大手の出版社は、依頼にあたって、担当編集者と直接に顔を合わせることがある。今回の出版社とは、以前に一度、やはり企画もので仕事をしたことがあるが、そのときは、執筆者が大人数だったので、どこかの会場を借りて、執筆者打合せと称して立食パーティーをした記憶がある。いまは出版界の低迷と新型コロナウイルスの影響で、さすがに立食パーティーはできないが、それでも、執筆者が顔合わせをするという伝統は、変わりないようだ。

どっちがいいのかは、わからない。いきなり企画書だけ送られてきて、担当編集者と一回も会わずに原稿を出すというのも癪に障るが、わざわざ各巻の執筆者が顔合わせをするというのも、なかなか面倒くさい。僕はこんなふうに、これから先も、企画ものに職業的文章を書く「便利なひな壇芸人」として、この仕事を続けていくのだろうか。

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ラジオ遺産を受け継ぐ

以前にも書いたが、近石真介の「はがきでこんにちは」は、5分ていどのラジオ番組だが、49年間にわたって放送されていた長寿番組である。もともとTBSラジオの午前中に放送していたワイド番組「こんちワ近石真介です」の1コーナーとして放送されていたが、同番組終了後も、日本香堂の提供でこのコーナーだけは生き残り、地方のラジオ局などでほそぼそと放送されていた。制作はTBSラジオだが、TBSラジオでは放送されなかった。

番組に寄せられてくる他愛もないお葉書に、近石真介がコメントをするという、たいへんシンプルな番組で、僕はこれこそが、ラジオ番組の究極の形ではないだろうか、と思い、勝手に「ラジオ遺産」に認定した。

その後、近石真介氏が高齢で体調を崩され、49年間続いた番組も、2020年9月をもって終了したという。その後継番組として、六代目三遊亭円楽による「おたよりください!」が始まったが、後継者として円楽師匠が選ばれたのは、この番組の提供が日本香堂であることによるのだろう。

ところが、円楽師匠は2022年1月末に、脳梗塞で入院した。レギュラー番組の「笑点」も当然お休みしているわけだが、ラジオのレギュラー番組であるところの「おたよりください!」は、どうなっているのだろう。

…と思ったら、なんと、六代目円楽の弟子だった伊集院光氏が代理で出演しているではないか!

伊集院光氏といえば、ラジオの帝王ですよ!もちろん師匠が倒れたことによる代理なので、一にも二にも引き受けなければならなかったのだろうが、それにしても、キー局の生放送のワイド番組とは真逆の、ほとんど聴かれていない5分番組であるばかりでなく、当たり障りのない内容のおはがきに対して、伊集院氏はどのように受け答えをするか、興味津々である。

動画サイトにあがっている音源を聴くと、それまでの近石真介さんや円楽師匠が作り上げてきた世界観を壊すことなく、この「ラジオ遺産」を受け継いでいることに、安堵した。もちろん、49年間続けて来た近石真介さんの、他愛もない内容のはがきに対する空気のようなコメント、という境地には至っていないが、これが続けば、次第にその境地に至るのではないか、と思わせる。

それより何より、僕は以前、TBSラジオの午前のワイド番組の系譜を、近石真介→大沢悠里→伊集院光と位置づけたことがある。伊集院光氏は、円楽師匠の弟子でもあるが、近石真介さんの後継者でもあるのだ。

だから、伊集院光氏が、日本香堂提供の5分番組「おたよりください!」のはがき読みをしていることに、深い感慨を禁じ得ないのである。そしてこの3月でTBSラジオの朝のワイド番組を辞めるタイミングで、代理とはいえこの番組を引き受けたことも、天の配剤というべきであろう。

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気分は黒澤明

3月3日(木)

昨日は都内で、1年後に控えたイベントの打合せを5時間かけて行い、今日はその打合せにもとづいてプロットを整理してみようとしたのだが、あまりにやることが多く、すっかり途方に暮れた。

本来ならばもっと早くから準備すべきだったのだが、この2年間は職場の仕事に忙殺され、おまけに新型コロナウィルスの感染拡大の影響でロケハンもできず、先延ばしにしていたのである。いよいよお尻に火がついたのだった。

イベントをするためには、プロットを練って、脚本を書いて、キャスティングをして、出演者のスケジュールをおさえて、セットを作り、演出をし、編集をする、という、まるで映画を製作するのと同じ過程をふまなければならない。

僕が思い出したのは、黒澤明監督である。

黒澤明監督は、映画の脚本を書くとき、複数の脚本家を集めて旅館にこもって、一斉に脚本を書く。誰が、どこの場面を書くというような役割分担ではなく、同じ場面をヨーイドン!で書き始めるのである。それをいっせいのせ!で持ち寄って、細部を煮詰めていく。

この複数脚本家体制は、なかなかよいアイデアである。そもそも僕は、ひとりでは何もできないので、それぞれのエキスパートに、プロットを考えてもらい、それを持ち寄って脚本を作り上げていくという手法でしか、イベントを仕上げることは到底無理なので、そうするしか方法がない。

黒澤明監督のもうひとつの真骨頂は、「編集」である。演出にもとづく俳優の演技や、それを撮影したフィルムは、あくまでも素材であり、「編集」こそが映画の生命である、と、黒澤明監督は信じて疑わなかった。映画を生かすも殺すも、編集の仕方如何なのである。だから黒澤監督は、編集作業に徹底的にこだわり、全部自分でそれを行ったのである。

米国資本の映画「トラ!トラ!トラ!」で監督降板の憂き目に遭ったのは、米国の映画界では監督に編集権がないことが、黒澤監督を憤慨させたからだと、読んだことがある。映画監督が自分で編集までしていたのはヒッチコック監督ぐらいじゃないかな(いいかげんな知識)。

黒澤明監督から編集権を奪うことは、映画を奪うことに等しいのだ。

「映画は編集こそが命」という黒澤監督の信念に倣えば、イベントに際しては編集に力を入れることが、僕が最もやらなければならないことだ、ということが、なんとなくわかってきた。

プロットや脚本を共同作業で行い、キャスティングやスケジューリングは予算の都合上、なるようにしかならない、ということになれば、あとは編集でなんとかするしかない。それが僕の役目である。

つまりこのイベントを作り上げることは、黒澤明になったつもりで映画を作ることと同じだと考えれば(大きく出たねぇ)、映画製作に憧れていた僕にとって、いくらか士気が上がろうというものである。…こんなこと書いても、ナンダカワカンナイね。

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右と左に泣き別れ

3月1日(火)

毎月第1火曜日の午前は、僕が司会の会議である。今月でようやくその役目が終わる。いろいろあったが、ひとまず2年のお勤めを終えた。あとは3月末まで、いくつかの会議を乗り越えるだけである。これまでの経験では、「一寸先は闇」である。3月末日ギリギリまで、油断はできない。

午後は、諸方面にメールを書いたり、プロジェクトの打合せをしたり、さまざまな案件に対応したりと、あっという間に1日が過ぎた。

というわけで、書くことが特にないので、先週土曜日のラジオのことを書くことにする。

先週土曜日午後1時からの文化放送「ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB」をradikoのタイムフリーで聴いた。TBSラジオの澤田大樹記者が出演するという情報を得たからである。

僕は以前から、ラジオパーソナリティーとしての田村淳に、アレルギーを感じていた。

ずっとむかし、「田村淳のオールナイトニッポン」を聴いたとき、リスナーから送られてきたはがきやメールなどの読み方が、ひどく下手だなあという印象を抱き、それ以来、その印象が拭えず、ずっと尾を引いていた。

僕は、よいラジオパーソナリティーの条件は「はがき読み」の上手さだ、という考えを持っていて、「はがき読み」が下手なパーソナリティーは、ラジオに対する愛着のない人間だ、という、いまから思えば変な偏見を持っていた。

その身勝手な基準からすると、「はがき読み」の下手な(と僕が思っている)ロンブーの田村淳は、ラジオを片手間にやっているお笑い芸人なのではないかと、自分の中で勝手に結論づけていたのである。

そんな印象から、僕は田村淳のラジオ番組を聴こうともしなくなっていた。

今回、澤田大樹記者が出演するという理由で、久しぶりに田村淳のラジオ番組を聴いたところ、その印象は払拭された。じつに聴きやすく、時事問題についてもひるむことなく自分の言葉で語っている。

田村淳の聞き方が良いのか、澤田大樹記者もいつも以上によどみなく、饒舌である。

ところで、なぜTBSラジオの澤田大樹記者が文化放送の田村淳の番組に出たのか?「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークで武田砂鉄氏が言っていたことだが、武田砂鉄氏が隔週の火曜日に出演している「大竹まこと ゴールデンラジオ」と「田村淳のNEWSClub」のプロデューサーが同じで、武田砂鉄氏が澤田大樹記者の番組出演を推薦したというのである。

考えてみれば、東京五輪の組織委員会の森会長の発言に疑問を呈して聖火ランナーを辞退した田村淳と、森会長の女性蔑視発言を追求し、結果的に辞任に追い込んだ澤田大樹記者とは、森喜朗という人物を介して共通点を持っていたのだ。

番組はかなりいい雰囲気で終わったのだが、僕はそのとき、「大竹まことの後継者は、田村淳ではないか」と、勝手なことを想像したのだった。

さて、その「田村淳NewsCLUB」の真裏の時間帯に、TBSラジオでは「週末ノオト」という番組をやっていて、パーソナリティーのバービーが新型コロナウイルスの陽性になったため、代打で武田砂鉄氏がパーソナリティーをつとめていた。つまり、「アシタノカレッジ金曜日」のコンビが、「右と左に泣き別れ」となったわけである。

こちらのほうも、radikoのタイムフリーで聴いてみたが、こちらは、すでに番組の進行や段取りが決まっており、その段取り通りに武田砂鉄氏が番組を進行していたため、いつものような伸びやかさがなかった。ゲストも武田氏の人選によるものではなく、あらかじめ決まっていたキャスティングだったようで、今ひとつ武田氏が乗れていなかったように感じた。

武田砂鉄氏と澤田大樹記者との裏番組対決は、澤田記者に軍配が上がった。もちろんこれは、僕の身勝手な意見。いや、真の勝者は、田村淳かもしれない。

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