担当編集者、ラジオに出る
4月22日(金)
今週は予定を詰め込みすぎてヘトヘトになり、もうだめかもわからんね、と思ったが、なんとかTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまで無事にたどり着いた。
番組の中で、武田砂鉄氏が1か月かけて1冊の本を紹介する、というコーナーがあるのだが、今日はその本を担当した出版社の編集者がゲスト出演していて、その人がなんと僕の担当編集者だった!
俺の知っている編集者が、武田砂鉄氏と対談しているよ!!!
担当編集者、という言い方もおこがましい。なにしろ僕は、その編集者に1回しか会ったことがなく、しかもまだ本を書いていないのだから。
コロナの前なので、3年くらい前だったと思う。僕はその編集者から連絡をもらって、会うことにした。本を1冊書いてくれませんか、という依頼だった。
都内の喫茶店で会うと、その編集者はじつにおしゃれでスマートな人だった。聞くと、前職の会社では哲学系の雑誌を編集していたそうで、なるほど、立ち居振る舞いは、そうした哲学的な雰囲気を醸し出していた。
そんな人が、僕に本の執筆を依頼してもいいのだろうか?僕はおそらく、その編集者の好みとは正反対の原稿を書いてしまうに違いないと、僕は最初から、すっかり怖じ気づいてしまった。
僕はその喫茶店で、本の構想をお話しした。不思議なもので、他人に話すと、なんとなく書けそうな気がしてくる。
しかし、いざ書き始めると、どうもしっくりいかない。自分が書いていて、おもしろくないのである。
こういうときは経験上、無理に書き続けずに、少し時間をおいた方がいいのだが、そのうちに、忙しくなり、原稿に取りかかる時間がすっかりなくなってしまった。
その編集者からは、節目節目にメールをいただいて、「原稿はどうなりましたか?」と聞かれるのだが、「いま書いていますが、なかなか進みません」と答えるしかなかった。まるで「いま出ました」というそば屋の出前の言い訳そのものである。その編集者が、僕の言い訳に呆れているであろうことは、容易に想像できた。
そんなことが3年くらい続いているので、こちらからも連絡が取りにくい状況になっていたのだが、その編集者が武田砂鉄氏と対談している様子を聴いて、僕は複雑な気持ちになった。
僕がそのラジオを愛聴していることを、その編集者に伝えたいという衝動に駆られたのである。
「聴いてましたよ!武田砂鉄さんとラジオで対談したなんて、すごいですねえ」と、言ってみたい。
しかしそこでうっかり連絡を取ってしまうと、
「ところで原稿はどうなりました?」
と、思い出して催促されかねない。ヘタに連絡を取らない方がよいだろうか。
それとも、あえて編集者と連絡を取り、それをきっかけにしてふたたび原稿執筆に弾みをつけるか???
これはかなり危険な賭けである。
…というより、僕がサッサと本を書いていたら、今ごろは僕の本がラジオで武田砂鉄氏に紹介されていたかもしれない、などと妄想したりもする。
ま、実際にはそんなこと、あり得ないんだけど、担当編集者が出演したばかりに、僕の心はそんなふうにひどくかき乱されたのである。
もっとも、その編集者は、僕のことをすっかり忘れているかもしれない。
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