往復書簡
6月6日(月)
往復書簡を読むのが好きである。
以前、お笑い芸人のオアシズというコンビの『不細工な友情』という本を読んだ。大久保佳代子と光浦靖子による往復書簡をまとめた本なのだが、これがとてもおもしろかったと記憶している。しかし残念なことに、引っ越しの時にその本をブックオフに売ってしまった。いまになってまた読みたくなったが、惜しいことをした。
しかし、『不細工な友情』は、読まれることを前提にした往復書簡で、巷で出版されている往復書簡集は、たいていは、公開を前提としたものなのだろう。さらにおもしろいのは、公開を前提としない往復書簡なのではないだろうか。
昨日のオンライン会合で、1時間から1時間半ていど、話をしなければならなかった。
話す内容は、以前にもこのブログに書いた、米国在住の日本人ジャーナリストから依頼された、手帳の解読についてである。現在までのところ、結論めいたものは得られていないのだが、昨年の夏、苦労して調べたことが埋もれてしまうのがもったいないと思い、せっかくの機会なので、その調査の顛末をお話しすることにしたのである。
しかし、あの複雑な手帳を、どのように調査をして、どのようなことがわかってきたか、第三者にわかるように説明するのは至難の業である。困ったあげく、その米国在住の日本人ジャーナリストと僕との間で交わされたメールのやりとりを紹介して、その試行錯誤の過程を追体験してもらおうと考えた。この種の会合の発表では、ふつうはやらないような禁じ手である。
それぞれがその手帳について調べ、わかったことがあれば、それをメールでお伝えする、というやりとりを、繰り返してきたのだ。つまりはそのメールのやりとりを公開することを考えたのだが、米国在住のジャーナリストに相談すると、
「ぜひお願いします。これで少しは私たちの苦労も日の目を見るでしょう」
という返信をいただいた。
そこで、昨年の夏から秋にかけて交わされた、メールをまとめる作業をした。時候の挨拶とか、あまりに枝葉の部分などは除き、調査に関係のある文章だけを取り出して、編集作業を行った。
あらためて交わされたメールを時系列的に追っていくと、1日に何往復かしている日もある。短期間に、ものすごい勢いでメールのやりとりを行っていたのだということに、我ながら驚いた。
やりとりしたメールを編集してみると、3万字ほどになった。400字詰め原稿用紙で75枚程度である。時候の挨拶とか、わかりにくくて省略したところも含めたら、原稿用紙100枚は優に越えているかも知れない。
もちろんこれは、公開を前提としていないメールなので、第三者が読んでみてもなかなかわかりにくい。しかしそのわかりにくさも含めて、こういうことは一筋縄ではいかないのだ、ということを知ってもらおうとしたのである。
結果的に、この試みは、なかなかうまくいかなかった。僕の体調がいまいちだったこともあり、説明はボロボロになり、おそらく聞いているほうは、「1時間かけていったい何を聞かされているのだ?」という感想を持った人が多かったのではないかと思う。
「おまえのようなド素人があーでもない、こーでもないと考える前に、なぜ最初にその道の専門家に頼らなかったのか?」という趣旨の意見を、やんわりとおっしゃってくれる人もいた。たしかにその通りである。延々と、あーでもない、こーでもないという結論のないメールのやりとりを聞かされても困るというのが、この業界における最も健全な反応である。だからこの方法は「禁じ手」なのである。
しかし、僕にとっては、そんな業界内の健全な常識など、どうでもよかった。僕にとっては、この手帳の謎を解明するために、往復書簡の如くメールをやりとりした事実こそが、重要なのである。それは、ドキュメンタリーであり、メイキングなのだ。
ちなみに、メールをやりとりした米国在住の日本人ジャーナリストとは、まったく面識がない。コロナ禍の影響もあり、その方は日本に帰国する機会を逸しているという。まったく面識のない人と、往復書簡の如くメールのやりとりをしたというのも、なかなか不思議な体験で、何よりそうした往復書簡を読むことが、僕自身、好きなのである。
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