取り残された人
4月13日(水)
今日はまる1日かけて、検査のために病院のハシゴである。午前中は、自宅から電車とバスを乗り継いで2時間近くかかる総合病院、夕方は、都内の病院である。
午前、1時間以上かけて病院の最寄りの駅に着き、そこからバスに乗って総合病院に向かう。
総合病院行きのバスの停留所に行くと、僕の前にふたりの人がすでに並んでいた。
ひとりは、アジア系外国人と思われる若い女性で、小さい赤ん坊を抱えている。
もうひとりは、おばあちゃんというべき、高齢の女性である。
やがて総合病院行きのバスが駅のロータリーに入ってきて、停留所の前に停まった。
僕の前にいるそのふたりの女性はどうやら、前と後ろ、どちらのドアから乗ったらいいのかわからない様子で、うろうろしている。
そうこうしているうちに、前の扉が開いた。続々と人が降りてくる。このバスは前扉が降車専用で、後方の扉が乗車専用なのだ。
しかし、ふたりには、そのことがわからない。
ふたりは前の扉に近づいた。乗客が降りたあとに、前扉から乗ろうと考えたのである。
僕は、
「後ろの扉から乗るんですよ」
と言った。
ふたりは、不思議そうな顔をした。この時点で、まだ後方のドアが開いていないからである。
バスに乗り慣れている人はわかるだろうが、発着のバス停では、乗客を入れ替えるために、まずはバスに乗っている人を降ろしてから、新しい乗客を乗せるのである。だから、最初に降車専用の前扉が開き、やや時間をおいて、乗車専用の後方扉が開くことになっているのである。
その仕組みがわからないと、開いている扉から乗ろうとするのは、無理もないことである。
乗客が大方降りたあと、後ろの扉が開いた。最初に乗ったのが、赤ちゃんを抱いたアジア系外国人の女性で、次に乗ったのが、高齢の女性である。
高齢の女性は、「あれ?あれ?」と言いだした。
「キップが出ないけど」と僕に向かっていった。「キップ」とは、整理券のことである。
「ここが始発なので、整理券が出ないのだと思いますよ」
と言った。それでも、その女性は不安に思ったらしく、バスの運転手に、
「あの…キップが出ないんですけど」
と尋ねた。バスの運転手は、「ここは始発の停留所なので」と、僕とまったく同じ答えをした。
アジア系外国人の女性のほうは、手に回数券のようなものを持っている。「10円」と書いた回数券が、3枚ほど、ミシン目でつながっている。本来10枚綴りだったものが、使っていくうちに3枚になったのだろう。
彼女は運転手にその回数券らしきものをみせて、
「あの…これ、使えますか?」
とおそるおそる聞いた。そういえば、最近、回数券というものを見たことがない。彼女がもっていた回数券も、ずいぶんと年季が入ったもののようにみえた。
運転手は、「使えますよ」といった。彼女は安心したようだった。
それにしても、170円の運賃を、回数券を使って30円を節約している様子は、かなり切ない。
このふたり以外はみな、交通系カードで「ピッ」と支払っているのである。おそらくこのふたりは、そうしたものとは無縁の世界で生きているのだろう。そう考えると、ますます切なくなってきた。
ふたりは総合病院で降りた。僕も降りたが、病院の建物に入ると、大勢の人に紛れて、ふたりの姿は見えなくなってしまった。あのアジア系の外国人女性、病院で診察してもらうのは、自身なのだろうか、それとも胸に抱いている赤ちゃんのほうなのだろうか。僕はそのことばかりが気になった。
広い待合のスペースには、たくさんの椅子が置いてあるが、ほぼ全部の椅子がうまっている。しかもほとんどが高齢者である。平日の午前中の総合病院は、高齢の患者がほとんどなのだ。
病院も、診察券が磁気カードになり、診察の受付から会計の処理まで、すべて機械が行ってくれる。だが、すべての人が慣れているわけではない。僕は、こうしたシステムに取り残されてしまう人のことを想った。
診察の受付の機械に診察券を入れると、まるでレシートのように、本日の検査の順番や診察の予定時間を書いた紙が出てくる。僕はその紙をもって、まずは採血の部屋に向かった。すると、後ろから声をかけられた。
「あのう…」
「なんでしょう?」
「診察券、取り忘れてますよ」
慌てて診察受付の機械のところまで戻ると、係の人が、これですね、と、僕の診察券を渡してくれた。
本来ならば、レシートのような紙と、診察券のふたつを、機械から回収しなければならないのだが、僕はレシートのような紙をとっただけで、診察券のほうは取り忘れたのだ。
なんという物忘れのひどさだろう。
取り残されているのは、ほかならぬ僕自身ではないか。
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