君は映写室派?
4月29日(金)
「すべての人間は、3種類に分けられる。観客席派と、キャメラ派と、映写室派だ!」
これ、僕のオリジナルの名言ね。というのは嘘で、前に書いたように、もともとは大林監督が、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のパンフレットに寄せたエッセイに出てくる言葉であり、それを僕が「スウィングガールズ」ふうに言い直しただけである。
このエッセイがあまりにも自分の文体に影響を与えたので、そのことを、以前大林宣彦監督にインタビューしたときに、このパンフレットをお見せして、「僕はこのエッセイに影響を受けたんです」と直接お伝えしたところ、
「そんなの書いたっけ?ちょっとコピーさせて」
と言われた、というエピソードも、以前書いた。
祝日である今日の午前中は、4歳の娘と二人で過ごさなければならない。以前、映画『おかあさんといっしょ ヘンテコ世界からの脱出』を映画館に観に行ったことを思い出し、映画に連れて行こうと思い立つ。
上映中の数ある映画のうち、迷わず『シング ネクストステージ』を観に行くことにした。前作の『シング』は僕も好きな映画だし、最近娘も、テレビで放送された『シング』を、くり返し観ている。
『シング』は、エンターテインメントを愛するすべての人たちに対する、応援歌であり、賛歌である。コロナ禍の中で、不要不急と蔑まれ続けたエンターテインメントこそが生きる糧なのだと、何度でも教えてくれる。
『シング ネクストステージ』は、おもしろかった前作をさらに越える内容で、久しぶりに大画面のスクリーンを前に、心が揺さぶられるというのはこういうことなのだと実感した。
娘も、スクリーンの「ジョニー」の歌う歌に合わせて、声を出して歌っていた。たぶん初めて聴いた歌なのだと思うが、それを即興で歌えることに驚くとともに、歌う衝動を抑えきれなくなるという映画の力に、あらためて感嘆したのである。
映画館の前から3列目に座ったのだが、娘はしきりに、後ろを向く。
「どうしたの?」
「たくさんお客さんがいるね」
「そうだね」
娘は、お客さんがどんな様子で映画を観ているのかを、確かめたかったらしい。
映画が終わり、エンドクレジットが流れると、娘はまた後ろの客席を振り返った。そして、映画館のいちばん後ろにある、光源に気がついた。
「あそこ、光ってるね。あの光が映画を映しているの?」
「そうだよ。あの光のおかげで、スクリーンに映画が映っているんだよ。不思議でしょう?」
「不思議だね…あ、光が消えた!」
「前を見てごらん。映画も消えたでしょう?」
「ほんとだ。消えた」
娘は、映画の内容を十分に楽しんだだけでなく、自分の後ろにいる観客の反応がどうなのか、そして、映画の光源にも、関心を持たずにはいられなかったようである。
僕は、大林監督が『ニュー・シネマ・パラダイス』のパンフレットに書いたエッセイの一節を思い出した。
「もちろんこの少年(注…この映画の主人公「トト」)も人並みに観客席に坐り、ムービー・キャメラを手にしたりもする。しかし観客席ではすぐに後ろをふり向いて映写窓の光源に映画の生命を見ようとする。映写装置こそが実存であり、スクリーンの上の映像は所詮、影なのだ。フィルムが途切れたりしたら、すぐに消滅してしまう。(中略)いわばリアリストとしての痛みを知っている。(後略)」
ひょっとして君は、映写室派なのか?
僕は4年前、大林監督にインタビューしたときに、生まれたばかりの娘にサインを下さいとお願いした。大林監督は、
「映画(えいが)の学校(がっこう)の良(よ)い生徒で、賢(かしこ)く優(やさ)しく育(そだ)ちましょう」
と、淀川長治さんの「映画の学校」という言葉になぞらえて、書いてくださった。
今日は、その言葉を噛みしめた。
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