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ちょっとご無沙汰でした、とコバヤシは言った

久しぶりに、高校時代の親友のコバヤシから携帯メールが来た。ここ最近のブログを読んだ感想が書き綴られていた。

まずは、「夢の親子漫才」について、一部改変して引用する。

「高校の後輩の結婚式で漫才をしようなどとは提案していません。2人でスピーチをしたいと申し入れたのです。勿論、私自身も新郎新婦に何か一言お祝いを言いたかったからですが、貴君も当然、何か喋りたい筈だという前提ではあります。それを貴君が漫才にしてしまったので閉口したのですが、結局は貴君が書いてくれたネタはなかなかに良く、地震のせいで東京に行くことが出来ず、あのネタを披露出来なかったことは私も今でも悔やまれます」

たしかにコバヤシの言うとおりである。コバヤシは2人でスピーチをしたいという提案をしただけで、それをむりやり漫才にしようとしたのは僕のほうである。

次に「なじめなかったエッセイ」について、こちらも一部改変して引用する。

「それはそれとして、フリーペーパーに書かれている作家のエッセイの連載終了に対する感想は私も共感するところがあります。私自身も道すがら、その作家の文章は楽しんではいたのですが、やはりどこか違和感を感じており、その感傷的と言うか、あざといとも感じられる文はあまり好きではありませんでした。

ついでに思い出したのですが、学生時代に、自分のゼミの同級生が書いた卒論が中々良いと思い、貴君に読んでもらったところ、貴君から予想外の酷評があり、う〜んと思ったのですが、今、思い返すとその同級生はその作家のファンで、彼が書いた文章も少なからずその作家の影響が感じられるものだったと思います。

そういう意味で、貴君の長年にわたる首尾一貫した態度はナルホドと思わせてくれました」

メールの原文では、僕がぼやかした作家の個人名を見事に当てていた。

後半のくだり、コバヤシのゼミの同級生が書いた卒論を僕が読んで酷評した、というのは、まったく記憶にないのだが、いかにも僕のやりそうなことである。コバヤシがよいと思った卒論を、なぜ僕がそのとき酷評したのか、という積年の謎が、これで解けたようである。これを書いた後、ちょっとネガティブな文章だな、と反省したのだが、コバヤシから共感するコメントをもらって、書いてみるものだなと救われる思いがした。

ほかにも、最近のブログを読んだ感想が綴られていた。いずれも、このブログをこんな形で続けて来てよかったと思える感想だった。

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コバヤシ」カテゴリの記事

コメント

ウナ。
前の前の職場は被害なし。
繰り返す。
前の前の職場は被害なし。
では、おやすみなさい。

投稿: 🐢 | 2022年3月17日 (木) 01時57分

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