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なじめなかったエッセイ

3月14日(月)

新幹線と在来線を乗り継いで2時間半ほどかかる町に出張である。前日のうちに、新幹線の止まる駅に宿泊し、翌朝、つまり今朝、在来線で目的の町に到着した。

たった1日の作業だったが、重い荷物を持って移動し、慣れない機器を使った作業を1人でやらなければならず、たいした仕事はしていないのだが、ひどく神経がすり減った。夕方に用務先を出て、夜に帰宅した。

それとはまったく関係ない話だが、月1回発行のフリーペーパーに長らく連載していたエッセイが、今月をもって最終回を迎えると書いてあった。

カリスマ的な人気を誇る作家で、たぶん、かなり多くの人が影響を受けたのではないかと思う。僕のまわりにも、その人の文体の影響を受けたとおぼしき文章を書いている人を、たまに目にする。

僕は、その作家のよき読者ではない。たまたま、目にふれたエッセイを読む程度である。

連載最終回のエッセイを読んで、「結局、最後までなじめなかったな…」というのが、僕の感想だった。

こんなことを書くと、そのエッセイのファンだった人からふざけんなとお叱りを受けるだろうな。実際、SNSなどを見ると、そのエッセイが最終回を迎えてショックだ、毎回楽しみにしていたのに、という人が、かなりの数いたことがわかる。それは当然で、それくらい、影響力や発信力の強い作家なのだ。でも僕は、結局最後までその人の文体になじめなかった。それが僕の心の狭さに起因するものであろうことは、重々承知している。

なぜなじめなかったのだろう。なかなか言語化することは難しいが、「エッセイのためのエッセイをむりやり書いている印象」「もったいぶった文体」「感傷的な表現」などの言葉が浮かぶ。おまえ、他人様のことが言えるのか!とお叱りを受けそうだが、くどい文章ばかり書いている僕でさえ、「僕だったら、この内容を半分の量で書ける」と思ってしまうこともある。

名作といわれる過去の作品を読んだら、印象が変わるかもしれない、と思うこともあるのだが、若いときならいざ知らず、年齢を重ねてしまっているいまとなっては、それを読んで感激できるかどうか、かなり怪しい。

旅をめぐる味わい深いエッセイといえば、僕にとっては宮脇俊三さんである。宮脇俊三さんについては書きたい思い出があるのだが、それはまたあらためて書く。

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