果たせぬ4作目
5月5日(木)
転地療養、というと大げさだが、少し仕事のことは忘れてのんびりするつもりで、今週は山籠もりすることにし、あわよくば体力回復のために少しウォーキングもしてみようと思ったのだが、体調がなかなか思うようにいかない。「ひとり合宿」での身体への負担が尾を引いているのか、投薬期間中と重なったための副作用によるものなのか、はたまたまったく別の要因なのか。
加えて、たびたび書いているように、3400項目の専門用語の韓国語訳解説の校閲を短期間で行わなければならない、という無茶な依頼を受けて、前回はコナン・ドイルの「赤毛連盟」に自分をなぞらえたが、江戸時代に『解体新書』を翻訳した前野良沢と杉田玄白は、こんなふうに苦労して医学の専門用語を日本語に翻訳したんだな、と、追体験しているようでもあった。
そんなことはともかく。
大林宣彦監督の遺作となった映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020年公開)には、じつに多くの俳優が出演している。大林監督の晩年の作品には、出演者をこれでもかと登場させる群像劇が多く、それが、映画の祝祭感をいやがおうにも高めていた。まさに「映画、この指とまれ!」といって集まってきた俳優たちである。
この映画の、数ある出演陣の中で、とりわけ強い印象に残った俳優のひとりが、渡辺裕之であった。今、手元に資料がないので、ここから先はインターネットの情報や映画を観たときの記憶をたよりに書くが、渡辺裕之は、演劇の心得のある川村禾門上等兵の役を演じた。タイムスリップした若者たちが、戦争に巻き込まれていくなかで、彼らに対する理解者として登場している。
殺伐とした戦時下にあって、渡辺裕之演じる川村上等兵は、じつに人間味のあふれた態度で若者に接していた。その演技は、映画の中に自然に溶け込んでいたのである。
あとで、『海辺の映画館 キネマの玉手箱』のパンフレットだった何かを読んだら、大林監督の映画に久しぶりに出演できてとても嬉しい、と語っていて、過去の記憶をたどってみたら、2作品に出演していることを思い出した。
一つめは、日本テレビの「火曜サスペンス劇場」枠で放送された「可愛い悪魔」(1982年)である。大林監督が単独で演出をした初めてのテレビドラマで、いわゆる2時間サスペンスドラマというカテゴリーだが、大林監督のカルト的な映像表現が遺憾なく発揮されていて、「火曜サスペンス劇場」の中でも「屈指の傑作ホラー」と評価されている。今でも伝説のドラマとして、ソフト化されている。
主人公の秋吉久美子の新郎役として出演したのが渡辺裕之である。Wikipediaによると、渡辺裕之が初出演したドラマらしい。僕はこの作品を何回か観たが、新人らしいぎこちない演技がまだ残っていたことを覚えている。
同じ1982年に公開されたのが、和泉聖治監督の映画「オン・ザ・ロード」で、このときに渡辺裕之が主演をつとめた。恥ずかしながら、僕はこの映画をまだ観ていない。しかし、この映画の同時上映作品が、大林監督の「転校生」だったことは知っている。当初は、「オン・ザ・ロード」がメインで、低予算で作られた「転校生」は付け足しみたいな位置づけだったのだが、そのうちに「転校生」の評判が高くなり、そちらの方がよく知られた映画になった、と聞いたことがある。これもまた、大林監督との因縁めいたエピソードと言えるだろう。ちなみに言うと、和泉聖治監督はその後、テレビ朝日のドラマ「相棒」のメイン監督として活躍した。
二つめは、宮部みゆき原作の映画『理由』(2004年)である。これもまた出演俳優の非常に多い作品だったが、その中で渡辺裕之は、事件を捜査する捜査一課の警部役で出演していた。出演時間は短かったけれど、黒澤明監督の映画『天国と地獄』で仲代達矢が演じた刑事を、なんとなく彷彿とさせる。本人がそれを意識して演じたかどうかはわからない。
僕が語れるのは、たった3作品だが、三つめの『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の円熟味あふれる演技は、演出をする大林監督を満足させるに十分なものだったと想像する。大林監督がその後も映画を撮り続けていたら、渡辺裕之は、かつての峰岸徹みたいに、常連として参加するかもしれない、と僕は漠然と想像した。
インターネットを検索してみたら、渡辺裕之にインタビューをした、こんな記事を見つけた。その記事の最後の部分を引用する。
「コロナ禍で自粛期間中の(2020年)4月10日、映画監督・大林宣彦氏死去の知らせが届いた。
『その日は、(大林監督の)遺作になった「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の公開予定日でした。僕も出演していて、現場では、ずっと監督の近くで勉強させていただきました』
訃報に強いショックを受けた渡辺だったが、そのとき、監督からかけられた言葉を思い出したという。
『「映画で歴史は変えられないけど、未来は変えられるんだ」と。この作品は、戦争の歴史を、劇中映画をとして体験していくもの。観終わったあと、必ず「戦争はいけない」と思うはずです。それこそが、大林監督の遺言のような気がします』
渡辺は前を向いて、力強く語った。」(週刊FLASH 2020年6月23日・30日号)
力強い言葉は、もう聞けない。
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