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2022年7月

病歴話芸

7月30日(土)

午後から2本のオンライン会合がある。そのため、午前中のうちに近所のかかりつけのクリニックに行って、常用する薬を処方してもらわなければいけない。

それにもうひとつ、「ひとり合宿」中に、ある懸念が生じて、その懸念を払拭するために別の新しい薬を服用したほうがいいのではないか、と指摘されたこともあり、できるだけ早くクリニックに行きたいと思ったのである。

それは、僕も以前から薄々感じていたことで、ここ最近の体調不良は、それが原因なのではないかと思っていたところだった。

しかし、不安なのは、かかりつけのクリニックの医者の先生が、どうも「アレ医者」な感じの人なので、相談して大丈夫なのか、自信がなかった。

しかし背に腹は代えられない。とにかくかかりつけのクリニックに行くことにした。

まだ朝9時半過ぎだというのに、日差しがものすごく強くて、歩いていると溶けてしまいそうな暑さである。

そうしたらあーた、クリニックが臨時休診日ではないか!えええぇぇぇっ!!

本来は、先週に診察に行く予定だったのだが、忙しくて行けなかったので、1週間後の土曜日でいいや、と高をくくっていたところ、まさかの休診日だったのである。

どうしよう。薬を切らしてしまうと、この暑さである、尿酸値が上がって痛風の発作が起きてしまう恐れがある。

家族に聞いたところ、近くにあるもうひとつの診療所がいいのではないかと紹介された。う~む。近いとは行っても、この暑さで、別のクリニックまで歩くのはめんどうくさい。しかし、来週も忙しいので、かかりつけのクリニックに次に行く機会は、来週の土曜日になってしまう。とてもそこまでは待てない。考えたあげく、別の診療所まで歩くことにした。

しかし、その診療所の場所が、よくわからない。Googleマップで見ても、それほど距離は遠くないのだが、わかりにくい場所にあるのである。汗だくになりながら歩きまわり、道をたずねながら探したところ、ようやく見つかった。ふつうの住宅街の中にあり、ふつうの家を改装したようなこぢんまりした診療所である。

(大丈夫かなあ)ますます不安になった。

ドアを開けると、ふつうの家の玄関みたいなスペースのところに受付と待合室があり、数人の患者が所狭しと丸椅子に座って診察を待っている。

「予約してないんですけどいいですか?発熱はしておりません」吹き出した汗を拭いながら僕は言った。

「どうぞ。どうしましたか?」受付の女性がたずねた。

僕は、かかりつけのクリニックが休診日なので、代わりに薬を処方してほしい、それと、もうひとつ新たに懸念される病気の可能性があるので、それについても診てほしい、と伝えた。

「常用のお薬を代わりに処方することはできますが、新しく別の薬を処方できるかは、(かかりつけのクリニックが判断するのがスジなので)ちょっとどうなるか…」

「ああ、そうですか…」

僕は、常用の薬よりも、もうひとつの薬のほうの処方を期待していただけに、ちょっと落胆した。

しばらく待ったあと、診察室に呼ばれた。若い先生である。

「どうしましたか?」

僕は、これまでの僕の、複雑な病歴を、順を追って簡潔に伝えた。考えてみれば、僕は自分の複雑な病歴を伝えるのが、我ながら実に的確である。複雑な病歴を語るのに澱みがない。「病歴話芸」というべきか。ダース・レイダーさん流にいえば「Ill Communication(イル コミュニケーション)」である。「病歴漫談」で全国を回れるかもしれない。

僕の複雑な病歴を聞いた先生は、瞬時に理解したようだった。

「ちょっと心音を聴きます」

と、僕の胸に聴診器をあてた。これもまた新鮮である。かかりつけのクリニックの「アレ医者」は、いまだかつて僕の胸に聴診器をあてたことがない。これ一つとってみても、目の前にいる先生のほうが信頼できる。

「心臓の音は異常がないですね」

「そうですか」ひとまず安心した。

「わかりました。薬は2週間分出します。もうひとつの新しい薬のほうも、とりあえず最少の量で2週間分出して様子を見ましょう。その間に、かかりつけのクリニックの先生のところに行ってご相談ください」

「わかりました」

じつに適切な対応だった。おかげで懸案だった新しい薬も処方してくれることになった。

これで2週間服用して、あるていどの効果が出れば、その結果をもってかかりつけのクリニックの「アレ医者」に提示でき、同じ薬を引き続き処方してくれることになるだろう。そこまで見越した、先生の対応だった。

というか、かかりつけのクリニックを変更したい。

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あやとりのように絡まり合う

7月29日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!というか、生還しました!

今回の「ひとり合宿」は、思いのほか過酷だったなぁ。

「ひとり合宿」の時には、仕事とは関係のない小説を読むことに決めている。

今回のお供は、1冊目が、小田嶋隆さんの小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス、2022年)である。小田嶋さんの最初で最後の小説であり、遺作でもある。小田嶋さんのコラムの文体を彷彿とさせながら、同時に見事に小説の文体になっていた。

もう1冊が、チョン・セラン著、斎藤真理子訳の小説『フィフティ・ピープル』(亜紀書房、2018年)である。この本も、前々から読まなきゃと思いつつ、なかなか踏ん切りのつかなかった本である。

たまたま手にとったこの2冊、読んでみて、実はすごく共通していることに気づいた。両方とも、「連絡短編小説集」なのだが、その手法が、非常によく似ているのである。

『東京四次元紀行』のほうは、東京二十三区の一つ一つの区を舞台に、それぞれの登場人物による短編小説が繰り広げられていくが、そこに登場する人物は、一見バラバラのようでいて、実は微妙に絡み合っている。こちらの区で主人公だった人物が、別の視点で、別の区のところに登場したりする。だから「短編小説」でもあり「連作小説」でもあるのだ。

その構造は、『フィフティ・ピープル』でもまったく同じである。物語の軸となるのは、ある大学病院なのだが、物語のすべての舞台が大学病院の中なのではない。登場する50人の人生が、大学病院の中や周囲で、微妙に絡まりながらそれぞれの物語を形成していく。

この本の帯には、「50人のドラマが、あやとりのように絡まり合う」と書いてあるが、まさにその通りである。

そして『東京四次元紀行』もまた、23区それぞれに登場する人物が、あやとりのように絡まり合いながら、不思議な世界を作り上げていく。この区で主人公だった登場人物が、あちらの区では別の視点から語られる、という手法は、まさに『フィフティ・ピープル』と同様である。

読むほうとしては、その絡まり合ったあやとりをときほぐす、という楽しみもあるのだ。

チョン・セランさんは1984年生まれで、「韓国文学をリードする若手作家」(帯文)である。そのみずみずしさとエネルギーが、このような手法の小説を生んだ。

これに対して小田嶋隆さんは1956年生まれ。何が言いたいかというと、小田嶋さんは、まるで若手作家のように、じつにみずみずしい手法で初小説に挑戦したということである。

はたして、小田嶋さんは、『フィフティ・ピープル』を読んでいたのだろうか?あるいは意識していたのだろうか?それとも読んでいなかったのか?僕はいささかその点に興味があるのだが、どちらにしても、連作短編小説集という手法を選んだことは、最初から挑戦的な小説を書くことを意識していたことに、変わりないのだ。

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まだ週の前半

7月26日(火)

明日から始まる「ひとり合宿」を前に、仕事をできるだけ片付けてしまおうと思ったら、とんでもない量のメールを書くことになった。

もう最後の方は、来たメールを読む気になれず、そのまま担当部署に転送して、「頭がはたらかないので、詳細は来週」とだけ書いた。

それ以外に、月末締め切りの仕事をいくつか提出しなければならない。

土曜日に行われるオンライン会議の会議資料の締め切りが木曜なのだが、木曜は「ひとり合宿」中なので資料が提出できない。仕方がないので今日のうちに送らなければならない。A4で2枚程度と言われていたものを、まとめていたらA4で9枚になってしまった。この内容を2枚に圧縮する時間も気力もないので、そのまま送ることにした。

会議出席者全員に送ってくれ、とのことだったが、まだだれからも資料が来ていないということは、僕が一番乗りということになる。

先方に、

「今週土曜日の会議資料をお送りいたします。枚数が多くなり、かつバランスの悪いものになってしまい申し訳ありません。ほとんどはメモ代わりに書いただけですので、当日は10分以内で説明は終わります」

とメールを書いたら、

「土曜日の会議にむけて、非常に詳しく充実した資料をご用意くださいましてありがとうございました。お一人10分ほどで、などとお願いするのが申し訳ない気がいたしますが、当日はどうぞよろしくお願いいたします」

と返信が来た。

いや、俺は別にやる気があるわけじゃないんだよ!めんどくさいだけなんだ!

この仕事にやる気があると思われたら困るなあ。

もうひとつ、今月末必着の、講演会資料も、もうこれでいいや、と諦めて送った。

「ひとり合宿」の前に体調を整えなければいけないのに、これではヘトヘトの状態で「ひとり合宿」を迎えることになる。

書くことがなくなったので、どうでもいいことを書く。

僕がたまにオンライン会合でお目にかかる方が、選挙ライターの畠山理仁さんにそっくりなのだ。顔も、声も、ひげの生え方も、そっくりである。

僕はその人を画面越しに見るたびに、畠山理仁さんのことを思いだし、畠山理仁さんが動画サイトで喋っている姿を見るたびに、その人のことを思い出す、というくらいなのである。

しかし決定的な違いは、畠山理仁さんの話はめちゃくちゃおもしろいのに対し、その人の話すことは、たいした内容ではない、ということなのだ。畠山理仁さんのような声や口調で、何かいいことを言ってそうに聞こえるのだが、よくよく内容を分析してみると、たいしたことを言ってないということに気づくのである。

逆にその人の効果で、畠山理仁さんの選挙についてのおもしろい話が、いくぶん差し引かれて僕に伝わっているのではないかとも勘ぐってしまう。

その人には、まだ実際に対面で会ったことがない。実際に対面で会ったら、畠山理仁さんとは似ても似つかない可能性もある。

…疲れた頭で、俺はなんというどうでもいい話を書いているのだ??だいいち、畠山理仁さんに似ているその人に対して失礼ではないか!

「ひとり合宿」が終わった朝に、気づいたら小さな虫になっていた、ということにならないようにしよう。

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不安な説明会

7月22日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週は落ち込むことがあったが、まあくよくよ悩んでもどうなるものではないので、そのときになったら考えよう。

それよりも今日は、午前に1つ会議、午後に1つの会議と1つの研修会がある。ほとんど休みがない。

そればかりか、午後の会議というのは、僕が責任者となる来年のイベントの社内向け説明会である。同僚の目が光っているので、いいかげんな説明はできない。社内メンバーから総スカンを食らわないように、周到に準備をしたつもりなのだが、どうにも自信がない。

会議の司会者に、

「説明は1時間でおさめてくださいよ。そのあと30分が質疑ですから」

と言われたので、

「わかりました。2時までですね。おそらく1時間もかからないと思います」

と答えた。

会議室が配信会場となるオンライン形式の会議である。会議室の前方には大きなスクリーンがある。僕のほかに、関係スタッフ4名ほどがおり、それぞれ、パソコンを持ち込んでいる。

午後1時開始。僕も自分のパソコンを持ち込み、Zoomのマイクをミュートにして、会議室のマイクに向かって喋った。その音を拾って、画面の向こうの各自に音声が届くようになっている。

先日の、使い慣れないオンライン会議システムとは異なり、Zoomなので、今回は楽勝だな。

…と思ったら、全然そうじゃなかった。

僕が喋ろうとすると、ハウリングを起こすのである。

Zoomのマイクをオフにしていることを何度も確認しているのに、ハウリングがやまない。一緒にいたスタッフも慌てだした。

画面の向こうにいる同僚のひとりが、たまりかねて、

「そこにいる全員の人のZoomのマイクがオフになっていますか!」

と何度も確認してくるのだが、同じ部屋にいる全員のマイクが、オフになっている。

それでもハウリングがやまないのはどういうことか?

「スピーカーもですよ!」

と言われて、初めて気づいた。僕のパソコンのスピーカーがミュートになっていなかったので、それが原因でハウリングを起こしていたのである。

パソコンのスピーカーをミュートにしたら、あら不思議、それまでの不快なハウリングがすっかり消えて、音声がじつにクリアになった。

この間、7分程度。1時間のうち、7分も無駄にしてしまった。

そこで初めて気づく。オンライン会議システムがどんなに使い慣れたものでも、「ヒューマンエラー」によるトラブルはつきものなのだと。

気を取り直して、説明を開始した。

説明資料の4分の1まで終了した時点で、

「説明終了予定の2時まで、あと10分です」

という紙がまわってきた。

えええぇぇぇ!まだ4分の1までしか話してないよ!!

そのメモを見て急に焦ってしまい、残りのスライドは駆け足になり、なんとか予定より10分延びて終了した。

そのあとの質問はほとんど出ず、予定よりも5分早く説明会が終了した。

僕の説明は伝わったのだろうか?それともあまりにアレで呆れて何も言う気にならなかったのか、よくわからない。まあ気にしても仕方ない。

しかし、よくよく考えてみると、予定より7分遅れで始まったのだから、「予定より10分延びた」と言うことは、実質3分しか延びていないと言うことである。

しかも質疑がほとんど出ず、5分早く終了したんだったら、あと5分よけいに喋ることができた。

どうせなら、もう少し予定の時間をオーバーして喋ればよかったと悔やまれた。というか、僕が準備したパワポのスライドをきっちり説明するとなると、1時間半くらいは必要になる計算になる。ショート(予定の時間よりも短く終わること)が大の苦手の僕は、どうやらまたスライドを作りすぎてしまったようである。

結論。オンライン会議システムは、どれもあまり変わらない。使う人間のほうの問題なのだ。

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ある授業の思い出

7月21日(木)

「宅急便で本が届いているよ」と、実家から連絡があった。

「誰から?」

「高校の第○○期卒業生の××という人から」

第○○期、というのは、僕の代よりもはるかに上である。それに名前にも心当たりがない。

「開けてみて」

開けてもらうと、ある新興宗教団体の発行している本だった。

新興宗教団体、といっても、いま世間を賑わしている、あの団体ではなく、ま、それとちょっと近いのだが、政界に参入しようとしている、有名な団体である。

同窓会名簿をたよりに、おそらく片っ端から本を送っているのだろう。まったく、迷惑きわまりないのだが、いままでそんな本が送られてきたことはなかった。

これは邪推だが、ここ最近、政治と宗教の関係が取り沙汰されていて、そこに危機感を抱いた別の新興宗教団体が、私たちはあやしいものじゃございません、これを読んでいただければおわかりになるはず、と、片っ端から本を送る運動を行っているのではないだろうか?だとしたら逆効果だと思うのだが。

新興宗教団体、ということで思い出した。

大学1年生の時、宗教史の授業を受講した。その先生は、その分野ではたいへん有名な先生である。

授業の内容に、僕は面食らった。

ある一つの新興宗教団体を対象にし、その信者のもとにインタビューに行くことが、受講生一人ひとりに課されたのである。それも、学生ひとりにつき、5~6組の信者の家に行くのがノルマとして課された。

その新興宗教団体は、ほとんど聞いたこともない名前の団体であった。

当然、受講生のひとりである僕にも信者へのインタビューが割り当てられたのだが、住んでいる場所を考慮して割り当てられたものの、隣県に住む信者にもインタビューに行った記憶がある。交通費は自腹だったと思う。

一人ひとり、僕が電話でアポを取り、日程を調整して、個人のお宅にお邪魔したのである。いまだったら考えられない授業だよね。

インタビューの質問事項は、なぜその新興宗教に入信したのか、とか、入信して自分のどういうところが変わったか、とか、そういった内容だったと思う。

当然ながら、あらかじめその先生から新興宗教団体には話を付けてくれていたので、インタビューにはみなさん快く応じてくれた。

ご夫婦でインタビューに答えてくれる人もいれば、おひとりで答えてくれる人もいた。誰ひとりとして悪印象の人はいなかったと記憶している。むしろ僕の先入観とは違い、みんなごくふつうの人のように思えた。

目の前でインタビューしている僕を、その宗教に勧誘しようとした人は、誰ひとりいなかった。

それらをレポートにまとめて提出することで、単位をもらうことができた。

授業期間の最後の方で、先生の引率のもと、その新興宗教団体の集会に参加させられた。

都内23区のはずれのほうに、その新興宗教団体の施設があり、行ってみると、畳敷きのだだっ広い大広間みたいなところに、集まった信者がすし詰めの如く座っていた。

(信者の数がこんなにいたのか…)小さい団体ながら、老若男女さまざまな人がいることに僕は驚いた。

その集会で何をやるかというと、この宗教に入信してよかったこと、ためになったことを、何人かの信者がスピーチをする、というものだった。

教祖はすでに亡くなられたそうで、教祖の思い出話をする人もいた。狂信的、という印象はまったくなく、それぞれの人がじつに穏やかにスピーチをしていた。

僕が一番記憶に残っているのは、ある若い女性のスピーチである。この宗教に入信して、自分が変わったことについて述べていた。

公共施設とか他人の家とかのトイレをお借りしたとき、いままでの私は、用を足してトイレのスリッパを脱ぐとき、脱いでそのままにしていたのだが、いまは、あとに入ってくる人がスリッパを履きやすいように、スリッパの向きをトイレのほうに揃えてからトイレを出るようになった、と、そんな内容だった。

それを聞いていた僕は、それ、宗教とあんまり関係ないじゃん、と思ったのだが、逆にその宗教団体の本質は、そこにあったのではないか、とも思えたのである。

インタビューに答えてくれた方々が、どなたも快く迎えてくれたのも、おそらくそういうことなのだろう。

僕はその宗教に入信しようとは決して思わなかった。要は心の持ちようなのだ。心の持ちようによって行動が変わる、ということがわかれば、僕にとって宗教は必要ない、と確信したのである。一方で、その心の持ちようについて迷っている過程において、宗教が必要な人もいるのだろう、と。

いまはコンプライアンス的に、こんな授業はとてもできないとは思うが、僕にとっては貴重な体験だった。

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不安な学習会・完結編

7月20日(水)

さて、本日が本番の、オンライン学習会はどうだったのか?(誰も気にしていないと思うが…)。

午前中の接続テストはうまくいった!

音声もとてもクリアに聞こえ、パワポの画面共有もストレスなく行うことができた。

なんだ、取り越し苦労だったのかよ。これで問題なく本番を迎えられる。

午後、本番の30分前に入室し、接続がうまくいっていることを確認し、いよいよ自分の番が始まるというときになって、

「ちょっとお待ちください!」

と、ストップがかかった。

先方の画面がオフになっていて、ヒソヒソ、ヒソヒソ、と声が聞こえるのだが、いったい何が起こっているのか、わからない。

そのうち、先方のコーディネーターの方が、何やらしゃべり出した。

それを聞いていたもうひとりの講師の先生が、たまらず口を出した。

「いまは、鬼瓦さんが話す時間でしょう?なんであなたが話してるの?」

もうひとりの講師の先生も、僕と同じくオンライン参加なので、配信会場で何が起こっているかわからないらしい。

「場をつないでるんですよ!」

どうやら、配信会場には何人か集まっていて、僕の講義が中断されている間、その方が場つなぎにお喋りをしていたようだ。

いったい配信会場で何が起こっているのだろう?いつまで待っていればいいのだろう?不安になってきた。

声が聞こえた。

「鬼瓦先生、ちょっとしゃべってもらっていいですか?」

「鬼瓦です。聞こえてますかー?」

「あれ、やっぱりおかしいな」

おいおい、いったいどうなっているのだ?

かれこれ20分以上も経っている。お客さん、苛立っているんじゃないかな?というより、会場の姿もまったく見えないので、現場がどうなっているのか、全然わからない。

悪戦苦闘の末、

「鬼瓦先生、何か喋ってください」

「鬼瓦です。聞こえてますかー?」

「よかった。聞こえた」

どうやら、配信会場には大きなモニターがあり、それをみんなで見ているようなのだが、音声がホストコンピュータのタブレット端末では聞こえるのだが、大きなモニターのスピーカーからは音声が出ていなかったらしい。モニターのスピーカーから音声が出せるように悪戦苦闘していたようなのである。

午前中の接続テストでは、自分のパソコンと、先方のホストコンピュータであるタブレット端末の間で、音声がクリアに聞こえるというだけで、安心してしまい、大きなモニターのスピーカーから音声が出るかどうかの確認をしていなかったのだ。

事前に準備しておけよ!と言いたかったが、悪いのは担当者ではなく、そのような不便なオンライン環境にしてしまったその庁舎であり、つまりは構造的な問題である。

25分遅れくらいで、ようやく学習会が始まった。始まってからはまったくトラブルがなかった。

オンライン学習会終了後、すぐに担当者の方からお詫びとお礼のメールをいただいた。僕は、

オンライン会議システムが思うがままにならない庁舎の環境の中で、たいへんご苦労されたことと拝察します。ご期待通りのお話ができたかはなかなか不安ですが、ひとまず、私の声と画面が届いたことに安堵しています」

と返信を書いた。

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不安な学習会

7月19日(火)

明日はある町で小さな学習会の講師をすることになっている。ほんとうは実際にその町に赴いて対面で講義をすることになっていたのだが、コロナの第7波の影響で、完全オンライン形式に変更されることになった。

実際にその町に赴くと1日がかりになるので、オンラインになってくれたほうが楽なのだが、それよりも僕には、大きな不安があった。

それは、オンラインはほんとうに接続できるのか、という不安である。

その町のオンライン会議システムは、僕がほとんど使ったことのないものだった。ふだんはZoomを使っていて、Zoomを使う分には何も不安はないのだが、その町のオンライン会議システムは、セキュリティーの関係からなのか、Zoomを使っていない。これまで1,2度、会議で使ったことがあるが、接続がスムーズにいったためしがない。

なので僕はその町で会議があるときは、できるだけ現地参加することにしている。そのオンライン会議システムをあまり信用していないのだ。

前回の会議では、二人に一人が、接続できないという事態になった。

もちろん、そのオンライン会議システム自体に不備がある、というわけではないのだろうけれど、やはり使い慣れていないため、どうしても接続できない事態になる人が出てくるのである。

しかも、その庁舎では、庁舎のパソコンからオンライン会議システムに接続するのは厳禁とされており、わずかに、タブレット端末4台のみが、接続を許されているのだ。

配信会場のホストコンピュータが、タブレット端末というのは、不安なことこの上ない。

画面共有をする場合は、非常にめんどうくさい手順を踏んでいたように記憶している。だから、会議の最中には、ほとんど画面共有を行っていない。手元に紙資料を置いて見るよりほかに方法がないのである。

だから僕は、完全オンラインによる学習会を実施することに、一抹の不安がある。接続できるかどうかも不安だが、それとともに、パワポの画面を共有できるかどうかも不安である。

「あのう…、画面共有とか、大丈夫なんでしょうか」

と僕は、前回の会合のときに何度も確認したが、

「大丈夫です」

と、先方は自信ありげに答えた。ほんとうに大丈夫なんだろうか。

そんな心配をしながら、前日を迎えた。

接続テストを本日の16時から始めます、という案内が来たのだが、僕は13時から会議があり、16時からは別の会議がある。

「16時に会議があるので、接続テストができないのですが、どうしたらよいでしょう」

「お時間のあるときにテストしてみてください」

「ちなみに、何時頃までなら大丈夫ですか?」

「18時頃までアカウントをひらいておりますので」

ところがこの日に限って、13時から始まった会議は延びに延びて、16時半過ぎに終了した。

その後、間髪を入れずに2つめの会議が始まる。2つめの会議はけっこうややこしい会議で、司会をしている委員長が時折長考に入ったりしたので、19時頃にやっと終わった。

慌てて仕事部屋に戻り、まだアカウントは生きてるかな?と念のため接続を試みたが、結果は、うんともすんとも言わなかった。

(そりゃあそうだよな…)

しかし、ほんとうに明日の本番の際にちゃんと接続するかどうか、不安である。

メールをチェックしたら、先方からメールが来ていた。

「先ほどもう一人の先生と予行を行っていたところ、パワポの画面共有に若干不具合がございました。ファイルの大きさにくらべ、当方タブレットのスペック不足によるものと考えられます。下記のとおり対応したいと考えております。

明日お使いになる予定のパワーポイントをお送りください。いただいたPowerPointをこちらでpdfに変換し、先生に返送いたします。

明日は、先生の方からPowerPointまたはpdfの画面共有をお試しいただき、うまくいけばそのままお話しください。画面共有ができない場合、こちらからpdfを画面共有し、それをご覧いただきながらお話をいただきます(昔のスライド発表のイメージです)。

最悪、いただいたPowerPointをプリントアウトして参加者に配布の上、講義をいただくこととします」

ほら、言わんこっちゃない。あの頼りないタブレット端末がホストコンピュータだと、大容量のパワポのファイルを共有しようとすると動作しなくなる可能性があるのだ。

接続ができない、画面共有ができない、という最悪な事態になったら、パワポのスライドをプリントアウトして紙芝居みたいにして、僕が電話で説明する音声をマイクで拾ってもらう、という事態になりかねない。明日の午前中が最後のチャンスである。接続テストがうまくいきますように。

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ゆたさん

先週、ニッポン放送「ナイツザ・ラジオショー」に伊集院光さんがゲスト出演していたというので、聴いてみた。

久しぶりに笑組(えぐみ)の内海ゆたおさんの話題が出ていた。

10代の頃、ニッポン放送「三宅裕司のヤングパラダイス」を熱心に聴いていたが、「おばけ番組」だった「ヤンパラ」が終わった後に始まったのが、1990年4月から始まった「内海ゆたおの夜はドッカーン!」だった。

「ヤンパラロス」に陥った僕は、後継番組をすっかり聴かなくなったのだが、「夜ドカ」はわずか1年ばかりで終了し、「伊集院光のOh!デカナイト」が始まる。もうこのころになると、夜10時台のラジオをほとんど聴かなくなった。

「夜ドカ」がわずか1年で終了したのは、「ヤンパラ」があまりに「おばけ番組」すぎて、その後継番組としてのプレッシャーに、内海ゆたおさんのメンタルがやられてしまったから、というのは、有名な話である。ナイツのラジオ番組でも、その話題が出ていた。

そういえば、内海ゆたおさんって、いまどうしているのだろう?と思い、動画配信サイトを検索してみたら、YouTubeチャンネルを持っていた。

久しぶりにみるゆたさんは、かつてのイメージとはまったく違い、すっかり痩せていて、ちょっと老けた感じになっていた。伊集院さんと同い年といわれると、伊集院さんのほうがとても若く見える。やはりテレビに出ている人は、見られているという意識がはたらくのか、見た目が老けないのだろうか。

テレビやラジオではまったく露出がなくなったゆたさんが、いまでも「笑組」を解散することなく、舞台に出続けているという。

ゆたさんの喋りは、じつにおもしろく、よどみなかった。なにより、いまでも笑組を続けていて、舞台で漫才をやっているということに、いまさらながら驚いたのである。いま、肩肘張らないラジオをゆたさんがやっていたら、絶対に聴くだろうな。

YouTube番組のなかで、1990年の『Olive』という雑誌で特集されていた「人気お笑い芸人ランキング」というのが紹介されていて、それがおもしろかった。当時のお笑いランキングは、以下の通りである。

1位 ZーBEAM(ズ・ビーム)

2位 爆笑問題

3位 笑組

4位 ダウンタウン

4位 ウッチャンナンチャン

6位 テンション

7位 松竹梅

8位 デンジャラス

9位 鮫島伸一

10位 バカルディ

なんと笑組が3位に入っている。この年は、ゆたさんがニッポン放送のラジオをしていたときだから、笑組の知名度が高かったのだろう。

もともと笑組の2人は、内海好江師匠の弟子で、どちらかといえば、テレビ的というよりも、演芸場で活躍する漫才師だった。そのスタンスは、いまでも変わらない。

1位の「ZーBEAM」は、僕の記憶にはほとんどなかったが、当時は人気の頂点を極めていた。バカルディ(現さま~ず)や、もしかするといまの東京03など、その後の東京のコント師に絶大な影響を与えたようである。たしかに動画配信サイトでそのときのコントを見てみると、かすかに記憶がある。コンビのひとり、いまでも俳優活動をしている阪田マサノブさんは、東京03の角田さんを彷彿とさせると、ゆたさんが言っていたが、まったくもってその通りである。このあたり、もっと再評価されてもいいのではないだろうか。

なにより、笑組が解散せずに、いまでもお笑いを続けていることがすばらしい。メディアへの露出なんぞ関係がない。ブレずに続けていることが力になるという姿勢が、自分にも励みになる。

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小児科クリニック始末

7月16日(土)

昨晩から、4歳3か月の娘が頻繁に咳をするようになったので、今朝、かかりつけの小児科クリニックに連れていくことにした。

平日は仕事なので、娘を小児科に連れていくタイミングは、土曜日の午前中になることが多い。ほかの家族も同様のようで、土曜日の午前中は、平日よりも診察を希望する患者が多いようである。

午前9時から診察が開始されるのだが、診察を予約するには、2つの方法がある。

1つは、インターネットによる予約である。診察時間の始まる午前9時ジャストに受付が開始されるので、午前9時になると同時に、予約しなければならない。

もう1つは、直接クリニックに赴く方法である。こちらの方は、午前9時よりも前にクリニックの前に並んでいると、9時10分前くらいに、クリニックの扉が開き、受付が開始される。

つまり、できるだけ早く診察してもらうためには、午前9時より前にクリニックまで直接行って、クリニックの扉が開くと同時に受付を済ませる方がよいということである。インターネットによる予約はたしかに楽なのだが、9時の時点ですでに、直接受付を済ませた人たちよりも遅れて予約することになるし、9時になるとみんなが一斉に予約するので、順番がかなり後回しになる可能性が高いのである。

なので、僕はできるだけ、午前9時の診察返し前にクリニックの前に並んで受付をするという方法をとっている。

今日も、娘を連れて、午前8時45分頃、クリニックの前に着くと、ちょっと最近見たことがないくらい、すでに長蛇の列である。

これはあれか?コロナウィルスの第7波が来ていることと関係があるのか?

仕方がないので最後尾に並ぶと、その後も次から次へと僕の後ろに列が続いていく。

8時50分頃、クリニックの扉が開き、受付が始まった。娘の受付番号は20番である。つまりその前に19人が並んでいたことになる。

午前9時の時点で、インターネットによる予約をした人を含めると、待合室のモニターに表示される受付番号はたちまち60番まで跳ね上がった。つまり診察開始の時点で、60人の患者が診察を待っているということになる。

(これは長期戦になりそうだな…)

狭い待合室に親子連れがひしめき合っている。これではどう考えてもこれは感染源のど真ん中にいるようなものである。その間にも、次から次へとクリニックに訪れる患者が増えている。

「すみませ~ん、すみませ~ん」

と、待合室のトイレのほうから、看護師さんを呼ぶ声がした。トイレからは、子どもが泣き叫ぶ声がしていて、その泣き声は次第に大きくなるばかりで、おさまる気配がない。

看護師さんはほかの患者への対応で忙しくしていて、しばらくの間、その声に気づいていないようだったが、近くにいた人に「呼んでますよ」と指摘されて、トイレのほうに向かった。

「どうしました?」

「子どもが吐いちゃいました」

子どもがトイレで吐いたらしい。吐いた子どもは、よっぽど苦しかったのか、ひたすら泣き続けていた。

いよいよこれは阿鼻叫喚だな、と思い、しばらく散歩に出ることにした。散歩といっても、天候は不安定だし、地面はぬかるんでいるので、思うような散歩もできない。

散歩から戻ってきたときには、あと5人くらいで順番がまわってくるようなタイミングだった。

あと4人、あと3人…、と待っていると、娘が、

「パパ、うんち」

と言いだした。

「わかった。じゃあトイレに行こう」

待合室のトイレに入ろうとすると、中に看護師さんがいて、先ほどの子どもが吐いてトイレを汚してしまったところを、掃除しているところだった。

「すみません。急を要するんですが、入っても大丈夫ですか?」

「すみません。掃除がしばらくかかりそうなので…」

なんというタイミングの悪さだ。

「うんち、ガマンできないの?」

「ガマンできな~い」

仕方がないので、クリニックを出て、近くのスーパーの2階にあるトイレに駆け込んだ。

無事にうんちを済ませ、クリニックに戻ると、まだ診察の順番はまわってきていなかった。

しばらく待って、ようやく診察を受ける。

僕は、このクリニックの先生に絶大な信頼を寄せている。たぶん、ほかの家族も同様であろう。

なんでもこの先生は、大きな病院の小児科部長を務めた方で、その職を辞したあと、数年前にこの場所に小児科を開業したという。保護者に対する説明がとても論理的でわかりやすい。子どもにも分け隔てなく、優しく接してくれる。

なにより、カルテを英語で入力している好印象である。

僕が子どもの頃に通っていた小児科の先生は、当然まだパソコンなどない時代だったが、カルテをドイツ語で記入していた。なるほど、医者の先生はみんなドイツ語が堪能なんだな、と子ども心に思ったものだ。だからみんなドイツ語でカルテを書いていると認識していた。

ところが最近、医者にかかる機会が多くなり、パソコンに入力している様子を見ると、みんな日本語で入力しているではないか。カルテをドイツ語で書かなければならないしばりがなくなり、規制緩和で日本語入力も可となったのだろうか。

ある先生なんかは、

「最近、体調のほうはどうですか?」

と聞いてきたので、

「まずまずです」

と答えると、カルテに、

「体調はまずまず」

と入力され、そのままじゃん!と思ったことがある。

そういう先生を多く見てきたから、英語で入力するこのクリニックの先生を人一倍信頼できると感じてしまうのである。

ま、それはともかく、先生の評判が口コミで広まっていったであろうことは間違いない。

ウィルスの検査をしてみたが、陰性の結果が出て、ひとまずホッとした。

いつもの咳止めの薬をもらいに、近くの薬局に行ったが、娘がまた、

「パパ、おしっこ」

と言うので、さっき行ったばかりのスーパーの2階のトイレにふたたび連れて行き、無事におしっこを済ませたあと、薬をもらって帰宅した。

なんだかんだで2時間が経っていた。

自分が病院に行くのも一苦労だが、娘を病院に連れて行くのも一苦労である。体力がないと病院には行けない。

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あのときの洋食屋さん

7月15日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

「3年ぶりにお祭りが行われる町」で、朝から用務である。

ホテルを出て、地下鉄に乗って北に向かい、用務先に到着したのは午前10時少し前だった。

今回の用務は、僕のほかに2人の男性が参加する。というより、もともとその2人の男性の作業に僕もくっついてきただけである。用務先で対応してくれた女性を含めると、合計4人が、夕方までその建物の中で作業をすることになっていた。

さて、昼食休憩の時のことである。

用務先には学生がたくさんいるので、学生のお昼休みの時間とずらして、昼食休憩を取ることにした。午後1時過ぎのことである。

建物の外に出て、4人で近くの飲食店に入ることにする。

「ここでいいですか?」

と、用務先の女性の方が選んだのは、小さな洋食屋さんだった。

最大で15名くらいしか入れないような、昔ながらの洋食屋さん、といった感じである。店内では、おばちゃん1人が給仕をしている。

僕はこの洋食屋さんに入った瞬間、既視感を覚えた。

(前にいちど、来たことがあったかな…)

お店の中の雰囲気といい、給仕をしているおばちゃんといい、なんとなく見覚えがあるのだ。このあたりには、以前、といっても10年以上前になるが、何度か来たことがあったので、この洋食屋さんに入ったことがあるのかもしれない。だが確信は持てない。

4人席のテーブルに座り、メニューを見る。なんとなくメニューにも見覚えがある。

「どれにしますか?」

僕は「チキンカツ」定食にし、ほかの3人は「チキングリエ」定食にきめた。

「すみませ~ん、チキンカツ1つと、チキングリエ3つください」

とおばちゃんに言うと、そのおばちゃんは、

「えーっと、…女性の方は何を注文されました?」

と聞いてきた。

4人のうちの1人の女性が、

「チキングリエです」

と答えると、

「じゃあ、チキングリエの1つは、ご飯を少なめに盛りますね」

と、さも当然のように言った。

僕はこの瞬間、この洋食屋の思い出が、まざまざと甦ってきた。たしかに僕は、以前にこの店に来たことがある、と!

正確に言えば、僕と妻が、この店に入ったのである。

もう10年以上前のことになるかもしれない。

このあたりを歩いていて、お昼になったので、どこか食堂に入ろうということになり、小さな洋食屋さんに入った。

何を注文したかは覚えていないのだが、たしかそのときも、給仕をしていたおばちゃんが、妻が注文した品を確認し、

「ご飯を少なめに盛りますね」

と言って、実際に運ばれてきたご飯が、僕よりも明らかに少ない量だったのである。

これに、妻は激怒した。

「なんで女性だからって、ご飯を少なめに盛るの?それでいて値段が変わらないってどういうこと!?これって、女性が明らかに損してるよね!!!」

たしかにそうだ。妻はふだんから僕と同じ量を食べるのだ。なぜ、女性だからと言って、ご飯を少なめにされなければならないのか?

「だいたい、あのおばちゃん、せわしなく動いているように見えて、ぜんぜん手際がよくないじゃない!!」

と、怒りの矛先がおばちゃんに向かっていたことも思い出した。

そうだ、ここがあのときの洋食屋さんだ!!!そして、あのときのおばちゃんだ!!!

ボンヤリとした記憶が、鮮明に甦ったのである。

何より、10年以上経ったいまも、あいかわらず「女性だからご飯を少なめに盛る」という習慣を続けていたことが驚きである。

家に帰ってから、この話を妻にしてみた。

「ずっと前にさあ、あの町で洋食屋さんに入ったこと、覚えていない?」

「さあ」

給仕をしていたおばちゃんが、女性に対して「ご飯を少なめに盛りますね」と言って、実際に少なめに盛って出してきたんだよ、というと、

「思い出した!」

と、突然「思い出し怒り」がこみ上げて来たようだった。

折しも巷のニュースでは、この国の2022年のジェンダーギャップ指数は、146カ国中116位、主要7カ国(G7)の中で最下位だと伝えていた。

もはや先進国とは言えないね。

ただフォローしておくと、「洋食は美味しかった」ということと、「おばちゃんが変わらず元気に働いていた」ことは、申し添えておきたい。

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前々々夜祭の町

7月14日(木)

あっという間に週の後半になってしまった。

このところ、やることが多すぎて、あっという間に平日が過ぎてしまう。

先週は、水曜日と木曜日は都内で、金曜日は職場で、それぞれ長時間の打合せがあり、それだけで疲弊した。

今週は、来週金曜日の社内向け説明会のプレゼン資料の作成に没頭したのだが、終わりが見えてこず、なかなかたいへんである。

火曜日は、職場で神経を使う交渉事などもあり、ひとまずそれがうまくいって、しばらくの間放心状態になったり、メールにひたすら返信を打ち返したりしているうちに、あっという間に夜になり、水曜日は、在宅でひたすら社内説明会用のプレゼン資料を作っていたのだが、やはりあっという間に夕方になり、あいかわらず終わりが見えてこない。

加えて、体調がすこぶる悪い。ま、体調が悪いのはいつものことなのだが、仕事上で人と会う約束をする機会が増えているので、人と会う体力を温存しておかなければならない。

今週は、昨日くらいまでですっかり疲れてしまったのだが、じつは今週は、ここからが本番である。

午前中、来たメールにひたすら返信を書いたあと、午後、新幹線に乗り、西へ向かう。明日は朝から1日、神経を使う仕事が待っているのだ。

夕方に宿泊先のホテルに着くと、祭り囃子のようなものが聞こえてきた。今日は、3年ぶりに行われるお祭りの、前々々夜祭のようである。

それを横目に、ホテルにチェックインして、近くのお店で夕食を済ませ、ホテルに戻って、山ほど抱えている仕事を少しでも片づけようと思ったのだが、すっかり疲れてしまい、とたんにやる気がなくなった。

諸方面にメールを書かなければいけないのに、それもしんどくて、先送りにしてしまった。

しかし考えてみたら、明日は一日作業をして、夜遅くに東京に戻り、それから3連休なので、月曜日まで休み。水曜は日帰り出張、木曜は病院だから、実質作業ができるのは、来週の火曜日しかない。

はたして、来週金曜日の社内説明会までに、プレゼン資料は間に合うのか?綱渡りの日々は続く。

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最強のスピンオフ映画

7月10日(日)

朝、投票に行ったあと、4歳3か月の娘を連れて映画を観に行く。

観に行った映画は、ディズニー・ピクサー映画の「バズ・ライトイヤー」である。

バス・ライトイヤーは、「トイ・ストーリー」シリーズに出てくる架空のおもちゃのひとつだが、映画の中ではメイン・キャラクターであるカウボーイの「ウッディ」の脇を固める。

つまりこのたびの「バズ・ライトイヤー」は、いわばスピン・オフ映画ということになるのだが、スピンオフ映画というと、なんとなく「面白くない」というイメージがあった。とくに日本の刑事ドラマの「劇場版」なんかでは、主役ではなく、脇役が主演をするスピンオフ映画がけっこう作られてきたと思うが、あまりおもしろいと思った印象がない。

なので、僕自身はあまり期待していなかったのだが、なにしろ娘は「トイ・ストーリー」のファンなので、娘が喜ぶだろうと思い、内緒で、「バズ・ライトイヤー」を観に行くことを計画したのである。

ところが娘は、

「大泉さんの映画泥棒の映画がみた~い」

という。何のことかわからなかったのだが、数日前に、ある民放のバラエティー番組の中で、映画の直前にスクリーンに流れる「NO MORE 映画泥棒」の映像が怖くて、映画館で映画を観ることができない、という若いタレントの悩みに、大泉洋さんが、実際に「映画泥棒」のキャラクターを連れてきて、その若いタレントと仲良くさせることで、「映画泥棒」へのアレルギーを解消させる、といった内容が放送されていて、それを観た娘が、「映画泥棒の映画を観たい」と思ったようである。

なんともわかりにくい説明ですみません。

「じゃあ、映画泥棒の映画を観に行こうか」

「やった~!」

と、娘を誘って、「バズ・ライトイヤー」を観に行くことにしたのである。

で、肝心の「映画泥棒」は、映画の直前に、数十秒流れただけで終わり。娘は、これが映画の本編だと思ったらしく、

「え?これだけ?」

と狐につままれたような表情をした。

すると、おもむろに、「バズ・ライトイヤー」が始まった。ここからが本番である。

…ということで、前置きが長くなった。

期待せずに見始めたのだが、これがすげーおもしろかった!

スターウォーズのような世界観の映画である。

「トイ・ストーリー2」の中で、バズ・ライトイヤーは敵である「ザーグ」とちょっとした対決をするのだが、そこでザーグがバズの父親であることがわかり、バズがショックを受けるというシーンがある。この設定は、明らかに「スターウォーズ」へのオマージュである。

つまり「トイ・ストーリー2」からわかる設定は、

「バズの敵はザーグであり、そのザーグはバズの父親である」

ということのみなのであるが、この映画では、その設定を見事に回収している。回収するばかりか、そこからひとひねり、物語を転がしていくのである。

無敵のバズを支える、頼りない仲間たちもすばらしい。

会社でたとえたら、「こんなヤツ、使えねえよ」という連中ばかりで、バズにとっては足手まといになるばかりなのだが、行動を共にするにつれ、次第にこの仲間たちがかけがえのない存在になっていく。この世の中に、必要でない人など、だれひとりいないのだ、という気にさせてくれる。

それと、LBGTQ+についてごく自然に描いているのもこの映画の特徴である。

というわけで、あっという間の2時間弱であった。

終わったあと、娘に感想を聞いたら、

「おもしろかったけど、ちょっと怖かった」

と言っていた。たしかに、大人でも怖いと思う場面はいくつかあったし、劇場では泣いている子どももいた。しかし一方で、コメディー的要素も強い映画である。

敵が迫ってくるというのに、ポンコツロボットが、どうでもいい説明を延々と喋ってバズたちが足止めを食らう場面では、後ろにいた子どもが、

「おまえは喋るな!」

と、ツッコミを入れていて、それがたまらなく可笑しかった。

娘にどんなところがおもしろかった?と質問すると、どうでもいい場面をよく覚えていて、それを細かく説明していた。

大人はついストーリーを追ってしまいがちだが、子どもはそれよりも、自分にとって印象的な場面こそがその映画のポイントなのかもしれない。

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ピアノ発表会

7月9日(土)

今日は4歳3か月の娘の、ピアノ発表会の日である。

娘と、同じマンションに住む小5の姪は、近所の繁華街にあるピアノ教室で、同じ先生に習っている。なので姪もまた、同じ発表会に出演する。

場所は、バスと私鉄と都営線を乗り継いで1時間ほどかかる都内。午前11時20分開演だが、10時半には会場に着いた。

昨晩の金曜日、娘はなかなか眠れなかった。といっても、最近は宵っ張りである。

「緊張して眠れないんでしょ?」

「ううん、そんなことない!」

と全力で否定した。

翌朝、親類の子のお下がりでもらった、白いドレスに着替えて、いよいよ出発である。おそらく、次の時にはドレスが小さくて入らなくなるだろうから、最初で最後の衣装だろう。

電車に乗った頃から、しゃっくりが止まらないようである。

「困ったねえ。しゃっくりが止まらないねえ」

緊張しているのだろうか?

「ねえ、緊張しているんでしょう?ねえ?ねえ?」

と、娘に執拗に聞いていると、

「そんなこと聞いたら、よけいに緊張するでしょう!トラウマになるよ!」

と、家族にたしなめられた。

会場に着くと、娘や姪のピアノの先生が受付にいた。

「今日はよろしくお願いします」

同じピアノの先生のもとで習っている生徒のうち、希望者がピアノの発表会に出るという。今日の出演者は9名。最年少はうちの娘で、最年長は姪である。なので、トップバッターは娘で、最後を飾るのは姪と、プログラムに書いてあった。

コロナ禍での演奏会のため、演奏者ひとりにつき、2名まで来場が可能という決まりがあった。ということは、演奏者含めて3名が一組だから、会場には27名の観客がいるということである。

感染対策のため、途中に10分間の休憩をはさみ、その間に会場の換気を行う、という徹底ぶりだった。

いまから45年くらい前、僕も少しピアノを習っていて、ピアノ発表会に出演した経験があるのだが、ピアノ発表会という形式で、ピアノを習っている生徒が演奏を披露するスタイルの行事は、半世紀以上、延々と変わることなく、行われ続けたのだろうか。そもそもピアノ発表会というスタイルは、いつごろ、だれによって確立したものなのか、興味がある。やはり楽器店の考え出したアイデアなのかなあ。

そんなことをつらつら考えているうちに、ピアノ発表会が始まった。

1番手の娘は、「きらきらぼし」と「ふしぎなポケット」の2曲を、ピアノの先生の伴奏付きで演奏した。

すでにしゃっくりは止まっていて、堂々とした演奏だった。こいつ、本番に強いヤツだな。

2番目以降の人たちは、先生の伴奏の助けがなく、ひとりでの演奏である。

最後は、姪による、中島みゆきの「糸」が演奏された。ほかのみんながよくあるクラシックの曲を選んでいる中で、この選曲はすばらしい。しかしそれだけに、なかなかの難曲である。

練習の様子を見ていたときは、なかなか最後まで弾ききることができず、途中でやめてしまうのではないかと不安だったが、見事に最後まで演奏しきった。

ピアノ発表会は、休憩を入れて1時間ほどで終わった。そのあと、近くで昼食を取ったり、別の場所を訪れたりしていたら、帰宅したのは夕方5時近くになった。あまりに疲れたので、帰ってから泥のように寝た。

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舞台裏…ってほどでもない

7月5日(火)

午前中は、いくつかの案件についてメールを書いているうちに終わってしまった。いずれも、仕事を増やすなよ~という感じの、めんどくさい内容で、それだけで疲弊する。

午後は、ひたすら原稿作成に没頭する。

今月は、ふたつの原稿を何としてもあげなければならない。

ひとつは、7月後半に予定している、「新幹線と在来線を乗り継ぐ町」で行われる、小さな学習会の講演原稿。もうひとつは、9月初旬に予定している、「飛行機で移動する町」で行われる、少し規模の大きな講演会の原稿。後者は、7月末までに原稿を提出しろといわれている。

どちらも、締切直前、という感じではないのだが、7月後半はいろいろと立て込んでいるので、早いうちに仕上げておかなければならない。

それぞれ内容は、これまで話したことのあることを使えばよいのだが、使い回しができるかというと、そうではない。

小さな学習会のほうは、あまり専門的なお話もできないので、できるだけわかりやすく、かみ砕いた表現で書く。

少し規模の大きな講演会のほうは、それなりにその分野に関心のある人たちが聴きに来るだろうから、やや専門的な文体で書く。

…というように、あたりまえだけれど、聴衆を頭に思い浮かべながら、原稿を作っていかなければならない。

最近は、講演原稿をあらかじめ聴衆に配布し、当日はパワーポイントのスライドショーを使ってお話しする、というスタイルがすっかり定着しているから、原稿とはほかに、パワーポイントのスライドも作らなければならない。

パワーポイントのスライドでは、文字が多いことが好まれないので、できるだけ文字を少なくし、図や写真をたくさん載せる。適当な図や写真を見つけてくるのがまた、ひと苦労である。

よく、パワポの画面をプリントアウトしたものをそのまま配付資料としている場合も見かけるが、個人的にはそのやり方をあまり好まない。事前に配付する資料と、当日のパワポの資料は、全然別の性格のものと考えるべきである。とはいえ、時間がないときは、ついそのやり方を使ってしまうこともある。

つまりむかしからくらべると、講演資料を作るのに、2倍とか3倍の手間がかかっているのである。

もちろん、さまざまな講演会のために作った資料をストックしておけば、あるていどは使い回せるのだが、まったく同じというわけにはいかず、講演の趣旨に合わせて、細かいところの修正していく必要がある。同じテーマでも、何回か喋っているうちに、新たな知見も生まれてくるから、それも付け足さなければならない。

あと、考えなければならないのは、講演時間のことである。

決められた時間を大幅にショートしてもいけないし、かといってオーバーしてもいけない。

その場合は、パワーポイントのスライドの中に、話の本筋とはそれほど関係ないようなものを、数枚仕込んでおく。ふれてもいいし、ふれなくても差し支えないようなていどの画像を入れておくのである。時間があまりそうならば、そのスライドの説明をすればよいし、時間が足りなくなりそうならば、何もいわず飛ばせばいいのだ。つまり、時間調整のためのスライドである。

まあとにかく、そんなことをイメージしながら、ああでもない、こうでもないと、講演原稿とパワポのスライドを作っていくのである。

そんなこんなで作っていたら、お昼過ぎから夜まで、誰とも喋らず、仕事部屋にずっとこもりきりで根を詰めていたので、さすがに疲れた。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、帰り道、radikoのタイムフリーで聴いた「大竹まこと ゴールデンラジオ」のオープニングで、大竹まことさんと小島慶子さんと武田砂鉄さんが、ゲストにインタビューするときに心がけていることとか悩みとか、どんな工夫をしているとか、ラジオパーソナリティーとしての舞台裏というか技術的なことを喋っていたのが、とてもおもしろかったからである。

それに触発されて書いてみたのだが、どうもあまりうまくいかなかった。

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ボートマッチ普及運動

選挙に行こう!キャンペーン実施中。

こぶぎさんの薦めで、マスコミ各社のボートマッチを試してみたが、これがすこぶる面白い。

25問ていどの質問に答えると、政党や、自分の住む選挙区の候補者との近さを、パーセンテージで教えてくれる。

前回の衆議院選挙だったか、ほら、「最高裁判所裁判官の国民審査」ってあるでしょう?いままではほとんど何も考えずに審査していたのだが、それぞれの裁判官が、いろいろな裁判でどのような判断を下していたか、というまとめサイトみたいなものを、マスコミ各社で示してくれたおかげで、自分の考えに近い裁判官と、そうでない裁判官が可視化された。つまり根拠をもって、○×をつけることができたのである。

これってけっこう大事なことで、たとえばアメリカの連邦最高裁判事は、いま共和党系が6名、民主党系が3名で、ここ最近の連邦最高裁は、じつに偏った判断をしている。町山智浩さんは、「いま、アメリカは南北戦争時代へ逆戻りしている」と警鐘を鳴らしているが、ここ最近は、時代に逆行する最高裁判断が横行しているのである。ま、この国の最高裁判断も同じようなものだけどね。

アメリカの最高裁判事は終身職なので、いちど判事になると、物故するか、自分で引退を決めない限りは、人が入れ替わることはない。

その点、この国には「国民審査」の制度がある。欲を言えば、「国民審査」にも、ボートマッチみたいなシステムがあれば、もっと簡便に○×を判断できるのだがなあ。

それはともかく。

ボートマッチは、各候補者との近さがパーセントで出てくるので、

「この候補者とは、80%くらいわかり合える」

とか、

「この候補者は、嫌いだけど、30%くらいはわかり合えるのかあ」

とか、

「この候補者は、なんとなく好きだけど、意外と50%しかわかり合えない」

といったことがわかるのである。

もちろん、人との近さはパーセントでははかれないことはわかっているのだけれども、どんなに嫌いな人間でも、2~3割くらいは、わかり合えるところがあるのだ、ということを教えてくれる。一般論として、人と人とがまったくわかり合えない、ということはないのだ。

ところが、である。

今回やってみて、一人だけ、0%という候補者がいた。

四半世紀以上前にテレビアイドルとして活躍していた候補者である!

言うに事欠いて、0%というのは酷すぎる。「まったくわかり合えない」ということではないか!!!

おそらく、わかり合えない、というより、話の通じない人なのかもしれない。

それにしても、いったいなぜ、0%などというあり得ない数字が出たのだろう?まさか、アンケートに無回答だったということはないよねえ。

で、僕は考えた。

これからは、ボートマッチを、候補者と有権者の義務としたら、候補者と有権者の双方の意識が変わり、投票率が上がるのではないだろうか?

マイナンバーカードの普及よりも、ボートマッチの普及を!

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選挙変態

7月3日(日)

この土、日は、体調が最悪だったが、オンライン会合が2日間にわたってあったため、やっとの思いで画面の前に座り続けた。ビデオをオフにして寝ていようかとも思ったが、いつコメントを振られるかわからなかったので、そういうわけにもいかなかった。

体調が悪いのは、暑さのせいか、薬の副作用のせいか、よくわからないのだが、体中の粘膜が弱っているのは、明らかに薬の副作用だろう。そういう時に限って、うっかり自己責任で、タイの激辛麺を食べてしまい、たいへんな目に遭った。食べて数時間後にもよおしたのだが、出口のあたりがヒリヒリする体験を久しぶりにした。ということは、激辛唐辛子ってのは、消化されないのかね。

まあそんなことはともかく。

国政選挙がいよいよ来週である。

いろいろと思うところはあるのだが、僕が大好物なのは、候補者そのものではなく、選挙期間になるとものすごく元気になる、「選挙変態」(褒め言葉)と呼ばれる人たちである。選挙ライターとしては、畠山理仁さんが有名だが、ほかにも「選挙変態」がいる。

「選挙とはお祭りである」と断言して憚らない、ダース・レーダーさんとプチ鹿島さんのYouTubeチャンネル「ヒルカラナンデス」は、選挙の前になると、中学生みたいにはしゃいじゃっていて、見ていて楽しい。限られた選挙期間中に、どこの選挙区を取材したらわくわくするか(あるいはヒリヒリするか)を考え、実際にその選挙区を「漫遊」する。プチ鹿島さんは自らを「好事家」と称しているが、言い得て妙である。

TBSラジオ記者の澤田大樹さんと選挙ライターの宮原ジェフリーさんは、つい先日、TBSラジオのYouTubeチャンネルで「参院選全選挙区総ざらい2022!比例もあるよ」という番組を配信した。比例を含む全選挙区の候補者の一人ひとりについて、情報を提供する内容で、日曜日の午後3時から午後8時半頃までの約5時間の生放送をしていた。終了時間はとくに決めておらず、全選挙区の総ざらいが終わった時点で番組が終わる、というしくみで、前回の衆議院選挙の時は、7時間以上の放送時間だった。「今回は短く終わりました」と言っていたが、5時間は決して短くはない。

澤田さんと宮原さんは、同じ大学の同窓生で、むかしから選挙前になると、休みの日に家に集まって、全選挙区の動向を分析していたという。それがたまたま、前回の衆議院選挙の時から、YouTubeで動画配信したというのである。つまり仕事ではなく、完全なる趣味なのだ。ほとんどすべての候補者の情報を仕入れている宮原ジェフリーさんは、まさに「選挙変態」と呼ぶにふさわしい。

そういえば、僕の身近にも「選挙変態」がいたような気がしたが、その人は以前、韓国の大統領選挙まで取材していたと記憶する。「選挙変態、海を渡る」というドキュメンタリー映画を作りたい。

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ベイビー・ブローカー

7月1日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ、「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週は異常な暑さに加え、投薬期間が重なったせいか、思いのほか副作用が強くてしんどかった。こういうときに限って、金曜日の夕方に「肉体労働」が入っていて、異常な量の汗をかきながら作業をした。一緒に作業していた人たちは、かなり引いていたことだろう。

今週のある日、ちょっと仕事から逃避したいと思い、映画を観に行った。是枝裕和監督の「ベイビーブローカー」である。じつは「アシタノカレッジ金曜日」のゲストが是枝監督と聞いて、予習をするつもりで観に行ったのである。もちろん、僕が10年以上前からの大ファンであるソン・ガンホを見たいというのも、大きな理由の一つである。

感想を書くとネタバレになりそうなので書きにくいが、この映画の中で、「正義」が逆転する瞬間があり、それがとてもよかった。あたりまえのことだが、自分にとって「正義」だと思っていることが、いつの間にか自分の思う「正義」とはかけ離れてしまうことがある。そこに気づかない人がほとんどなのかも知れないが、この映画では、そこに気づく瞬間があるのだ。武田砂鉄氏は「あの場面は見事でした」と言っていたが、僕もその通りだと思った。

「善意」と「悪意」が入り交じったソン・ガンホの演技はやはりすばらしい。ラジオで是枝監督は、あの役はソン・ガンホの当て書きだと言っていたが、たしかにソン・ガンホのよさが存分に発揮された役だった。というか、この映画は、主要な俳優をキャスティングしたあとの当て書きではないか、と思えてならない。

ソン・ガンホのセリフは、役の設定の関係からか、やや慶尚道訛りが入っているように思えたが、それでも、彼の韓国語はほんとうに聞きやすい。それは、僕がソン・ガンホ「推し」だからかも知れないが、もともと彼の韓国語は、荒っぽい口調でセリフを言っているときでも、不快にならない聞きやすさなのだ。そのあたりは、ソン・ガンホと渥美清はよく似ていると僕が感じる理由の一つである。

トークの後半では、映画界改革の話だった。パワハラのない撮影現場、労働環境の改善など、海外で作られているガイドラインを読み込み、この国の映画界の旧態依然とした意識をどのように変えていくかを思案していた。もちろんそれは自分の撮影現場にもふりかかってくる。海外のガイドラインと照らし合わせると、自分の現場にもまだ不十分なところが多すぎる。だからこの国でも早急にガイドラインを作らなければならない、と。

印象的だったのは、自分の過去の作品をふり返り、あれは間違ってました、と率直に認めていたこと。「そして父になる」における、父性や母性を所与のものとしていた偏見への反省が、今回の作品のテーマに向かわせた動機の一つであるとも語っていた。

是枝監督は、以前の取材で、「日本の映画界にはいつも絶望していますよ」と答えていたが、それでも希望を持つことをやめないことは、僕の残りの人生への羅針盤である。とりあえず、「怒鳴らない生き方」は貫き通そうと思う。

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