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ひょっこりひょうかんじわ

これはたぶん私家版なのだと思うが、『往復書簡 ひとりになること花をおくるよ』は、写真家の植本一子さんと作家の滝口悠生さんが、コロナ禍の2021年11月から2022年4月20日まで16回にわたってやりとりした往復書簡集である。メールのやりとりではなく、実際に書簡を往復させたようである。

滝口さんには1歳の娘さんがいるそうなのだが、そこで語られている言葉が、わかるわかる、といった感じなのだ。

「一歳を過ぎてからの変化は日々めざましいものがあります。たぶん喉を使って音を出したり、これまでと違う舌の使い方を覚えたことで、アルファベットで表すと、gr gr gr とか、krrrみたいな声を上げます。これまでは「んまー」とか「ぱっぱっぱ」とか、いわゆる喃語らしい音だったのですが、最近の音は僕の耳にはとても新鮮で、ちょっとモンゴルとかロシアとかの言葉みたいに聞こえます。日本語の音声が身体化している僕は同じ音を出そうと思ってもなかなか真似できません。母音と子音を組み合わせた発音はまだできないから、日本語にはないような子音の音を出したり、子音を続けて発音したりしているようで、言葉ができあがる過程を見ているみたいでおもしろいです」

これは僕も感じたことである。1歳から2歳くらいのころ、娘の発する音が、韓国語のパッチムのように聞こえることが、よくあった。だがそれは、僕はたまたま韓国語の発音を習ったことがあったから、娘の発音の仕方がパッチムのように聞こえたのであって、ドイツ語の発音になじんでいる人にとっては、ドイツ語の発音に聞こえたかもしれないし、フランス語の発音になじんでいる人が聞いたら、フランス語のリエゾンのように聞こえたのかもしれない。

つまりここから言えることは、1~2歳児は、言語の習得に関するあらゆる可能性を持っているということである。それが、成長するにつれて、日本語の発音が身体化していくのである。

4歳2か月の娘はいまや、かつてのような発音が次第に淘汰され、ほとんど日本語の発音が身体化しつつある。それが少しさびしい。

また、滝口さんは、こんなことも書いている。

「日々できることが増えることは、そばで娘を見ているものとしては嬉しいですが、同時に感じるのはその過程そのものや、その過程にあって親しみを覚えはじめていた娘のしぐさや言動を楽しめる時期があっという間に過ぎ去ってしまうことのかなしさです」

このことを実感するのは、娘の歌う歌を聞いているときである。人から聞いた歌や、テレビから流れてくる歌を、聞こえたなりに娘が歌うのだが、歌詞がかなりおかしい。

最近、娘がハマっているもののひとつが、「ウルトラマン」である。映画「シン・ウルトラマン」を劇場で観て以来、毎日のように、以前僕が買った、オリジナルの「ウルトラマン」とか「帰ってきたウルトラマン」のDVDを見ている。最近の口癖は、「ハヤタ~」であり、マムシさんの最近の写真を見て「あ、アラシ隊員だ!」と同定したりする。どんな4歳児なんだ?!

もちろん「ウルトラマン」の歌も歌うのだが、もう一つ、いま盛んに歌っているのが、「ひょっこりひょうたん島」の主題歌である。こちらの方はたぶん、保育園で習ってきたのだろう。

「ウルトラマン」だとか「ひょっこりひょうたん島」だとか、1960年代の歌しか歌わないのが可笑しい。

で、「ひょっこりひょうたん島」は、振りつけを交えて歌うのだが、歌詞がところどころ、不正確なのである。

「泣くのはイヤだ、笑っちゃおう♪」

のところは、

「泣くならいまだ、笑っちゃおう♪」

と歌うし、最後に、

「ひょっこりひょうたん島♪ひょっこりひょうたん島」

とくり返して歌うところは、

「ひょっこりひょうかんじ~わ♪ひょっこりひょうかんじ~わ♪」

と歌うのだ。

これも、もうしばらくすると、正しい歌詞に直ってしまうのだろうと思うと、この間違った歌詞を聞いているいまが大切な時間に思えてくる。

だから、滝口さんの言う「親しみを覚えはじめていた娘のしぐさや言動を楽しめる時期があっという間に過ぎ去ってしまうことのかなしさ」という言葉は、よくわかるのである。滝口さんの言葉は、どれもじつにしっくりくる。

ちなみにこの本、巻末に武田砂鉄氏が一文を寄せている。実はそれが目当てでこの本を入手したのだが、この巻末の一文も、往復書簡の雰囲気に呼応していて、じつに味わい深い。

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