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渋谷駅の受難

6月8日(水)

今日は、都内某所で写真撮影である。

…と言っても、僕が被写体になるわけではない。うちの職場のカメラマンが、都内某所で写真撮影をするのに立ち会うという仕事である。

僕にはカメラについてまったくの素人なので、アシスタントとしても役に立たない。文字通り、ただ立ち会うというだけである。

「ひとつ、お願いしてもいいですか」

前日に、その若いカメラマンが僕に言った。

「なんでしょう?」

「明日の撮影、カメラの機材が多すぎて、ひとりでは運べないので、機材の一部を運んでいただけないでしょうか」

「わかりました」

僕の仕事といえば、先方に挨拶をして、あとは撮影にボーッと立ち会うというていどだったので、機材の運搬を手伝えば、少しは「仕事をした感」を味わえるというものだ。

「何を運べばいいんでしょう」

「これです。すでに荷物は詰めています」

見ると、ゴルフバッグ状の長いかばんである。持ち上げてみると、けっこう重い。

「明日、現場まで持ってきてください」

撮影現場には駐車場がなく、公共交通機関でたどり着くよりほかに方法がないので、その若いカメラマンも機材を車で運ぶことができず、分担して機材を運ばざるをえないと、こういうわけである。

そして今日。

目的の場所に行くためには、渋谷駅で私鉄に乗り換えなくてはいけない。

僕は、何がイヤだといって、渋谷駅で乗り換えをすることほどイヤなことはない。渋谷駅が複雑すぎて、いつも迷うのである。しかも今回は、重い機材を運びながら乗り換えなければならないときている。

僕は憂鬱な気持ちで自宅を出て、最寄りの駅から電車に乗った。

渋谷駅に到着すると、案の定、乗り換えの駅の場所がわからない。若いときの記憶を頼りに、私鉄の乗り換え口をめざすのだが、ハタと気がついた。

(そうか、いまは乗り換え口が高架ではなく、地下だったんだ…)

階段でえっちらおっちら高架下に降り、いったん駅舎の外に出て、さらに地下の入り口に入る。

下りのエスカレーターなどというものはなく、ひたすら階段を使って地下深くに降りていく。まったく、人間工学を考えていない作りになっている。

渋谷駅が再開発されてきれいになったとはいうけれど、乗り換えがとても不便になったと感じるのは、僕だけだろうか。

ただでさえ体調が悪くてしんどいのに、そのうえリュックを背負い、さらには右肩にゴルフバッグ状の重いかばんをかけている。

歩いているうちに、右肩にかけている長いかばんが、重さでどんどん肩にのめり込んでいく。そのうち肩がとれるんじゃないか、と思ったところで、ようやく私鉄の改札口に着いた。

無事に私鉄に乗ることができたのだが、まだ安心はできない。

撮影現場に行くためには、途中の駅で私鉄の別の路線に乗り換えなければならないのである。

荷物が軽ければ、どうってことはないのだろうが、重い荷物を抱えての乗り換えというのは、地味にきつい。

乗換駅のホームに降りて、愕然とした。

別の路線に乗り換えるためには、いったん階段を降りて、また階段を上らなければならないのである。考えてみればあたりまえなのだが、それにしても、エスカレーターがないというのは、どういうわけだろう?

渋谷駅からその私鉄の乗換駅まで移動していたときからなんとなく気づいていたが、この私鉄は、エスカレーターを作らない方針なのか?というくらいにエスカレーターがない。いや、さがせばあるのかもしれないが、さがして見つかったとしても、そこまで移動するのにまた時間がかかる。

いろいろな事情で階段を使うのが困難な人にとっては、その私鉄を乗りこなすのは、至難の業なのではないだろうか?

渋谷駅も含めて、もともと、そういう人を想定しない設計になっているのかもしれない。

自宅の最寄りの駅から3つの路線を乗り継いで、なんとか目的の場所に着くと、すでにカメラマンは到着していた。見ると、僕よりはるかに重そうなかばんをいくつも抱えていた。彼の大変さは、僕なんかの比ではなかっただろう。

撮影は無事に終わり、また同じかばんを肩にかけて帰途についた。帰り道が行きよりもツラく感じなかったのは、慣れてしまったからだろうか。

雨が降らなくてよかった。

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