名画座の思い出だけを抱いて死ぬのだ
6月18日(土)
ある作家の、最初に読む作品をどれにするかというのは、けっこう重要なことかもしれない。
僕の場合、桐野夏生は『OUT』だった。これは、フジテレビで放映されたドラマの影響である。
小川洋子は『博士の愛した数式』。これも映画の影響。
伊坂幸太郎は、『オーデュボンの祈り』。これは、数年前にある人に薦められて。
東野圭吾は、たぶん『白夜行』だったと思う。ただしこれは、後から映画やドラマを観た。「原作のイメージと違う!」と怒りまくった記憶がある。
さて、僕が最近直面したのは、原田マハである。
読みたいとは思いつつも、何を最初に読んだらいいのか、わからなかったので、なかなか踏み出せなかった。
ただ、少し前に、山田洋次監督が『キネマの神様』という映画を製作して、その原作が原田マハであることを知り、とりあえず、その映画の公開に合わせて、原作の文庫本を入手しておいた。映画を観てから読もうかとも思ったが、結局、映画は観ていない。
この日の夜、ふと、この本のことが気になり、読み始めたところ、止まらなくなってしまい、最後まで読み切ってしまった。
ストーリーが、ご都合主義的な展開という感じがしなくもないのだが、まあそこはそれ。そのストーリーテラーぶりに心地よく身を任せることができさえすれば、それで十分なのである。
何より、小説の中に登場する実在の映画の多くが、僕のこれまで観てきた映画と重なっていたことが、共感しつつ読むことができた理由である。
この小説では、『ニュー・シネマ・パラダイス』がかなり重要な作品として登場する。この映画を持ち出すのは反則だろ!とも思うのだが、「映画館への愛」を主たるテーマとするこの小説では、この映画を取り上げないわけにはいかない。
もう一つ、『フィールド・オブ・ドリームス』も、重要な作品として登場する。『ニュー・シネマ・パラダイス』とならんで、1989年に日本で公開された映画で、僕も大学生の時に劇場で観た。扱われている作品が、僕が若い頃に観たど真ん中の映画ばかりなのである。
それでいて、古い映画についての言及も数多くされている。いわゆるシネコンとは対照的な名画座も、この小説の重要な位置を占める。学生時代、僕は名画座にもよく行った。
つまりこの小説は、僕が学生の頃に体験した、劇場でロードショー公開された作品と、名画座などで観た古い作品のオンパレードで、20代の頃の僕の映画に対する、ある感慨みたいなことを、ファンタジーとして描いてくれているのである。ちょっと大げさな言い方かもしれない。
さて、問題は、この小説を映画化した山田洋次監督作品を、観るべきかどうか、である。
インターネットの情報などによると、原作をかなり改変しているらしい。たしかに原作をそのまま映像化するのは、いささか地味な感じはするのだが、最近テレビで放映された『ダウンタウンヒーローズ』を観て懲りてしまった気持ちをまだ引きずっているので、しばらくは観ないほうがよさそうである。
名画座、で思い出した。
僕が名画座で観た映画として、いまでも印象に残っているのが、高峰秀子主演の『浮雲』と、佐野周二主演の『驟雨』の二本立てである。どちらも監督が成瀬巳喜男なので、おそらく「成瀬巳喜男特集」として上映されたものだろう。どういう経緯で観に行くことになったのかは覚えていないのだが、観に行った状況についてはよく覚えていて、その状況を含めて、自分にとって印象深い体験となったのである。いまでもそのときの古びた映画館の様子や、古びた映画館特有の「におい」、そのときのお客さんの様子、などを、思い出すことができる。
しかしその映画館の場所がどこだったのか、具体的になんという映画館だったのか、といったことは、覚えていない。映画を見終わってから新宿の居酒屋に入った記憶はあるから、新宿の近くの名画座だったのだろうか。
もう覚えているのは、この世で僕だけかもしれない。その名画座は、現在でも残っているのだろうか。名画座の「思い出だけを抱いて死ぬのだ」(by大竹まこと)。
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