小田嶋さんのいないTwitter
コラムニストの小田嶋隆さんについて書いた、フランス文学者の内田樹さんの、2022年6月24日(金)のツイートより。
「小田嶋さんと最後にお会いしたのは6月13日でした。その少し前にお電話を頂いて、「旧知の方たちに意識がはっきりしているうちに別れの挨拶をしておこうと思って」ということでした。次の週に平川(克美)君と二人で赤羽のお宅にお見舞いに行きました。」
「ベッドに横になっていて、話をするのも苦しそうでしたが、半身起き上がって「どうでもいいようなバカ話がしたいんですよ」というので、ご希望にお応えして、三人で思い切り「バカ話」をするつもりでいたのですが、話しているうちにどんどん元気になってきて、言語と文学の話を熱く語ってくれました。」
「最初の小説『東京四次元紀行』が出たばかりでしたから、その話が中心でした。1時間以上話して、別れ際に「じゃあ、元気で。またね」と手を握ると暖かくて柔らかい手で握り返してくれました。長い付き合いの最後の贈り物が笑顔と暖かい手の感触でした。素晴らしい友人でした。ご冥福を祈ります。」
「小田嶋さんが電話をくれたのは、彼の親友だった岡康道さんが急逝された時に「最後の挨拶ができなかったことが友人として悔いが残った」のでそういう思いを自分の友人にはさせたくないからという理由からでした。小田嶋さん、ほんとうに気遣いの行き届いた人でした。」
「旧知の方たちに意識がはっきりしているうちに別れの挨拶をしておこうと思って」という言葉を、みずから発しなければならないほど、すでに何日も前にお別れを覚悟していたというのが、泣けてしまう。
ライターの武田砂鉄さんも、ラジオで「6月15日に小田嶋さんのご自宅にうかがって、お話をした」と語っていたから、おそらく小田嶋さんは、これが最後の機会だと悟って、会ってお話をしておきたい人たちに声をかけていたのだろう。
内田さんのツイートの中に出てくる、岡康道さんとの友情については、以前にこのブログでも書いたことがあるが、小田嶋さんと岡康道さんとの関係については、こんな話を聞いたことがある。
小田嶋さんと岡さんとは、10年間くらい絶交していた時期がある。そのきっかけは、当時電通に勤めていた岡さんが、親友の小田嶋さんをメジャーデビューさせようと思って、そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いだったあるコピーライターとの対談を企画したことにはじまる。
対談といっても、実際には二人が直接会って対談するわけではない。会わずに、それっぽい言葉の応酬を原稿化して、対談したことにする、というものである。つまり「フェイク対談」である(余談だが、実は私も一度、フェイク対談をしたことがある)。
小田嶋さんは、この企画を「冗談じゃない!」といって突っぱねた。だいたいそのコピーライターは自分にとってはいけ好かない人物であるし、そんな人間に頼ってまでメジャーになりたくない、と。
で、そのことを、『噂の真相』という雑誌に書いちゃった。つまり、そのコピーライターとのフェイク対談が企画されていたけれど、俺は断った、というその一部始終を、暴露してしまったのである。
サア怒ったのは岡さんである。せっかく親友の小田嶋にメジャーになってもらいたいと思い、よかれと思って企画したのに、それを断った上に、雑誌に内幕をばらすとは、何事か、と。
どうやら絶交のきっかけはそういうことだったらしいのだが、その後はまたもとの親友同士に戻ったという。
で、その岡康道さんが、2年ほど前に亡くなったのだが、「最後に挨拶ができなかったことが友人として悔いが残った」と言ったのは、そのときの別れがそうとうにショックだったことを示しているのだろう。
僕が友人論のバイブルとしている、小田嶋さんの『友だちリクエストの返事が来ない午後』は、身も蓋もないような友人論が書かれている、という読後感を持ったのだが、それを書いた小田嶋さんをしても、あるいはそうだからこそ、なのか、友情への揺るぎない信頼をもっていたのかもしれない。
映画評論家の町山智浩さんが、同じく6月24日のツイートで、
「小田嶋隆さんとは30年親交がありました。遺作となった処女小説『東京四次元紀行』を読んで、あの皮肉と諧謔と洞察と警句と諦念に満ちた小田嶋エッセイの本質がわかりました。酔いどれ探偵の一人称ハードボイルド小説だったんです。 新境地を開いたところに残念でなりません。」
と書いている。「皮肉と諧謔と洞察と警句と諦念」こそが、小田嶋さんの文章の本質である。してみると、友情への諦念に満ちた『友だちリクエストの返事が来ない午後』も当然、小田嶋さんの文章の本質を示していることになるのだが、しかし小田嶋さんの文章はそれだけで終わるわけではない。諦念の先には、ほんとうの希望や信頼が生まれるのだということを、真剣に考えていたのではないだろうか。
さて、僕が小田嶋さんの立場だったら、どうするだろう。小田嶋さんのように、自分の最後を自覚して、意識がはっきりしているうちに、これまでお世話になった友人に、お別れの挨拶ができるだろうか。
どうもできそうにない。
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コメント
小田嶋さんの存在は、たしか先生のブログを拝見し知ったと記憶しています。理不尽なことの多い世の中ですが、本やTwitter等で小田嶋さんの言葉に触れることで、自分自身を保てていたような気がします。計り知れない喪失感であります。筑紫さんが亡くなったときもこういう感情を持ったなぁと。
投稿: 武蔵野市居住のH20年度卒業生F | 2022年6月29日 (水) 22時30分
追悼ツイートを見ていたら、意外なほどたくさんの人が、喪失感がハンパないと書いていた。あ、小田嶋さんだったら、「追悼ツイート」で言葉遊びを繰り広げていただろうなあ。「追悼を つい意図せずに リツイート」とか。
投稿: onigawaragonzou | 2022年7月 1日 (金) 00時09分