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めざせ完パケ

6月17日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

体調があまりよくない上に、来年のイベントのための準備作業を、ひたすら行っている。

僕は映画を製作した経験も、舞台を演出した経験もないのだが、イベント全体の構成を考え、キャスティングをし、出演交渉をし、それをふまえてさらに構成を練り直し、いろいろな人の意見を聞き、それをExcelに入力していき、それをふまえて尺を考え、尺が長すぎれば削り、短すぎれば足す…という作業をくり返すのは、監督兼プロデューサーみたいな仕事なのではないかと、勝手に想像している。

パソコンに向かってひたすら孤独な作業を続けているのだが、僕が仮に、嫌気がさしてやめてしまうと、そこから先は一歩も進まず、たくさんの人に迷惑をかけてしまうので、作業を放り出してしまうわけにはいかない。

唯一の息抜きは、往復4時間ほどかかる通勤の車の中で、ラジオを聴いたりポッドキャストコンテンツを聴いたりすることなのだ。

数年前まで在京キー局のラジオ番組のレギュラーを長い間つとめ、いまは、ローカル局の30分番組とポッドキャストコンテンツなどでトークを発信している、ベテランMCの声を、最近聴くことが多くなったという話は、前に書いた

そのMCは、下ネタをよく言ったりするので、なかなかそのノリにはいまだに慣れてはいないのだが、そうしたことを差し引いても、なぜかそのMCの独り言を、延々と聞いていられるから不思議である。

その人は、まったく別の名前で、YouTubeをひっそりはじめたというので、そのYouTubeを見てみることにした。まだ初めたばかりで、動画が数回アップされているだけなのだが、その中で、興味を引く動画があった。

それは、自分のラジオ番組を、ふだんどのように編集しているのかを、10数分でまとめた動画である。

ラジオ番組って、ラジオ局のブースに入って、ディレクターと放送作家がいて、パーソナリティーはその場でお喋りしさえすればなんとかなる、とばかり思っていたが、その人は、まるで違っていた。

地方のローカル局の30分番組を、ローカル局に行って収録しているのかと思ったら、そうではないのだ。都内にスタジオを借りて、そのスタジオで、フリートークをしたり、メールの紹介をしたりと、まず、みずからトークの素材を作る。フリートークとメールの紹介の間に、音楽を流すのだが、その音楽の選曲も行う。

そうやって録った音源を、あとはひたすらパソコンを使って、30分の番組になるように編集をする。無言のまま、パソコンのキーボードをカタカタ打つ音が、スタジオ内に鳴り響く。

もちろん、聞きやすさも考慮して、音にムラができないように調整をすることも必要である。

フリートークから、曲に移行するタイミングも大事である。

そんな、いろいろなことを考えながら、30分の番組を、たったひとりで編集する。見ていて、気が遠くなるような作業である。

こうして、30分のラジオ番組が完成し、完成した番組を放送局にそのまま納品する。こういうのをおそらく「完パケ」というのだろう。

完成した番組だけではなく、完成した番組から逆算して作成した「キューシート」も合わせて納品する。フリートークが何分から何分までで、曲が何分から何分まで、CMが何分から何分まで、みたいな、秒単位の進行を記録したものである。これをあらかじめ示しておくことで、放送局側は前もってその番組の進行を知ることができるのである。

興味深かったのは、フリートークとメール紹介の間に、必ず曲が入ることについてである。

そのMCいわく、むかしは、トークとトークの間に曲をかけるのは、それだけトークの時間が短くなると言うことだから、なるべく曲をかけないようにしていたのだが、東日本大震災以降、突発的な災害を伝えるニュース速報を伝えるための対策が必要になってきた。収録した番組が30分ずっとトークばかりだと、トークにかぶせてニュース速報をアナウンサーが読まなければならず、それはあまりほめられたものではない。トークが終わり、曲がかかったタイミングで、曲の音量を下げて、ニュース速報を伝える方が、リスナーにとっても聴きやすい。だから東日本大震災以降は、曲をかけるタイミングを作ることになった。番組の完パケに合わせてキューシートも納品するのは、あらかじめ曲のタイミングがいつなのかを放送局側に知らせるためである。…と、こういうことらしい。

なるほど、よく考えられている。そこまで神経を使いつつ、30分番組の編集をひとりで厭わずに行っていることに、僕は感動した。僕はそのMCが、おちゃらけた感じのキャラクターであるにもかかわらず、なぜこの業界で長く重宝されてきたのか、その理由が、わかった気がしたのである。満足がいくまでみずからが音源を編集し、納得のいく完パケに仕上げるまで責任を持つラジオパーソナリティーは、そうそういるものではない。最近安易に使われる「ラジオ愛」ってなんだろう、と考えさせられる。

そういえば、大林宣彦監督の映画のメイキング映像でも、撮影の細部に徹底的なこだわりをみせ、編集も、部屋にこもって納得がいくまで孤独な作業を続ける、という姿をよく見てきた。ものづくりというのは、元来そういうものなのだろう。好きではないと、続かないな。

してみると、いまの僕の仕事は、僕ができる精一杯の力量で、納得がいくまで作業を進めるしかない。ま、あたりまえの結論なのだが。

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