○○の神様
4月28日(木)
午前中は、自宅から車で1時間半弱かかる総合病院に行く。昨日までの「ひとり合宿」の結果を報告するのだ。別の病院で治療を担当した主治医のS先生による手紙と画像データが入った封筒を、もう一人の主治医である総合病院のK先生に渡さなければならない。
たんに報告だけなので、診察時間じたいはわずか1~2分。そのために1時間以上かけて病院に行き、長い間待たされるのである。
こっちだって「ひとり合宿」が終わったばかりで疲れているのに、そのためだけに行くのはとても面倒くさい。だったら、主治医同士がメールのやりとりですませろよ、と思うのだが、そうもいかないらしい。
診察の前に手紙と画像データを受付に渡し、しばらくの間待合室で待つ。やがて僕の名が呼ばれて診察室に入ると、すでにK先生は、治療の画像データとその結果を伝えるお手紙を読み終えたところだった。
僕が診察室に入るなり、
「今回もがんばりましたね」
とK先生は言った。なにしろ僕は、この5年ほどで13回も、S先生の病院で「ひとり合宿」をしているのである。
「以前にちょっと心配していた部位、落ち着いているようで安心しました」
「S先生からもそう言われました」
「一時はどうなるかと思ったけれど、ほんとうによかった。やっぱり鬼瓦さん、あなたには神様がついているんですね」
僕は、それまで抑えてきた感情がこみ上げてきて、不覚にも涙が止まらなくなってしまった。
そう、俺、がんばってるんだよ。これまで、すげえがんばってきたんだよ。そして幸いなことにまだ生かされているんだよ。
ただ実のところ、僕ががんばったところで、どうにかなるわけでもない。おそらくそのほとんどは、運に委ねられているのだ。ぼくはただ、言われるがままにその身をS先生に委ねているだけである。過去2回ほど、もうこれでおしまいだな、と絶望した瞬間があったが、それでも何とか乗り越えてきた。たぶんがんばったのは、僕ではなく、治療にあたったS先生のほうである。
僕は無神論者だが、この5年あまり、僕の体調をずっと見続けてきた総合病院の主治医、おそらくこれまでも何千、何万もの患者を診てきたK先生が、医療の力だけではなくあなたには神様がついているのだと言ったことは、たとえ口から出まかせの言葉だったのかもしれないとしても、僕にとっては救いの言葉に聞こえたのである。
僕はがんばっているわけではない。支えられて生きているのだ。
いやそもそも、どんな人も生きているだけで十分にがんばっているのだ。僕はそのことに、大病を患って初めて気づいたのである。
運が尽きるまで、何度でも立ち上がろう。
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