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ダウンタウンヒーローズ

4月20日(水)

3週連続で、関西出張である。そのうち、先週と今週は日帰り出張なので、かなり身体にこたえる。

新幹線の往復の時間を利用して、早坂暁『ダウンタウンヒーローズ』(新潮文庫)を読む。

この本を読もうと思ったのは、先日、BS松竹東急で放送された山田洋次監督の映画『ダウンタウンヒーローズ』(1988年公開)を観たからである。公開当時は観ておらず、今回が初見である。

僕はてっきり、早坂暁が脚本を書いたものとばかり思っていたが、早坂暁は原作者で、脚本を書いたのは山田洋次と朝間義隆、いわゆる「寅さんコンビ」であることを、今回映画を観てはじめて知った。

そうなると話が違う。映画全体は、山田洋次テイストがかなり強いのではないだろうか。早坂暁ワールドと言うより、山田洋次ワールドといった方がいいのではないか、という仮説を立て、原作を読んでみることにしたのである。

で、原作を読んでみると、映画の内容とは似て非なるもの、というより、まるで違うことがわかった。原作の設定を借りただけで、中身はオリジナル作品といってもよいくらいだ。

原作は、早坂暁の「自伝的長編小説」と言われているが、旧制松山高校時代、遊郭の娼婦と恋仲になり、娼婦とともに背中に刺青を彫り、さらにはヤクザに追われるなど、怒濤の展開が繰り広げられる。主人公は娼婦を深く愛していたが、最終的には娼婦が主人公のためを想って身を引く、と言うところで、この物語が終わる。全体にわたっていわゆる「下ネタ」も多く、山田洋次監督の映画とは対極にあると言ってもよい。

対して映画のほうは、主人公が無垢な純情青年(中村橋之助)。それに、原作にはないマドンナ(薬師丸ひろ子)も登場し、その関係を軸に物語が展開する。構造的には、「寅さん」と同じといってもよい。

これだけ作風の異なる作品を、なぜ山田洋次監督は、原作の内容を大幅に変えてまで、映画にしようと思ったのだろう?

実は原作の中で、山田洋次監督が登場する。

早坂暁がいた旧制松山高校は、海を隔てた山口高校と毎年野球大会をしていた。当時応援団にいた早坂は、山口高校との試合を松山で行うとき、率先して相手校を出迎えて、わざと遠回りして松山高校まで案内し、相手校の選手を無駄に歩かせて疲れさせる作戦をとっていたという。

「寅さんの映画監督山田洋次さんは後年、松山の新聞社の記者にぼやいていたそうで、どうやら山田監督はそのときの山口高校の応援団の中にいたらしい。山田さん、どうもあの時はごめんなさい。」

つまり早坂暁が松山高校にいたころ、山田洋次は山口高校にいたのである。

映画版「ダウンタウンヒーローズ」の中にも、松山高校の学生と山口高校の学生が対決する場面がある。山田洋次監督なりのノスタルジーが、この原作により喚起され、映画版では山田洋次監督なりの「ダウンタウンヒーローズ」を描きたいという衝動に駆られたのではないだろうか。原作の早坂暁に対する「アンサー映画」のようなものだろうか。ちなみに小説は1986年に刊行され、そのわずか2年後の1988年に映画化されている。

早坂暁は上京して浅草で若き渥美清と知り合い、生涯の友となる。一方、山田洋次監督もまた若いころに渥美清と知り合い、生涯にわたって「寅さん」映画を撮り続ける。渥美清を介しても二人はつながっている。

なお、原作小説『ダウンタウンヒーローズ』にみえるエピソードのいくつかは、早坂暁脚本のドラマ「花へんろ」の中にも盛り込まれている。このドラマもまた、早坂暁の自伝的ドラマである。

また、早坂暁が脚本を書いた「渥美清のああ、青春日記」というドラマでは、渥美清が若いころにストリッパーと恋仲になるが、最終的にはストリッパーが渥美のことを考えて身を引き、行方知れずとなるという結末を迎える。これはまさに『ダウンタウンヒーローズ』の結末と同じテイストであり、このあたりが虚実皮膜の世界である。

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