ソロモンさん
いま、僕がイチ押しのYouTube配信チャンネルといえば、
そう、「とっち~ちゃんねる」である!!!
…あれ?ご存じない。
「とっちー」と言えば、俳優で劇用刺青師でおなじみの栩野幸知(とちのゆきとも)さんですよ!!
…まだピンとこない?2022年4月24日現在、チャンネル登録者数は218人である。
以前僕は、栩野幸知さんについて、このブログで書いたことがある。
「この世界の片隅に」
まさか、栩野幸知さんが、YouTube配信番組をもっているとは思わなかった!しかも、編集もかなりちゃんとしている。
番組では、映画で使用する小道具の作成過程を見せてくれたりするのだが、時折、ご自身が出演された映画の撮影秘話を話してくれて、これがめちゃくちゃおもしろい!!!
最初にこの番組を観たのは、大林宣彦監督の思い出を語った回だった。以前にも書いたように、栩野さんは、大林監督の映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群」(1988)に、劇用刺青師としてだけではなく、役者としても出演している。というか、もともと、いろいろな映画に出演されているのだ。大林映画だけでも、「おかしなふたり」のほかに、「異人たちとの夏」「野ゆき山ゆき海べゆき」「この空の花 長岡花火物語」などにも出演している。黒澤明監督の「影武者」とか、伊丹十三監督の「ミンボーの女」、片渕須直監督の「この世界の片隅に」などにも出演しているんだぞ!Wikipediaにはその辺の情報、ほとんど載っていないけどね。
この番組でおもしろいのは、黒澤明監督の映画「七人の侍」(1954年公開)について語った回だ。
七人の侍には、主役級の俳優のほか、いわゆる東宝の大部屋俳優も数多く出演している。もちろん僕は、画面にほんのわずかしか登場しない俳優のことは、むかしの映画だし、まったくわからないのだけれど、栩野さんは、まるで「生き字引」のように、抜群の記憶力で、東宝の大部屋俳優の一人ひとりのエピソードを紹介していく。まさに、野上照代さんに次ぐ「生き字引」である。
ひとり、栩野さんがどうしても好きな俳優がいた。いまでいう「推し」である。
その俳優は、名もなき野武士の役で、出演時間は一瞬なのだが、ヘンな芝居をする人で、他の人とは「半間はずれた」芝居をするので、強い印象を残したのだという。それを見て以来、その俳優のことが気になって気になって仕方がない。おそらく黒澤明監督も、撮影当時、その人の演技に、「う~む」と考えたあげく、「よし、オッケー」と、仕方なくオッケーカットにしたのではないかと、栩野さんは想像した。
後年、栩野さんが映画「影武者」のオーデションを受けたとき、黒澤監督に、
「どんな役をやりたいか?」
と聞かれて、
「『七人の侍』の…」
「七人のうち、誰だ?」
「いえ、主役の七人に憧れているのではありません。僕が憧れているのは、野武士役の人で、他の人より「半間はずれた」、ちょっとヘンな芝居をする人で、おそらく監督が困ったあげくオッケーを出したんだろうな、と想像される俳優です」
「野武士?…誰だろう?」
すると横にいた野上照代さん(黒澤映画の伝説的な記録係)が大笑いして、
「ソロモンさんですよ!」
と言うと、黒澤明監督は、
「ああ!ソロモンか!」
とそこで思い出した。
「ソロモンって、外人さんだったのですか?」
と栩野さんが聞くと、
「いや、広瀬正一だよ。ソロモン海戦の生き残りだから『ソロモン』と呼ばれていたんだ。そうかぁ、ソロモンに憧れていたと聞いたら、ソロモンのヤツ、喜ぶぞ」
と黒澤明監督は上機嫌になり、栩野さんはオーディションに合格したという。
広瀬正一は、本多猪四郎監督の映画「キングコング対ゴジラ」で、キングコングのスーツアクターをしていたという。
ところで、本多猪四郎監督の「ゴジラ」第一作は、1954年11月に公開されている。ちなみに「七人の侍」の公開は、1954年4月。栩野さんの話によれば、1954年3月の第五福竜丸のビキニ環礁での被ばく事件のあと、1954年の5月に「ゴジラ」の企画が持ち上がり、8月に撮影を開始して、11月に公開したという。
さて、そのゴジラのスーツアクターは、中島春雄である。この中島春雄も、映画「七人の侍」に斥候役で出演している。つまり、ゴジラになる前の中島春雄を見ることができるのだ。そして「七人の侍」では、「キングコング対ゴジラ」のスーツアクター同士が、すでに共演しているのである。
さて、Wikipediaの「広瀬正一」の項目によれば、「キングコング対ゴジラ」のラストシーンで、「キングコングとゴジラが共に海に見立てた大プールに落ちるシーンがあるのだが、「落下の勢いで中島春雄がゴジラに入ったまま溺死しかけたのを、キングコングに入っていた広瀬がとっさにすくい上げて九死に一生を得た」というエピソードがあるという。これもまたすごいエピソードだ。
さて、その「ソロモン」こと広瀬正一は、1971年に東宝の大部屋が廃止になったあとも、東宝の撮影所の用務員として撮影所に残り続け、ほそぼそと俳優を続けていたという。
で、栩野さんの話で僕が驚いたのは、このあとである。
広瀬正一さんの遺作は、大林宣彦監督の映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群」(1988)だという。地元のヤクザの親分の「浜の勝造」を演じたのが、広瀬正一さんだというのだ!!
えええぇぇぇっ!!!あの「浜の勝造」は、ソロモンさんだったのか!!!
…て、驚いているのは、俺だけ???というか、そもそも「おかしなふたり」じたいが超マイナーな映画で、たぶん誰も観たことがないだろう。
しかしこれはやはり驚きなのである。あの映画で、鮮烈な印象を残した「浜の勝造」は、ソロモンさんだったのか…(あまりに驚いたので2度言う)
この当時は撮影所の用務員さんだったが、たまたま声をかけられて出演したのだという。そもそもソロモンさんは電話をもたなかったので、実際に撮影所に行ってソロモンさんを見つけることでしか連絡を取ることができなかったのだそうだ。
その後、1990年代半ば頃に体調を崩し、老人ホームに入所するが、ほどなくして死去し、その正確な没年は不明だという。
…なんか、すごくない?ソロモン海戦から始まって、東宝の大部屋俳優、スーツアクター、撮影所の用務員を経て、最後、老人ホームで息絶えるまで、なんとも波乱の人生ではないか!この人が主人公の映画を作ってもいいくらいだ。こういう人たちが、黄金期の日本映画を支えていたんだね。
そしてその映画の歴史に対する敬意から、大林宣彦監督は、ソロモンさんを起用したのではないだろうか。
…て、当然この話わかってるよね、てな感じで書いているけれども、例によって誰にも通じないのだろうな。
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